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48.想い、遂げて

「急に荷台の鉄骨が崩れて来てッ!真桜、真桜ってば、目を開けてよォ!」

「すいません、すいません道開けて!」

「拍出ありません!」

「急いで!」

ビル街にまき散らされる赤色灯の光芒、群がる人垣を押し分けるように到着した救急車へマオの載せられたストレッチャーが大急ぎで搬入されてゆきます。傍らで安否を気遣うサツキの青ざめた表情はもう見ていられないくらい痛々しくて、同じ事ばかりくり返す甲高い声はなお一層群衆の関心を呼び寄せているようでした。そんな騒ぎの広がりを懸念したを救急隊員が、取り乱している彼女の肩を荒っぽく叩いて促します。

「君、名前は?」

「お願いです!真桜を助けて!彼は……真桜は私の為に!」

「知り合いか?付き添うなら早く乗って!」

現場を取りしきる隊員に迫る人々、興味本位に現場へと突き立てられるケータイやカメラの放列がその最前列にぎゅうぎゅう詰めになって騒ぎ立て、セリエはその波に飲み込まれ列の後ろへと押し流されてしまいました。夥しい驚嘆や嘲笑の入り混じった怒号、いくら叫んでもかき消されてしまうセリエの声、もがいてももがいても壁を通り抜けることが出来ない彼女を置いて救急車は一際高いサイレン音を発して群集を退け、そのままその場から走り去ってゆきました。つられて流れはじめる人の群れ、現場では処理が始まったのでしょうか、詰めかけていた群集の壁の隙間が徐々に緩くなっていって、ようやくセリエは再び鉄骨の散乱した事故現場近くに戻ってくることが出来ました。けど、そこには作業を始めた処理車両の脇に丁寧に置かれた背の高い衣装ケースが寂しげに風に吹かれているだけで、もう二人の姿はどこにもありません。セリエは涙がぽろぽろあふれてきてしまいました。

「いない……ぐし……まおにーちゃん……くろてんし……に……ひ……ひっ……」

セリエはただ呆然と処理の進む現場に立ちすくんでいましたが、鑑識が採取している路面に残された赤黒い血痕を見つめているうちぶるぶると小刻みにふるえてきて、たまらず振り向いて駆け出しました。ぜんぶ……ぜんぶセリエのせいなんだ……セリエが……セリエがまおにーちゃんのそばにいなかったから!涙で曇った視界、その場所から逃げるように涙を散らして走るセリエは道行く人の問いかけの声など耳に入らないかのようにただがむしゃらに自分の影を追いかけて、でもすぐに歩道の切れ目の何気ない段差で派手に転んでしまいました。

「うっうっ……まおにーちゃん……」

痛くて悲しくて起きあがれない、歩道に突っ伏したままのセリエの背中を一陣の冷たい季節風が吹き抜けてゆきます。ぽっかりとあいた心の穴にしみ込んでゆく遠い北の国の凍るような空気……セリエの胸はその凍気で砕け散りそうなほどにひび割れて、あのあたたかな心の光は絶望の闇にすっぽりと覆いつくされてしまいました。自責と喪失感で畏縮してゆく手足、もうセリエには、立ち上がる気力すら湧いてはこないのでした。

「……ラファエルさま……エリシャ……みんな……たすけてくれたのに……ごめんね……みんな……ごめんね……」

ほほを伝う涙でゆらぐセリエの目に、あの日、マオと出会った、そして逝こうとするその背中を追いかけた、空をガラス張りのキャンバスに纏った高層ビルが映りました。ああ……そういえば、いつもあのばしょだったね……まおにーちゃん……セリエは鉛のように重く澱む胸を右手でぐっと押さえて、よろよろと立ち上がりました。

「あそこにいけば、またまおにーちゃんにあえるかもしれない……あのてっぺんにいけば、まおにーちゃんのところにいけるかもしれない……」

セリエは足を引きずりながら、茜色に染まる雲を切り取った巨塔へと歩いて行きました。


「……セリエ?」

長い長い夢を見ているように、泣き笑う彼女の姿はひとときもとぎれることなく暗い闇の空間に描き出されていました。天と地ほどに離れている距離をなんなく飛び越えてくる光のコトバ、その旋律は魂の揺れ動く心の中までも目に見えるように感じさせて、まるで自分の事のように胸を締め付けてくるのでした。今、セリエから届いてくる、これまで感じた事がない程の悲しくて絶望的な調べ……心を切り裂くようなその冥の感情は弛緩した身体の鼓動を早鐘のように打ち鳴らして、彷徨う魂をその肉体へと呼び戻すのでした。

「はッ!」

「おっと、急に起き上がると傷口が開きますよ」

「……ラファエル様……痛ッ!」

「まだ動いてはいけません。急所は外れているとはいえ、そのズレはほんの僅かなのですから……今は安静に、エリシャ」

千切れた綿のような雲のベッドは逆さまに見え隠れする天の国を遥か上空に仰いで宙の懐に抱かれ、その下に広がるオーロラの海原へと向かう何本もの魂の道が絶えることのない命の巡りの輪を描きだしています。ラファエルは上体を起こしたエリシャにそっと手を添えて再びベッドへと横たえると、傍らにひざまずいて主の加護を仰ぎました。

「エリシャ、今までセリエの為によく尽してくれました。心から感謝しています。どうかゆっくり休んで、早く元気になってください……我、この類い稀な純潔に再び光が宿る事を真に願う。聖ラファエルの名において、主よ、大いなる福音をもたらしたまえ……」

労いの言葉の裏にそこはかと漂う疎外感、何だかセリエから遠ざけられたように感じたエリシャは、微笑みをたたえたラファエルの瞳を見上げて問いかけました。

「ラファエル様……セリエは……セリエは今……」

「ここから先は彼女だけが成し得る業……だから静かに見守っていましょう。もう私達にしてあげられる事は何もありませんから」

「……セリエだけが……どういう意味でしょうか……セリエ……あの子はいったい……ラファエル様……」

「今のサリエルの姿がみえますか……僅かに残っていた光さえ失った、冥府を這いずりまわる悪鬼のごときあの姿……あなたの時みたいに僅かに狙いを外す事は、恐らくもう出来ないでしょう」

「……あれが……サリエル様?……な……何て姿に……まさか……あの方をこんな姿に変えてしまったのは……」

ざわざわと心に湧き起こってくる畏怖の念に、エリシャは真摯にラファエルの顔を見つめました。その表情の中に彼女なりの真実を得ている事を感じとったラファエルは小さく吐息を洩らすと、静かに口を開きました。

「昔、天使同士の大きな争いがありました。われわれ熾天使ですら巻き込まれてしまったその戦は天界のみではおさまらず、人間様の御わす地上界をも広範に破壊して、それまでに無かった欲望や嫉妬、妬み、虚栄心をその無垢な心に植え付けてしまったのです。主はそれを嘆き、反目した天使達を地上界より更に下の階層へと幽閉して、永遠に氷付けにしてしまいました」

「そ……それって……ルシェファの堕天のことでしょうか?」

「ええ、首謀者の彼をはじめ、少なくない者が共にその『冥』へと共に堕ちたと聞きます。主は残った我々にあらためて人間様に仕えることを誓約させて、それぞれに任を授けられました。そうして地上界は再び愛の光あふれる世界へと戻る事が出来たのです。ただ……」

「……ただ?」

「一度植え付けられた冥い魂の影は、そのころの幼い人間様たちにはとてもぬぐい去る事は出来なくて、それでも彼らの文化と産業は予想以上の早さで発達していって、ある日、人間様の一人が呪詛により「冥」に巣食うかつての天使達に接触するという事態を招いてしまいました。そして闇がもたらす背徳の力の虜になってしまったその者は自らの力を究極にまで高める為に、遂にその魔天使と取り引きをしてしまったのです」

「あ……あの……ラファエル様」

エリシャは文献では知ってはいたものの、まさか目の前の優しい佇まいのラファエルがその戦に打ち勝って来た熾天使のひとりとはとても思えなくて、思わず当時の事を尋ねてしまいました。

「……ラファエル様も、対立した天使達と刃を交えたりしたのですか?」

「いえいえ、ミカエル達は最前線で戦っていましたが、私やサリエルは傷付いた者を癒したり、この騒ぎに巻き込まれた人間様たちの身の安全の為に尽力していました。天使同士の戦いというのは、この世界がまるごと消し飛んでしまうような力のぶつかり合い……我々は2度と、お互いを傷つけあってはいけないのです」

「サリエル様が癒しを……やっぱり……私、覚えているんです。サリエル様の声はまるで心が羽ばたいてゆくように心地よくて……いつもラファエル様と主の前で賛美の音色を競っておいででしたね……何だか、つい最近のような気がします……」

「彼の身に何があったのかはよくは判りません。ある日、それまで見た事もないような怒りの感情を露にして主に諭され、それ以来彼は人間様を恨むようになってしまったのです。取り引きをした男によって封印を解かれた「冥」への扉、サリエルは他の堕天使達のように闇に惹かれ、その最下層にて彼等を束ねる者……ルシェファと出会ってしまったのです」

「それで……それでサリエル様は人間様を……セリエ……」

エリシャはもう居ても立ってもいられなくて、今すぐにでもセリエの元へと飛んでいきたくて仕方ありません。黒く塗りつぶされてしまった彼女の心はエリシャの呼び掛けなど全く受け付けないほどに頑に閉じていて、ただ見ている事しか出来ないエリシャはただひたすらにに折る事しか出来ないのでした。

「主よ、あなたの子セリエをどうか、どうかお守りください……彼女の愛するマオくんの命の火を、どうか消さないで下さい……ほんとに……ほんとにお願いします……」


 マオが集中治療室に運び込まれてもうどれだけ経ったでしょうか、もう辺りはとっぷりと暮れ、待合室の患者や来院者もひとり、ふたりと席を立っていきます。サツキは指先を膝に食い込ませたまま下を向いて、こみ上げてくる離別の予感にじっと耐えていました。真桜が……真桜がいなくなってしまう……いや……もういなくなってるのかもしれない……どうしてよ……どうして真桜が……唇をかんでうつむくサツキの心の叫びは、ついひとり言となって口から出てきてしまいます。

「真桜……どこにも行かないで……お願いよ……おねがい……」

ゆらぐ視界にぼんやりと浮かぶスカートの雫の滲み……がんじがらめの心が自らの悲しみに気づいて目覚めた時、不意にドアの開く音が廊下に響きました。その音を聞いたサツキの心臓は飛び上がるくらいに驚いて、まるで動悸の発作のように息が出来なくなってしまいました。目にした集中治療室から出て来た数人の医師は、別段慌てる風でもなく廊下を歩き去ってゆきます。サツキは息切れのままその後ろ姿へと走ってゆきました。

「先生!真桜は……真桜はどうなんですか?」

集中治療室の前を通り過ぎてその医師達を追いかけようとしたその時、主治医と思われる年配の医師が扉を開けて彼女を見つけました。

「あ、付き添って来たお友達の方ですね?彼のご両親に連絡はつきました?」

「……いいえ……真桜の……彼の肉親は、今日本にはいません……」

「そうですか……ではあなたが一番彼と親しい間柄というわけですね」

「真桜は……真桜はどうなんですか?無事……なんですよね、ね」

そんなことより!サツキははやくマオの容態が知りたくて、その医師の確認を聞きもせずに迫りました。そんな彼女の姿に医師は無言で背中を向けると、マオの伏している治療台のパーテーションを移動させました。サツキの目の前に現れた夥しい機器に手足を繋がれたマオの姿、頭の横にあるCRTはただ横に流れてゆく原点の通過を繰り返し、左上にあるハートのマークのついた三桁の数字の0は、心拍のない事を如実に表しています。サツキは頭から血の気が引いてゆくのを感じました。

「ま……真桜……そんな……ああ……ああああ……」

気が遠くなって、そのばにへたりこんでしまったサツキ。でもおそるおそる手を伸ばして、触れてみたマオの顔の、まるで果物のような冷たい肌触りにあわてて手を引っ込めてしまいました。うそだ……これは真桜なんかじゃない……真桜の形をしたただの人形なんだ……ね……そうでしょ先生……サツキはすがるような目で傍らに立つ医師を見上げました。

「外傷に関してはさほど深刻な状況では無いのですが……心停止してもう3時間になります。出来うる限りの処置を施しましたが状況は変わりません。直接の原因については検査をしなければ特定できませんが、おそらくショック性のものだと思われます」

「じゃ……じゃあ真桜は……真桜は……!ねえ!いつまで寝てんのよ!写真、撮ってくれるって言ったじゃない!せっかく……せっかくドレスとタキシード借りてきたんだよ!はやく連れてってよ!はやく……お願い……ねえ……目を覚ましてよ……」

思わずマオの身体を乱暴に揺さぶって、思いのたけを声高に叫ぶサツキ、ベッドの脇の機器や薬剤のビンがきしきしと音を立てて揺れ動いて、それを見た医師は少し焦り気味に彼女の肩に手をかけて落ち着かせようと声をかけました。

「動かさないで!検査機が外れるから……まだ話は終わってないんだ。いいかい、通常ならもうこの段階で彼はICUを搬出されて、安置室へと移送されることになる。ただ、心停止にもかかわらず彼の脳波はいたって健全なんだ……正直、こんなケースは初めてだが、まだ判定することは尚早ということだ」

呼吸すら認められないマオの頭部に繋がれた脳波計からは、まるで目覚めて活動している時のように活発な波形が描き出されていました。声をかけるたびにそのウエーブは大きく小さく揺れ動いて、まるで会話をしているようにいきいきと踊ります。サツキは夢中でマオに向かって話し掛けました。

「真桜……聞こえてるの?……私の声……ぐす……きっと……きっと助かるよね……また二人で、学校行けるよね……」

「すみませんが、そうやって彼に声をかけ続けていてくれませんか?今医師たちが別室で処置について論議している所です。あなたの声は我々よりずっと彼に届くようだ」

「はい!真桜、ずっとそばにいるからね……約束、絶対守るからね!」

サツキは溢れる涙をぬぐい去って、自分の声をマオの心へと届け続けるのでした。


 月光の支配する闇の空を突き刺すように屹立する矩形、昼間は雲を映していた高層ビルのガラスに灯っていた照明ももう殆ど消えて、眠らない総合病院のある階だけがまるでラインを描いたかのように一列、闇に溶け込んでゆくビルを彩っています。冷たい風の吹き抜ける誰もいないその屋上で、セリエは眼下に広がる星をちりばめたような街の灯を見つめていました。

「まおにーちゃん、そういえばここにたってたっけ……セリエとぶつかっちゃって……あのときから、ずーっといっしょにいたのにね……」

ひとしきり泣いて叫んで、疲れきって身も心も空虚になってしまったセリエはもう何を願うでもなく、閉ざされた心は飛び交う光のコトバを聞く事もできなくなって、心に去来するいろいろな想い出をただ呆然と見送っていました。下界へ降りてくる前の、まだひとりぼっちの頃に戻っただけなのに、もうセリエの心にはあの時のような天真爛漫な輝きはすっかり失われてしまって、ただ孤独感と自分に対する嫌悪でいっぱいなのでした。そんなセリエが気になって仕方のないマルルーが、うなだれた彼女の前にふっと姿を現しました。

「セリエ、何も君のせいじゃないんだ。僕らじゃどうすることもできない、もともとこういう運命だったのさ」

「でも……でも……マルルー……せっかく……せっかくまおにーちゃん、サツキねーちゃんとスキスキになれたのに……セリエ、てんしのおしごと、ちゃんとできたとおもったのに……」

「相手が悪すぎたんだ、セリエはよくやったと思う。少なくとも、君のおかげで僕らは救われたんだからね……」

「うん……でもね……」

——ああ、たいしたものだ。私も危うく騙されるところだったからな——

「?」

「お前は!」

明るい月空に浮かび上がる破滅の影。顔かたちはよくは判らないけれど、その恐怖がそのまま形になったような容貌、手にした長鎌とぼろぼろに焼け落ちた翼はそれだけでセリエ達を畏怖の坩堝へと落してしまいます。再び二人の目の前に姿を現した死の天使。セリエの心を覆い隠した黒い霧を感得したサリエルは腱の露出した口元でにやりと笑うと、まるで哀れむかのような口調でその貧弱な力を笑いました。

「ふふ……ここまで聖光が弱まってしまうとはな……所詮はガキ、森羅万象のなかで常に魂を平静に保っておける事など出来んと言う事だ。もっともその半分を失ってしまった今となっては無理もない事、もはや、我の前に障害は無くなったって訳だ」

「……サリエル……もうやめて……セリエ、もう、だれにもいなくなってほしくないの……ずっとね、サリエルといっしょにいてあげるから……いっしょに、あのくらいあなにかえろ……」

「ああ、それもいいな……だがその前に、今度こそ彼の魂を頂いていかなければならんのだよ!」

突然天空を覆い尽くさんばかりに広がった魔界の翼、真上に挙げられた組織がむき出しの腕からひときわ伸びた長鎌は月光を跳ね返して冷たく閃いて、躯に浮かび上がった無数の目が畏縮して空を見上げるセリエの姿を捉えます。サリエルはカチカチと震える顎を噛み締めると、真一文字にその施しをセリエへと振り降ろしました。

「セリエ!」

間一髪、間へと飛び込んだマルルーの右腕がその複雑な装飾に飾られた柄を跳ね返します。ただその腕はみるみる黒く侵蝕されていって、やがてその傷口よりぼとりと地面に落ちてしまいました。

「マ……マルルー!」

「しっかりしろ!セリエ!こいつの言ってる事が判るか?君の兄さんはまだ食われちゃいないんだ!」

「え……まおにーちゃんが……」

「ちい!余計な事を……ぐあぁ!」

不意に後退りを始めるサリエル、その様子に驚いたマルルーは背中にこの闇さえ消し飛んでしまいそうなほどの強烈な光を感じて思わず振り向きました。

「セ……セリエ?」

「うん……わかる……わかるよ……ここにいるんだ……まおにーちゃん……まだ……まだいきてる!」

小さな身体から放たれる虹色の輝きは闇に沈んだビルの屋上を花園のように鮮やかに彩って、そのあたたかな放射はマルルーには癒しを、サリエルには強烈な忌諱をもたらしました。彼の手にした長鎌からも同様の光が放たれて、その光のコトバはセリエに懐かしい声で語りかけてくるのでした。

「セリエ……よかった、消えてしまう前にもう一度話せて……あなたがその光を失わない限り、恐れる事は何もないのよ」

「そ……そのこえは……サクラねーちゃん!どうして……どうしてそんなところに……」

「死に損ないが!……お前が身替わりになどならなければ今頃はあの少年を!」

セリエの聖光を浴びて醜い肢体を曝したサリエルは長鎌を狂ったように振り回して、その忌わしい輝きを振り払おうともがき苦しみます。その姿を見たセリエははっとして自分の空虚な胸を押さえました。

「さっきのキモチ……こころがはんぶんどっかいっちゃったみたいなアレ……あれはサクラねーちゃんが、セリエのかわりにまおにーちゃんをたすけにいったからだったんだね……みんな……みんな……セリエのために……」

業を煮やしたサリエルはおもむろに長鎌を天空へとかざして、その周囲に方陣を張り巡らしました。そこに満ちてくる「冥」からの虚無の風が上空に雷雲を呼び寄せて、辺りは俄に掻き曇って来ました。

「どこまでも鬱陶しい人間共……二度とこの界に転生する事はさせぬ!」

夜空を両断する鋭い閃光、帯電した雷雲よりたたき落とされた槍のようないかづちは天に手を翳したサリエルへと突き刺さり、手にした長鎌は轟然と燃え上がりはじめました。周囲にあふれ出す吸われた魂達の断末魔の叫び……それは耳を覆いたくなるような不協和音でひたすら助けを呼び続け、ひとり、またひとりと燃え尽きてゆきました。

「やめて!ねーちゃん!サクラねーちゃん!」

——セリエ、自分を……マーちゃんの事を想うそのキモチを信じて……あなたなら……きっとあなたなら——

「サクラねーちゃん!ねーちゃーーーーんっ」

ぶすぶすと小さな火種が焦げた匂いを周囲にまき散らす長鎌を無数の目で見たサリエルは不敵に笑って、その柄の付け根をぎりりと締め付けました。方陣から流れ込んでくる「冥」の虚無の闇を幾重にも身に纏ったサリエル。脈動をはじめたその長鎌の切っ先は今、柔らかな癒しの光に包まれたセリエへと再び向けられました。

「ふはは……効かぬ、効かぬぞ!見よ、全てを飲み込んでゆくこの虚無!一人では寂しいだろうから、お前も一緒にこの刃の露にしてやろう」

「セリエ……次は……次は守ってやれるかわからない……」

落された腕を押さえながら、それでもかばうようにセリエの前に立つマルルー、その燃えるような瞳は遥かに強大な力に対してひどく揺らいでいるように見えて、そんなマルルーにセリエは落ち着いた口調で語りかけました。

「マルルー、わたしのおねがい、きいてくれる?」

「セリエ……わかっているさ。僕の魂をかけても君を……」

「あのね……マルルー……セリエのおねがい、まおにーちゃんのところへいってあげて……」

マルルーは驚愕して、思わず後ろを振り向いてしまいました。

「何だって?そんな事……僕が君から離れてしまったらどうなるかくらい……」

「……だいじょぶ、セリエのことはしんぱいしないで……まおにーちゃんにいきるチカラを……あなたを……ピカピカのあなたのタマシイをあげて……」

「そ……そんな事できるわけ……セリエ!」

そう言ってセリエは左手の中指に手をやると、精緻な彫刻の施された小さなリングを外して右手に握りしめました。

「まおにーちゃん……これ……セリエのイノチ……いままでいっしょにいてくれて、アリガト……」

「や……止めろセリエ……サリエル?」

再び正面を向いたマルルーの目に、一直線にセリエへと襲い来る長鎌の鈍い輝きが飛び込んで来ました。反射的に肩からその刃にぶつかってゆくマルルー、でもその瞬間、とてつもない力で宙へと飛ばされてしまいました。空に落ちてゆくようにぐんぐん地上を離れて、もといたビルの屋上をはるかに見下ろした彼のその目に、夜空にブライトン家のリングを放り投げたセリエの煌めく涙の光が焼き付きました。

「セリエ……セリエーーー−ッ」

「かみさま……セリエのプレゼント、ぶじにとどきますように……」

リングの行く末を案じながら、でもセリエの顔は今までにないほど明るく輝いていました。えへへ、プレゼントって、もらうよりあげるほうがうれしいんだね……ね……まおにーちゃん……夜空に願いをかけるセリエの揺れる瞳、でもその煌めきはもう二度と輝く事はなくなってしまいました。セリエの小さな胸に深々と付き立てられてた長鎌……その刃は心臓を貫いて背中へと突き抜け、彼女の命の鼓動を止めました。初冬の月のもたらす冷たく青白い闇の中で、セリエの光は今、この世界からひっそりと消え去ってゆくのでした。

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