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20.DEVIL

 膨張室からの弾けるような高音が、風のない、陽炎の浮かぶ通りに響きわたります。力の塊のようなその心臓はすぐに前輪のトラクションを希薄にして、そのたびに思わず右手を緩めてしまう自分に苦笑いしながら、男はそのコンディションに唸りました。

「よくぞこの馬鹿トルクを維持していやがる!好きだねぇ、あの爺さんも……」

鋭いクロームの反射光を煌めかせて、駅前から小高い丘に向かって伸びる路地を弾けるように駆け上がったマシンは、その一番高い所にある高い塀に囲まれたおおきな家の前で止まりました。

「ほんとは止めたくないんだけどな……靴がいくつあっても足りネェよ」

そういってイグニッションを切った男は、傍らのインターホンに手をかけようとして、その横の入り口と思われる重そうな鉄の扉が少し開いているのに気がつきました。男はちょっとためらいましたが、きちっと姿勢を正しておもむろにその縁に手をかけ、ゆっくりと押し開こうと力を入れたとたん、不意に扉がおおきく開かれて思わずつんのめってしまいました。

「うわわッ!」

「きゃ!……せ、先生?……」

「あれ?……湖川さん?」

入り口の方からのサツキの声に、マオはちょっとイヤな顔をしながら二人のほうを振り向きました。

「ほおぉ、立派な花壇だなぁ……あ、急だったけど、ちゃんと伝えてくれた?」

「……いけない!」

マオは自分の家の入り口で声高に話す二人の声が鬱陶しくてたまらなくて、今にも噛み付きそうな表情で二人の所に来ると、サツキに向かって言いました。

「……だれ?この人」

「ごめん真桜!そういえば私、今日先生が家庭訪問に来るって言いに来たんだった……」

「ちぇ……早く言えよな」

マオはあきらめ顔でサツキにそういうと、目の前の男に目をやりました。日に焼けた顔に細身のサングラス、片手には黒地にシルバーでドクロが描かれたヘルメットを持って立つその男は、

「君が茂雄さんの孫か、あの『DEVIL』の……」

「……!?」

そういってサングラスを下げて、その子供っぽい瞳を覗かせました。自分の深い所を知っているこの男……思わず身構えた、訝しげな表情のマオにその男は言葉を続けました。

「俺は西園寺保雄、産休の先生に替わって2学期から1組を受け持つ事になったからよろしくな。で、いきなりで悪いんだけど……」

「中へどうぞ。たずねたい事もあるんで……」

マオは西園寺の話の腰を折るようにそう言うと、くるっと振り返って玄関へ向かって歩きはじめました。それを見たサツキは自分が案内してきておきながら変なのですが、その光景が不思議に思えて仕方ありません。なぜって、あのマオが初対面の他人を自宅に招くなんてとても考えられない事だったからです。だからサツキはてっきり二人は知り合いなのだと思い込んでしまいました。

「あ、そう、じゃお邪魔するか」

「ねえ!知り合いならそう言えばいいのに!」

何も言わずに目の前から遠ざかってゆくマオにに思わずサツキは声を荒立ててしまいました。マオは肩ごしに振り向くと歯切れのよい口調で、

「ああ、部長には僕から連絡しとくから、今日はありがと」

そういって手を上げて答えました。

「もう!まだ私の言いたいコト……!?……あ……ありがと……って……」

マオの何げない言葉に、サツキはどきっとしてしまいました。今までマオからそんな言葉をかけてもらったことなんかなかったからもあるけれど、サツキはどんどんとおおきくなる鼓動の高鳴りが何だかまわりに聞こえているような気がして、思わず胸を押さえて息を止めました。鼓膜が破れそうに押し寄せる感情の波が少しおさまってきたころ、サツキは大きく深呼吸してつぶやきました。

「……んはぁ……どうしちゃったのかな……すぅぅぅ……はあぁ……」

「ねえねえ、おねーちゃん、ドキドキ?」

「ぎくっ」

マセた女の子の冷やかすような言葉に思わず飛び上がってしまったサツキは、おそるおそる声のする下の方を見てみました。そこにはくりくりっとおおきな瞳のセリエがにまにましながら見上げていました。

「え?ああ、従兄弟の、えーと……」

「セリエだよ!へへ、おねーちゃんはドキドキなんだ……セリエはね、ぽかぽかなんだよ!」

「そ、そうなんだ」

セリエの言葉に生返事をしながら、ひとり取り残されたサツキは妙な疎外感を感じていました。と同時に最近のマオの変化に心を動かされている自分にも気がついていて、二人の間の距離の変わらなさにじれったさを隠せません。

「真桜……何でだろ、近づいていったら離れていくみたい……変なカンジ……」

「だいじょぶ!おねーちゃんとまおにーちゃん、セリエがスキスキにしてあげるよ!」

そんな気持ちを見透かされたかのようなセリエの言葉に、サツキは真っ赤になってしまいました。

「ちょっと、そんなんじゃないってば……あの、真桜に先に帰るって言っといて」

「ウン!セリエ、おねーちゃんがスキスキだってつたえとくね!」

「ちーがーうー!もう!そんな大事な事は自分で言うから!……ぁ……」

思わず口に出してしてしまった自分の気持ちに、サツキはかぁっとなって頭の中が真っ白になってしまいました。もう恥ずかしくてその場を離れようとするサツキのスカートの裾をつかんで、セリエはキラキラした笑顔で言いました。

「セリエ、天使のおしごとする!そしたらみんなみたいな天使になれるもん!おねーちゃんたち、ぜったい、スキスキにしてあげるからね!」

「あ……うん、おねがい、じゃね」

ただでさえ暑いのに、顔から汗が吹き出してきてたまらないサツキは慌ててセリエに手を振ると、逃げるようにその場を立ち去りました。小走りで路地を抜けて、しばらく行った角で立ち止まったサツキは息を整えながら、さっきのセリエのかがやく表情を思い出していました。あんな笑顔、私には出来ないかもしれないな……軽い嫉妬を感じながらも、サツキは浮き立つ心の飛翔を我慢できない様子です。

「真桜、私のことどう思ってるのかな……って、これじゃまるで少女マンガじゃない!私ったら……クス……アハハハ!」

サツキは真剣な自分を笑い飛ばすように朗らかに笑うと、陽炎の立つ坂道を舞うように軽やかに下っていきました。


「さって、世の中では今日から夏休みって訳だが」

マオの部屋でどっかと腰を下ろして、壁面に飾られた数々の写真を眺めていた西園寺は、飲み物を持って部屋に入って来たマオにおっとりと切り出しました。

「先生……僕の祖父と知り合いなんですか」

マオは西園寺の前にグラスを置きながら訪ねました。その何かを探り出そうとする意思を纏った瞳と視線を交わした西園寺は、それを受け止めるような強い眼光を、上目遣いでマオに返しました。

「なんだ、飾ってないのか……すまんが、君の『DEVIL』ちょっと見せてくれないか」

「……あんな落選作見てどうするんです」

不機嫌にそうは言ってみたマオですが、西園寺のただならぬ存在感と、その背後に見え隠れする祖父の姿に促されるように席を立つと、部屋の隅の押し入れの戸を開けました。

「あれは確か、茂雄さんのF4で撮影したものだよな。フィルムは……」

「……トライエックス」

たくさんの写真の雑誌や古い引伸機の詰まった押し入れの奥をごそごそ探りながら独り言のように答えるマオのその言葉に、西園寺は確信したように不敵な笑いを浮かべました。

「これです。オリジナルは返してもらえなかったのでテストプリントですが」

マオはA2のポートフォリオをテーブルの上に置き、その中から何枚かのモノクロ写真を出して西園寺に見せました。間に挟まっていた書き損じのデータシートを見つけた西園寺は、それを詳細に見ながら少しづつ濃度、焼き込みの異なる写真を照合していきました。

「ビエンナーレ写真部門・自由課題……表題『DEVIL』……撮影日、4月1日……1/4、f2.8……」

真剣にデータシートとマオの写真を見比べる西園寺の姿に、マオは何だか他人とは思えない親近感を感じました。今まで写真をのことを話せる人と言えば駅前のガンじいしかいなかったマオにとって、それは久しぶりに感じる同好の士の匂いなのでした。

「これは手持ちで?」

「いきなりだったので……少しカメラが揺れてしまいました」

「いや、ここまで止められる奴はそうそう居ないよ、こんだけ暗いとAFも効かんだろうし……」

西園寺はその中の一枚を手に取ってそう言いました。薄暗い非常階段の踊り場で、つんのめって今にも倒れそうな男と、その背後に覆いかぶさるように、今にも刃を振り下ろそうとしている羽根の生えた悪魔……のように見える影なのか、でもそれはモノトーンの切りとられた世界の中で生々しい質感を持って活写されていて、西園寺は今更ながらマオの腕前に驚くのでした。

「今はデジタルで何でも出来るから軽く見られがちなんだな、この手は……でもこれ、ネガから直焼きだよね」

「ええ、でないとこの作品の意味がありませんから……」

「やはりそうか……」

自分でも久しぶりに見る作品を前にして、マオはこの「悪魔」を撮影した時の事を思い出していました。あれは学校に行くのをやめた日……他人からの辛苦と嘲笑を逃れるように、ふとF4を手に立ち寄った廃墟のビル、誰もいない、誰からも見られないその空間の居心地につい長居をしてしまって、いつの間にか眠ってしまったマオの耳に突き刺さる男の悲鳴、迫り来る夕闇の非常階段を駆け下りたその先で見た信じられないような光景……反射的にシャッターを切った時、その影は何処ともなく消えてしまっていて……ガンじいの店で上がった現像を見たとき、何だか世界が変わったような気がして……自分が凄いことを成し遂げたような気がして……

「これと同じ物を、茂雄さんも撮影してたんだ……あの、撃たれる数瞬前に」

「え……?」

突然の衝撃的な言葉に驚きを隠せないマオの表情をしっかりと見据えた西園寺は、胸ポケットからL判に焼かれたモノクロの写真を何枚か取り出してテーブルへ並べました。それは祖父の最後の仕事……商店街で突如勃発した抗争のスクープ写真なのでした。

「これ見てくれ、バックの建物がうるさくて判別が難しいのもあるけれど、どれにもその『DEVIL』が写っているのがわかるだろ」

マオは目を皿のようにしてそれらの写真に見入りました。忘れもしない恐ろしい異形の姿……実際見た者にしか判別できないと思われるその影は、しかしマオの目にくっきりと飛び込んで来るのでした。

「これは……まちがい……ない……けど……どうしてこれを……?」

「……俺も茂雄さんと一緒にそこにいたんだ。1Dsを持ってね」


「やっぱりヤダよ!こわいもん!」

「えー?あの『信念のある悪』ってたまらないじゃない……聖者なのに闇の途を進む……ああ、なんていう背徳……」

「わるいひとはわるいひとなの!」

「サリエル様は本当に悪い魂だけを刈り取っていらっしゃるのよ!それもたった一人で!この孤高な御心がわかんないの?」

「わかんないよ!あいつ、ぜったいわるいやつだよ!」

「あいつって言わないの!サリエル様って言いなさい!」

「ヤダ!あいつキライ!アナエルくんのほうがイイ!」

「もう!わからずや!」

暑いのに相変わらず姦しい二人……セリエとエリシャはこのごろはあの「死の天使」の話題で盛り上がりっぱなしなのです。といってもエリシャが一人で熱くなってるだけなのですけど……セリエはどちらかと言うと怖いのが先に立ってしまって、エリシャの言う事がさっぱりわかりません。

「そういえばアナエルくん、どうしちゃったのかな……」

「気がついたら誰もいなかったよね、あの場所には」

「だいじょぶだよね……」

「うん……本気のサリエル様の邪眼はあんなものではないと思うから……」

「でも、かっこよくなってたよね、アナエルくん♪」

「しょせんまだ子供でしょ、何か頼りないのよねぇ……お友だちにはいいけど」

「そんなことないよ!セリエたちをたすけてくれたし」

「あれはサリエル様が手抜きしただけよ。あんな小僧、サリエル様の足下にも及ばないわ」

「こぞーっていわないの!アナエルさまっていいなさい!」

「何で急に『様』なのよ!だいたい同期なのに生意気じゃない?あの小僧」

「くろくてきもちわるいあいつよりよっぽどいいよ!ぺっ」

「だからあいつって言うなー!」

「あっ、やったなー!このっこのっこのっ!」


「……この子、どうかしたの?……」

玄関の戸を開けてテラスへ出てきた西園寺は、目の前で一人で叫びながら何かに向かってぺしぺし叩いているセリエを見て目が点になってしまいました。あとから出てきたマオはふっとため息をつくと、苦笑いを浮かべて西園寺に説明しました。

「この子はセリエ……えーと、一応、従兄弟なんです」

「イトコ?ふーん、お父さんもアレだね」

西園寺はセリエの揺れる金髪を見ながらニヤッと笑って言いました。こういう言い方は何だか母さんに悪いような気がしてマオはあまり気が乗らないのですが……マオは話題を変えるように西園寺に訪ねました。

「じゃあ、僕に取材のアシストをしてくれって事ですか?」

「うん、まあな、ギャラはないけど飯くらいおごるよ。このヤマはどうも君の力が必要みたいだからね」

「僕の……ですか?」

もがき苦しむセリエを横目に、二人は表まで歩いて行きました。咲き誇る花壇のあいだを並んで歩きながら、マオは西園寺からの依頼に世界ががおおきく広がってゆくのを感じました。今まで一人で何でもしてきたけれど、こうやって人のために自分の腕を役立てる機会なんて初めてのマオの心は、認めてもらった嬉しさと、こんな自分で良いのかという不安とが激しくぶつかりあって、じんわりと熱くなっていくのでした。鉄の扉から通りへと出てきたマオは、すぐ横に止めてある、西園寺が乗ってきた単車を見て驚きの声を上げました。

「これは……ガンじいの店の前の……」

「ああ、あの爺さんが茂雄さんと楽しんでた時のだよ。もう足腰弱って乗れないけど手放せないみたいで、替わりに俺がたまにぶっ飛ばしてやってるってわけだ。いやー、調子いいよほんと」

「……あの……単車って、どこがいいんですか?」

夏の光を受けて輝くクロームの反射を瞳に宿したマオに、西園寺は顎ひもを締めながら言いました。

「いいか、世の中には2種類の人間しかいない、単車に乗る奴と乗らない奴だ」

「乗る奴と……乗らない奴……」

「おいおい、そんなに真剣に考えるなよ!受け売りだ受け売り!……でも、カッコいいだろ、これ」

西園寺は神妙な顔でその意味を考えているマオに高らかに笑いながらそう言うと、キックペダルを繰って上死点を探し始めました。カチカチ、カチカチと何回かの往復のあと、やおらステップの上に立ち上がると、キルスイッチをONにしてほくそ笑みました。

「さあてと……神のご加護を!」

勢い良く踏み抜かれたキックペダルが、2ストローク360ccの心臓に火をつけました。切りっぱなしの膨張室の後端から弾けるように飛び出す甲高い咆哮と夥しい白煙は、荒々しくからだを震わせる小さな獣のまわりを一瞬にして別世界へと変えてしまいます。マオは昔、祖父と二人乗りしてガンじいの家まで通った時と同じその匂いにめまいを感じながらも、その中に息づく魂に懐かしさと同時に、心に不思議な力強さが湧いて来るのを感じていました。

「明日朝5時、爺さんの店で、気が向いたらでいいぞ」

そう言うと西園寺はガチリと1速に入れて、ややラフにクラッチをつなぎました。マシンは軽く前輪をリフトさせながら猛然と駆け出して、あっという間に見えなくなってしまいました。

「……じいちゃんも撮ってたんだ……あの悪魔……」

通りを駆けぬける単車の音が小さく、聞こえなくなるまでマオはその後ろ姿を見送っていました。置いてきぼりだったセリエはようやく気がついて入り口まで来て、そこに佇むマオの姿にちょっと違和感を感じたのか、遠くから小さく呼びかけました。

「まおにーちゃん、おきゃくさま、もうかえった?」

「うん?あ、セリエ、いい子にしてたな」

マオはセリエの事を放ったらかしてた事を思い出して彼女を労いました。神妙な顔をしてマオの気持ちを伺っていたセリエはぽかっと明るい笑顔になって、跳ねるようにマオのそばへとやってきました。そして上にいるぷんぷん顔のエリシャをちらっと見ると、くるっとマオの正面にまわって話しかけました。

「まおにーちゃん、あのね、いまあくまのてさきがおそってきたからやっつけてたのよ!へへへ」

「ふっ……悪魔……か……」

マオはセリエの言葉に、遠く眼下に広がる街を見て呟きました。さっきからもう何度も自身へと向けられた忌わしい言葉に、マオはその運命が自分にも絡んできているのを感じずにはいられません。かつて祖父が戦っていた最前線がいま、マオの目の前に混沌の口をあけて広がっているのでした。

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