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26.揺れる想い

 揺らめくマルルーの緑色の光が、降りしきる雨でけむる校庭をまるで海の底にいるかのように仄かに浮かび上がらせています。鋭い切っ先を向けられた宮武は身動き一つする事も出来ないで、ただ畏れおののいて緑髪の少年の、滾るような深紅の瞳を凝視していました。その信じられないような、しかし現実に眼前にある「死」にさすがの宮武も驚きを通り越して声も出せずに、ただ溢れてくる生唾を飲み込む事しか出来ません。セリエを抱いて座り込んでいるマオはそんな二人の対峙を、次に訪れるその瞬間を固唾を飲んで見守っていました。いっそこのまま……という考えが一瞬マオの脳裏をかすめましたが、もしそんな事になろうものならそれこそ大変な騒ぎになってしまうだろうし、それより目を覚さないセリエが気になるマオは彼等を制止するために声を上げようとしました。しかしその時、再びあの強烈な痛みがマオの胸を鋭く締め付け始めました。

「あ……うぅっ……くそっ……ま、まただ……まだいる?……DEVIL……」

F4を持つ手ががくがく震えて今にも落としそうで、マオはすぐ近くにその元凶の存在を確信していながらどうしてもレンズを向ける事が出来ません。喘ぎながら見上げたマオの目の前に立つ緑色に輝く少年……宮武の拳を押さえ付けたまま、何かの気配を感じて視線を上空ヘと移したその瞳には、翻る漆黒の翼で辺りを威圧するサリエルの姿がはっきりと映っているのでした。

「……彷徨する魂の身分で、私の誅に割って入るとは不粋の極み……身の程をわきまえよ」

その言葉の裏に迸る圧倒的な力と果てしない闇に、緑髪の少年はたじろぎました。その硬質な意志は彼はもちろん、姿も言葉も届いていないはずのマオにも感じられる程の強大なものなのでした。

「なるほど……その少女を憑巫としているわけだ……ふん、命の尽きた者を現世に留まらせるのは感心しないのだが」

サリエルはマルルーの肩ごしに、マオに抱かれているセリエの顔を見つめていました。その、磨かれた鋼球のような冷たい輝きの瞳に届くあどけない表情……サリエルは目を閉じて微かに微笑むと、マルルーに向けて命令しました。

「早くその少女に戻るがいい。自我を留めておきたいのならばもうあまり時がないはずだ」

マルルーは視線をサリエルから宮武へと移すと、その目を思いっきり凝視しながら今一度左手に力を込めました。鈍い音がして、宮武はその痛みに思わず悲鳴を上げました。

「ぎゃああ!」

よろよろとその場から後ずさりしてゆく宮武の目の前で、マルルーは光り輝きながらひとつの球へと姿を変えてゆき、そのままセリエの胸のペンダントに戻っていきました。小さくて、でもとても強い揺らめく緑のひかり……ふたたび輝きを取り戻したその球を驚きの表情で見つめていたマオの手に、何やらもぞもぞした動きが伝わってきました。

「くくく」

「?」

「きゃーはは!くすぐったいくすぐったいやめてやめて」

「セリエ!?」

セリエはじたばたしながらマオの手を払い除けると、立ち上がってくるっと振り向きました。

「もう!そこはくすぐったいっていったでしょ!」

「お……お前……?」

あまりにも唐突な、しかもこの状況では考えられないような明るい表情のセリエにマオは呆気にとられてしまいました。でもその元気な姿にようやく胸をなで下ろす事が出来たマオは深いため息をついて屈み込みました。

「よかった……ふう……」

「あれ?まおにーちゃん、どうしたの?」

緊張が解けて気が遠くなりそうなマオを見てセリエは心配そうに声をかけて来ましたが、さすがに背後に満ちあふれる冷徹な力の存在に気がついたのか一瞬びくっと硬直すると、恐る恐る後ろを振り向きました。

「あ……ひっ!」

「……どこかで会いましたか……ずっと昔……いや、この前でしたね」

再び恐くてたまらない死の天使、サリエルに出会ってしまったセリエ……その禍々しい姿とは裏腹の紳士的な物言いも、セリエにはまるで心臓に突き立てられた刃物のように感じられて、ただ声もなく震えて立っている事しか出来ません。そんな怯えた表情のセリエを見てサリエルは手に持った大鎌を身体の後に隠すと、両手を広げて話しはじめました。

「誤解しないで、私は君を襲いに来たのではない……それどころか美しい花が無惨に散らされる所を防いでくれて感謝したいくらいなんだ」

「……か……かんしゃって……」

自分の目の前で、虚空に向かって怯えながら話し掛けるセリエの姿にマオは確信しました。この子には……セリエには見えているんだ……今、僕たちの前にDEVILがいる……この……この痛みがなければ僕にも……だめだ……動けない……

「おや?後の彼はいつぞやの……そうですか、生き延びていましたか……ほんとに、強運の持ち主ですね……」

不敵に目を細めてマオの方へと近づいてゆくサリエルの姿に、セリエは髪の毛が逆立ちそうな程の戦慄を覚えました。もしかしてこの死の天使が狙っているのは……セリエは手をぎゅっと握りしめると、ありったけのおおきな声でサリエルに言いました。

「ま……まおにーちゃんはいいひとだよ!だから、つれてっちゃだめだよ!」

「ええ、わかっています。彼は特別だ……この私が、2度も姿を記録されてしまったくらいですからね……放ってはおけませんよ」

「え……?」

そんな……あの死の天使がまおにーちゃんを……セリエはその言葉に目の前が真っ暗になってしまいました。恐くて悲しくて、涙がぽろぽろと出て来て……でも、勇気を振り絞って、しゃくり上げながら言葉を続けました。

「ぐす……おねがい……まおにーちゃんはやめて……ね……おねがい……おねがい……ひっ……ええええ……」

サリエルさまにはとてもさからえない……だって、死の天使だよ!……どうしよう……でも、どうすることもできなくて、とうとう泣き出してしまったセリエの姿に、サリエルは一瞬表情を和らげました。無機質な風情の彼が垣間見せた、まるで懐かしいものを見つめるような眼差し……泣きじゃくっているセリエはそれには気がつかなかったけど、凍てついた彼の心に微かに残る想いを感じとったのか、涙でぐしゃぐしゃの顔をそっと上げました。

「……その少年には高位の大天使が守護についているようでね……この前も手酷くやられてしまいました……それに、少女を泣かすような真似は私自身もっとも忌み嫌う行為だと言うのに……どうかしてますね、ふふ」

サリエルは漆黒の翼をおおきく広げると、ひと羽ばたきで虚空へと舞い上がりました。

「あ……ま……まって!」

セリエは何か言いたかったのか、手を伸ばしてサリエルに触れようとしましたがとても間に合いません。あっという間に点になってしまったサリエルは、やがて低くたれ込めた雲の中に溶け込んで見えなくなってしまいました。地上に残った、自分を見上げるセリエの顔がどんどん小さくなっていくのを見つめながらも、何かに突き動かされるようにサリエルはぐんぐんと高く、幾つもの空と星を抜けていきました。おおきな月の光にやわらかく照らされる、雨も雲もない強い西風の吹く天界との境界まできてようやく立ち止まったサリエルは、眼下に瞬く地上の星を見つめながら軽くため息をついて、独り言のように言いました。

「……忘れるわけがない……あの顔……あの声……まさか……いや、そんな筈はない、彼女はもう……」


「お前ら、こんな雨の中で何やってんだ?ったく、どいつもこいつも!」

薄明るく降りしきる雨の中、サリエルの消え去った鉛色の空を呆然と見上げるセリエと、ようやく立ち上がって彼女のもとへと歩きはじめたマオの耳にぶっきらぼうな男の声が聞こえて来ました。見ればさっきサツキ達を見つけたあの教師用の入り口に、荒っぽく手招きをする西園寺の姿がありました。マオはよろよろとセリエのもとまで行くと、雨に濡れたその頭をそっと撫でました。

「……お前は……本当に無茶な奴だな……ふふ……」

「だって!だって……セリエ、まおにーちゃんがいたいのいやだもん!セリエもいたいんだもん!」

まだ涙目のセリエは振りむいて、訴えかけるようにマオに話します。

「でもなぁ、あんな乱暴な奴にお前みたいなチビが向かって行った所で……?」

そう言ったマオはハッとして闇に沈む周囲を見回してみました。そう言えばさっきまで目の前にいた宮武の姿がどこにもありません。どうも西園寺の声に気を取られているうちにどこかへ行ってしまったようです。マオはとりあえずほっと安堵しましたが、今までは自分しか知らなかった不思議な力を宮武に見られてしまったことを不安に感じて、セリエに問いただしました。

「……セリエ、僕を守ってくれたのは嬉しいんだけど……あの緑色の奴は何なの?あのさ、他人の前であんな……」

「え?でてきてくれたの?マルルー、セリエたち、まもってくれたの?」

「マルルー?」

マオは目を丸くして、セリエの胸の輝く球をまじまじと見つめました。さっきの緑髪の少年と同じ光を放つそれをセリエは両手で持ち上げると、ほほにおしあてて愛おしそうに話しかけました。

「まもってくれたんだね……マルルー……うん、まおにーちゃんもだいじょぶだよ……」

「セリエ……」

マオはその姿を見て、セリエがどうしてあんな無謀な行動に出たのかがやっと理解出来ました。とはいえ、たったそれだけを頼りに宮武に立ち向かって行ったセリエの勇気にマオは強い嫉妬と、自分への嫌悪感を覚えるのでした。

「……はは、やっぱり、おまえはすごいよ……僕なんかよりよっぽど……」

「ううん、だいすきなひとのためだったら、まおにーちゃんだってつよくなっちゃうよ!」

「ふ……まさかな……さ、先生の所へ戻ろう」

「ウン!」

セリエの手を引いて校舎へと戻って行きながら、マオは自分の心に問いかけていました。セリエの身に何かが降り掛かろうとした時に、僕にはあんなふうに彼女を守る勇気があるだろうか……あんなに震えて、それでも立ちはだかる脅威に向けて立っていられるだろうか……

「えへへ、まおにーちゃんのて、あったかいからだいすきなんだ!」

その心をとろかすような声を感じるたびに昂る自分の中の「新しい自分」……それが身体いっぱいに満ちるまでには、まだひとときの時間が必要なようです。でもマオはそれに向かって歩いてゆく事に自らの運命を感じはじめているのでした。

「……もし今度、その時が来たら、僕は……」


 濡れた路面に反射する街灯の光を滲ませて、窓ガラスの曇ったワゴン車が人気のない夜の街路を走り抜けていきます。隣の顔も見えない暗い車内には湿気が充満していて、運転席の西園寺は何度もしきりにフロントガラスを拭いながら注意深く運転を続けています。何人も乗ってる割にはだれひとり口を聞くものはいなくて、車体に叩き付ける雨の音と、かすかなセリエの寝息だけがマオの耳に届くすべてなのでした。部長を家の前でおろしたあと、西園寺は後席に向かって振り向くと、ちょっと言いにくそうに話しかけました。

「えーと……次に近いのは……湖川の家か?」

2列目に座っているマオとセリエ、そしてその後ろのシートには、びしょぬれでよれよれの浴衣姿のサツキが乗ってるいるのでした。マオはサツキの瞳が潤んでいるのを乗車する時に気がついたのですが、その原因は自分が二人の瞬間を撮影してしまった事にあるのか……それとも……何よりサツキが宮武とその時そういう関係だったという事実は、マオからサツキに対する一切の言葉を奪ってしまっているのでした。遅れた事を謝ろうとした言葉も、浴衣姿の清楚な魅力を伝えようとした言葉も、とうとうマオは口に出す事が出来ませんでした。サツキの家の前まで来ると、心配そうな顔をした両親が軒先まで迎えに出て来ていました。

「狭くてごめんな、あ、寝ちゃってるか、姫野、ちょっと前にずらすぞ」

西園寺が2列目シートのロックを外して、そろそろと前へとスライドさせました。マオは下を向いたまま、後ろの席からドアへと移動してくるサツキの気配を背中で感じていました。目をあわせようとしないマオにサツキは何か言おうと唇をふるわせましたが、急にぽろぽろ涙が止まらなくなってしまって、何も言えずに手で顔を押さえたまま降りていきました。車外でがやがやと大人たちのわざとらしい挨拶が始まって、マオはふと顔を上げて曇った窓の外に目をやりました。しおれた花のように細々としたサツキの浴衣姿……マオはその痛々しい風貌を見続ける事は出来なくて、身体を小さくしてドアの影に身を隠してしまいました。何がいけなくてこうなったの?みんな……みんな僕のせいなの?……考えれば考える程、マオの心は混濁していきました。車外が静かになって車が動きだしても、マオはじっと運転席のオーディオのイルミネーションを網膜に映しながら、終わる事のない思考の輪廻に陥っていました。そんなマオに西園寺が妙にテンションの高い口調で話し掛けます。

「お前、湖川を守って宮武とやり合ってたんだってな!彼女がありがとうって伝えてくれってよ」

マオは一瞬意外な事実を聞いて心が軽くなりましたが、すぐにさっき見た悲痛な表情を思い出して再び深い嫌悪の霧に満たされていきました。

「……何他人行儀で媚売ってるんだ……くそっ、何考えてんのかわかりゃしねぇ、あいつ!」

拳を握りしめてつぶやくマオを乗せて、ワゴン車は急な坂道を登っていきます。上向きの視界の前に広がる無彩色の空間は無限とも思える広がりでこの街を覆って、千々に乱れた心のマオにはそれがあの「DEVIL」の広げた悪夢の翼に思えて仕方ないのでした。

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