4.託されたまなざし
「今日は火曜日か」
通学ラッシュが終わったのをモニターで確認すると、、おもむろにマオは着替え始めました。Foxfireのフォトベストを着込んで愛用のF4を無造作に抱えると、背は低いながら遠目には職業カメラマンに見えます。
「…ったく、早起きとか調子狂うぜ…しかしッ!」
マオははやる気持ちを抑えつつ、音を立てずに家を出て行こうとしました。セリエに見つかると何かマズい事でもあるのかな?って…おいてかないでよマオ君!そう言えば彼女は何やってるんでしょう…
そーっとドアを閉めて、高く伸びた雑草に隠れて一気に庭を横切ろうとしたマオは、目の前の光景にびっくりしました。花壇の雑草がきれいになくなってるではありませんか!今まで迷路だったのがウソのようです。そのまんなかの花時計で、セリエはぴょんぴょん跳ねていました。
「おにーちゃん!ほら!おひさまあたるようになったよ!」
呆気なく見つかってしまったマオは苦虫をかみつぶしたような顔をして舌打ちをしましたが、ふと冷静に考えて庭の異変に気がつきました。
「お…おまえ!あの草どうしたんだ???」
セリエは今度は時計の上に乗ってくるくるくるくる…あれ、今度はお洋服、汚れていないのね。
「草さんたちにね、赤ちゃんになってもらったんだ!みんなも草よりお花の方がいいっていうんだもん!」
「赤ちゃんって…種ってことかよ?」
セリエはくるくる回りながら、とぎれとぎれに答えます。
「うん!…みんな…うまれかわるんだって!…だからね…神さまのところへ行ったの!」
「うまれかわるって…じゃああの草は!?」
無邪気に話すセリエの言葉の本当の意味を感じたマオは、ちょっと恐ろしくなって来ました。まだ質問してなかった、けど一番大事な事。マオは、おそるおそるセリエに問いました。
「おまえ…いったい、何者なんだ?」
セリエはピタッと回るのをやめると、しばらく空をあおいで遠くをみつめました。そしてふり返ると
「わたし、天使の子セリエ!…だとおもうんだけどぉ…」
「はァ?」
自信なさそうに照れ笑いを浮かべるセリエ。手を後ろにくんで、マオの驚いた顔を見上げます。
「あのね、えっとね、おにーちゃんと会ってからね、自分がだれだかわかんなくなっちゃうときがあるの…」
マオはよっぽどあのビルの上でのことを聞こうと思いましたが、そんなセリエのあっけらかんとした態度と、それとはうらはらの得体の知れない行動に質問することの無意味さを悟りました。軽くため息をすると、マオはちょっと皮肉っぽく言いました。
「フフ…じゃあなに?おまえは僕を助けに来た天使ちゃんって訳か?」
それを聞いたセリエは急にしょぼんとなって、下を向きながら小さい声で話しました。
「セリエね…天使じゃないんだ…天使になれなくておいだされちゃったんだ…」
その言葉は素直に受け入れることはできないけど、うつむいた横顔に浮かぶ憂いをマオを感じていました。自分と同じような寂しさの闇をマオはセリエに見るのでした。
「おにーちゃん見てるとね…ほぉっとするの…そしてね…なんだかべつのひとになっちゃうんだ」
「……好きにしろよ」
マオはくるっと背中を向けて歩き出すと、背中越しにセリエに言いました。なげやりな、でもどこか柔らかいその言葉に、セリエは胸いっぱい息を吸って小さくうなずきました
「ウン!」
緩やかに坂を下ると、見えてくる駅前の商店街…バスも通る大きな道路と、その道をはさんで駅前広場に続く通りには大きなビルや商店が建ち並び活気に満ちています。開店準備で忙しそうなお店の間を通ってマオはどこかへ向かってるようです。セリエは珍しいのか、ちょこちょこたちどまってはくすくす笑ったり、ぶつぶつ言ったりしながらマオについていきます。通りを歩く自分たちを、お店の店員さん達がじろじろ見たり、ひそひそ話してるのを感じたマオは、セリエの方を振り向いて小さな声で
「おい…あの、お前さ、さっきから何かヘンなことしてない?」
セリエは話しかけられたのがすごくうれしい風で
「ねえねえ!くつってなあに?さっきからみんな言ってるの」
「くつ……!」
マオはセリエの足下を見て気がつきました。裸足でした!それにしてもこんな固いところ、いたくないのかな?
「やれやれ」
マオはちょっと引き返すと、さっき通り過ぎた靴屋さんにはいりました。店内には春色の靴がたくさんならんでいて、まるでお花畑のようです。セリエは目をぱちくりして、かわいい色の靴を見て回りました。こらこら、匂いなんか嗅がないの!
「ヘンなにおい!ねえねえこのお花、ヘンなにおいだよ!」
「…だからなァ」
マオは言いかけて、やっぱり無駄だろうなと思いました。セリエを子供用の椅子に座らせると、手に持った赤い花飾りの靴を履かせてやりました。セリエはびっくりして
『お花?セリエ、お花といっしょに歩けるの?」
セリエは立ち上がってぴょんと飛んでみたり、くるくる回ってみたり、鏡の前でおおはしゃぎです。
「…チビの靴ってけっこう高いな…痛い出費だぜ」
マオは会計をすませると、くるくる回っているセリエの頭をつんとつついて店の外へ向かいました。セリエはスキップしながら
『お花、ありがとー」
と言うとマオの後を追っかけて行きます。それを見送った店員はけげんそうな顔でひとこと漏らしました。
「あの子、またこんな時間に……」
駅前の賑やかな通りからちょっと外れた高架の下の、開いてるかどうか解らない小さい写真店。表のウインドウには古いカメラや色あせたカラー写真が無造作に置かれています。店の前にはまた古いバイクが、でもピカピカに手入れされて置いてあります。マオはその店の前で足を止め、ガラス越しに店の中を伺いました。薄暗い店の中から聞こえてくる、軽快な機械の音で店主の存在を確信したマオは扉を開けようとしてはっとしました。マオのズボンをぎゅーっと握ってる小さな手…セリエが不安そうな顔でマオを見ています。確かに子供が入るにはちょっと怖そうな雰囲気です。
マオはセリエの顔をじっと見つめ、つぶやくように言いました。
「この中に、答えがあるんだ」
いかにも昔風の引いて開ける扉を開けると、かすかに酸っぱいようなツンとする匂いがします。普通の人には悪臭だけど、マオには快い現像液の匂いです。
「ヘンなにおいだよぉ…ねえ、かえろうよぉ」
ヘンなにおい大好きセリエにしては妙に逃げ腰です。確かに低い天井や薄暗い照明、あと壁に展示してある歌舞伎や能の舞台写真が子供にはちょっと気持ち悪いかもしれませんね。
「おお、マオか、また学校さぼってんな。」
店の奥から出て来たエプロン姿の老人は、マオを見るとにっこり笑って言いました。
「ガンじい、これ現像お願い」
マオはF4からフィルムを取り出すと、その老人…ガンじいに手渡しました。
「ちょっとまってな、もうすぐ液温あがるから。ま、そこにかけてまっといで」
ガンじいは証明写真用のスタジオのいすを指差してマオに言いました。と、ちょっと気がついて、
「あれあれ、これはおどろきだわ…この子、だれかの」
ガンじいはセリエを興味深そうに見てマオに聞きました。セリエはマオの後ろにかくれて、ちょっとだけ顔を出しています。
「あー、そ、イトコなんだ。遊びに来ててね」
「ふうむ、誰かにそっくりな気がするんじゃが、誰だったかな?…まいいか、お嬢ちゃん、何てお名前?」
ガンじいは眼鏡の奥の目を細めてセリエに話しました。
「…セリエ」
蚊の鳴くような声にガンじいは「ん」という顔をしましたが、それ以上は聞かず、カウンターのいすをひとつ持って来て
「ささ、お嬢ちゃんもこっちですわってまっててね。なんかもってくるからね」
というと、マオのフィルムを持って店の奥へ入っていきました。マオとセリエは並んで、ストロボが何個もぶらさがってる部屋で待つ事になりました。
「こいつがとなりにいるってことは、昨夜写真をとったのは事実なんだと思う…あの光る物体…いったい何が写ってんだろうか…」
マオはセリエをちらっと見ました。セリエは新しいくつをぷらぷらさせて、天井のストロボを見上げながらぶつぶつ何か言っています。マオは今までの事を何とかまとめようとするのですが、頭の中でいろんな想像が止まらなくなってしまって答えが出せずにいます。
「天使?そんなの信じろって言うのか?しかしあの雑草がいきなり無くなっちまったり…生まれ変わるって、それって生命リセットってやつ?…そんなこと勝手にやれるのか?…まてよ…天使なら魂を天国へってことか?…しかしこいつが天使…そんなの信じろってのか……」
ぐるぐる答えの出ないでいるマオの前に、ガンじいがお茶と自分のいすを持って戻って来ました。二人にお茶を渡すとガンじいは、持って来た椅子に座って「ちょっと」とマオのF4をそっと手に取りました。そしていとおしそうに撫でてやりました。
「茂雄…お前が逝ってもう1年か…早いもんだな…ああ、お前の目は、ずっとお孫さんが守ってるから心配すんなよ…」
マオの頭の中に、写真好きだった祖父…茂雄のピンと背筋の伸びた後姿が浮かびます。昔はよく二人でこの店に来てたっけ…カメラや、バイクや、女の話…内容は忘れたけど、じいちゃんもガンじいも何かカッコ良かったなあ…マオはガンじいの白髪頭を見ながら懐かしいその時の事を思い出すのでした。ガンじいはひととおりF4の動作チェックをすると、急に思い出したように、
「そういえばその…なんだっけ、写真コンペの…ビエンナーレか!どうじゃった?」
とマオに聞きました。マオは一瞬ぴくっとしましたが、ちらっとガンじいを見てから両手で小さく×をつくりました。
「もう落ち込みまくり…存在が否定されたって感じで…」
「そうかい…残念だったな…」
彼が学校でうまくやっていけてない事を感じているガンじいは、マオがこのコンペに自分の存在意義を見いだそうとしていたのを知っていただけに、マオの痛さを思うとかける言葉を失ってしまうのでした。マオは一番奥にかけてある古い写真を見上げて、聞こえないほど小さな声で何かつぶやいたあと、
「……母さんもじいちゃんも早々と向こう側に行ってしまったし、よっぽどこの世界に向いてないんだろうね、ウチの家系は。」
マオは薄笑いを浮かべながら誰にともなく話しました。ガンじいは軽薄だとは思いつつもどうしても言わずにはいられずに、
「まあ、生きてりゃいいこともあるさ、な。」
というとF4をマオの膝の上に返しました。マオはそれをぼーっと眺めて
「生きてりゃ…ね」
形見のF4を見つめながら、マオは心の中で問いかけました。
「じいちゃん、僕、何ができるんだろう…」
ピリピリピリ……高いアラーム音が隣の部屋から聞こえて来て、ガンじいはどっこら立ち上がりました。どうやら現像が終わったようです。
「やれやれ、上がったようじゃな」
「ガンじい、僕もラボに行っていい?」
マオは突然はずんだ声でガンじいに聞きました。さっきとは別人のようです。その変わりようにガンじいは面食らいましたが、
「あ…ああ、かまわんよ」
とカウンターの扉の中からマオを招き入れました。うしろからちょこちょこついて来たセリエにマオは、
「おまえはちょっと待ってな」
と言うとガンじいのあとについてカーテンの向こうに入っていきました。
「いいのかあの子は?」
心配そうなガンじいの言葉に耳も貸さず、マオは出て来たフィルムを蛍光灯にかざしてみました。最後の数カット、確かに人のような物が写っています。
「ねえ、ここからここまで、ちょっと焼いて」
マオはせかすように言いました。ガンじいはにやっと笑って
「余程の傑作かいのぉ」
というとレーンにネガを通しました。プリントが出てくるまでの数分間、マオはひたすら息を飲んで出口を凝視していました。長いような短いような時間、機械の作動音が変わり、トレイが一段送られると緊張は頂点に達しました。
「誰だ?これっ…」
マオの驚きの声に、ガンじいはそのうちの一枚を手に取ってみました。
可愛らしい女の子の寝顔…でもちょっと変です。髪の色は栗色だし、頭の羽根なんてどこにもありません。ここに写ってるのはセリエのはずなのに....
「ほほ〜マオが人物を撮るとはのぉ…」
ガンじいはのんきに写真を見ていますが、マオはまたまた訳が解らなくなってしまいました。どの写真もおんなじ栗毛の女の子…
「…お前までボケちまったのかよ」
カウンターに置いたF4を見ながら、マオはつぶやきました。レンズは静かに、幾重ものマオの影を宿しています。その深い透明の淵を見ていると、偽りのない、無言の語りかけをマオは感じるのでした。
「じいちゃん…じいちゃんは僕に何を見せようって言うんだ…」