表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/50

29.クロイヒトタチ

 クロイヒトタチが、やってくるよ!

どうしてなんでも、もっていっちゃうの?

 クロイヒトタチが、やってくるよ!

はらぺこのはこに、おどされてるのさ

「ねえ、くろいひとたちって、なあに?」

「なんでしょうか……裏山の大楠の声みたいですが……」

「へえ、ラファエルさまでもわからないことがあるの?」

「お年寄りの言う事は難しくて……おっと失礼、まだまだお元気そうで」

 クロイヒトタチが、やってくるよ!

 クロイヒトタチが、やってくるよ!

「セリエ、あの木は街のすべてを見通しておられる、用心なさいな」

「うん……あ、あのね、ラファエルさまがセリエをこのせかいにとばしたわけ、いまはすごくわかるようなきがするの。おいだされたときはきらわれちゃったかとおもってとってもかなしかったけど……でも、せんせいがまいにちあいにきてくれるから、がんばろうっておもうんだ!みんなもうそつぎょうしちゃったかもしれないけど、セリエもきっと天使になるから!まっててね」

「ハハ、そうですね、その意気です。あなたはもう卒業したも同然なのですから……」

「……ラファエルさま?」


 夜明けとともに上昇する気温に目覚めさせられた蝉時雨が、部屋の窓からのぞく高いポプラの木から容赦なく飛び込んできます。自分の家では考えられないけたたましい挨拶に、マオは今までにない不快な朝を迎える事になってしまいました。

「……うるっせえな……ったく、寝てらんねえ」

マオは半身を起こして、光の差し込む室内を見回しました。隣に寝ていたはずのセリエはずいぶんと早起きしているようで、ドアの向こうからは彼女の楽しげな笑い声が聞こえてきます。マオは軽い痛みが疼く頭を押さえながらそのドアを開けました。

「おう、起きたか」

「まおにーちゃん!おはよっ!ほら、すごいでしょ!」

部屋から出て来たマオは、あまり広くないリビングのほとんどを占領しているテーブルの上に準備された朝食……軽く焼いたパンや目玉焼き、焦げ目のついたソーセージの並ぶ賑やかな光景を見て目を丸くしました。立ちこめる香ばしい匂いとその上で踊る朝の光……何だか別世界に来てしまったかのようなふわふわした錯覚を感じたマオは、その夢とも現とも思える食卓の雰囲気のえも言われぬ心地よさに、暫し呆然と佇むのでした。

「へええ……ふふ、先生、わざわざ格好つけなくっていいのに……」

「ばかやろ、朝っぱらからあれにつき合わされた俺の身にもなれ」

「は?」

「へへへー」

隣ではセリエが早く食べようとばかりに目を輝かせて二人を見ています。そういえば家ではこんなに規則正しく食事なんかしないからな……マオは久しぶりに目の当たりにしたいわゆる普通の朝の食卓の、懐かしさにも似た安らぎに誘われるように席につきました。

「いただきまーすっ!」

セリエは待ちきれないのでしょう。勝手に一人で挨拶をするとぱくぱくと食べはじめました。マオも目の前の冷たいグラスを取って起きぬけの乾いた喉を潤しました。

「うん?……紅茶……ダージリンなんて!ここまでやるか?先生」

マオはにやりとして西園寺の顔を見ました。まるで冷やかすようなマオの視線を感じた西園寺はちょっと苦笑いして、食べるのに余念のない隣のセリエを指差しました。

「まて、ぜーんぶこいつの趣味なんだぜ。ったく、どこのお嬢さんなんだか」

見れば砂糖も何も入ってない苦いアイスティーを、セリエはごくごく美味しそうに飲んでいます。怪訝な視線を感じたセリエはきょとんとした顔でその二人を見つめましたが、すぐにニコッと笑って言いました。

「せんせいのおうち、セリエのだいすきなものがたくさん!パンとか、たまごさんとか……セリエ、まいあさこんなの、たべたいな!」

「……はは、そういうわけだ。誰かさんの夜更かしで眩しくて寝られなかった上にこれだもんな」

「夜更かし?」

マオは西園寺の言ってる意味が、はじめはよく解りませんでした。なぜって、今朝目覚めたその前の記憶と言えば、昨晩セリエを寝かし付けていた時の事しか覚えていなかったからです。どうやら一緒に眠ってしまっていたようですね、マオ君は。

「寝たと思ったら電気つけて何かはじめやがって……今日は登校日なんだぜ。あ、お前も一応ウチの生徒じゃないか。来るか?」

「……」

西園寺の見た光、それはセリエが夢を見ている時のそれに違いない……そう思ったマオはセリエの実態が西園寺に知られてしまったのではないかと不安になってしまって、彼の言葉なんか全然耳に入ってはいません。西園寺はそんなマオを気にとめるふうでもなく淡々と食事を済ませると、席を立って出かける準備を始めました。

「午前中で終わるから、俺が帰るまで一歩も外に出るなよ。電話は留守のままでいいから……っと、やべやべ」

「え?……は、はい」

慌ただしく出かけてゆく西園寺を、マオとセリエは食卓から見送りました。彼の乗った車の音が遠ざかっていった後に訪れた静寂……やたらと耳につく時計の音……他人の家ならではのよそよそしさ、それとセリエの秘密が知られてしまっていたら……という心配で黙りこくっているマオに居心地の悪さを感じたのか、セリエが遠慮気味に、小さな声で話し掛けて来ました。

「ねえ、まおにーちゃん、くろいひとたちって、なあに?」


 もう登校時間なんかとっくに過ぎ去ったお昼前の坂道を、制服を着た一人の少女が躊躇いがちに立ち止まりつつ、そのたびにため息をつきながら登っていきます。いつもは端正に整えてあるショートカットの髪も今日はなんだかハネ気味で、惑いの色を深く宿した表情は声をかけるのもためらってしまいそうな程憔悴しきっていました。

「はあ……行けないよ、学校なんか……会いたくないよ……」

サツキはかれこれもう1時間もこの周りを行ったり来たりしているのでした。あの夜以来、男の人に話し掛けられるだけで嫌悪感と恐怖で竦んでしまうようになってしまって、それなのに当の本人と顔を合わせなければいけない学校なんかとても行けるはずのないサツキは、学校に出てこなくなったマオの気持ちが今はすごくよくわかるような気がして、会いたくて仕方ありません。昨日、あんなにはっきりと釘を刺されてしまったけれど、今の私、他に行く所なんかない……知らず知らずのうちにマオの家の方へ足を向けたサツキは丘の上の、その建物の中にいるであろう彼に向かって、口に出せない思いをぽつぽつと語るのでした。

「真桜……私のせいだったんだね、あいつから酷い事されてたの……ごめんね、私がはっきりしてれば……でも私も、あんな事になっちゃって……えへ、自業自得よね……」

……大体、真桜っていつも無愛想でさ、何考えてるのか全然わかんないんだもん!

「ねえ、真桜は覚えてる?お母さんが亡くなった日の事……あの時の私の言ったコト、あれ、ウソじゃないんだ……今だって、ずっと待ってる……」

……身体の大きさなんか気にしなくていいのに!真桜は、お父さんみたいな背が高くて優しい男の人になるんだからさ!

「あの時、真桜が来てくれなかったら……うん、あの写真、真桜にだったら見られても……だって本当は、真桜と……」

……でも他の人には絶対、ゼッターイ見せちゃダメ!そんな事したら婚約解消だよ!……あ、でもあの子、セリエちゃんはどうしよう……

「おい、この家に何か用か?」

「はッ!」

突然、低く響くその声とともに、サツキは前に進むのを阻まれました。反射的に飛びのいて身構えるサツキは、いつの間にか自分がマオの家の正面まで来ている事に気がつきました。不思議なことにマオの声でしか開くはずのない鉄の扉の中へ、おおきな箱を持った人が次々と入って行きます。その様子をしげしげと眺めているサツキの所へ、河森が小さな手帳を手に歩み寄ってきました。

「脅かしてすまん、捜査中なんでね……君は?」

「え、あ、その……ちょっと通りかかって……」

「警部、あの少年と少女の姿はありません。捜査、続行します」

捜査員らしき男の報告を受けた河森は、必死に動揺を隠そうとしているサツキの表情を見てとって、手にした写真つきの資料を示しながら言いました。

「大元から電気を落とさないと非常扉すら開かんとは……よっぽど人に見せたくない物でもあるのかね?あ、君はこの人達に心当たりはないかい?」

サツキの前に掲げられたマオとセリエの資料……サツキは思わず出そうになる驚きの声をぐっと飲み込んで、必死に平静を装おうとしました。でも警察にこんな風に調べられているマオの事が気になって気になって、つい余計な質問をしてしまいました。

「さ、さあ……あ、あの、この人達って、何か悪い事でも?」

「うむ……もし見かけたら、とにかくすぐ逃げなさい。余裕があったら通報してもらえると助かるがな」

「は、はい、そうします……」

サツキは後を振り向きたいのを我慢して、駅前への道を小走りで下って行きました。どうしよう……真桜、どこにいるんだろう……そうだ、あの先生に聞けば!……路地を曲がって学校への裏道に入ったサツキを坂の上から見ていた河森は、部下の一人を呼びました。

「泳がせろ、見失うな」

私服の警官は何喰わぬ顔をして、サツキの後を辿りはじめます。河森はその様子を見守りながら、自分の推論に手応えを感じはじめていました。


 南中した太陽は今年一番の気温を各地にもたらし、テレビでは熱中症に対する対策を盛んに呼び掛けています。窓から見た道路はまるで蜃気楼のように揺らいでいて、マオはその灼けつくような景色を眺めながらこんな日中に外に出るなんて馬鹿げてる、主体性の無い奴らだと、出校日に登校している他の生徒達を卑下していました。とはいっても屋内にいたところでエアコンの壊れているこのマンションの一室はやはり蒸し暑くて、マオは高台ならではの快適な自分の家の環境がちょっと恋しくなってしまいました。

「ちっ……全然風が抜けないな……これだから街中は!」

セリエも暑いのでしょう。さっきからジュースだの麦茶だの水分ばっかり取っています。マオは浴びるようにコップを傾け続けるセリエを見かねて言いました。

「おい、あまり飲み過ぎると腹、痛くなるぞ」

「うん、でもね、なんだかとってものどがかわくの……」

そう言うと、セリエはまた冷蔵庫に飲み物を取りにいくのでした。マオはさすがにちょっと飲み過ぎだと思って、セリエが持ったきた缶をひょいっと取り上げました。

「あーんちょーだいよー!」

「ダメダメ、もう飲み過ぎだって!……って、これ、ビールじゃないか」

「ビールいるー!あけてー!」

「これは子供が飲んじゃ駄目なんだ!」

「うううー」

セリエは恨めしそうな目でマオの取り上げた缶ビールを見つめていましたが、突然力が抜けたようにしゃがみ込むと、胸をおさえて蹲ってしまいました。

「え?おい、セリエ?ほーら、腹痛いんだろ」

「ううん……すごく、すごくノドがかわくの……でも、わたしじゃないの……」

セリエは小さく震えながら、胸に下げた輝く球をぎゅっと握りしめました。

「どうしたの?マルルー……どうしてこんなに、ノドがかわいてるの……!?」

セリエは今度は急に立ち上がって、マオの家の方角のバルコニーへと駆け出しました。柵があるとは言え5階の高さです。マオはあわててセリエの後を追いました。

「おい!危ないって!」

「まおにーちゃん!おはなが……おうちのカーネーションがくるしいっていってる!」

「家の?どう言う事なの?」

「はやく!はやくおみずあげないと、みんなかれちゃうよぉ!」

そう言うとセリエはバルコニーの柵を乗り越えはじめました。マオはもうびっくりしてその身体をひきずりおろします。

「バカかお前!落っこちるぞ!」

「はなしてー!おみずを、おみずをあげないと!……エリシャーーー!」

セリエはそう叫ぶとマオの手を振り払い、バルコニーから空へと飛び出しました。真っ青になったマオはへばりつくようにバルコニーの柵に身を寄せると、身を乗り出して階下の地面を凝視しました。

「セ、セリエ!」

マオの視界に、マンションに隣接する公園の芝生の緑が鮮やかに飛び込んで来ました。俯瞰で見るミニチュアのような公園の遊具に距離感をつかめないでいるその間を、白い服を着た女の子が走って横切っていきます。マオはその子に向けて大声で叫びました。

「セリエ!大丈夫かッ!?」

マオの声に気付いたセリエは上を向いて手を振ると、何か叫んで一目散に丘の上の、マオの家のある方向に走っていってしまいました。やれやれ……無事みたいだ……まあ、あいつも一応天使なんだしな……相変わらずの無茶に心臓が止まるかと思ったマオでしたが、あのぼけセリエがあそこまでやるのだから何か大変な事が起きてるに違いない……マオは慌ててセリエの後を追って部屋を飛び出して、エレベーターホールの横の非常階段を一気に駆け降りました。オートロックのエントランスから通りに出て来たマオは白く輝く眩しい風景の中に、高台へと続く坂道を走っていくセリエの姿を見つけました。

「くそ!よりによって、何であそこに戻るんだよ!」

マオは、全速力でその小さな背中を目指して走っていきました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ