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2.マオ

「僕、無事に死ねたのかな?」


……わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽りの様々な悪口を言う時には、あなたがたは幸いである…

「声が聞こえる…何だ…さっき聞こえた声?…女の子…」


……わたしはあなたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ…

「いやちがう…もっと大きくて…もっと厳かで…」


……求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう……


 セリエと少年は、噴水の中でびしょびしょになっていました。

「ぼ…僕…生きてるのか……」

顔を上げた少年の目に映る驚きと好奇に満ちた無数の眼差し……騒ぎを聞きつけて集まって来た群衆のどよめきが、彼をゆっくりと現実へと引き戻してゆきます。

「すごい音したけど、いったいどうしたんだ?」

「まさか上から落ちてきたとか?」

「おいこのビルは窓開かないんだぜ…しかも屋上は60階だ」

「ありえねえな」

「お前ら、何ともないか?身体うごく?」

少年と向き合ってしゃがみこんだまま目を回していたセリエも、周りの人たちの呼ぶ声にようやく我を取り戻したようです。

「はらひれ〜どうなっちゃたの〜くるくるくる〜って」

「な…何だよこいつ…」

自分の胸にべったりとくっついて訳の解らない事を話しかけてくるセリエに少年はひどく困惑して、でも何だかちょっと愛らしいような気持ちもして、暫くセリエの揺れる結んだ髪……ほんとは羽根なんだけど……を見ていました。そんなびしょびしょの二人の前に、野暮ったいスーツを着込んだ一人の男が群衆を押しのけるようにやってきました。

「はぁ?何かと思えば水遊びか?……すまんが君の名前は?」

「……姫野です」

「姫野……と、名前は?」

「…………」

「ご両親にも連絡しないといけないし、書類もあるので聞かせてくれないか?」

質問に一瞥もせず、噴水の中でセリエを抱いていた少年はゆっくりと立ち上がると表情を険しくして、機嫌悪そうに答えました。

「……真桜です…」

真桜…マオって言うのね。とっても可愛らしい名前…いや失礼、男の子だったねマオ君...もしかするとあまり自分の名前が好きじゃないのかな?男は少年の手を握りしめたままのセリエの前でしゃがみ込むと、今度は猫なで声で聞きました。

「きみ、おなまえは?」

「わたしセリエ!」

「せりえちゃんか、おとうさんやおかあさんは?」

「あそこだよ」

そういってセリエは空をゆびさしました。

「え?あ、そ、そうなの…ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだ...で、あの人はだれ?」

ばつの悪い事を言ってしまいちょっと焦ったその男は、急いで質問をかえました。でも間を与えずにしっかり証言を導きだそうと仕向けるあたり、おそらく警察の人なのでしょう。セリエはマオの顔を見上げて暫く考え込んでいましたが、

「んーと、おじいちゃんでもないし、おとうさんでもないし、ちびちゃんでもないし……そうだ!おにいちゃん!」

そう言ってマオの正面に回ってニコッと笑いました。セリエ!なぞなぞじゃないよ!まあ間違いじゃないんだけど、それじゃまるで本当の!……それを聞いたマオはぎくっとした顔で、自分の顔が写っているセリエの翠玉色の瞳を見つめました。

「おい……何言ってるんだこいつは……僕は、お前なんか知らない!」

「そうか、いいなぁやさしそうなおにいちゃんで…ささ、カゼひくといけないから病院行こうか。服も着替えないといけないし…あ、君も一緒に来てくれ」

「!」

ちょっとまって!そんな所連れてっちゃだめだよ…セリエは天使の子、人間の病院なんかいったら何されるかわかんない!ああああどうしよう!

「だれですかあなたは?」

マオの疑惑に溢れた視線に、その男はあわてて胸ポケットから小さな手帳を出して目の前にかざしました。

「あ、すまんすまん、私は西署の警部だ。君にもちょっと聞きたい事があってね、時間は取らせないから」

「……僕たち、大丈夫です」

その男……警部に誘われて自分から離れて行こうとするセリエを、マオは手を握りかえして制止しました。びっくりして振り向いたセリエは、自分を見ている彼の澄んだ瞳に何かを感じたのか、その奥にある光の意味を見いだそうと見つめ返しました。遠くかすかに感じる懐かしい旋律……セリエは小さくうなずくと、またマオの手に寄り添いました。

「僕、家近くなんで、おいで」

え?マオ君?だいじょぶ?よかった!悪い子でもなさそうだし……とりあえずセリエ、このまま兄妹ってことにしてマオ君についていきなさいな。あーほっとしました……でも警部はどうも何か疑ってる様子、何とか病院へ連れて行こうとしてるみたいです。

「大丈夫?なんなら送ってあげるよ。ほら救急車、乗りたくない?」

それを見たマオは急に不機嫌そうな表情になると、警部に吐き捨てるように言いました。

「くっ…見るのもいやです……帰ろう」

何だかすごく機嫌悪そう……何か悪い思い出でも……あっあっ行っちゃった、どうしよう……あ、なあんだセリエ、しっかりついてってる……


 雨上がりのぽかぽかした道を、マオは早足で歩いていきます。ちょっと離れてセリエ、あれあれ、マオ君に興味あるんだ。にまにました顔でついていきます。

「どうなってんだ……僕は……あのビルの屋上にいて……何だ……思い出せない……けど……気がついたら下の噴水にいた……ケガひとつなく……」

「はくちょん!」

「!?」

マオが振り返ると、びっくりしたようにセリエは立ち止まって、じーっとマオの顔を見ています。でも物怖じしない人懐っこい性格なのか、すぐにニコッと笑ってマオに話しかけてきました。

「えへ、えへへへ、びしょびしょになっちゃったね」

マオは知らない自分についてくるセリエがちょっと気味が悪くて、でもその笑顔を見てると何だか穏やかな気分になってしまうのがおかしくて、ついくすっと笑ってしまいました。

「……ああ言っては見たものの……何で……何でこいつは僕と一緒に来るんだ……どこまで……?」

「でもよかったね!ケガしないで!」

困惑と好意の入り交じった顔で自分を見てるマオに、セリエはにこにこして話します。その言葉はマオに、不可解な現実を投げかけて来るのでした。

「なんで……何で僕は死ねなかったんだろう…」


 ビルの立ちならぶ駅前から歩いて10分くらいの、急な坂道をのぼっていった、高台にあるおおきな家。

まわりを高い壁に囲まれてるので、近くからは中はぜんぜん見えません。まるでほかの家からかくれているみたいです。入り口には鉄の扉があるんだけど、取っ手も何もありません。

「真桜だ」

マオが扉の横のカメラに告げると、しばらくして低い音とともに扉が開きました。厚い扉の向こうにきれいな…いや、結構荒れ放題なお庭が見えます。

「…どこまでが現実なんだ?…」

マオはセリエを見ながらつぶやくと、そのまま扉の向こうへ消えていきました。

その顔は、ちょっと笑ったように見えました。

「ガチャン!」

ロックがかかり、扉の前に一人たたずむセリエ、でも、この子もちょっとほほえんでいますよ。

「おにーちゃん…えへへへ、おにーちゃんかぁ...はくちょん!」

あらら、そうかびしょびしょなんだセリエ…カゼひいちゃいますよ!もう!マオ君たら、中に入れてあげればいいのに!


「死ぬって…大変だな…勇気出したのにな……」

 カーテンを開けないと、昼でもうす暗い自分の部屋。着替えながらマオは、大きく溜息をつきました。マオ君、何に取り憑かれてるんだろう…こんなに思い詰めて。

「フッ.....今日はもう疲れて…死ぬ元気もない…フフッ…ザコ敵はいいよな…あんな風にサクッと死ねてさ…」

不意にぽとりと、シャツから何かが床に落ちました。鳥の羽…でも何の羽根でしょう?透きとおるような、真っ白の羽……

「…きれいだな…写真に撮っとこう」

マオは羽を小振りのカクテルグラスに入れ、逆光でカメラにおさめました。

「案外…こんな絵の方がイケてたりしてな……まさかね…ダメダメはダメダメだってさー」

マオはベッドに仰向けに倒れこみました。上に乗っていた雑誌が背中にあたって、むっとした顔で壁に投げつけました。

「ビエンナーレか...畜生!」

結構重そうなその本は、壁に当たって大きな音をたてました。ぱらぱらとページが抜け落ちていきます。それを見つめていたマオは、壁のモニターの赤い光に気がつきました。

「…目障りだって…」

おもむろに立ってモニターのスイッチをいれると、そこにはショートカットのちょっと気の強そうな少女がなにやら叫んでいます。

「……最低だ」


「真桜!あけなさいよ!わかんない?皐月だよ!」

 活発そうな少女の声は、鉄の扉にはねかえってご近所中に響きわたっています。これでは居留守を決め込んではいられません。

「あいつめ…何の確証があるっていうんだ!…」

我慢ならないマオは、仕方なく玄関へ向かい、入り口のロックを解除しました。少女はするっと重い扉を抜けると、慣れた風で庭を横切ってテラスへと駆け込んできました。

「あーよかった!生きてる!最近テンパってたんでヤバいことしてないか心配だったんだ……これ、今日のノート、コピーしたら返してね。」

背が高くて早口でしゃべるその娘…サツキは、ちょっと後をみると、また向き直って軽くしゃがんでマオの顔をじっと見ました。

「…なんだよ」

「あんた、兄弟いたっけ?」

サツキの後ろから、そーっと顔を出す女の子…びしょびしょのセリエです。

「こいつは…へへっ…やっぱおかしくなっちまったか?…」

「もう!真桜!頭動いてる?あのねえ、私がきたらこの子が扉の前でふるえてたの!で、何の用か聞いたら『おにいちゃん』だっていうから一緒につれてきたんじゃないの。従兄妹か誰かなの?何したかわかんないけど、このままじゃカゼひいちゃうよ!」

マオは呆気にとられた顔でセリエを見ました。セリエは、上目使いでマオを見ています。

「おにーちゃん、だいじょぶ?」

夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ!

何回マオの頭の中でコトバが回っても、セリエとサツキは消える気配はありません。

「いーかげんにしなさいよ!ほら!さっさとタオルで拭いて!ぬれた服着替えさせて!もう…わたしがやるからいいよ!何かシャツ持ってきて!」

「…ああ」

マオはうつろな返事をすると、ランドリーへ服を取りにいきました。

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