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27.イグナイト!

 セリエの好きなおひさまマークが予報でも続く、安定しきった高気圧にもたらされた夏空の日々をマオはひたすら河原での単車遊びに費やしていました。今日も暑さのせいなのか誰一人いない河原で何かに憑かれたかのように、あるいは何かを振り払うかのように一心不乱に機械との対話を続けています。セリエは川に入って水遊びをしたりトンボを追っかけたりしてそれなりに楽しんでるようですが、マオのほうは一向に目を覚まさないエンジンにちょっと辟易していました。

「はあ……じいちゃん達、よくこんなもの動かしてたよ……何か……すごいよな……」

熱く吹き渡る土の匂いの風に吹かれながら、マオは草原の斜面に腰を下ろして、デイパックから取り出した水筒の水をごくごくと飲みました。それを目ざとく見つけたセリエはあっと大きな口を開けて手をばたばた振ると、浅い水たまりを飛沫を飛ばしながら駆け寄ってきました。

「あー!ぜんぶのんじゃだめだよー!」

毎日毎日マオにつきあって、普通の子なら真っ黒に日焼けするくらい外で遊んでいるセリエですが、やっぱりちょっと違うのでしょうか、マシュマロのような白い肌は眩しく反射する水面の光をうけて輝き、マオは手をかざしながらその姿を見つめました。

「まるで光が通り抜けてるみたいだ……ふふ、一体何で出来てるんだろうな」

不思議そうに微笑むマオから水筒を受取ったセリエは、横にちょこんと座ると同じように飲みはじめました。小さな手に不釣り合いな大きさの水筒を必死で支えているセリエの姿が滑稽で、マオは思わずくすっと笑ってしまいました。

「無理しないでコップで飲めよ」

「ううん、このほうがおいしいの!あのね、にんげんさまのせかいって、きれいなものがいっぱいあるのね!」

「……そうかな」

「うん、天のくににはないものがいっぱい……くもがうつるしかくくてたかーいのとか、よるのいろんないろやかたちのピカピカとか……にんげんさまってじぶんできれいなの、つくれるんだね」

「別に……そんなの外見だけの虚構さ。そうやってみんな自分を偽ってるんだ」

マオはちょっと投げやりな口調でそういうと、立ち上がって腰の土塊を払いました。そして再び言う事を聞かない単車に跨がってそのタンクを平手でぽんぽんと叩きました。

「ふん、この旧式のガンコ野郎め……でも、僕にはこいつや、F4の方がよっぽどいい……きらびやかな奴は絶対何かを隠してるからね……みんな嘘つきなんだ、物も、人もさ」

「セリエ、うそつきじゃないよ!だってそんなことしたら天使になれないもん!」

「はは、そうだな……みんながセリエみたいだったらな……って、何言ってんだろ……」

マオは自分が知らず知らずのうちにセリエに本心を曝しているのに気がついて、ちょっと恥ずかしくなってしまいました。人には知られたくないはずの弱さや孤独、疎外感……それをこんなチビの女の子に打ち明けてる自分が何とも格好悪く思えて、マオは奥歯を噛み締めてステップの上に立ち上がると、その頼り無い姿を押し潰さんとばかりに思いっきりキックペダルを蹴りおろしました。

「ヘタレな俺め!消えろッ!」


パラッ パラッ パラララ……


不整爆発のリズミカルな振動がハンドルを通じてマオの身体に伝わって来ます。生ガスを吸い込み過ぎた機関は重ったるくぎくしゃくと回転して、辺りはもうもうたる白煙に包まれました。

「ケホッ、ま、まおにーちゃん!けむり、くさいよー」

「か……かかった……」

マオはびりびりと振れる回転計の針を見ながら、沸き起こってくる不思議な昂りに暫し呆然としていましたが、今にも止まりそうなエンジンのしゃくりにハッと気がついて、即座に屈み込んで気化器のあたりを探りました。

「かかったらチョーク戻せって……ああっ、止まるッ」

ノブを押し込んで、それでも止まりそうなエンジンにマオはスロットルの一煽を与えました。硬質なバイブレーションと耳を貫く高い排気音とともに回転計の針が一気に跳ね上がります。マオは体中の細胞がふつふつと沸騰してくるのを押さえきれません。煽るたびに薄くなっていく排気煙と、それに伴って鋭くなってゆくエンジンの反応に促されるようにマオは、左レバーを握ってギアを一速に入れました。ガツンと大きなショック、クラッチが引きずってるのか、単車はゆるゆると前へと進みはじめます。慌てたマオは思わずレバーから手を離してしまいました。

「うわわっ!……あ……え……エンスト?」

大排気量とは言え2ストロークの細い低速トルクはアイドリングから使える程寛容ではありません。マオはせっかく始動したエンジンが敢無く沈黙してしまったのにひどくがっかりしましたが、一度あの振動と音を感じてしまったその魂は再び風の世界へと誘う儀式に何の躊躇もなく向かわせるのでした。注意深く中立を捜して、つぎはピストンの上死点……キックペダルのストロークを考えてなるべくクランクシャフトを長く回せるポジションから一気に……そう、全身の力を込めて一気にいかないとこのエンジンは逆回転してしまう!マオは何度となく右足に食らった衝撃を思い出しながら、でも臆さずに蹴り抜きました。

「さあこい!」

再び呼吸を始めるエンジン、少し暖まっていたのか今度は始動直後から快調に回っています。タタタン、タタタンと軽快なビートを刻んで震えるアルミのフィン、スロットルを煽れば弛んだ鋼線がピンと張るような締め上げられた力が空気を切り裂く高音とともに迸ります。マオは今度は慎重に、けどスロットルは開け気味に左レバーを繋いでいきました。

「わ……わわわ!速いぃ!」

実際その時はほとんど人が走るくらいの速度しか出てはいなかったのですが、それでも自分が今まで乗っていた自転車とは比べ物にならない爆音と風圧はマオに恐怖感を与えるのに充分なのでした。何度か走っては止まり、走っては止まりしてみてそのフィーリングに慣れて来たマオは、広場から今度は川に平行して続く砂利道へと単車を向けました。まっすぐ続く白くて埃っぽい道を初めはゆっくり、それから徐々にスロットルを開けていきます。路面からの情報、風圧、弾ける排気音……すべてが渾然一体となって徐々に高まってゆくうち、それはある一点から瞬時にピークへ吹け上がり、爆発的に車体を加速させました。

「……あああ……ああああ!」

マオはあまりの凄まじさに声も出せずにスロットルを戻すと、惰性でゆるゆると止まりました。カラカラの喉から興奮と畏怖を吐きだそうとしている自分の周りを、残してきたもうもうたる土煙が風に乗って後ろから追い越していきます。マオは顔をあげて、埃にけむる太陽を仰ぎました。今、この眩い世界で鮮明に刻みこまれた、あのエンジンが弾けた瞬間に身体を貫いた「意志」……それはじいちゃん?ガンじいの?それとも西園寺?……誰のものかはよくわからないけど、今自分にはっきりと力を、前に進もうとする力をくれた……変われる事を信じさせてくれた……マオは埃っぽい涙目を右手で拭うと、もう慣れっこになった半クラッチでターンして再び砂利の直線を加速しはじめました。今度はシフトアップして2速へ!周りの景色が飛ぶように流れてゆく中で、マオは大声で叫ぶセリエの姿を見つけました。

「もー!まおにーちゃんばっかりずーるーいー!」

声は聞こえなくてもそのふくれた表情から何を言っているかは大体わかってしまうのですが、今はこの熱い風の中にいる事がとても心地よくて、マオはひたすら河川敷の道を上流へと走っていきました。耳もとで轟々と鳴る風の音が小さい頃の、今と同じ音を聞いていた時の記憶をいくつも甦らせて、マオはその思い出をひとつひとつ抱きしめていきました。うん……これからはいつでも逢えるよ……じいちゃん……母さん……白い道を追う視界が霞むのは風のせいなのか……へへ、何だろ、涙が止まらねえよ、俺……めくるめく激しい爆音と呼び覚まされるあたたかい風景……いつしか河川敷の幅は随分と狭くなっていて、やがて単車は川の分岐点までやって来ました。砂利道は流れを分かつ突端で小さな広場になって途絶えて、マオの目の前には夏空に突き上げる入道雲と左右へと別れてゆく雄大な川の流れが広がりました。

「終点か……」

マオはエンジンを切って、しばし渡る風に吹かれていました。振り返ると自分の走って来た道がはるか遠くまで、もう見えなくなるくらいの彼方まで続いています。高くさえずるヒバリの声、うっそうと酸素を放出する草原、流れる水面の煌めき、溢れんばかりに降り注ぐの生命のもとの光……それらに心地よく包まれているうち、マオは今、自分がこの世界に生きている事が何だかとても幸運な事のように思えてくるのでした。昂りのあとのたおやかな時間……ひりひりした喉を潤そうと水筒を手にしようとして、マオは大事な事を忘れているのに気が付きました。

「あ!しまった!セリエ放ったらかしだった!」

あわててエンジンを始動させたマオは今来た道を今度は3速……4速まで上げて猛然と引き返します。一体どのくらい離れてしまったのか……ミラーが役に立たない程振動するこの速度域まで達すると、さすがにこの旧車では希薄な接地感から挙動が神経質になってくるのですが、セリエが心配なマオはそんな事にかまってはいられません。ゆるいカーブで後輪が断続的にスライドしてもなんとか押さえ込んで走るマオの視界の先に、小さく一台のワゴン車が止まっているのが見えました。ちょうどセリエが遊んでいたあの水たまりの辺りです。マオはまさか!と思ってスロットルを更に開けていきました。

「セリエ!待ってろ!」

爆音と豪快な砂埃を伴って近づいてくる単車。ワゴン車の中から出て来た男はその無謀な走りに苦笑いを浮かべながらも、なぜか安堵したかのように煙草に火をつけました。

「……あいつ……センスあるな……」


「あれっ、先生?」

ワゴン車の所まで戻って来たマオは、傍らに立つ西園寺を見てびっくりしました。何で?……でも、そういえばこれ、あの雨の日に家まで送ってもらった車じゃないか……てっきり警察関係とか、ひょっとして誘拐犯じゃないかとか思い込んでいたマオは、冷房の効いた車内でソフトクリームをほおばるセリエを見て一安心です。

「おい、この暑い中ちびを一人で放っとくやつがあるか!」

西園寺が野太い声でマオを叱咤しました。でもその口調はどこか弾んでいて、マオは取りあえずぺこりと頭を下げながら西園寺の顔色を伺いました。

「はあ……その……」

「……しかし、どうだ?ゾクゾクしただろ?」

「え……?」

「血筋なんだな……まさかあそこまで走らせられるとは思わなかったぜ……何にせよ、あのマシンは今日から貴様のモノだ」

外で話すマオの声が聞こえたのでしょうか、セリエが飛び跳ねるようにドアガラスを中からドンドン叩いています。西音寺はそれに気がついて、助手席のドアを開けてやりました。

「おかえり!セリエね、うずうずひえひえもらったの!ほら、まおにーちゃんにもあげる!」

車から飛び出てきたセリエは埃で白っぽいマオの前にやってくると、手に持ったソフトクリームを目の前に差し出しました。泣き言一つ言わずに屈託のない笑顔を見せるセリエに、マオはちょっとした後ろめたさを感じてしまいました。

「いや……ご、ごめんな、一人でおいてっちゃって……でもよかったな、先生にいいもの買ってもらえて」

「ウン!セリエ、ちょっとさみしかったけど、せんせいがまおにーちゃんすぐかえってくるからまっててって」

「じゃあそれはセリエへのごほうびだよ……先生、世話かけてすいません」

「なーに、気にすんなよ。俺も食いたかっただけだからさ、ソフト」

西音寺は白い歯をニカッとさせて笑いました。それにしてもこの人、本当に教師なんだろうか?……じいちゃんの弟子だったらしいけど……およそ先生という枠には収まりきれない奔放な西園寺の自分に対する気の置けない接し方に、マオはいつしか信頼と共感を覚えはじめているのでした。

「そういえば先生、どうしてここへ?」

西音寺はセリエがまた水辺で遊んでいるのを確かめると、煙草を携帯用の灰皿に突っ込んでポケットにしまいました。

「写真屋のじいさんに聞いてね……あの店、警察の調べが入ったんだ」

「警察……?」

「それでこの前俺達が撮ったあの事故現場のネガ、ごっそり押収していきやがった」

「はぁ?何で?何か写ってたの?」

トーンの低い声で話す西音寺を、マオは怪訝そうな顔で見ました。なぜってあの時は刺すような胸の痛みもなくて、だからDEVILが近くにいたとはとても考えられなかったからです。西音寺は肩をすくめて言いました。

「さあな、俺もネガしか見てないから何とも……ただひとつ言えるのは、俺もお前も連中に目をつけられ始めてるって事かな」

警察沙汰になるかもしれないのに西園寺は何だか楽しそうな表情です。マオはその不敵さが逆に気味悪く思えて、心配そうに尋ねました。

「……捕まっちゃうんですか?俺たち……」

「無理矢理というのはないだろうが……そういえばあの祭りの日に逃げた奴、何か知ってるんじゃないのか?」

「宮武……あいつまさか……で、でも、それと俺たちの写真とどういう関係が……」

「姫野、俺たちが撮ったあの現場、連中はただの事故扱いにはしてないらしい……ああ、あのじいさんがボケたふりして聞き出してな」

そういうと西園寺は、急に鋭い眼光でマオの顔を見据えました。

「茂雄さんが撃たれたあの抗争、それからお前が「DEVIL」を撮った時の諍い、それと今回の自殺……まあ他にもあるんだろうけど、警察はこれらを一つの案件として捉えているようなんだ」

「え……」

「指定事件127号……まあ社会的反響の大きい凶悪又は特異重要の事件ってことだ」

マオは固唾を飲んでその言葉に聞き入っていましたが、何かを思い出したのか、急に顔を上げて西園寺に問いかけました。


「それって……被疑者連続変死事件……ですか?」

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