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帰ってきた俺を見て代行者サマが表情を一瞬こわばらせたのを、見逃さなかった。
まあ仕方ないだろう。
口減らしに出した子供が帰ってくるのは想定外のはずだ。
そもそも、俺の姿を見て『死者が歩いてきた』と思ったのかもしれない。
俺の姿は自分でもわかるぐらいひどい有様だった。
胸に穴空いてるし腕はちぎれかけてるし、足にはモンスターどもの爪や牙が突き刺さっている。
出血量もひどい。
視界は半分赤くて、手の中には一晩中剣を振り続けたことでできた血豆があった。
「え、英雄の凱旋だ! アレクサンダーは神に守られた! 彼の者の存在もまた、我々が神より寵愛を受けていることを示す事例の一つである!」
代行者サマがそう叫ぶと、一緒に俺を出迎えた村人たちが歓声をあげた。
けたたましく騒ぐ連中に近寄って俺は言う。
「とりあえず治療を受けたいのですが」
これはまだ、俺が猫を被ることができていたころの話である。
◆
信仰というもののなかった土地で、神様なんていうものを人が信じるためには、ある程度の『事件』が必要になる。
イーリィという俺より一つ年下の少女の存在がまさに『事件』であり、この村は神の寵愛を受けているのだという話を村人たちが信じた一番の要因だった。
癒しの力。
イーリィにはそれがある。
もちろん、この世界には魔法がある。治癒魔法も、ないでもない。
けれどイーリィの力はそんなものなんかと比較にもならない。
『見て、念じる』。
これだけでどんな傷もたちどころにふさがるのだから、もし『医者』という職業があったなら商売あがったりだろう。
切り傷刺し傷は当たり前、病気さえたちどころに治癒するし食中毒だって平気だし、きわめつけに部位の欠損さえ再生してみせる。
代行者サマも俺が帰ってきてしまった時にはたいそう焦っただろう。
なにせ、死んでさえいなければ、どんな状態でも生き延びられる――それぐらいの力が、イーリィにはあるのだから。
そんなわけで、イーリィは神殿の奥深くの小部屋に幽閉されていた。
その部屋の壁には窓がなく、建物の外から彼女の様子をうかがうことはできない。
鍵のかかった木造の扉に小窓がついていて、そこから視線だけを交わすのだ。
あたりは清掃がされていて、塵一つない。
神殿入口からイーリィのもとへ続く道にはできうる限りの装飾がほどこされてはいる。
けれど彼女のいる場所は座敷牢だ。
美しく飾り立てられた、花の香りがする牢獄。
「治療は、これで終了です」
扉の小窓越しに見えた彼女は、桃色の髪を持つかわいらしい女の子だった。
ただし顔の造作が綺麗という意味でしかない。
人としての魅力には乏しい。
髪と同じ色のはずの、けれどどこか濁ったような瞳をジッと見ていると、言い様もない不安が募る。
そうだ、感情がない。
イーリィは機械のようだった。
ただ『ケガ人を治癒する』という機能だけを持った装置なのだ。
それ以外はしないし、それ以外はきっと教えられていない。
「……治療、終わりましたけど?」
『十一歳の女の子が、部屋に閉じこめられて、同世代の子らと遊ぶことも許されていない』。
俺の前世の倫理観からすれば、それは虐待だが――
この世界の、この村の倫理観で言えば、これは、別に、なんてことはない、『普通のこと』だった。
だって聖女なんだから。
守るために閉じこめておくのは、当たり前のことだ。
『当たり前』にはそれが当たり前になるための背景や歴史がある。
だから、違う土地、ましてや違う世界に、自分がいた場所の『常識』を持ち込んで騒ぎ立てるのは、間違っているし、おかしいことだ。
イーリィは閉じこめられておくべきだ。
これが、この村の『当然』。
そこで俺は、イーリィにたずねた。
「なあ、外に出たくないか?」
イーリィは俺の言葉の意図をわかりかねているようだった。
俺はきょとんとする彼女にかまわず続ける。
「お前にはすごい力がある。お前はきっと、ものすごいことができる。それが一つの部屋だけで生涯を終えるだなんて、もったいないとは思わないか? 外に出たいと、思わないか?」
彼女がここに閉じこもっているのは、この村における常識だ。
前世の常識を盾にして、彼女の扱いを不遇だと叫ぶのは、お門違いも甚だしい。
それはわかっているけれど――
俺がこの村の『常識』に配慮するかどうかは、また、まったく別の問題だった。
「……治療は、終わりました」
「同じセリフしか言えねーのか。村人Aかよ。お前はそんなモブじゃねーだろ。どう考えたって主役の一人だ。それがこんなところで一生を終えるのか? この生涯に疑問を差し挟むことさえ知らないまま? ダメだね。俺は納得いかない」
「……」
「聞かせてやるよ、広い世界の話を」
「……せかい?」
「そう、世界だ。お前のいる小部屋のまわりには、小部屋よりでっかい神殿がある。神殿のまわりには、神殿よりでっかい村がある。村を囲むモンスター除けの防壁の外を抜けたら、そこには、果ても見えない世界がある」
「……せかい」
「空を見た記憶はあるか? 見上げても天井なんかない空を。地平線の向こうに日が沈む光景を知ってるか? 地面いっぱいを真っ赤に照らして、果ての見えない大地の向こうに日が落ちていくんだ。夜の星を知ってるか? あの輝きは何百年、何千年も昔の光なんだぜ」
「……あなたは、『世界』に、そこまで興味があるんですか?」
テンプレートじゃないセリフ。
俺は笑って、正直に答える。
「いや、実際、それほど興味ねーな」
「…………えっ」
「俺は証明したいだけだよ」
「なにを?」
「『神なんかいない』ってことを」
「……神は、います。私の力は、神から授かったものです」
「違うな。お前の力は『チートスキル』だ」
「……?」
「『チート』なんだよ。イメージ的には神の反対だ」
「……そんなことは」
「否定したいのか? 根拠もないのに? その力が神から授かったものだって、どう証明する? 悪魔の力じゃないという証明に、どのような根拠を提示する?」
「……う……あ、あなたは、嘘つきです……よくわからないことを、いっぱい言う……!」
「そうだ。いっぱい言うぜ。――話をしよう」
「……」
「世界の広さを教えてやる」
「……世界の、広さ?」
「空にかかる七色の橋の話をしよう。地下深くに眠る古代人の与太話をしよう。はるかはるか遠く、空よりもっとずっと向こうに広がる、真っ暗闇のロマンを語ろう」
「話して、なんになるんですか……!」
「お前が外の世界に興味を抱くようになる」
「……」
「そうしたら、お前は、村を出たくなる。まあ、なってなくても、さらうけど」
「……なぜ、私を、村から出たくさせようって、するんですか?」
「意趣返しだよ。お前が『神の力』を『神を信仰する村人』のためにふるうなら、お前をさらってわからせてやる。『神なんかじゃない。みんなを救っていたのは、イーリィという人間だったんだ』って。アレクサンダーを殺したのも、人の意思なんだってな」
「……?」
「だから俺は、これから――大人になるまで。……十五歳ぐらいかな。十五歳になるまで、鍛え続けるよ。毎日、死ぬほど、モンスターと戦いまくって、強くなる」
「なんの、ために?」
「お前を守るために」
「……」
「お前を連れ出して、お前を守る。外に出たお前を、神様は守らない。お前を守るのは、お前自身であり、そして、俺だ。神の加護じゃない。人の力が、お前を生かすんだよ」
「……わ、私は、あなたなんかと一緒には行かないです」
「三年でお前の心を変える」
「無理です」
「ハッ! いいじゃねーか! 燃えてきた。抵抗してみろよ聖女様。お前の矜持、お前の誇り、お前の常識、お前の倫理! 全部全部ぶち壊して漂白してやる!」
「あなたは……あなたは、なんなんですか……!?」
イーリィが、小窓に顔を近付けて問いかけてくる。
その顔は戸惑っていたし、怒っていた。
眉間のシワは不機嫌さを、細めた目は涙をこらえるような様子を見せていた。
感情がうずまいている。
ただ、彼女は表現の仕方を知らない。
だからこうやって、わけのわからない顔をするしかないんだ。
いいじゃねーか。機械じゃない。人だ。
俺は笑って答えた。
「アレクサンダー。異世界転生者だ」
「……いせかい?」
「そうだ。ここではない世界から来た――」
なに、だろう。
俺は自分を定義する言葉を探す。
異世界転生者とは、なんなのか?
異なる世界から、異なる常識を持ち、異なる考え方をして、異なることをする。
その有り様は、
「――侵略者だよ」
どう考えても、エイリアンとかプレデターのお仲間でしかありえなかった。