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9.慈悲なき聖歌

 深い蒼とさざめく翠……エリシャの手のひらの不思議な色に輝く透き通った球……ガラスのように固いのに中はゆるゆると対流していて、ときおりはじけた泡が小さなコトバのような音を発しています。セリエはエリシャの顔を見ると、ごくりとつばを飲み込んでその球を受け取りました。小さなセリエの手の中で、その球は輝きを増したように見えましたが、そんな事よりセリエはさっきからぷちぷちと聞こえてくる小さな語りが気になってしかたありません。

「なんだろう……わらってるようにも……ないているようにもきこえるよ……ねえ、どうしたの?」

セリエは目を閉じて、その球にそっとくちびるをあててみました。球のざわめきはいっそう大きくなって、緑色の光がセリエの顔をほんのりと照らしました。

「わかった!この子たち……ここのかだんの草さんたちだ!」

セリエはエリシャにそういうと、得意げに両手でたかく持ち上げて太陽にかざしました。光は不思議な球の中で幾条にも屈折して、二人のまわりを若葉色のフレアでとりかこみました。さながらそれは新緑の森の中にいるような瑞々しさで、セリエはうれしくて小躍りしながらエリシャに言いました。

「ねえ!見てみて!この子たち、すごくきれいだよ!アハハッ」

そんなセリエをエリシャはとても不安そうな表情で見ていました。ひとしきりセリエのはしゃぎが終わるころ、エリシャはぽつりと、でもはっきりした口調で言いました。

「その子たち、行くところがないの……神さまに断られちゃったんだって……」

「え……」

セリエは信じられないといった表情でエリシャの方を向きました。手に持った球を胸に抱くと、セリエはエリシャに聞きました。

「そんな……どうして?この子たち、みんなお花になりたがってたんだよ!だから……」

「セリエ、あなたやっぱり少しは勉強しとかないとダメだよ!」

エリシャはそういうと、両手で大きな四角を描きました。するとどこからか白く光る綿毛のようなものがたくさん集まってきて、おおきな一冊の本になりました。すごく分厚いけど、羽根のように軽い不思議な本。エリシャがそのページを見当つけてめくっていくのを、セリエは目を丸くして見ていました。

「すごい!エリシャ、その本ぜんぶおぼえたの?」

「じゃないと天使になんかなれないよ!……っと、あ、ここ!」

エリシャはそのページを切り出して、くるくるっと丸めてセリエに差し出しました。セリエはそれを受け取ると、おそるおそる開いて読んでみました。

「天使の権限―――

  天使は地上界において魂の導きを行う権限を有する

  昇天する魂は、是を審判の室へ導くべし

  転生した魂は、是を救われし者に授けるべし

  以上は天の名によってのみ行われるものとし、いかなる天使もそれを選択する権限を有しない―――」

セリエは途中まで読んではみたのですが、何だか目がぐるぐる回って来て思わず投げ出してしまいました。

「あー!いみがぜんぜんわかんないよー!」

「もう!勉強してないからだよ!えっとね、よーするに、神さまの命令なしで勝手に命を終わらせちゃダメなの!それぞれに与えられた役目を果たさないと、たとえ昇天しても生まれ変われないのよ!その子たちみたいに……」

エリシャの言葉に、セリエは目の前が真っ暗になってしまいました。自分のしたことが取り返しのつかない事態を呼んでしまったこと、そして、今の自分にはそれを解決する方法がわからないこと、セリエにはそれがようやく理解できたのでした。

「……そうなんだ……セリエ……しらなかった……」

セリエはしょんぼりとして、胸に抱いた球をぎゅっとにぎりしめました。そして心配そうにエリシャに聞きました。

「どうしよう……セリエ、どうしたらいいんだろう……エリシャ……」

そんなセリエの問いかけにエリシャは目を伏せて、首を横に振りました。そして投げ出された書物のページを拾って静かに読みはじめました。

「まだ続きがあるの……あのね…ここの項に反したときの罪がいちばん重いの……理由なくこれを破ってしまった天使には、悪魔に魂を売ったとして”フォールン”の烙印が押されてしまうの……そうなってしまったらもう天界にはいられない……行きつく先は……堕天使……」

セリエはがっくりとひざをついて、力なくうなだれました。瞳にみるみる涙があふれてきて、セリエは胸に抱いた球をそっと花壇におくと、しゃくり上げながら語りかけました。

「ごめんね……セリエ……みんなのいのちを……わたし……やっぱりダメな子……ごめんね……みんな……ごめんね……」

肩を震わせてるセリエを、エリシャはどうすることもできずに見ていました。せっかく会えたのに、セリエとはもう別の世界の存在になってしまう……エリシャはついもらい泣きしそうになって、思わずセリエの頭に両手を伸ばしました。小さな……ほとんど髪と見分けがつかないけど 、ゆらゆらとゆれる可愛らしい羽根をやさしく撫でているうち、エリシャははっと気がつきました。

「……そっか……セリエ、まだ天使じゃないんだ……そっかぁ!」

エリシャは急に明るい表情になると、涙をふいてセリエの肩を抱き、くるっと回して顔を自分の方に向けさせました。セリエはぐしゃぐしゃな顔でひんひん泣いています。

「セリエ!」

「うええええエリシャぁ〜あーんぐしぐし……えっえっえええええええええ」

「もうセリエ!泣かないで!大丈夫だよ、だいじょうぶ!」

「ぜんぜんだいじょぶじゃないよおおおおおおおおっえええええええええん」

やれやれ、セリエ、泣いちゃうと止まんないから……エリシャ、本当に大丈夫なの?

「セリエ!きいてっ!あなた、まだ天使じゃないじゃない!」

「またそれいううううううどーせセリエダメな子なんだああああああああっ」

「あちゃ……セリエ!ちがうって!そんな意味じゃないよ!これは天使の決まりなの!だから、天使じゃないセリエにはあてはまらないってことだよ!」

「えええええええええ……ほえ?」

セリエは涙でびしょびしょの顔を上げてエリシャを見ました。エリシャは花壇から輝く球を持ってくると、ニコッとわらってセリエの手に握らせてあげました。

「大丈夫!いっしょにこの子たちの未来をさがそっ!そしたらラファエル様もきっとお許しになって下さるよ!ね、セリエ」

「ほんとに?……グスッ……ほんとにゆるしてくれるかなぁ……」

「わたしにまかせて!」

エリシャは立ち上がると、背中の白い羽根をぱあっと広げました。天使の輪がまぶしく輝いて、何だかセリエは心の中がほかほかしてくるのを感じました。

「ああ……あったかいな……エリシャの心……うん……わかった……がんばってみる……」

セリエは立ち上がると、エリシャの手を握りかえしました。トクトクとあたたかい波が、手のひらを通じて二人の心をいっぱいに満たしていきます。まだ涙で潤んでいるセリエの瞳に映るエリシャは、いたずらっぽく笑っていいました。

「見たか!天使のチカラッ……ハァ……これ、けっこう疲れるのよね。えへへ……もうだめ」

大見得を切ったエリシャですが、まだ新米なだけにあんまり長続きはしないようですね。でもセリエにはいちばんの元気のもとになったようです。

「すごいなあ……天使ってやっぱりすごいよ!エリシャ……アリガト……」

セリエは照れくさそうに笑うと、ぴょんっとエリシャに抱きつきました。

「だいすきだよ!エリシャ!」

「わわわわかったよぉ!ちょっとほっぺた!ああもう!服でふかないでよっ!」

エリシャはすりすりしてくるセリエの顔をひきはなすと、指で涙を拭ってあげました。すっかり明るさの戻ったセリエの顔を見ながら、エリシャはその中に眠る不思議な"あたたかくて大きな存在"を感じずにはいられませんでした。

「昇天なんて……天使じゃないのにあんなに一度に……私なんかまだひとつだって無理なんだよ……セリエ、あなたはいったい……」


「おーいチビ!そこでなにやってんだ?」

「あ、おにーちゃん!」

セリエは声のする方を振り向きました。透き通った光がゆらめくテラスに、マオが不思議そうな顔をして立っているのが見えます。セリエは輝く球を高くかざすと、飛び跳ねてマオを呼びました。

「こっちきてよ!へへ、みせたいものがあるんだ!はやくはやくっ」

「セリエ!あなたなんてこと……そんな…ごく普通に人間さまと……」

エリシャはびっくりしてセリエに小声で聞きました。セリエはそんなのあたりまえだよーって感じで、

「へへ……なんだかね、あのおにーちゃん、セリエのだいじなひとってきがするんだ」

と、スキスキな笑顔でこたえました。エリシャは自分の常識からはみ出しまくってるセリエをちょっとうらやましく思いながらも、よりによってなんで下界の民なんかと……といった気持ちでマオの顔を見ました。

「大事ってあな……た……」

なにか言おうと思ったエリシャですが、途中でどうしたことかマオを見つめたまま、急に無言になってしまいました。セリエは目をぱちくりさせて、名前を呼んでみたり、目の前を手でじゃましてみたりしましたが、エリシャはまばたきひとつせずじいっとマオの顔を見続けています。

「……エリシャ?……もしかして……?」

エリシャの顔をまじまじと見たセリエは、そのほほを染めた恍惚の表情にただならぬ危機感を感じました。

「きめたっ!私、あの子の守護天使になるッ!」

エリシャは目を輝かせて、セリエの方に向き直って言いました。その顔はさっきサリエルの話をしてくれた時みたいにトキメキであふれていて、それを見たセリエはムッとした顔でエリシャに言い返しました。

「ダメッ!おにーちゃんはわたしがまもるのッ!エリシャはかんけーないよっ!」

「なによー!守るのは天使の大切な仕事なんだから!あの子、今誰にも守られてないじゃないの!」

「セリエがいるもん!だいじょぶだもん!」

「天使じゃないのに守護天使できるわけないでしょ!」

「できるッ!」

「できないッ!」

あれあれ大変だこと……まあ、二人ともお年頃だからしょうがないか……ちょっと、仲良くしなさーい!

「おまえ、ひとりでなに怒ってんだ?」

セリエに呼ばれたマオは、空に向かって言いあらそいをしているセリエを見て心配そうな顔で聞きました。セリエはどきっととしましたが、ちょっと考えて、マオにはエリシャが見えてない事にピンときました。しめしめ……セリエは平然を装ってしたり顔で話しはじめました。

「あのね、あくまがおにーちゃんをねらってたの、だからね、おいかえしてたの」

「だ……だれが悪魔よッ!」

「あ!またきた!このっ!このっ!このっ!」

「あー!やったわね〜!えいっ!」

「あいたー!ずるーい!空とぶのなしだよー!」

「へへへ……あっ!足つかむのダメ!くすぐったいよ!ひゃー!やめてやめて……」

マオはじたばたもがいている大乱闘中のセリエを、呆れた顔で見ているしかありませんでした。


「見せたいものって……それ?」

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