33.惨劇の肖像
「ぐす……おうち……かえりたいよぉ……」
「遅い……遅いぃ!何してやがる……ガキが心配じゃねえのか、あの野郎は!」
――そう、ほんのちょっとした隙だった……私のまわりは愛と祝福と、子供達の笑顔で満ちあふれていると思っていた……人間は、主の創りたもうた自らの分身、下界に福音をもたらす聖者だと信じていたのだ――
「……けどな、警官の姿は見たくねぇ、金を持って一人で来い、もし変なマネしやがったら娘の命は……ああ心配するな、生きてるぜ……おら、出ろ!」
「……もしもし……パパ……パパなの?はやく……はやくたすけにきてぇ!」
――私は教会で暮らす孤児達を新しい家庭に迎え入れる手助けをするのを、天使として最上の喜びと感じていた。貧しいながらもどこか気品があって、なによりその天使と見まがうような純真な魂のその子に私は惹かれた……そして、職務の間に手を尽くして、街一番の名門の養女として彼女を送りだす事が出来たのだ。これであの子は幸せになれる……私は時折彼女のもとを訪れては、その笑顔と伸びやかに成長してゆく様に達成感と誇りを感じていた――
「一人で来いと行った筈だ!……それじゃあな」
――拭い去る事など出来ないあの光景!……私は彼女の夭逝を呆然と見ているしか無かった。幸せに満ちあふれていたはずの少女の旅路は何の理由も無く終焉を迎えたのだ。何ということだ……人間の持つこの荒ぶるもの、虚栄、欲望、そして狂気!……この時、私の中の半分がガラスのように砕け散った、そう、おそらく永遠に――
「鉄骨が落下した?誰もいないのか?」
「子供がいるぞ!」
「君!大丈夫か?……何?誰かが下敷きに?……」
「おい、間違いないぞ!この子は三日前から行方不明の園児だ」
「えー、指定場所にて捜索中の子供を保護、繰り返す、捜索中の子供を保護、なお一緒に居た犯人と思われる男の安否は不明……」
闇に包まれた夜の工事現場、現金のはいったバックを手に現場へと向かっていた捜査官の突然の通報に、付近で待機していた警官隊の車両が一斉に放射状の隊列を敷いて群がってきました。闇にまるで悪魔の目のように瞬く幾つもの赤色灯の明滅、ハンドライトを手に横倒しに重なる鉄骨を移動させている捜査官の一人が、自らの血を敷物にこと切れている男の捻れた身体を見つけました。
「園児に外傷なし、軽いショック状態の模様、取りあえず救急病院へ搬送した。なお、先程誘拐犯の死亡を確認、死因は脳挫傷と思われる……」
小刻みに震えている少女を乗せた救急車が遠ざかって、人気のないからか特にシートで隠蔽することもなく検死を行っている鑑識の一連の処理を見下ろす漆黒の翼……その上層階の資材置き場の鉄骨に腰をかけた死の天使は、魂を吸い終えて朧な燐の光を放つ長鎌をさすりながら雑巾の様になったその男の身体が運ばれてゆくのを見送っていました。その目には喜びも無ければ涙も無く、ただ脳裏に甦る忌まわしき記憶、こみ上げてくる収まる事の無い怨恨の波動に、思わず口を開いて呟きました。
「幾百の時を経ても繰り返されるかくの如き愚行……強欲と残虐こそ人間というものの本質というのか……どこまでも罪深き業をもたされたその彷徨に意味など……!」
長鎌を握りしめた拳が小刻みに震え、燐の残像が鋭い刃先の形状をゆらゆらと漆黒に描き出します。今までに刈った数知れない魂がその揺らぎに耐えかねて嗚咽を漏らすのを、サリエルは不敵に笑いながらおおきく振りはらいました。
「死してなお私を不快にするもの……愚かなりし人間よ、主が許したもうても私は断罪を続ける。光を……自分を失ってしまったあの日……あの痛み……決して忘れない!」
新月の夜に舞い上がるサリエルの散らす黒い小羽が、流れ出た血痕の処理をしている現場の捜査員の上に舞っています。私たちの目には見えないけれど、それは「冥」の気を地上に浮遊させ、周囲を異様な殺気で満たすのでした。
「せめてもの手向けだ……その羽をもって汝の墓標とするがいい」
街を包み込む夜空は星ひとつ瞬く事無く沈下してゆき、狂気を呼び覚ます朔が支配する闇の中を飛駈ける告死天使、その鈍色に輝く目は彼方の、今にも壊れそうに突き進む2つの震える魂を見つけました。
「ほう、これは……面白い」
「おかげでこっちの封鎖は穴だらけだ!とっとと引っつかまえてこい!え?無事保護?……あ、ああ、それはよかった」
無線に投げやりな口調で返答しながら、河森は未だに非常電源のカットが出来なくて、煌煌と明かりの灯るマオの家のテラスで逸脱しはじめた自らのシナリオに焦りを露にしていました。
「何で今夜に限って事件が重なるんだ……おい、まだあのガキ共は発見できないか?」
「千秋街道に入った所までは確認できたのですが……今日はいつにも増して交通量が多くて」
「車間をすり抜けてるのだろう……厄介な……やり方を間違えば大事故か……」
水栓を閉じた事でようやく散水の止まった花壇に腰を下ろした河森は、咲き誇る花々を漫然と見つめながらおおきなため息をつきました。暗がりの中にあってもその深紅は命の力強さにあふれて闇を遠ざけ、河森の目に鮮やかに昼間の出来事を思い起こさせるのでした。
「犯人は現場に舞い戻る……か。所詮子供の家出ごっこってわけだ。行く場所が無くて結局家へと帰ってくる……後はタイミングだけだからな……問題はあの少女だ……どうしてここの水が止められたって解ったんだ……」
セリエと一緒にいたのはほんの短い間だけだったけど、思わず相づちをうってしまう程素直な言葉と、その笑顔からくる心の隅々まで照らすような煌めきに触れた河森は、彼女の中の何か特別なものの存在を確信していながらどうしても指定事件の加害者という線を繋げる事が出来ません。両手で顔の前で組んで考え込んでいる河森の無線の光の明滅を見つけた警官が、近寄って来て受信するように促します。
「うるせえな、ほらよ……適当にあしらっとけ」
河森は無線機をその警官に放ると、立ち上がって明かりの瞬く街を見下ろす庭園の端までやって来ました。いつもと変わらない美しい港町の夜景……しかしその裏で蠢く事件の存在を知る河森には、きらびやかなその電飾がとても空々しく感じられるのでした。
「……見た目だけで判断は出来ないか……やはり確保が必須だな……なに、国籍不明の無戸籍者だ。やるとなれば……」
「警部!先程の誘拐事件の捜索隊が、例の少年の単車を発見、追跡中だそうです!」
「何ィ!」
河森の顔色が変わりました。
「ちょっと貸せ!おい、場所はどこだ!うんうん、そのまま追い込め!こちらの隊も出す、包囲するんだ!」
にわかに色めきだつ河森と警官達、慌ただしく各部署に指令が飛び、配置についていた車両は一斉に赤色灯を点灯させると、幹線に向かって次々と眼下のきらめく街の中へと姿を消していきます。それを木の上から心配そうに見ている肩で息をしている羽根の子……遠くまで二人を捜しに言って、結局見つけられなくて帰って来たエリシャでした。彼女は目の前で誇示されるその圧倒的な力に、嫌悪と理不尽さを感じずにはいられません。
「何なの?むき出しの正義?……でもあれは自分のものじゃない……それがこんなにたくさん!セリエ……マオくん……二人、何にも悪い事してないのに!」
おおきな羽根を頂いたとは言えまだ幼いエリシャには、とても複数に別れて展開する捜索隊の先鋒を飛び回って二人を見つけると言った芸当は出来そうにありません。かといってこの場でじっとしているのも不安なエリシャはもう一度闇夜に羽ばたくと、ひときわ鈍重そうな四角い車両を先頭にした一団について光の瞬く街へと降りていきました。うん……これだけみんなが捜しまわってるって事は、二人はまだ無事なんだ……一縷の望みを胸に街を飛過するエリシャの、そのはるか上空を同じ方向に何倍もの速さで往く完全無欠の闇……自分を追い越して彼方へと翔くその冥い魂に気付いたエリシャは目を疑いました。そして喉元を突いて来る絶望感に声も出せず、ただその消えゆくさまを凝視していました。
「あれは……死の天使……サリエル様!?……ダメ……ダメだよッ!」
「うぐっ!」
街道を外れて郊外の曲がりくねった道へと進入したマオは、急に襲いかかる胸の痛みに思わずタンクの上にかがみ込みました。こ……これはまさか……
「まおにーちゃん!うしろから……うしろからあかいめのあくまがたくさんくるよぉ!」
さっきから後を振り向きっぱなしのセリエは、だんだんと数を増して近づいてくる赤い瞬きが怖くて気が気ではありません。でも胸を押さえて喘いでいるマオの姿を触れ合った身体を通じて感じると、彼に脅威を与えているもう一つの意志の存在に気がつきました。セリエはあわてて上空を見上げて叫びます。
「くろい天使だ!」
「ああ……そうらしいな……息が止まりそうだ……」
「くろてんし!もう!やめてよっ!こないでっ!くろいのヤダ!キライ!どっかいっちゃえ!」
セリエは苦しそうなマオの言葉に危機感を感じて、上空を覆い尽くすように追いすがってくる黒い影に向かってわめき散らしました。次々と迫る先の見えない暗いコーナーを道幅ギリギリで切り返してゆくマオはもういっぱいいっぱいで、でも胸を締め付けて離れないその影から逃れようと必死にエンジンの回転を引っぱり上げました。
「はあ……いよいよヤバいな……せめてセリエだけでも……」
「まおにーちゃん!ヘンな……ヘンなにおいがする!」
「はは……気楽だな……お前はよ……ちぃ!」
二人を追い立てる赤色灯の群れはいよいよ間隔を狭めて来て、その両翼から数台の俊敏な車両が轟然と警音を唸らせて突出して来ました。動力性能でマオのRTを遥かに上回る白バイの4気筒の咆哮が山間に響きわたり、振動で像のぼやけているミラーの中でぐんぐんと大きくなってきます。それでもマオは折れずに自分を駆り立て続け、いつか均衡が破綻して砕け散る予感を抱えつつも決して右手を緩めませんでした。俺が……俺しかセリエを……セリエを守ってやれない!マオの転倒寸前の無茶な走りの前に決定的に前に出る事が出来ない白バイ隊が、起こりうる事故の巻き添えはご免とばかりに少し距離を取った時、長時間マオの鞭を受け止めていた旧式の空冷エンジンが鼓膜の破けるような不協和音を撒き散らし始めました。
「何?エンジンが?」
その瞬間、ピストンが溶融した事により固着した後輪のトラクションは皆無となり、二人を乗せた車体は路面へ叩き付けられました。押さえ込まれていた横への力が解き放たれて、車体は路面を跳ね回りながらコーナーの外側……切り立った崖へと弾け飛んでいきました。
「くそっ……ジ・エンドか……」
宙を舞うマオは、その目にはじめて長鎌を構える死の天使、サリエルの姿を認めました。なるほど……死ぬ直前に対面できるってわけなんだ……ああ、もういいさ……俺はもう十分だ……さあ……やってくれ……
「この!まおにーちゃんはやらせないよっ!」
……だれだ?……女の子……セリエ?……そうだ!セリエ……ごめんな……こんな事になっちまって……
「ねえ!どうしてまおにーちゃんにこんなことするの?くろいけど、天使さんなのに!」
「ふふ……その顔で恨み言を言われるとさすがにこたえますね……」
闇の翼をおおきく広げて落下する二人を包み込んだサリエルは、長鎌の切っ先をマオの首筋に突きつけてにやりと笑いました。
「芽は小さいうちに摘んでおく……彼は私の存在を確信している希有な人間だ。それに今、一人の少女を死に追いやろうとしている……私にとって、彼は忌むべき存在なのです。都合のいい事に、自ら因果を作ってくれましたしね」
……セリエ……こいつにかまうな……お前だけなら翔べるだろ……行ってくれ!
「だめだよ!まおにーちゃんをおいてなんかいけない!ねえ!セリエたちをたすけてよ!」
懇願するセリエの顔を見つめるサリエルには、彼女のマオへの想いに対する嫉妬のようなものがあったのかもしれません。目を閉じて去来するいくつもの想いをかみしめたあと、サリエルは長鎌にもう一方の手を添えて構えました。何処からか集まってくる冥の気がその研ぎすまされた刃先にまとわりついて、施された彫刻の間に見え隠れする組織が鼓動を始めます。
「セリエ様……ですよね。あなたはお助けしましょう。罪滅ぼしになるとは思いませんが……」
そう言うとサリエルは一旦頭上へと長鎌を振り抜いて、畏れもせずに自分を見据えているマオの目を凝視しました。
「お前はここまでです……」
「ダメええっ!」
「落ちた!?」
追走していた白バイが急停止して、隊員達が滑走していった車体のあとを追って道路脇に走ります。路面には滑っていった痕や脱落したライトやミラーなどの部品が散乱してはいますが、肝心の車体はどうやらその先のガードレールを飛び越えて転落したようです。追いついて来た事故処理車やパトロールカーの隊員がライトで崖下を照らしますが、かなりの高低差があるのか何も見えなくて、ただただひんやりした空気と、どこまでも続くと思われる程の深い闇が広がるばかりです。と、そのはるか下の、おそらく谷底の河原付近からでしょうか。一瞬金色の輝きが周囲を照らし出し、そのあと信じられない程の速さで天空へと飛び去っていきました。
「!……炎上したか?」
「いや……一瞬火の手が」
「無茶しやがって……はあ、どのみち捜査は夜が明けてからか……」
赤色灯を周囲の山肌に無節操に走らせている警察車両の縦列は、最悪の結果となってしまった捜査の結末を受けて重苦しい空気に包まれました。その背後で、一部始終をその目で見届けてしまったエリシャは顔を手で覆ってぶるぶると震えていました。
「まさか……今のはセリエの光……天に昇ってしまったなんて……そんな!」




