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34.憧れより大切なモノ

――おどろいた、まさかマーちゃんがあんな事するなんてね――

「あれ、こわれちゃったかなぁ……せっかくれんしゅうしたのに」


……おい、セリエ!

――また、高い所から落ちちゃったね――

「あのね!セリエね、ちょっとだけどとべたようなきがするの!」


……いつ戻って来たんだ?ほら、いいかげん目を覚せよ!

――ほんと?じゃあマーちゃん、今度も大丈夫かな?――

「ラファエルさまにきいてみるね、あの、くろてんしのことも」


……セリエ!

――そうね、じゃまた、さあ起きて!――


「サクラねーちゃん?」

思わず名を呼んだ自分の声にびっくりして、セリエは目を覚ましました。目の前に広がる高くて濃紺の空、綿の上に浮いているような肌触りと透明で固い空気を抜けて降り注ぐ柔らかい陽光は、その懐かしさでふっくらとセリエを包みこんでいます。セリエは思わずにまーと笑うと、弾かれたように起き上がりました。

「天の国だっ!」

「うわわ!」

目の前で急に身を起こしたセリエに、屈みこんで声をかけていた傍らの少年はびっくりして仰け反ってしまいました。セリエはその声のほうを振り向くと、呆気にとられた表情で自分を見つめている見覚えのある顔をみつけて瞳を輝かせました。

「あっ、アナエルくん!」

「ったく相変わらずだなお前は……よくこんなところで寝てられるもんだ、感心するよ」

「へ?」

セリエはきょとんとして周囲を見回してみました。点々と淡い色彩の花弁に彩られた庭園のむこうに建つ三角屋根の透き通るような白亜の鐘楼……高く庭園を見下ろすカリヨンの清らかに時を告げるその音とともに、セリエと同じくらいの天使の子達がぞろぞろと入り口のアーチから出てきます。セリエはその光景にはっとしてに反射的に姿勢を正しました。そう、ここはアナエルやエリシャ達と共に過ごした思い出の学舎……今しも目の前に現れた翼のひとは、いつも夢で励ましてくれるあの厳しくもあたたかな声で居並ぶ天使の子達に教えを説いています。セリエはその後ろ姿を見ているうちに自分の心の中にある重く蠢く黒い渦……ついさっきのような、でもずいぶん前の事のようにも感じるあの死の天使の恐怖が頭をもたげてくるのを感じました。とても抗う事の出来ないその力、閉ざされて見えない心、そして共に谷底へと転落したマオの消息……次々と呼び覚まされるその悪夢にセリエは青ざめはじめ、震える瞳には涙が今にもこぼれ落ちそうにあふれてきました。

「……そうだ……ひっ……セリエ、まおにーちゃんと……えっ……くろいのに……えええぇ……」

「おい、どうしたんだ?」

急に取り乱しはじめたセリエを怪訝に思うアナエルが声をかけても届かない、冥い闇に満ちてゆく小さな心、セリエはもうとても我慢できなくて、思わずしなやかな翼をいただく大きな背中に向かって駆け出しました。

「ラファエルさまぁぁぁぁ!」

「おや?あなたは……」

迷子が自分の親を見つけた時のように両手を広げたラファエルの胸に飛び込むセリエ、ローブにしがみついて小刻みに震えている彼女の頭を、ラファエルは優しく撫でながら聞きました。

「どうした事でしょう、セリエ、どうやってここへ戻って来れました?」

「ぐす……わかんない……でもね、くろい天使がセリエたちをぉ!えええぇぇ……」

背中に翼も持たなくて、背丈も小さなセリエの泣きじゃくる姿に天使の子達は顔を見合わせるとひそひそと話しはじめました。その詮索や嘲笑の声を耳にしたラファエルは、セリエのほほを撫でるとその顔をそっと自分のほうへ向けさせました。

「そうですか、あのサリエルが……それで私を頼って来た訳ですね」

「うん……ぐす……ラファエルさまなら、あいつをやっつけるほうほう、しってるとおもって……」

「やっつけるとは穏やかでありませんね……まあいいでしょう、理由はともかくあなたが誰の助けも得ずにここに戻って来たというのであれば、その力は即ち天使の資質を意味します。わかりました、セリエ、あなたにもどうやら証が必要なようです」

ラファエルは立ち上がって天空を仰ぎ、合掌してその遥か高みに向けて声を上げました。

「今此処に大いなる慈愛と信仰を以て自らの光を普く届ける事を確約せし者、セリエ天小使に主の御加護を賜らん事を望む。聖なるかな、聖なるかな、聖なるもの、主の御許へと誘われん事を……」

そう言うとラファエルは、両手を自分の頭の上にかざしました、ゆるやかに円を切るその手の中にどこからか雲が集まって来て、渦を巻きながらその縁にそって並びはじめました。

「汝、求めるならば法輪を以てその業を全うするを任ずる、セリエ、偽りなき魂をこの光に誓うか?」

「え?えええっ?」

セリエはびっくりしてしまいました。なぜって、ラファエルが施しているのは今まで何度も自分の目の前で繰り返されて、でも何時もそれを羨ましくない振りをして見ていた戴輪の契……天使として光の輪をいただく儀式そのものだったからです。今、その舞台が自分に回って来た……待ちに待った天使への道が遂に開けたのです。セリエは泣きはらした瞳を上げて、大きく息を吸ってラファエルの顔を見つめました。

「せ……せんせい、セリエ、天使になってもいいの?」

「遅くなりましたが、あなたはとてもいいものを持っている……まだちょっと足りない所もありますが、それは追々覚えていける事ですから」

ラファエルの手の中で渦を巻いている雲の中心にぽっかりと穴が開いて、それは回りながら円周の外へ外へと集まっていきました。やがて環状になった雲は白い輝きを放ちはじめ、セリエの顔を明るく照らしました。

「これが……セリエの……セリエの天使のわ……」

「さあ、誓いを立てて下さい、セリエ」

セリエは夢にまで見た瞬間を迎えて胸がドキドキして仕方ありません。さっきの涙はどこへやら、今のセリエにはこれまで助けてくれた人たちへの感謝と祝福の気持ちが次々とわき起こってくるのでした。みんな……セリエもやっと、天使になれるんだよ!天におはしますわれらが主、こわくてやさしいラファエルさま、いつもげんきをくれるエリシャ、あぶないところをたすけてくれたアナエルくん、そして、そして――


「……どうしました?」

いまやセリエの頭上に輪を手向けて、その政を執行しようとしているラファエルは、一向に口を開かない彼女を不思議に思って声を掛けました。セリエは少し迷ったような顔でラファエルの瞳をちらっと見ると、下を向いて小さな声で話しはじめました。

「あ……あのね……天使になったらね……みえなくなっちゃうんだよね……」

「おや?あなたにもまだ見えない物があるのですか?」

「ちがうの……まおにーちゃん、セリエのこと、みつけられなくなっちゃうんだよね……」

セリエは寂しげな声でつぶやきました。確かに下界において、天使の姿を見る事の出来る人間なんていないでしょう。あれほど夢に見た天使の輪を前に、セリエはマオへの思慕を断ち切る事が出来ないでいました。

「まおにーちゃん……どうなったかわかんないの……だからはやくいってあげないと……それにね、まだ、サツキねーちゃんと……」

「今のあなたは借り物の身体なのですよ、その身体が鼓動を止めてしまえば永遠にセリエという存在は消えてなくなってしまう……肉体を持たない天使ならば、その心配はなくなるのです」

セリエはうつむいて足元から下の、黒い雲に覆われて見えない下界を見つめました。あの中にみんながいる、マオやサツキ、先生やカメラ屋のおじいちゃん、そして、死の天使も!セリエはぽつんと今ひとり天界にいることが不安で不安で……しなきゃいけない事を下界に取り残しているような気がして仕方なくて、自分に手をかざしているラファエルに向かって言いました。

「ラファエルさま、セリエ、やっぱりまだ天使にならなくていい!おねがい、セリエをこのまましたへ……まおにーちゃんのところへかえして!」


 天井も低ければ窓も無い薄暗い殺風景な取調室に重々しく過ぎてゆく無為な時間、部屋の中央にある小さな机に座る河森は目の前に向かい合って座っている、くり返し問いただした自分の質問に一言も答えようとしない少年、マオの姿を凝視していました。

「あの高さから落ちて無傷なんて信じられるか?60メートルだ。どうやって助かったんだ!ええ?」

「……」

落下速度や衝撃の計算書や潰れてねじまがったRTの残骸の写真……目の前に突き付けられた資料に目もくれず、ただ下を向いて黙っているマオの態度が河森は鬱陶しくて、つい自白を強要するかのような激しい口調をぶつけてしまうのでした。

「いい加減に話したらどうなんだ!お前と一緒にいたあの少女をどこへやった?」

「……」

「お前の家は手続きを踏んで立ち入り検査をさせてもらった。押収したフィルムと目撃情報から、お前があの少女……セリエと一緒に行動していた事は明白なんだよ!姫野君」

河森は机上の沢山の現像済みフィルムとカラープリントを顎で示しながらマオに迫ります。でもマオは表情ひとつ変えずに可憐な笑顔の踊るその写真たちをを見つめていました。けっ、何て下手くそなプリントだ……マオは警察で焼かれたその写真のセリエがとても自分の撮ったものとは思えなくて、それが彼女との距離をいっそう隔てたものに感じさせるのでした。

「先月の夏祭りの夜、お前は会場に来ていた少女への猥褻行為を通行人に見つかって、セリエと共謀して少女を助けようとしたその人を襲ったそうだな。その時、一体お前たちは何をした?」

「……!」

「教えろ!あいつは……セリエとは何者なんだ!」

「セリエは……セリエはどこなんです?……」

「ふざけるな!聞いているのはこっちだろうが!」

激昂した河森は思わず机を激しく叩きました。その音に驚いたマオは脅迫にも似た河森の尋問に堪えきれなくなって、拳をぐっと握りしめると席を立って叫びました。

「知らないものは知らない!知ってたってお前なんかに教えるか!」

「き……貴様ぁ!」

思わず掴み掛かろうとする河森を、同席している担当官が禁めました。

「警部!今日はもう遅い、それにこういうのは力押しでは駄目だ」

「ちっ……こうしている間にもまた被害者が出るかもしれねえってのに……」

河森は吐き捨てるようにそう言うと、取り押さえられた肩の手を払って部屋を出ていきました。担当官は肩を竦めてその後ろ姿を見送ると、まだ怒りのおさまらないマオに向かって語りかけました。

「別に君を被疑者扱いするわけじゃないんだ」

「……」

「でも関与が否定されない以上、このまま君を帰すわけには行かなくてね、保護者もいないようだし……すまないがこちらへ」

そういうと両の手に手錠をかけました。

「拘束ですか」

「規則なんでね……狭苦しい部屋ですまないと思っている。さ、上だ」

マオは、担当官に付き添われて建物の2階へと登っていきました。正面に鉄格子のついた小さな房……黄ばんだ蛍光灯に照らされた部屋の扉のカギを看守に開けさせた担当官は、マオの拘束を解いてその中へと促しました。

「黙秘は続けてもらって構わない、ただ、君にこんな事をするのも我々には国民の安全を確保する義務があるからなんだ。それだけは判ってくれ」

軋むような音と共に扉が閉じられ、看守が手早く施錠しました。マオは振り向きもせず立ちすくんでいましたが、やがて力が抜けたようにその場に座り込んでしまいました。

「……安全だって?……何も判っていないくせに……」

部屋の半分以上を占める敷布団の上で、マオはしばらく呆然と虚空を見つけていました。緊張が一気に解けて、倒れ込んだ拍子に胸ポケットから転がり出て来た一本の羽根……それは初めてセリエと出会った時に服についていたのと同じ、あのまるまっこくて黄色味を帯びた白い羽根でした。マオはその羽根を両手で包み込むと、額に押し当てて目を閉じました。

「あの事件……警察は127号事件を俺たちの……セリエの犯行にしようとしているんだ……そんな事したってなんの解決にもならないのに……セリエ……今どこにいる?……元気だよな?……まさか俺をかばって……」

マオのほほに、ひとすじの涙が伝いました。こんな所に留置されている自分、掛けられた理不尽な容疑、そして忽然と姿を消してしまったセリエ……情けなさと悔しさで悲しくて、マオは滲んでくる涙をどうする事も出来ませんでした。


「セリエ……君に会いたい……」

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