1-5
「約束の日だ。さらいに来たぜ、聖女様」
夕刻だった。
神殿に堂々と正面から入って、イーリィの部屋にお邪魔する。
ベッドしかない木造の部屋には、一輪の花が彩りを添えるのみだった。
質素にして倹約。
そもそも資源の多い村ではないが、それにしたって、イーリィの部屋は粗末に過ぎる。
「支度はできてるか?」
できていないのは見ればわかる。
彼女はケガもしてない俺がいきなり部屋に侵入してきたもので、戸惑い、困惑していた。
三年間、扉越しの対面は毎日していたが――
こうして部屋にお邪魔するのは初めてで、少し緊張する。
……というか、イーリィ、育ちすぎ。
三年前は俺と変わらない、平べったいちんちくりんだったはずなのに……
今ではすっかり体つきも顔つきも大人びている。
俺が十二歳当時からまったく見た目が変わらないせいで――
今じゃあ、イーリィの方が『お姉さん』みたいな感じだ。
「……あの、誘拐ってこうやってするものなんですか? こんな、正面から堂々と」
ベッドに腰かけて、なにかに祈るような仕草をしていた彼女は、首をかしげる。
俺はイーリィの正面に立って、天井を見上げた。
「覚えてるか? 最初に、俺とお前でした会話」
「……まあ、はい。覚えていますよ」
「お前の心を変えて、お前が自ら外に出たくなるように仕向けるつもりだった」
「……」
「どう? 変わった?」
座っている彼女を見下ろす。
イーリィは、桃色の瞳で、じっと、壁を――
半年ほど前に、壁に設置された、小窓から、外を、見ている。
「……真っ赤な空が見えますね」
「ああ」
「空の赤さを、私は知らなかった。……あなたが、外に出してくれなければ、永遠に、知らないまま、知りたいとさえ、思わないままだったでしょう」
「……」
「日が沈み、またのぼる。……私たちを照らす光が、そんな、川魚みたいに跳ねるものだったなんて、私はきっと、永遠に知らないままだった」
「お前は知った。それは、『日が沈み、のぼる』という事実だけじゃあない。お前にはまだまだ知らないものがあって、知らないものの中には、知りたいようなこともあるんだって、知ったはずだ」
「……」
「旅をしよう、イーリィ。世界の果てを目指して」
「……果て、ですか」
「ああ。なにが起こるかもわからない旅だ。望んだものがあるとは限らない道行きだ。でも、一つだけ約束しよう。この旅路で俺はお前を守る。そのための力はつけた」
「……兄さん、今のままでは、いけませんか?」
「どういう意味だ?」
「兄さんがモンスター狩りをして、私が、癒して……そうやって、ずっと、この村で暮らすんです」
「……」
「ここには平和があります。兄さんと私がいれば、きっと、不可能はありません。だから、みんなで、この村で、今のまま……『神』が嫌なら、父さんに頼んで、信仰は自由でいいと、認めてもらいますから。だから、ここで、ずっと……」
「魅力的な提案だな」
ここには牧歌的な平和と、適度な事件が存在する。
畑をたがやし、木の実や肉を狩る。
邪魔となるモンスターさえ倒せば、スローライフを過ごすのには充分な環境だ。
ここで、このまま。
……それもまた、憧れるべき暮らしの一つなんだろう。
冒険や挑戦だけが人生じゃない。
人生は穏やかだっていい。
俺は、その価値観を全力で支持する。
「でも、無理だ」
「……」
「アレクサンダーにはな、色んな可能性があったんだぜ」
「……? はい……?」
「途中で潰えてしまったけど、人生には無限の選択肢があった。……この村で始まりこの村で終わる、穏やかな一生だけじゃない。波乱に満ち、喜びにも満ちた選択もあった」
「……」
「アレクサンダーはさ、そういうのが好きらしい。安定した暮らしをいつまでも送るよりも、この命をすり潰すような刺激がほしい。……剣と魔法のファンタジー世界でさ、スローライフなんか送ってる場合じゃねーって、俺の心が叫んでるんだよ」
「……兄さんは、アレクサンダーでは、ないんですか?」
「異世界転生者」
背負った剣を抜く。
「俺は、異世界から来た侵略者だ。お前らにとっての、『悪』だよ」
だから、俺が来るところに、正義の味方は必ず現れる。
今も、来た。
「アレクサンダァァァァ……」
声の主は、巌のような拳を固めて、部屋の入口に立っている。
大きく、しかし脂肪でふくらんでいるわけではない肉体を、厚ぼったく丈の長い衣服に包んだそいつは、足音もなく木製の床の上をこちらへ歩いてくる。
おどろくべき身のこなしだ。
身長おおよそ百九十センチ、体重は確実に百キロを超えているだろう。
年齢は四十歳か、三十代後半か。
衰えが出てていい年齢だというのに、そいつは今でも一線で活躍できそうなほどの能力を維持しているのだ。
代行者。
神の教えを説き、村にルールを作った男。
かつて、村を襲うモンスターを単身で退治していたという英雄が、今、殺意さえ込めた桃色の瞳を俺へと向けていた。
「娘の部屋で、なにをしている」
押し殺した声は重苦しく、腹の底が震えるようだった。
緊張感がクセになりそうだ。
返答を誤れば即座に殺されるのだという雰囲気が漂っていた。
だから俺は、返答を誤ることにした。
「イーリィをさらいに来た」
「……」
「つーかおっさん、わかってんだろ? 俺のしようとしていることを正しく理解してるから、最初からそんなにぶち切れてんだろ?」
指摘されて、おっさんは、深呼吸をした。
そうして、穏やかな表情をどうにか作り、
「……アレクサンダー、私は、お前が色々と騒ぎを画策していることを、知っているよ」
「そうかい。騒ぎってのは?」
「村の信仰を揺るがそうと、仲間を募り、悪しき教えを広めている」
「うん、それで?」
「若者の中には、お前に賛同する者だって少なくはないだろう」
「そうだな」
「けれど、いつかきっと、お前たちも、神の偉大さに気付く。――『神』という、『文句を言ってもとどきようのない、気高い存在』の利用価値に、気付く」
「……」
「私が言ったのではない。神が言ったのだ。私に従うのではない。神に従うのだ。……今はまだ、村人たちは、私に従っているにすぎない。けれど、このまま世代が移り変われば、人々は本当に『神』に従うようになる」
「……」
「私は、この村を存続させるための『教義』というルールを、後世にまで残したい。そうすればここの人たちは未来永劫、滅びることだけはないのだと、確信している」
「……ずいぶん、内幕をぶっちゃけたな」
「そうだ。……私はね、アレクサンダー、お前を次の『代行者』にしたいのだよ」
「……はあ?」
「お前なら、私の言っていることがわかるはずだ。『神』という像と、それの名を借りた『教義』というルールと、それらをまとめた『信仰』というシステムの意味が、意義が、お前なら、わかるはずだ。お前なら、『神』を存在させ続けることができるだろう」
「……ぶっちゃけさ、半々ぐらいには思ってたんだ」
「……?」
「おっさんが、マジで『神の声を聞いた』っていう電波オヤジである確率も、半分ぐらい疑ってた。っていうか神の声を聞くっていう事態がマジでありそうな世界観だとは思ってた」
「なんの話だ?」
「いや、おっさんが理性的でよかったなっていう話。頭で『神』をひねり出したタイプで安心したって、話だよ」
「……」
「あんたは『従うべき気高い存在』として、自分の上に神を置いた。……この時代、この世界で、神っていうものの存在に気付いて、考えたうえで利用した。教育機関もない、この世界でだ。……本当にすごい」
「……」
「この村は、イーリィなしじゃやっていけない」
「……そうだ」
「信仰で縛ってはいるが、『報い』のない教義に人は従わない。イーリィという『神の奇跡』があるからこそ、おっさんが腕力だけじゃない、『なにか、大いなるものの意思』を背負っているように人々は感じ、従う」
「そうだ」
「目に見えない、けれどたしかに恩恵を与えるもの――それのわかりやすい象徴が、治癒能力持ちのイーリィだ。まあ、時系列的には、イーリィの能力があったから、おっさんは神の名を借りることに踏み切った、って感じなのかな」
だってそうだろう。
イーリィのあんな力、異端に見られないはずがない。
閉鎖的な田舎社会だ。
誰もが困窮の中を生きている。
イーリィの力はたしかに強大だが――
人が、強大なものを尊重するとは限らない。
むしろ強大かつ異質なものは、隔離し、閉じこめ、搾取しようとするのが、人だと思ってしまう。
……もしも、口減らしをしなければ?
イーリィのせいで生存率が上がり、増えてしまった人口により、飢えが早まったことだろう。
もしイーリィの力に『神の力』だっていうありがたそうなレッテルを貼らなかったら?
見て念じるだけで、欠損部位さえ生える力の持ち主なんて、恐ろしくてたまらない。
その異端はきっと、無理解で無思慮な人々によって排除されていただろう。
……おっさんは、村に様々なものをもたらした。
生きるために、あえて人口を減らすというやり口。
神というものを信じることで、心の安寧を得るという裏技。
そして、教養。
『異端でも、強大で自分たちに利益があるものは、神からの授かり物であり、これを恐怖にかられて排除するべきではなく、ありがたがるべきである』という、教養。
成したことが全体の利益になり。
娘のためを案じ、娘のために尽くす愛があった。
冷酷なことを『神の代行』を名乗りつつ、一人で考え、実行する胆力があった。
なにより、村に来た当初、たった一人でモンスターに立ち向かう度胸と実力があった。
人は、こういう者をこそ、英雄と呼ぶのだろう。
「すげーよ、おっさん。本当にすごい。あんたのやり方、あんたの性分、あんたの、イーリィに対する愛情。……異端としか思えない力を宿した我が子を、それでも守ろうとした親の愛には、感動さえ覚える」
「……」
「でもさ、それとこれとは、話が別なんだよな」
「……なんだと?」
剣を持って、間合いを詰める。
ほとんど胸が触れ合うような位置でおっさんを見上げれば、そこには絶望的なサイズ差があった。
ここが、くだらない物理法則ですべて決まる『現実』じゃなくて、本当によかった。
筋肉の太さはSTRと関係がない。
足腰の強靱さだけがDEXではない。
子供と、大人――それも、格闘技でもやってそうな大人。
俺と彼でも――
互角以上に、殴り合うことができる。
俺が生まれ変わったのは、そういうファンタジーだ。
「俺はあんたに切り捨てられた『少数』だ」
「……」
「口減らしに出されて死んだ、『村という多数』を生き残らせるための、システムの恩恵を受けられなかった弱者だ」
「……それは……」
「『お前ならわかってくれるだろう』とか言わないの?」
「……私がお前を口減らしに出したのは事実だ。親も兄弟もいないお前だから、減らそうと、選んだのは事実だ」
「……まいったね。いや、よかったのか」
「……?」
「おっさんは完璧なる『善』だよ。為政者でありながら、人の心を失ってない。ハゲてるけど、その髪も口減らしを選ぶストレスで抜けたんじゃねーの?」
「……なにが言いたい」
「俺がもし、『正しさ』を足場にしてあんたに叛逆しようとしてたなら、ここで剣を止めるところだった」
「……」
「よかった、感情を足場にしてて。あんたがどれだけ完璧で、あんたがどれだけ正しくて、あんたが無欠の正義でも――『殺されかけたから復讐する』っていう俺の気持ちには、一点の曇りもない! 聖女は連れて行くぜ。あんたを倒してな!」
「あ、アレクサンダー! お前は、わかっているんだろう!? イーリィがこの村にとってどれだけ大切か! 信仰がどれだけこの村を救ったか! 私が――私が、どんな思いでいたのか、お前は、理解しているではないか!」
「ああ、わかってる。だから、これから起こることにかんして、あんたはなにも悪くない」
剣を床に突き刺して、拳を握る。
強く握って、おっさんの顎の下に突き出す。
「悪いのは俺だ」
「……」
「イーリィをさらって、村の運営をめちゃくちゃにして、信仰を否定して、あんたの築いたものを、全部ぶっ壊す。動機は『復讐』。十二歳の日に殺されたアレクサンダーの、復讐だ」
「……アレク、サンダー……! お前は、それが、『正しくない』とわかっているはずだ」
「正しさなんて説くなよ。そんなモンに意味はねーんだ」
「……」
「道理なんかどうだっていい。『ただ、ムカつくから暴れる』、俺はそれだけの悪党なんだぜ」
「……アレクサンダー……!」
「怒りどころだぜ、正義の味方。っていうか、怒れ。今さら罪の意識とか感じられてもつまらねーんだよ。俺が復讐を遂げるまで、鋼の意思を持った強敵でいてくれ。もし、あんたが俺に理解を示し、同情して、俺をぶっ殺すのにためらうっていうんなら――」
「……」
「――お前の娘を、モンスターの巣に放り出すぜ。昔、あんたがアレクサンダーにしたようにな!」
「アレク、サンダああああああああ!」
ビリビリと体が震えるほどの殺意が襲い来る。
ぶつかるのは拳と拳。
準備に三年をようした俺の復讐が、ようやく、成されようとしている。