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24.夏祭りの夜

 うっすらと茜色に染まりはじめた入道雲をバックに、弾けるような破裂音が2、3回、白い煙をたなびかせながら鳴り響きます。それは街の背後に連なる山間にこだまして遠くまで届いて、街の人たちはなんとも浮かれたような、そわそわした気持ちになってしまうのでした。駅からほど近い小学校の校庭の真ん中にはおおきな櫓の準備が進んでいて、そのまわりを取り囲む露店の店頭には待ちきれないのでしょう、たくさんの子供達が硬貨を握りしめて立ち、金魚すくいやヨーヨ−つりに興じています。正門の傍らの平和を願うハトの像は格好の待ち合わせ場所になっているのか、何人もの人待ち顔の着飾った少女やちょっと悪ぶった格好の少年達がきょろきょろしています。

「あ……あれ?ああ、誰かと思った!」

その中の、頭一つ飛び出した背の高い女の子……大きめの丈に薄い藤色と藍が爽やかな、ちょっと大人っぽい柄の浴衣姿で照れくさそうに立っているサツキに、すでにお面とか光るリングとかでやる気十分なクラスメートの3人組が話しかけてきました。

「ごめん!電話したけど出かけてたみたいで……いつも忙しそうだもんね。今からでも一緒に行く?」

「サツキ渋いよ!アハハ!何か年上みたい」

「ねえねえ、ひょっとして待ち合わせ?それ、新しい浴衣でしょ?」

「え?えと……」

既にテンション上がりまくりの3人からの矢継ぎ早の質問にサツキは何を言えばいいのか解らなくなってしまって、でもそんなモジモジ悩んでる所と紅潮したほほは、そのまま彼女の心中を表しているようなものです。3人はそれに気がついて顔を見合わせるとくすくす笑いはじめました。

「ねえねえ!誰なの?クラスの子?」

「うー、サツキがねぇ……一番そんなのとは関係ないと思ってたんだけど」

「ひょっとしてひょっとして、まさか年上の人とか……ぽっ」

もう言いたい放題騒ぎ立てる3人の声高なおしゃべりに周りの人たちが反応して来るのが恥ずかしくて、サツキは妄想全開なその好奇の視線から逃れるように片手を顔の前で立てて謝ると、

「ご……ごめんね……ちょっと……お手洗い」

そう言ってするすると校舎の裏へ下がって行きました。

「うーん、あとで探しちゃおうかな……うそうそ!」

「へへ、今度聞かせてくれよな」

「ひょっとして、夜、雨振るかも……「寒いかい」とか……キャ!」

「それじゃねー!」

「……はぁ」

手を振る3人が雑踏にまぎれるのを見ていたサツキは、おおきなため息をついて建物の陰から出てきました。女の子だったからいいけど、今度知ってる人……それも男子が来たら何て言おうか……そう思いながらサツキはハトの像の所まで戻ってきました。そろそろ夕方……そう言えば夕方って何時の事だろう?……サツキは一向に進まない中庭の時計を恨めしそうに見ながら、マオがやってくるのを待つのでした。


「え……雨が?」

自分の部屋でカメラバッグに機材を詰め込んでいたマオは、部屋の電話器から聞こえてくる留守録音中の相手のメッセージを聞いて、慌てて手を伸ばして受話器を取りました。

「あ、部長ですか」

「おう!姫野、久しぶり!……うん、そう、どうも今夜は雨が降るみたいなんだ。だから早めに撮影をやっつけちゃおうと思ってね、20時から21時くらいでどお?」

「少し空が明るいけど……曇るよりはいいか」

「じゃそれで、19時には来てね」

「あ……はい」

返事をしてしまったあとでマオは気がついて壁の時計を見てみました。シンプルな文字盤の時計の針はもう15分しか時間がない事を示していて、マオはちっと舌打ちをすると手早く準備を終えて部屋を出ました。

「くそ、預けてる時間ねえな……セリエ、出かけるぞ」

「ウン!へへ、『おまつり』かわいいかな?……」

待ちきれずに廊下のマオの部屋の前で待っていた、でも何だか良く判ってないセリエにちょっと安堵しながら、二人は鉄の扉からまだ火照った空気の残る夕暮れの坂道に出てきました。坂を下りながら見上げる空は不気味なほど朱く染まっていて、マオはその禍々しい色の光に包まれた街の、嵐の前の静寂に似た今のひとときに得体の知れない胸騒ぎを感じるのでした。一方遠くから聞こえてくるお祭りの囃子に気がついたセリエはそんな事は全然感じてないようで、ウキウキした顔でマオに聞きました。

「ねえねえ!あれ、おまつりさんがうたってるの?たのしそうだね!」

その音に吸い込まれるように歩いていこうとするセリエを、マオは罪悪感を覚えながらもやんわりと制止しました。

「ごめん、ちょっと先にやる事あるんだ。終わったら連れてってやるから」

「えー!つまんない!」

「だから、あとで行くって」

「でも、よるになったらおうちにかえっちゃうんでしょ?」

「心配ないよ、今夜は遅くまでやってるから……こっちだ」

マオはまるで喧噪を避けるように路地へと入ると、くねくね曲がった古い住宅地の道を抜けて中学校の裏門までやってきました。セリエは道を隔てた向こうの小学校の明るい照明に浮かんだ色とりどりの提灯や看板が気になって仕方ないのですが、その手前の道を埋め尽くす人の波と交通整理のけたたましい笛、雑多な案内や音楽を撒き散らす拡声器の音圧を目の当たりにして、とても一人では行けないと思ったのか大人しくマオの手を握って、対象的に真っ暗な中学校の校舎へとこわごわついて行きました。

「よ、あれ、今日はさすがにチビちゃんと一緒か」

裏門の影から不意に男の声がしてマオはびくっとしました。でもすぐその野太い声とセリエを知っているような話っぷりに気付いて、よーく目をこらしてその人影に話し掛けました。

「せ……先生?」

「聞いたぜ。毎日単車乗ってんだってな。どうだ、始動したか?」

「え?……いやまだ……でも、何で先生がここに?」

西園寺は懐中電灯をぽっと灯すと、裏門の錠を外してゲートを横へと開きました。

「そか、姫野は知らないか。俺、この部の顧問なんだ。しかしな……月例観測の日だってのに部長以外誰も来ないのよ。全く、やる気のない部なんか今度の会議で潰したろか」

「え?廃部ですか」

「俺も写真好きだから引き受けたんだけどな……あ、こっちこっち、今夜は下は明るいから屋上でやるって」

懐中電灯の光をかざして真っ暗な校舎に入っていく西園寺のあとを、マオは足下に気をつけながらついて行きました。セリエはもう歯がカチカチいってるのが伝わる程小刻みに震えていて、しっかり握りしめた手からそれを感じたマオは、しゃがみこんで頭を撫でてあげながら言いました。

「大丈夫だって、何も出ないからさ。ここ、僕の行ってた学校なんだ」

「……がっこう?」

「いろんな事を教えてもらう所さ、最近は行ってないけど……」

セリエはマオの顔を見ると、ちょっと安心したように笑いました。そして、誰かとしゃべってると恐いのが気にならなくなるのでしょう、頭に思い浮かんだ事をぽんぽん話しはじめました。

「セリエもいってたよ、がっこう!みんないっしょにおうたとか、神さまのコトバとか……でもたいくつ!おそとであそんでたほうがずーっとたのしいよね!それから、おともだちもいたよ!エリシャとか、アナエルくんとか……あ、あのね、せんせいはね、ラファエルさまっていうんだ。すごくえらいひとらしいんだけどとってもやさしいの!でも……」

不意にセリエの言葉が途切れて、二人はしばらく無言で階段を登って行きました。急に大人しくなったセリエを変に思ったマオは、振り返ってその顔を覗き込んでみました。泣いてはいないけど、ちょっと寂しそうな顔のセリエ……マオは不思議に思って声をかけました。

「どうした?」

「……セリエね、いっつもあとできがつくんだ……あんなことしなきゃよかったって……セリエもみんなみたいにちゃんとしてれば、せんせい、わたしをおいだしたり……」

「え?……追い出したって……じゃあ……?」

マオは、初めてセリエがこの世界に来た原因を知らされました。俄には信じられないけれど、現実、誰も、何も知らない地上で、ひとりぼっちで生きていかなければいけないセリエ……マオは、執拗に自分にまとわりついてくる彼女の気持ちがようやく理解できたのでした。この子には、僕以外に頼れるものがないんだ……マオはそんなお伽話のような存在に心を動かされてしまう自分をどうかとは思いましたが、目の前で自分を見つめるセリエの深い翠色の瞳を見ていると、そんな事はもうどうでも良くなって来てしまうのでした。

「で……でもさ、おかげで僕はセリエと会えたんだ。はじめはびっくりしたけど……でも今は、セリエは神様が僕に授けてくれた新しい家族のような気がするんだ……」

頑な心を開いて、偽りのない気持ちを打ち明けるマオの言葉にセリエはとても幸せな気持ちになりました。と同時に懐かしさにも似た感情が胸いっぱいに広がって、セリエはニコッと笑いました。

「……まおにーちゃん……ウン……そういえば、セリエもまおにーちゃんのこと、ずっとまえからしってたようなきがする……」

……知ってる……そうさ、僕は君を知っているんだ。だって君は……

「おーい!はやく登ってこい、役にたたねぇ部長がお待ちかねだ」

「あ……は、はい」

階上から、西園寺の呼ぶ声が聞こえて来て、マオはそう答えるとセリエの肩をぽんぽんっとたたきました。

「さあ行こう、セリエ、上からおまつり見えるかもよ」

「ほんと?ウン!いこっ!」

セリエとの間に、見えないけれど強い絆が出来ている事をマオは感じていました。それは情とか興味とかを超越して二人を結んで、マオは否応なく保護者としての自覚を持たされる事になりました。でもその責任感も、あのセリエの輝く笑顔を守る為なら何でもないものだと、マオはそう思うのでした。

「ほらっ!おおきな望遠鏡だろ!」


 西の空に上がっていた三日月にちぎれた断雲が、そのかぼそい弦を飲み込むようにかかりはじめました、それはやがてどんどん数をましていって、流れゆく灰色の塊の速さは前線が近い事を感じさせます。なま暖かい風に天候の急変を感じたマオは、露光を中止して傍らの部長に言いました。

「思ったより早く雲が出た……今夜はもう終了しよう、雨、すぐ来るよ」

「ちぇ!こんな時だけしっかり当たるんだよな、天気予報」

「早く片付けよう。濡らすわけにはいかんからな」

屋上の三人は、手分けして望遠鏡の分解を始めました。マオはノートPCを終了して、それから接眼部のF4をユニットから分離しました。ふと気がつくと、セリエが屋上の端の手すりの所で何か叫んでいます。

「まおにーちゃん!おそらにね、おはながさいたの!おっきーーーーーーの!」

「花?何だ?それより、あんまり端に行くと危ない……」

そう言いかけたところで、耳を穿つような爆音がマオたちを驚かせました。セリエはびっくりして耳をふさいで、その場にしゃがみこんでしまいました。

「キャッ!」

マオは慌ててセリエのもとに走りました。次の瞬間、二人の頭上におおきな光の環が弾けるように煌めきました。遅れてやってくる体中揺さぶられるよう爆音、次々と花開く鮮やかな色の光の玉……

「花火……そうか……」

うち続くおおきな破裂音がまわりの空気を揺るがして、それと同時にあか、みどり、きいろと目まぐるしく変わる閃光が周囲の建物に反射します。セリエはそれが恐いのか、マオにしがみついてぶるぶる震えています。

「えええええええこわいよおおおおおおおおおおおおおお」

「ハハ!大丈夫だって!これは花火って言って、お祭りの一番面白いとこなんだ」

「えええぇ……で……でも……どーんって!セリエ、おこられてるみたいでコワイ!」

「だれも怒ってなんかいないって、ほら、見てみなよ」

マオの言葉に恐る恐る後ろを振り向いたセリエの目に、幾重にも重なりあう枝垂れの長い光の尾が映りました。続けて打上げられた早撃ちは様々な色や形でとても面白くて、それを見ていたセリエの顔には少し笑顔が戻って来ました。

「……ハハ……おもしろーい……まおにーちゃん、あれ、こっちにとんでこない?」

「うん、結構遠くで打ち上げてるからここまでは届かないよ」

「あ!おほしさまだ!おっきーっ!キャハハ!しゅるしゅるって、おーい、どこへいっちゃうのーっ?あれ?もう!はやくっ!どーん!どーん!わあ!とってもキレイ!」

はしゃぐセリエの姿に、マオはほっと胸をなで下ろしました。そういえばこんな風にゆっくり花火を見るのって何年ぶりだろう……いつか、この夜を思い出す時が来るんだろうか……その時僕は、何をやっているんだろうか……輝いては消えてゆく光の尾を眺めながら、マオは自分の未来に思いを馳せるのでした。

「おーい、運ぶの手伝ってくれ!」

「あ……ご、ごめん」

花火に見とれていたマオは自分が片付けの途中だった事を思い出しました。マオは急いで立つと見とれているセリエの肩を持って、

「雨が降る前に片付けないといけないんだ。さ、手伝って」

そういって促しました。でもセリエは何か見つけたのか、じーっと一点を見つめて動きません。

「……なあ、花火はまた見に連れてってやるから、ね、早く戻ろう」

「まおにーちゃん!あそこ、おねーちゃんがいるよ」

「おねーちゃん?」

「えと……えっとね……サク……サツキねーちゃん!」


 花火も終わって、家路へと向かう人の波がせまい校門へと続いていきます。その途中のハトの像の傍らに、雲に覆われてきた夜空を見上げるサツキの姿がありました。もう何時間、ここに立っているのでしょう、慣れない下駄で足が痛くて、それでも見てもらいたかったこの姿……そんな想いを、祭りのあとの名残惜しいような寂しいような空気がやんわりと締め付けていきます。夜店ももう閉店、ひとつ、またひとつと明りが消えて、あたりはいつもの闇へと戻っていきます。サツキは小さくため息をついて、寂し気な笑みを浮かべました。

「フラれちゃったな……真桜、今頃、写真撮ってるんだろうな……」

サツキは隣の中学校の校舎に目を向けると、マオの姿を捜してみました。でもこの暗闇の中、とても見つける事は出来ないと思ったサツキは、仕方なく痛い足をそろりそろりと動かして歩き始めました。一体、私、何やってるんだろう……落胆と寂しさで、サツキの目には涙がうかんで来ました。えへ、こんな足じゃ家につくの、夜中になっちゃうな……グスッ……あ……!!

危なげな足取りのサツキの下駄が、不意に何かに挟まってしまいました。下駄は急に変な方向を向いて倒れて、サツキはつんのめるように平衡を失いました。

「あ……ダメ!転んじゃう!」

目を閉じて身構えたサツキですが、次の週間、何だか宙に浮いているかのように身体が動かなくなってしまいました……あれ?立ってる?こんなに足ふらふらなのに……でも……そういえば脇のあたりを強い力で支えられているような気がする……サツキはそっと目を開けてみました。

「ったく、気ぃつけないと……それにしても浴衣姿も似合うよな、湖川は」

「み……宮武くん……?」


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