5-8
うっそうと生い茂る森の中には拓けた空間がある。
ドライアドの里だ。
木材加工技術に乏しいその里では、木々がそのまま建造物に使われている。
屋根は拾ってきた枝をツタで束ねただけだし、それは床も同じ。
テーブルなどの調度品もまた『切り株そのまま』といった程度でしかなく、そう多くは手に入らないのだろう、テーブルがない家も多いらしかった。
自然をそのままに利用する民族。
素朴で粗末で、人によっては温かみなんかも感じるかもしれないその民族の里に――
たしかに、ダンジョンが生えていた。
「ほわああああ!? わしのっ……わしの家が……!」
ウーばあさんの家を下から貫くかたちで、地面が隆起している。
その、『子供が作った砂山をデカくしたようなもの』には、ポッカリと空洞が空いていた。
洞の中は暗くてうかがえない。
ただ、内部で風でも吹いているのか、『ビョオオオオ……』という不気味な音が、かがり火さえない、イーリィの魔法の明かりだけが照らす集落に響き渡っていた。
「こりゃあたしかに『生えてる』って感じだ。……『ゆっくりと大きくなってきたものに、今、ようやく気付いた』ってわけじゃねーだろうな。なんせ、さっきまで俺がばあさんの家にいた時にはなんもなかった」
俺たちを呼び戻したドライアドは、こくりとうなずく。
「いきなり、はえた。さいちょうろうが、ゆうかいされて、どうしようって、はなしてた。そうしたら、いきなり、ばきばきって、いえ、こわれて、あれ、あった」
「……で、化け物ってのは?」
あたりを見回す。
静かだった。
モンスターはいない。
人も、誰も、いない。
死体さえも、ない。
ただ、そこかしこで争ったような形跡は見られる。
それはたとえば村を囲む森の木々が一部折れていたり、あるいは崩れている家屋があったりと、そういうものだが……
イーリィが魔法で浮かべてる光だけじゃあよく見えないものの、血のあとなども、あまりなさそうに見える。
少なくとも、人が一人以上死んでいるような量の血液は見当たらないし、血臭もほぼない。
かるかに残るのは、すえたような、よくわからない、不快なニオイだけ。
「ばけもの、さっきまで、いた」
「特徴は?」
「…………むし」
「虫?」
「おおきな、むし」
「六足? 八足?」
「あしは、ない。……でも、うねうねした、ヒゲみたいものは、あった」
「……うーん。ミミズ系かな? 仮名を『ローパー』としよう。大きさは?」
「このぐらい」
若いドライアドは、せいいっぱい背伸びをして、力いっぱい両腕と髪を上にあげた。
たぶん、全長にしてドライアドの倍以上はあるという意味の表現だろう。
「太さは?」
「あれぐらい」
指さした先にあるのは、樹だ。
ドライアドが四人ぐらい集まらなきゃ、幹を一周できないほど太い。
「……数は?」
「りょうての、ゆびでは、かぞえられなかった。おしくも……」
十とちょっとか。
……うーん。
五十名ほどいたドライアドは、一人を除いて誰もいない。
血のあともない。
相手はローパー系。
巨大で、太い。
数は十を超える。
最悪、ドライアドどもは全員、喰われてる。
モンスターは人を喰わない。
が、攻撃手段としての『捕食』はありうるだろう。
栄養にするかどうかは別として、『消化液のある体内に閉じこめる』というのは立派な攻撃手段だ。
その仮説なら血のあとがないのも説明がつく。
……第一、モンスターは謎だらけだ。人を栄養にしないモンスターばかりと出会ってきたが、人を栄養にするモンスターがまったくいないとは限らない。
……が、さすがにその仮説を口にしない程度の分別は俺にもあったらしい。
乏しい明かりの中で顔を青ざめさせてるウーばあさんを見れば、なんでもペラペラ心を垂れ流す俺も、口を閉ざすという気づかいができた。
ばあさんは震えた声でつぶやく。
「……アレクサンダー」
これだけ静かな夜だというのに、聞き逃しそうになるほどかすかな声だった。
「なんだよ、ばあさん」
「わしを殴れ」
「あんたの耐久力で俺に殴られたら死ぬぞ」
「……死んだ方がいい」
保身が大好きなはずのクソババアは、大して迷いもなくそう述べる。
「どうしたんだよ、ウーばあさん。らしくねーな。あんたは生き汚い方だろ?」
「……わしは、今、安堵しておった」
「……」
「あのまま、家にいたら、ダンジョンに下から突き殺されておったじゃろうと、そう思って……それに、聞くだに恐ろしい、そのモンスターの姿を聞いて、行き遭わなくてよかったと、そう、安心しておった」
「自然なことだ。厄介事に出会いたくないってのは人の本能だぜ。特に命にかかわるような厄介事にはな」
「若い者が巻き込まれておるのにか!?」
「そうだ。あんたの安堵は生物として正しい」
「正しいわけがあるか! わしは、わしはなあ……英傑なんじゃ。旅をし、たくさんの子を産み、男どもを狩りまくった……ドライアド史上で一番の、英傑なんじゃぞ」
「それは」
ちらり、と若いドライアドを見る。
ばあさん以外にただ一人残った彼女は、不安そうな面持ちで、見ている。
英傑たる、最長老を、すがるように、見ている。
その彼女の目の前でウーばあさんは、
「たしかに、嘘じゃ」
ハッキリと言った。
「嘘じゃ。全部嘘じゃ。……騙ってる最中はできると思っておった。『やる気さえ出せば、男を落とすことも、森から出ることも、子を産むことも、簡単にできる力が自分にはある』と思っておった。しかし、できぬ。脚色ではなく妄想じゃった」
「……だったら気にすんなよ。ばあさんがいたって、なにもできなかったって」
「そうじゃな。なにもできなかった。いたところで、意味などなかった。そうじゃな、その通りじゃ。貴様は正しい、アレクサンダー」
「だろ?」
「だが、貴様は間違っておる」
「へえ、どこが?」
「なにもできないから、なんなんじゃ」
ウーばあさんの緑の髪が動き、俺の胸ぐらをつかむ。
俺は、笑い出すのをこらえつつ、黙って彼女を見下ろした。
「アレクサンダーよ……なにもできないからってなあ、そんな、そんな……そんなのは、関係ないんじゃ!」
「どう、関係ないんだ? いたって意味のないあんたが、いなかった。いたところで、犠牲者が一人増えるだけだった。あんたは、この里に不在だったことで、あんた自身と、あんたを追ってきたそいつの命を救ったんだ。分不相応な大活躍じゃねーかよ」
「そうかもしれんが、そうではない。……わしは、ここにいるべきじゃった。モンスターに襲われ、消え去るならば、わしもともに、そうなるべきじゃった。少なくとも! 『自分が襲われなくてよかった』と安堵するなどと、そんな気持ちを抱くべきではなかった!」
「……話をしよう」
「なんじゃ!?」
「可能性の話だ。すがるには乏しい希望さ。あんたら種族はローパー系モンスターに襲われた。血のあとさえなく、誰もいない。これは、『丸呑みにされた』という事実を想像させる。つまり、血の一滴まで喰われて死んだ、って話だ」
「……」
「だが、もう一つ仮説が立つ」
「……」
「『連れ去られた』。モンスターがなぜそんなことをするのか? 連中は害異だ。人を見るや襲ってくる敵性生物だ。わかり合うことなど不可能な『俺たちとは違うもの』さ。連れ去る? そんな知能があるのか? 目的は? ……わからない。なにもわからない」
「では……」
「でもな、可能性がある。連れ去られた可能性が――まだ、みんな生きている可能性が、あるんだ」
「……」
「さて、ドライアドの英傑様、あんたは、賭けることができる。『生き残っている』という可能性に賭けて、モンスターどもが引っ込んでいったであろうダンジョンへと向かうことが、できるんだ。チップはあんたの命だがな」
「……」
「どうする? すでに死んでいるかもしれない連中を求めて、ダンジョンに挑むか? それとも、旅立つ俺たちと一緒に来て、この里のことは『いやな思い出』にするか? どうする?」
俺の胸ぐらをつかんだまま、ウーばあさんは、じっと、緑の瞳を俺に向けていた。
俺はなに一つ反応しない。
口の端にこらえそこねた笑いを浮かべるだけで、ウーばあさんの決断を邪魔するものも、後押しするようなものも、なにも提供しないように気を付ける。
そして、
「わしはダンジョンに挑むぞ」
俺はこらえきれずに、笑った。
「なにがおかしい!」
「おかしいんじゃねーよ。嬉しいんだ。……あんたはたしかに、力なきクソババアだったかもしれねー。普段はまあ、そうなんだろう。でもな、ここで『挑む』選択をしたあんたは、まぎれもなく、英傑だ。能力はともかく、その心根はたしかに、あがめ奉られるべき勇者なんだ。俺はそれが嬉しい」
「……」
「じゃあ、行くか」
「……は? 貴様も来るのか?」
「行かないなんて言った覚えはねーぞ」
「いやしかし、貴様、『旅立つ』と……」
「あんたの用事が終わったあとで旅に出るさ。それでいいだろ、みんな」
『嫌だ』という反応をする者は、誰もいなかった。
サロモンは闘いのため。
イーリィやダヴィッドはその正義感から。
そしてシロにカグヤに姉さんは、俺の方針だからと、そういう理由だろう。
「じゃあダンジョンに挑もうか。グダグダしゃべっちまったからな。……生きてる可能性に賭けるなら、急いだ方がいい」
さらわれているのだとしたら、不安だろうし恐怖だろうし、そもそもなにをされてるかわからない。
ほら、最悪、モンスターの腹の中から引きずり出す展開になるわけだし、時間はかけない方がいいでしょう。




