12の夜の物語
12の夜の物語
私…25歳OL。アプリで男遊びを繰り返している。
男…40代半ばのロマンスグレー。
私は先にシャワーを浴びて、下着も付けずベットに横たわって情事の余韻に浸っていた。
今日の男は当たりだった。
雰囲気もそうだし、何より上手かった。体の相性がいいのか、久しぶりに2回もいった。
こんな日は家でビールでも飲んでぐっすり寝られる。
そんなことを考えながら、ベッドに体を横たえていると、シャワーを終えた男が腰にタオルを巻いて風呂場から出てきた。
男はベットに腰を降ろすと
「1本点けてもいいかな?」
と私に話しかけてきた。
「どうぞ」
私はたばこの香りが嫌いではなかった。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
男はサイドボードに置いてあった、ピースの箱と同じ色のZIPPOのライターに手を伸ばした。
箱を開け、一本取り出すと、それを口にくわえ先に火を付けた。
「ふー」
ラブホテルの狭い部屋にピースの甘い香りが広がった。
「折角だから君にいいものをあげよう」
男は言った。
「……いいもの?」
私は怪訝な顔で男を見つめた。
まさかお金?私は一気に気分が冷めてしまった。
「物語をあげよう」
男は相変わらす悠然とした面もちで話した。
「?」
私は男の意図が全く分からず混乱した。
この男はいったい何を言っているんだろう。
そんな私をよそに男は語り始めた。
「山の老人」
ゆっくりと煙を吐き出すと男は語りはじめた。
『ハッサンは混乱していた。再来週には従妹アリーシャとの婚礼が控えていた』
『ハッサンはアリーシャが好きではなかった。その美しさとは裏腹に心は濁っていた。他人の悪口を平気で話し、奴隷には厳しく当たった』
『ハッサンはハッサンの家のキリスト教徒の家事奴隷の娘マリアを愛していた』
『マリアは境遇を受け入れ、それでも笑顔を絶やさず、また信仰も捨てずに生きていた』
『ハッサンは何度もマリアに自分の気持ちを伝えた。聖書を捨てコーランを受け入れて欲しいと懇願した』
『その度にマリアは首を横に振った。ハッサン様のお気持ちはうれしいが十字架を捨てることはできないと』
『ハッサンは憔悴していた。仮にアリーシャと結婚しても、妾としてマリアを受け入れることを、アリーシャは決して許さないことは明白だった』
『ハッサンはバザールの中心の噴水の縁に腰をかけてぼんやりとしていた』
『「何かお悩みですかな?」見知らぬ老人がハッサンに話しかけてきた』
『理由はわからないがハッサンは見知らぬ老人に洗いざらいを話した』
『「お若い方、三日後の晩、あの山においでなさい。きっと良いことが起きますぞ」老人は町外れも禿げ山を指さした』
『ハッサンは困惑して、その老人を見るとそこには誰もいなかった』
『その晩、ハッサンは不思議な体験について思いを巡らせた。これはもしかしたら、神の啓示なのではないかと』
『ただ不安だったのは、老人の指さした禿げ山は異端者が住んでいると噂があり、街の人は決して近づかなかった』
『それでもハッサンは誘惑には勝てなかった。あの不思議な体験と老人が何か悪いものとは思えなかった』
『三日後の晩、ハッサンはあの禿げ山を登っていた。道は険しく、松明の明かりだけが頼りだった』
『半時ほど山を登ると、そこには洞窟があった。中からは火の光が差していた。ハッサンは迷わず中に進んだ』
「ふう」
最後の一口を吐き出すと、男はたばこを灰皿でもみ消していた。
私ははっと目を開けた。すっかり男の話に聞きほれていたのだ。
「これでおしまいなの?」
私は懇願するように男に問いかけていた。
「続きはまたの機会に」
男は不敵な笑みをたたえながら、身支度を整え始めた。
私はその後の数日間、「山の老人」の続きばかり考えていた。
ハッサンはその後どうなったのか、山の老人とは何者なのか……。
そして私は、どうしてもその続きが気になって、男にメッセージを送ってしまった。それは私にとってとても珍しいことだった。
「では、来月の24日、新宿でよろしいですか?」
男からの返信がすぐに入り、私は安堵した。
すぐにそれでよい旨と待ち合わせ場所と時間の指定のメッセージを送った。
「結構です。では来月楽しみにしてます」
男の返信に私は安堵のため息を思わず漏らしてしまった。
その夜の行為はあまりよく覚えていなかった。
とにかく話の続きが聞きたかったのだ。気になって仕方なかった。
一足先にシャワーを浴び、ベッドで悶々としながら私は男を待っていた。
男は腰にタオルを巻いてベッドに腰を掛けて聞いてきた。
「点けてもいい?」
どうぞ。私は出来るだけ自然に平静を装って答えた。
男は悠然とたばこに火を点けた。
「ふう」
甘い香りが部屋を覆い尽くした。
やっと続きが聞ける。私の心は高鳴っていた。
遂にハッサンのその後と老人の正体がわかる。
それはまるで寝る前に母親に絵本を読んでもらう子供のような気持ちだった。
「1954年、ベトナム」
意外な男の言葉に私は混乱した。
え、どういうこと?山の老人の話じゃないの?
「ちょっと待って、この間の続きじゃないの?」
私は戸惑いながら男に問いかけた。
「それはまたの機会に。この話、聞きたくなければ帰るけどいい?」
私は絶句してしまった。ここでもし、男の機嫌を損ねたら永遠に続きが聞けないのではないか。それだけは避けたかった。
「いえ、続けて」
出来るだけ、感情を抑えて言葉をだした。
男は例の不敵な笑みをたたえて話を続けた。
話はこうだった。
『1954年3月、ディエンビエンフー攻略の為にベトナム人の青年グエンはベトコンに参加していた。そして彼は、祖国解放の為、人間爆弾に志願した。特別に一週間の休暇が与えられ、彼は故郷の村に帰った。そして、幼なじみの娘チャンと短い時間を過ごしていた。彼女への淡い気持ちを胸に秘め、グエンは基地行きのトラックに乗り込んだ』
「ふう」
大きく吸い込んだ煙を吐き出すと、男はたばこを灰皿でもみ消した。
私は男の言葉を一語一句聞き漏らさないように話を聞いていた。
私は男に魅了されてるのではないか?
いや、寧ろ弄ばれてるのではないか?
どちらにしても、私は男の話の続きが聞きたかった。
翌月も、翌々月も私は男と会った。
その度に男は違った話しを途中で終わらせた。
立ちこめる紫煙が私の嗅覚と記憶を刺激した。
そして、男との密会が12回を迎えた頃、私はある種の恐怖感に包まれていた。もしかしたら、この男は続きを話すつもりはないのではないかと。そうして、私を縛り続けるのではないかと。私はその妄想を打ち払うことが出来ないほどに追いつめられていた。
その夜も私は先にシャワーを浴びて男を待っていた。が、それだけではなく、私は男の財布を抜き取り、中の物を物色していた。しかし、財布には現金が7万5千円と小銭が少々と、見慣れないカードキー、そしてsuicaしか入ってなかった。定期には「ヤマダ タロウ」の名前と新宿から秋葉原までの区間が印字されているだけだった。勿論スマホはロックが掛かっていた。
私は落胆しながらそれらを素早く元に戻した。
そして、ベッドで男を待った。
「ふう」
話を終え、いつものように男は紫煙を吐き出した。
私はため息を漏らした。
いつものように駅で別れ、私は家に着くと今日聞いた話をメモした。
そのメモは既に12話に達していた。
続きが知りたい。なんとしても続きが聞きたい。
そんなもやもやした思いを胸に眠りについた。
翌朝、私はスマホのアプリを見て驚愕した。
アプリから男が消えていたのである。
物色したのを感づかれたのか、私に飽きたのか、そもそもあの話が12話しかなかったのか……。
私は男遊びを辞め、あの物語の続きを書き始めた。何度も推考し、何度も書き直した。それとは別に、OLを続けながら自分で小説を書き始め、賞に応募するようになった。
三年後、あの物語の続きを完成させ、賞に応募した「12の夜の物語」が入選し、本になることになった。そして若い男性の編集者がつくことになった。
神保町の喫茶店で次作の打ち合わせをしているときに
「先生のこの作品、僕大好きなんですよ!まるで違う物語が一つにまとまるとこなんて最高ですよね」
「ありがとう。そう言ってくれるとうれしいわ」
私は面がゆい思いをしながら答えた。
「ところで献辞のヤマダタロウさんて誰なんですか?先生の恋人ですか、もしかして?」
まだ編集者になって2、3年だろうか?あと20年もしたら私好みのいい感じの中年になっていそうな顔を見ながら
「ふふふ。それはどうかしら? ところで今週末プライベートで飲みに行かない?」
真っ赤な顔になった編集者を見ながら私は満足感に浸っていた。