ダブル眼鏡の伯爵夫妻
艶やかで真っ直ぐな黒髪を一つに結び、切り揃えられた前髪は上げられ、整った顔は惜しげも無く出されている。
唯一素顔を隠そうとする眼鏡は、その綺麗な顔を品良く、そして知的に見せていた。
「フヒッ!眼鏡が本体(本人?)の容姿にプラスに働くなんて初めて見ましたヨ!」
その美形の横のヒョロっこい瓶底眼鏡の挙動不審者、辛うじて服装で女性だと分かる人間が茶化すように言う。
「…行くぞ。」
呆れたように美形が言う。
「ハーイ。」
挙動不審者はなんの反省も見せず、美形から差し出された腕に自分の腕を絡ませた。
二人は真っ白な正装に身を包み、関係者の囲む赤い絨毯の上を歩いて行く。
厳しい条件を飲む女ならば、こんなものか…しかし間違ってしまった気もするな。
こんなならば、少しは会っておくべきだったか…
美形が後悔するにも、もう時すでに遅し。
二人は初めて会ったこの日に結婚する。
「ふう、疲れマシタ。それでは私はこれデ。」
式が終わり、瓶底眼鏡の妻は新婚初夜だというのに一目散で自分の部屋へと戻ってしまった。
美形眼鏡の夫が溜息をつく。
幾ら契約結婚的な要素が高いからといって、これはどうしたものか。
しかし、アレを抱けと言われても…うん…まあ…頑張ればできないこともないか。
見た目を気にしない性格ではあるが、あの瓶底眼鏡は容姿以前の問題があり、そっちの方が問題なのだ。
自分のにも過失はあるとは言え、美形眼鏡は頭を抱えた。
そもそも結婚する気もなかったが、煩い連中(父とか母とか上司とか)を黙らせるために言った結婚の条件に、食いついてくる女性がいるなんて思いもしなかった。
仕事に口出ししない、夫婦としての私を求めない、金銭面は徹底的に私が管理する、だからと言って不貞行為、それに準ずる不良行為、伯爵家の品を落としかねない行為は全面禁止、破れば即離縁であり、賠償請求、慰謝料等も請求すると言う条件を出した。
それを大丈夫だと言う人間がいるなんて、父と母の並々ならぬ本気を感じる。
「えー結構大丈夫な人ならいらっしゃったわよー。誓約書を出して怯まなかったのはこの子だけだったけれど。」
と、母ものんびりとした口調で言っていたし、何より父と母共に気に入っているようだったから、結婚したものの、「二人の目は節穴か!」と言いたいくらいである。
そして次の日美形眼鏡は更に驚くことになる。
朝食を取ろうと食堂に赴くと、あろうことか庶民の少年のような格好をした妻が現れたのだ。
「おはようございマス。」
悪びれることなく挨拶する妻に、ナイフとフォークを持った夫の腕がワナワナと震える。
「…なんだ…その服装は…」
「ドレスよりこっちの方が似合うデショ?」
鼻高々にそう言う妻に、夫の怒りも頂点に達した。
「伯爵家の妻が男装するなど、言語道断!今回は許すが、二度目は許さん!よく覚えておけ!」
「ハーイ。」
美形のど迫力の怒りを意にもかけず変人妻は朝食を口に放り込むと、着替えるために席をたった。
「確か君は職業夫人であったな。」
部屋を出ようとした変人妻を夫が呼び止める。
「…そうデスが?」
「くれぐれも伯爵家の品位を落とさぬよう行動するように。」
「りょーかいいたしまシタ。」
妻は少年姿のまま無いスカートを持ち上げるように淑女の挨拶をする。
妻が部屋から出ると、夫は本格的に頭を抱えてしまった。
**
仕事に来てみれば、式に参加していた奴らがこっちを見てはヒソヒソクスクスと噂話をしている。
「言いたいことがあるなら、面と向かって言え!!」
職場では鬼教官と呼ばれていた眼鏡伯爵だが、この一喝で普段なら静まるはずの周囲が生温かい目で新婚の鬼教官を見ている。
「お言葉っすけど、新婚なのに嫁さん放って仕事してて大丈夫っすか?」
直属の一番下の怖いもの知らずの部下が進言する。
その後ろでは他の直属の部下二人が締まりのない顔で眼鏡伯爵の様子を伺っている。
「結婚と言えども、契約を交わしたまでだ。」
他の奴らへの弁解に丁度いいと、怒鳴りつけたい気持ちを抑えて眼鏡伯爵がきっぱりと言う。
「って、あの条件飲んだんすか!?」
そう言った部下を含め、他の人間もそれを聞いて驚いている。
お見合いを進める上司にも同じように条件を出していた為、伯爵の無理難題、傍若無人な結婚条件を仕事場の人間全員が知っていたのだ。
「そうでなければ結婚する訳がない。」
「そっスカ…」
言い切る伯爵に、流石の後輩も若干引いている。
「まぁ、でもお似合いで。同じ眼鏡ですし。」
後輩の無理な持ち上げに、後ろから次々と吹き出す声が聞こえた。
伯爵はそれを見逃すことなく、睨みつけている。
「しかし、伯爵の嫁さんってどんな方なんですか?これだけのことを許すんですから、もしかして大人しいタイプとかですか?」
その後輩の後ろから伯爵の部下であり、少しお調子者が質問する。
「どんな…」
今朝の少年のような妻を思い出し、伯爵は思いっきり頭を振ってそれを打ち消した。
「妻とは結婚式で初めて会った。多くは知らん。下らない話をするな!仕事しろ!」
伯爵が声を荒げると皆持ち場に戻って行った。
変な事をしていなければいいが…
伯爵は帰りに妻の職場に寄ることに決めた。
**
「お前は…なんで…」
伯爵はその姿に絶句した。
妻の働く職場は王宮図書館であり、全く関係はないが文官として同じ位置にいる。
通りで聞いたことなかった。
今朝の少年姿のまま、妻が働いている。
「…コレには…」
妻が弁解しようとした時、後ろから夫の伯爵は聞いたことのある声を耳にした。
「やっぱりラブラブじゃないっすか!」
「うるせぇ静かにしろ!」
「うわっバレた!」
直属の部下三人が図書館の中で騒いでいる。
「貴様ら…」
言いかけたところで伯爵はハッとする。
部下三人が男装した妻と目が合っているではないか!
「伯爵様ってそう言う趣味だったんス…」
怖いもの知らずの部下が減らず口を叩こうとした瞬間、伯爵の手が部下の口を塞ぐ。
そしてその手と胸倉を掴んだ手で部下を持ち上げた。
「お前たちは何も見ていない。分かったか。」
三人が無言で頷き、伯爵はその手を離した。
ドサッという、音と共に部下が床に落ち、三人は逃げるように去っていく。
「はぁ。」大きなため息をつく音が聞こえる。
「流石に離婚デスカ?」
妻がため息の主を見上げて言う。
「結婚後すぐに離婚は外聞が悪い。追って話す。」
妻を見ることなく伯爵も去って行った。
**
大きなバスケットを持った夫人が一人のメイドを引き連れて、王宮の門に佇む憲兵に身分証を提示した。
その身分証を提示すると、憲兵は快く夫人を中に通す。
「絶対に置いていかないでくださいネ。」
「はい、奥様。」
夫人はメイドにピタリとくっつき、夫の職場へと足を運んだ。
「ヴィンセント伯爵いらっしゃいますか?」
呼ばれた伯爵がその婦人の元へとやってきた。
伯爵が見慣れたメイドに「誰だ」と訊ねる前に、またあの怖いもの知らずの後輩が喋る。
「伯爵、新婚早々愛人はヤベェっスよ。」
伯爵の顔が途端に険しくなる。
「昨日はお見苦しいところをお見せ致しました。」
婦人は伯爵に近づくとピタリと身を寄せた。
「伯爵の妻のリナリーですわ。」
妖精の囁きの様な美しい声で、婦人が挨拶する。
そして、察した人間は皆声を上げて驚いていた。
夫の伯爵も声を無くして驚いている。
そこには声と同様に妖精の様に大きく濡れた瞳を持つ、少女のような可憐さがありながら大人の女性のような洗練された美しさを持つ女性がいた。
どう見ても男性に見えた身体には、女性としても立派なものが二つたわわに実り、それなのに腰や肩、腕は折れそうなほど華奢である。
「改めてご挨拶として職場の皆様に焼き菓子をお持ち致しました。休憩時などに良かったらご賞味ください。」
婦人が目を細めて微笑むと、職場にいた者全てが頬を染めた。
「それでは長居してしまってはお仕事の邪魔になりますので、この辺で失礼致します。」
挨拶するとハラリとプラチナブロンドの髪が肩から落ち、皆がその姿に釘付けになる。
「門まで送ろう。」
それまで固まっていた伯爵が慌てて婦人に言う。
「ありがとうございます。」
花びらのような桃色の唇を薄くして笑い、婦人は伯爵の腕に自分の腕を絡ませた。
その場にいた皆が沈黙し、心を奪われてしまった。
伯爵は葛藤していた。
今まで自分は見た目には拘らない人間で一目惚れなどしない人間だと思っていた。
それを証明するように、過去にどんな美しいひとが居ようと、心動くことはなかった。
が、しかしどうだろうか、となりにこの美しい娘がいるだけで心臓が強く拍動し、その娘の美しい横顔に目が離せないでいる。
マイナスからの反動でこうなっているだけだ!と自分に言い聞かせるが、心臓は言うことを聞かずどうしようもない。
「疲れマシタ。フォローはコレでいいデスか?」
聞いたことのある言葉遣いが美しい娘から発せられる。
「ああ。」
絶賛動揺中の伯爵は短く答えた。
「私はこれデ。」
門を出て、付けていた馬車の前に着くと娘はすかさず分厚い眼鏡をかけた。
「ちょっと待て。色々聞きたいことがある。」
伯爵が見慣れた妻を引き留めた。
「いいデスケド。仕事中デスよ?」
「分かった。晩餐後、部屋に来れるか?」
それは少し下心のある誘いだった。
「お断りしマス。夫婦としての生活は契約外デスよネ?」
顔色一つ変えずに妻が言う。
その発言に伯爵はドッと脱力する。
「…では、そのことも含め、晩餐で話そう。」
「りょーかいデス。」
果たして、二人の恋ははじまるのか、はじまらないのか。
伯爵夫婦の結婚(新婚)生活(仮)は始まったばかりだ。
我が108個ある煩悩の一つ、鬼畜眼鏡ですね。
我が鬼畜眼鏡は前髪ぱっつんと決まっております。
妻の方はマッドサイエンティスト風味です。