4-14
腰あたりまで伸ばした白い髪に、女性的な顔つき。
けれど体にはしっかりと筋肉がついている。
背も高く、全体としては重量のある体つきだろう。
にもかかわらず、なにげなくこちらに歩み寄る様子からは、まるで重さが感じられない。
そいつは口元を笑んでいるように歪ませながら、左右で色の違う瞳をこちらに向けていた。
目は、笑っていない。
……いつだってそうだった。
こいつはいつも、目だけがまったく笑んでいないんだ。
「あっはっは」
空虚に笑い声を立てながら、そいつはどんどん歩み寄ってくる。
どうしたらいいのかわからない。
剣を抜いて臨戦態勢をとればいいのか、それとも対話のために向き直ればいいのか。
あいつは脊髄反射的な対応を雰囲気で封じながら、情報を与えずにこちらの行動を決定させない。
その結果、あいつのあらゆる行動は奇襲の効果を発揮する。
「……ってそうじゃねーな。まったく、大したもんだ」
受け身に回らされた。
『対応』を考えさせられた。
違うだろう。
――自分のしてきたことを思い出せ。
好き勝手に生きてきた。
略奪してきた。破壊してきた。
引っ張り回して旅をしてきた。
今さらわがままを捨ててどうする。
そんな生き方、アレクサンダーは望んじゃいない。
俺が『対応』を考えるんじゃない。
いつだって俺が、『対応』を強いる側だ。
「シロ。お前のことが知りたいから、倒して転がすことにする」
シロは、歩みを止めた。
数瞬、考えるような間があってから、
「はっはっは。そういう野蛮なのはいけないよ、アレクサンダー。争えば傷つく。傷を負えば死んでしまう。僕らは弱点をさらしながら歩いている死にやすい生き物なんだからね」
「でもさ、シロ」
「なにかな?」
「お前、俺のこと嫌いだろ?」
「……」
「争いを避け続けてるけど、俺らは一回ぐらいぶつかり合うべきだと思うぜ。お前の抱えてるもやもやだかむずむずだかに、俺ならぶつかり合いで答えを出してやれる。っていうかお前――」
「なんだい?」
「なんでここにいんの?」
「それはもちろん、一等区画で騒ぎがあったからね。様子を見に来たんだよ。話、聞いただろう? 僕はダリウスの指示で魔族をまとめている。ダリウスの身に危険がありそうなら、それは様子の一つも見に来るさ。彼は実の両親に殺されかけた僕を救ってくれた育ての親だしね」
「あー、そういやそうだな。ってことはさ」
「うん?」
「お前が『真白なる夜』の連中に語ったあらゆる理想は、全部――『平等』以外も全部、嘘だってことか?」
「そうだよ。でも、なにか悪いかな?」
「嘘をついちゃいけませんって習わなかったのかよ」
「習わないね。習ってたとしても従わないよ。だって、嘘の平等を追い求めることで、僕らはどうにか生きていけたから」
「……」
「人をまとめるには思想と理想が必要なんだよ。かつて、ダリウスたちがそうしてまとまったようにね。それは嘘でもいい。むしろ嘘の方がいい。本気で夢を追いかければ、末期は無惨な死体だ。僕は夢追い人の末路をすでに見ている」
「その結果、死んだように生きる道を選んだのか」
「死んだように生きようが、死んでいなければ上等だ。というかさ」
「?」
「君に抱いているこの気持ちがなんだか、わかったような気がするよ」
「聞かせてくれよ」
「『いらだち』だ」
シロは、笑う。
口もとだけの空虚な笑みではない。
小首をかしげ、目を細め、心の底からという様子で、笑っていた。
それは長らく心に引っかかっていたものの正体がわかった喜びから浮かべた顔だろうか。
それとも、まったく別の、理解しがたい笑み、なのだろうか。
「アレクサンダー、君は、僕があいまいにしておいたものを、つまびらかにしてしまった」
「いいことじゃねーか。言っただろ、そうやってあいまいを定義化し言語化し、世界から見えない部分を取り払って文明は進んでいくんだって」
「アレクサンダー、君は、僕らが本気で目指さない目標を、目指せと焚きつける」
「目標ってのはそこに向かって邁進するために立てるもんだろ。目標を抱きながらもそこに向かわないってのは、俺にはよくわからねーな」
「アレクサンダー、君は、思考を失い、生きていくだけという現状を受け入れていた仲間たちの目に、希望を取り戻してしまった」
「前向きになったんだろ? いいことじゃねーか」
「希望は毒薬だよ。そこに向かって進めば死にいたる」
「人生をただ永らえるだけっていうのは、俺にとっちゃよくわからねーな。こんな時代だ。こんな環境だ。お前たちには才能がある。活かさず閉じこもったら長生きできるかもしれねーが、いつかはどうせ死ぬんだ。楽しく生きなきゃ損だろ?」
「なにも知らないくせに」
「……」
「僕たちのことも、この街のこともなにも知らないくせに、なぜそうも無責任に変革をもたらすんだ? 僕らはただ生きていく。君から見たら死んだような生き方かもしれないが、それでも、無惨に死ぬより、ずっとずっとマシだ。物心もつかないうちに親に殺されるより、ずっと、マシなんだよ」
「……」
「ようやく僕らは、貧しいなりに、恵まれていないなりに、安定した生活を手に入れた。死んだように生きることに慣れた僕らを――停滞の中に平穏を見出した僕らを勝手に変えようとする君には、強く、いらだちを覚えるよ」
言葉に詰まった。
だってシロの言うことは正しい。
なにも知らないくせにと言われれば、『まさしくその通りだ』と、うなずくより他にない。
俺がお邪魔する場所には、文化があって、生活があって、思想があって、人生がある。
俺にはそれを変える資格なんかない。
「で、それが?」
問いかければ、今度はシロが言葉に詰まった。
俺は耳の穴を掻く。
「事情があって歴史があって文化があって生活があって人生があって生命があって、お前たちが今そうしてるのは、積み上がった過去の上にあるだなんて、俺は最初っからわかってんだ。わかったうえで、ぶち壊そうとしてるんだ」
「……どうして?」
「そうしたいからだよ」
「……」
「話になると思うな。こちとら略奪者で侵略者だぜ。我慢は前世に置き忘れた。だって我慢して誰かに従っても報われるとは限らねーからな。誰かのために生きるなんてごめんだぜ。俺は俺の気の赴くままに生きる。そういう自由が、誰にでもある。俺にも、お前にも、お前が手足と呼ぶ連中にも」
「この世には弱い者がいる。僕がそうだ。僕が束ねるみんながそうだ。ダリウスさえも、弱者なんだ。その弱者がどうにか知恵を絞ってやっていってる。少しずつ我慢して、ちょっとずつなにかを捨てて、ようやく生きている。そういう人生もあるんだよ」
「知ってるよ。だからなんだ」
「君に僕らの生活を壊す資格なんかない」
「わかってるよ。それがなんだ?」
「……」
「俺を見誤ったな。……ああ、ひょっとして勘違いをしてたのか? 俺がなんだかんだ不遇な相手の味方で、同情や哀れみからそういう連中を助けてるんだって、そういう勘違いをしてるのか?」
「……」
「俺は頭に浮かんだ夢を叶えるだけだ。お前らのためになろうなんて、ちっとも思っちゃいない」
「……アレクサンダー、君さ」
「あん?」
「そうやって行く先々で、出会う人出会う人怒らせてるんだろう?」
「そうかもしれねーな」
「なるほど、なるほど。僕はなんというか、非常に強く確信した。――君はここで殺しておくべきだ。僕らのために、世界のために」
シロが真顔になる。
俺は笑った。
「世界! 世界と来たか! 自分の行動が世界のためになると、お前はそう確信するのか!」
「……君は悪だ。間違いなく」
「俺は悪だよ。間違いなく。だいたい出自の時点でだいぶエイリアンだろ。この世界に合わせる気がないチート持ち異世界人が、世界にとっての悪じゃなくてなんだってんだ。ああ、本当に嬉しいぜ」
「……なにがかな?」
「ようやくお前の意識がこの狭苦しい街を飛び出したじゃねーか。世界を見ようぜ。世界を歩こうぜ。世界を感じようぜ。広い世界を!」
「……」
「世界の果てまで俺は行く。誰かが止めなきゃ、歩き続ける。こんなふうに訪れる場所をぶっ壊して、気に入ったモンを略奪して、進み続けるんだ。……お前が止めてみろよ。世界のために、俺を」
「……なるほど。なるほど。……うん、なんて言えばいいのかな」
「?」
「……おかしいって思うかもしれないけど、君に言いたいことがある。こんなこと初めてで不慣れな物言いをしてしまうけど、笑わないで聞いてくれないか?」
「おう」
「争いに来たわけでも、争うつもりがあったわけでもないんだけど――ムカつく君をぶち殺したい。アレクサンダー」
「上等だ。その殺意を俺は全力で支持する」
二人で同時に剣を抜いた。
まっすぐ突き出せばそのまま俺の腹を突き刺せたはずのシロの短剣は、大きく振りかぶられて力任せに振り下ろされた。
折れた大剣で受け止めたその一撃には、ダリウスを思わせる重みがあった。
俺たちはつばぜり合いながら笑う。
歯を剥き出しにした笑顔はよく似ていた。
そうだ、俺たちはどっちも、どうしようもないほど嘘つきなんだ。
俺は夢を語る。
叶う保証なんかない夢を。
シロは嘘を語る。
平和な今を維持するための、嘘を。
自分のために出任せを語る俺と、みんなのために理想を騙るシロは、なるほどどちらも嘘つきで、全然まったく向いている方向が違う。
似ているからこそ、相容れない。
「もう、みんな、もとには戻れない」
シロは笑っていなかった。
「可能性を知ってしまった。せっかく、ようやく、考えなくても生きていけるようになったのに。色んなことに折り合いをつけて、自分たちは恵まれなくても理想のために戦えているんだって勘違いをさせられたのに。みんな、自信をつけてしまった! 君のせいで!」
「いいことじゃねーか!」
「自信をもって行動した者の末路を、君は知らない」
「お前は知ってんのかよ!」
「ダリウスがそうだ。ダリウスとともに戦い、ダリウスに殺されたみんながそうだ! 彼らはなにを成し遂げた!? ただ傷つき、ただ理想に振り回され、生をまっとうすることなく死んだじゃないか!」
「生をまっとうすることはできただろ。連中は戦い抜いた。その旅路は誇れる冒険譚になってるはずだぜ。実際、死んだ今も語り継がれてるんじゃねーの?」
「誇りは食糧にならないよ」
ぬるり、と。
シロが不可思議な足運びをしたと思ったら、いつのまにかつばぜり合いは終わって、俺は地面に転がされていた。
「終わった旅を誇ってどうする? 死んでから語り継がれてなんになる!? 僕らは! 今! 生きていきたい! その気持ちは君みたいな力ある者にはわかりようがない!」
倒れた俺に、シロがのしかかってくる。
頭に振り下ろされる短剣。
首を曲げて避けて、シロの腹を蹴って引きはがし、立ち上がった。
俺たちは体勢も満足に整わないうちに、引かれ合うようにまた接近する。
そうして相手を殺すつもりで剣を打ち合いながら、
「俺が『力ある者』ね! けどさ、それは、お前が言っていいセリフじゃねーよなあ!?」
「君の信条は、力のない者のことをまったく鑑みていない! だから提案しよう! 『勝手にやれ。僕らを巻きこむな。さもなくば死ね』!」
「正しすぎて反論の一つもねーや! でもさ、それはお前にも言えることなんじゃねーの!?」
「なにがだ!」
「お前が一生懸命面倒見て、考えることを奪って生かしてた連中の中にもさ、旅をしたいヤツはいるんじゃねーかな!」
ガキン! と剣と剣がぶつかる。
ダヴィッド製の剣と、シロの短剣。
丈夫さに分があるのは、俺の持つ方だった。
シロの短剣は根元から砕け散る。
けれど、刃を捨てて、素手で殴りかかってきた。
俺も剣を放り投げて応じる。
互いに走る勢いのまま拳を振りかぶって、互いに力一杯握りしめた拳を、腹に、顔に、たたき込んだ。
回避なんか考えない。
俺たちの殺し合いは、命のとりあい以上に、意地の張り合いだった。
「なあ、シロ! お前みたいな『力ある者』にはわかんねーかもしねーけどさ! 弱者だって、冒険していいんだぜ! そういう自由を、誰でも持ってる!」
「だが、自由にしては生きていけない!」
「そうだな! その通りだ! ドワーフが鍛冶をして! エルフが弓を使って! 獣人はなんだ!? あいつら、なにが得意なの!? 知らねーけど向いてることしてさ! で、それを人間が管理して! いい街じゃねーか! みんな、向いてることだけしてる! 向いてないことをする余裕なんか、どこにもねーからな!」
「だから僕らは生きている! なんにもない僕らが、むやみな希望を抱かず、無駄なことを考えずに手足として街の一部になることが、ようやくできたんだ!」
「話をしよう!」
シロの拳をつかむ。
俺の拳も、シロにつかまれる。
「『平和な世界』の話だ。そこは問題だらけで、知らないところで戦争なんかが起こってて、人々は憎しみを忘れず、見下せる誰かを常に探してる。すべてのことは書面契約でガッチガチで、ただ生きてるだけで金を払わなきゃならない。民は政治に文句を言い、若者は年寄りに文句を言い、年寄りは若者に文句を言う。ギスギスした世界さ」
「……」
「ただ、そこには選択肢がある。『力ない者が向いてないことをする自由』がある!」
「……」
「いいこと教えてやるよ。――平和な世界じゃ、無職でも生きていけるんだぜ」
「それがなんだ!?」
「わからねーか? みんなが『自分に向いてること』を懸命にやらなくてもいい余裕があるんだ。そりゃあ、全員が働かずに暮らせる楽園じゃねーさ。でもな、適性のないことをやっても、どうにかこうにか生きていける。そういう世界を、俺は知ってる」
「それは異境の話だ!」
「だから、その異境をこの世界に創ろうぜ」
「……!?」
「夢を語ろう。俺は今まですげーやつに出会ってきた。そいつらを焚きつけて、旅に放り出した。『教義』で村人を生かしたオヤジがいた。村を守るために規律を担っていたエルフがいた。変態物作り集団がいた。そして、ダリウスのおっさんがいて、お前がいる」
「……」
「ちょっと街を出れば異彩を放つ綺羅星みてーな連中がゴロゴロいるんだぜ。最初はビジョンのない旅路だったが、今ではこう思ってる。『全員の力を合わせたら、なにかでっかいことができるんじゃねーか』って!」
「力を合わせることなんかできない! いつかは軋轢が生まれて、壁で隔てられた平和に落ち着く!」
「そうかもしれねーが、そうじゃないかもしれねー。試してみる価値があると俺は思ってる」
「僕は思わない!」
「そう! だからこうして殺し合ってる!」
「……なに?」
「意見がばらけてまとまらないなら、最終的に強いヤツが弱いヤツを従えるのさ。俺の前世じゃ権力やら利益やら複雑なモンが死ぬほどあって、腕力頼みってわけにもいかなかった」
「……」
「だが! 今! この世界なら! 国家なんかなくって、モンスターに怯えた人類がいるだけで、街一つぐらい腕っ節で御せちまう、この世界なら! 暴力で人々を無理矢理従わせることができるんだ!」
「……それは、知性のない獣の考えだ!」
「せいぜい俺をののしれよ。その俺に、お前は絶対に勝てないんだ。負けて、はいつくばって、俺に従うことになるんだぜ」
「……」
「わかってんだろ? 俺とお前は、相性が悪い。――お前にはチートスキルがある」
ステータスを見る。
あらためて確認したそれは、
「お前のそれは致命の一撃を与えるスキル。相手の弱点を見抜くスキルだ。ただの殺し合いならお前に勝てるヤツはいねーと思う。相手が不死身でもない限り、どんな生き物にだって有効に働くスキルだろうよ」
「……僕の視界がわかるのか」
「いや、知らねーな。ただ推測ができる。お前は俺の殺しどころが見えない。だからお前は勘付いてるはずだ。俺を殺せないって」
「……」
「納得いくまで付き合うぜ。首を刎ねてみろ。心臓を貫いてみろ。四肢をもいでみろ。笑いながら起き上がって、何度でもお前をぶん殴る」
「……この……! 悪党ッ……!」
吐き捨てるような声。
けれど戦意はなえていない。
そうだよな、引っ込みつかないはずだ。
俺だって、ここで引き下がられたら消化不良だ。
最後までやり合おう。
ただし、
「知ってるか? 悪ってのは、体制に逆らう少数精鋭の――強者なんだよ」
俺はもう、勝ち誇っておくけどな。




