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18.アナエルの方陣

 梅雨があけて、青空と陽光の毎日がはじまりました。灼けつくけれど、何だかわくわくする夏の日ざしを受けて、セリエは広い花壇の水やりに大忙しです。ホースから迸る飛沫がそこここに虹を作って、セリエはそれが面白くて仕方ありません。

「アハハッ!ちっちゃい天の橋だぁ!かわいいなー!ほら、こっちにもあるよ−!それーっ!」

勢いよく吹き出した水流は弧を描いて花時計のほうまで飛んでいって、しゃがみ込んでいるマオの頭の上から思いっきり降り注ぎました。

「うわ!冷て!何で水が……セリエ!」

顔を上げたマオの前に広がる花畑のむこうに、自分もびしょびしょになってよろこんでるセリエが見えます。

「まおにーちゃーん!きもちいいね!ほらッ!」

「ちょちょっとまてよ!今大事なとこ調べてるんだから!」

マオはセリエが飛ばしてくるホースの水を両手で弾きながら叫びました。それを見たセリエはくすくす笑うと、散水栓のキーをきゅっとひねって水を止めました。

「ごめんねー!まおにーちゃん、なにしてるのー?」

セリエは花に埋もれたマオの背中に向かって声をかけました。でもマオはそんなのが耳に入らないくらいに何かに没頭しているようです。セリエはにまにましながら花壇の通路を時計のところまでのぼっていきました。

「なになに?」

瞳をキラキラ輝かせながら、セリエは隣にちょこんと座り込んでマオの顔を覗き込みました。

「これなあに?」

「時計だよ」

「とけいってなあに?」

「……あ、そうか」

またまたボケた質問を真剣に問いかけてくるセリエ、でもマオはあきれ顔ひとつせずニコッと笑いかけました。あれ?何かいつもと感じ違うわね。

「これは時間を教えてくれるものなんだ。短いのが時間で、長いのが分をあらわすんだよ」

「じかん?……あ、カリヨンみたいなのかなぁ……カラーンコローンって……へへ、セリエね、あれきくとねむくなっちゃうの!」

「なんとか動かせないかなぁ、昔みたいに……」

マオは薄汚れた針を支える軸の部分をたどって構造を調べようとしました。でも軸の先は地中に深く埋まっているようで、地表からではどうにもならないようです。マオはふっとため息をつくと立ち上がり、長針に手をかけてゆすってみました。

「大工事だったもんなぁ……僕にはやっぱり無理だな」

額の汗を拭うマオの足下で、セリエはなにやらくんくん嗅ぎ回っています。もうセリエ!イヌみたいな真似やめなさい!はずかしいよ!

「ヘンなにおい!まおにーちゃん、この下からヘンなにおいするよ!」

「変な匂い?どんなニオイなんだ?」

「んっとね、土さんや根っこさんやミミズさんの下にね、かたーいニオイがするの」

「かたいって……臭うのか?」

マオは笑いがこみあげてくるのを押さえきれません。相変わらず面白い事を言う子だな……でもそういうところがセリエの特別な力だと言う事もマオはわかっています。笑顔で自分を見つめるセリエに、マオは聞いてみました。

「セリエ、そのかたい匂いってこの下からなの?」

「ウン!それとね、ふるーい本のニオイもするよ!」

「古い本?……」

マオははっと気がつきました、この家には地下があって、そこは父親……護の書斎になっていたのでした。マオは今まで気にもしなかったその書斎の事を思い出して、俄にそこがどんな所なのか知りたくなってくるのでした。そこにいけば、この花時計の事も解るかも知れない……マオの胸に沸き起こった興味をその表情から感じているのか、セリエはマオに向かって言いました。

「まおにーちゃん!セリエね、かたーいニオイのばしょ、おしえてあげるよ!」

見ればセリエの顔も興味津々です。っていうよりセリエは、マオと一緒に何かするのが嬉しくて仕方ないみたいですね。二人はホースを片付けるとテラスへと戻って行きました。

「ねえねえセリエ、ちょっとまって、何だか変な気を感じるの」

ウキウキ顔でマオについていくセリエに、エリシャが不安そうに話し掛けました。

「あなたの言う『この下』から念っていうか、何かが封印されてるような気配がするのよ」

「ふーいん?わるいやつかなぁ!」

「それはわからないけど……」

それでもセリエはお構い無しにマオについて階段を降りていきます。エリシャは不安でしょうがないけど放っておくわけにもいかなくて、仕方なくセリエの後ろからついて行きました。下るに連れて乏しくなっていく明るさに不気味さを感じながらも、マオたちは地下の薄暗い回廊にたどり着きました。手探りで捜した壁のスイッチが投入された時、彼等の前にはコンクリート打ちっぱなしの無愛想な空間が広がっていました。天井はいろいろなダクトや配管で埋め尽くされていて、中を通っていく空気や水の音が低く響いています。マオはその正面にある鉄の扉に手をかけると、その把手を動かしてみました。

「……やっぱり」

前も何度かここへ来た事はあったのですが、いつも鍵がかかっていて入る事は出来なかったのです。マオは肩を竦めてセリエを見ると、あきらめ顔で言いました。

「だめだよ、鍵かかってる」

「かぎ?あかないの?ここ……えーいっ!」

セリエは思いっきりその把手を引っ張ってみましたが、その重そうな扉はびくともしません。むきになって扉と格闘するセリエをなだめるように、マオは彼女の肩をぽんぽんっとたたきました。

「きっと声紋認識の鍵なんだろう。親父以外は開けられないよ、ここは……」

扉の横には、この家の入り口にあるものと同じカメラ付きインターホンの形状をした声紋ロックの端末が、淡いLEDの光を点しています。マオがその光るスイッチに触れると、その上の液晶画面に「PASSWORD?」の文字とソフトキーボードが現れました。それを見たマオはにやっと笑うと、

「さすがに玄関と同じパスワードじゃないよな」

そういって適当にタイピングしてみました。

「M・A・M・O・R・U」

ピピピッと連続音がして、「WRONG PASSWORD」の文字が点滅するのを見たマオはチッと舌打ちをすると、もうひとつ思い付いたフレーズを打ち込んでみました。

「A・K・A・N・E」

やはり結果は同じで、扉の把手はびくともしません。マオは液晶画面の点滅する文字を恨めしそうに見つめながらため息をつきました。

「ふふっ、やっぱ無理か」

「あかないの?」

傍らのセリエの声に振り向いたマオは、自分を見あげるその心配そうな表情に「冥」での彼女の姿を思い出しました。凍りつきそうな冷気に耐えて歌を口ずさむセリエ、それを優しく見守ってくれた母さん、そしてみんなで、母さんのおおきな翼で闇を突き抜けて……マオはおもむろにもう一度端末に向かうと、心に浮かんだコトバを入力しました。


コォン……


「え?」

金属質のの高い音が扉の向こうから響いてきて、マオはあらためて自分のタイプした文字を確認しました。セリエは横でぴょんぴょん跳ねながらそれを覗こうとしています。

「ねえねえ!……それ!……なにがあるの!……セリエ!……ちっちゃくて!……みえないよ!」

飛び上がるたびに何やら訴えるセリエにかわって、エリシャがその文字を呼んであげました。

「A・N・G・E・L……」

「えんじぇる?なあにそれ?」

「天使のことよ、セリエ」

「親父……バカじゃね?」

マオは複雑な笑みを浮かべて扉の取っ手を回すと、奥へと押し込みました。きしむ音とともに扉は開いて、マオは書斎の中へと入って行きました。

「う……カビくせ……」

「ヘンなにおいー♪ヘンなにおいー♪」

「これは……すごいものだわ……」

立ち並ぶ書庫の行列……書斎というよりは図書館のようなその蔵書に、3人は目をみはりました。各分類ごとに几帳面に整理されたその蔵書たち、そのあいだを、マオたちは左右に目を配りながらゆっくりと歩いていきました。ほとんどが古いか、あるいは洋書のために種類の判別が難しい文献が多いのですが、とりわけ自然科学分野のそれは群を抜いて多くて、マオはなんだか護の心を垣間みたような気がしてくるのでした。

「ねえセリエ!ちょっときて、これみてよ!」

マオのすぐ後で並んだ背文字を追っていたエリシャは、ある分類の隅に固まっておいてある古びた書物におどろいてセリエを呼びました。書庫の天板のカマドウマをつついて遊んでいたセリエはその声に振り向くと、きょろきょろしながらエリシャのところまで来ました。

「ごほんばっかり、つまんない!」

「セリエ、見て、この本、私のと同じ術書よ!なんでこんなところに……」

「えー!そうなの?」

「ねえ、ちょっとその本開いてみせてくれない?」

「うん……ぺっ!キタナイよこれ!」

いやいや差し出されたその本の内容を、エリシャはつぶさに見ていきました。なるべく触らないように指の先っぽでその本を支えていたセリエは、あいだにメモのようなものがが挟まっているのを見つけてエリシャに教えてあげました。

「エリシャっ、げほげほ……ここ、なにかはさまってるよ!」

「……本当だわ、ちょっとまってね」

エリシャはそのページを開くと、挟まったメモを手に取りました。メモには「アナエル」とだけ記されています。

「アナエル……天使っぽい名前だけど……」

「あなえる?カリヨンのアナエルくんのことかなぁ?」

セリエは天界で鐘をついていた天使の事を思い出して言いました。メモの挟まっていたページを読んでいたエリシャは、セリエのその言葉を聞いて目をぱちくりすると、とぼけ顔のセリエの方を向いて言いました。

「それだぁ!」

ふにゃっとしていたセリエはその素っ頓狂な声にびっくりしてあたりを見回しました。目の前にはまるで難事件を解決したかのように毅然とした表情のエリシャが、早く理由をきいてとばかりにふんぞり返っています。

「あーびっくり……あれ、エリシャ、どうしたの?」

「あのね、このページにはね、力を閉じ込める方陣の事が書いてあるの。ラファエル様みたいな方が奇跡を起こす時に使うんだけど、そこにアナエルの名前が挟まってるってことは……」

「ってコトは……どうなるの?」

「えへん、その方陣の中では……!?」

推理が最高調になったエリシャの目に、立ち並ぶ本棚の突き当たりにある扉に向かうマオの姿が映りました。その先はおそらく花時計の機関部……セリエの言う「かたーいニオイ」のする場所にまちがいないでしょう。

「まおにーちゃん、まって、セリエもいく!」

「!……いけない!マオくん、そこ開けちゃだめだって!」

エリシャは急に顔色を変えて大声で叫びました。なぜならその扉を開けるという事はそこに張られた方陣を破るという事……そんなことしたら!でもやっぱり彼女の声はマオに届くはずはなく、エリシャはとっさに指で六芒星を切ると、セリエを自分の元へ引き寄せました。

「こっちへ!時間が止まるッ!」

マオが目の前の扉を開いたその瞬間、まわりの景色は色を失って凍り付き、不気味な静寂が二人を包み込みました。

「どどどうしちゃったの?」

「方陣が……解かれちゃった……!」

「ほーじん?あ、まおにーちゃん!……アレ?どうしてじっとしてるの?ねえ、そこにはなにがあるの?」

扉の前で硬直しているマオに向かって駆け出そうとするセリエの首根っこを、エリシャはぎゅっとつかみました。

「セリエ!この結界から出ちゃダメ!」

「ヤダ!セリエ、まおにーちゃんのところへいくーっ!」

じたばたしているセリエをやっとのことで引き止めつつ、エリシャは彼女の耳元で大きな声で言いました。

「言うこと聞いてッ!この星の絵から外はもう、アナエルの術で満ちてしまっているの!だれかが、時間を止めるために施した術に……」

結構キツいエリシャの物言いに、セリエはみるみるウルウル目になってしまいました。

「すん……それじゃぁ……まおにーちゃん、ずっととまっちゃったままなの?……」

「もう一回、アナエルにお願いするしかないわね……とりあえず、中に入って見ないと……セリエ、私からはなれないでね」

「……うん」

二人は身を寄せあって、硬直したマオの横を通って扉の中へと向かいました。見上げるセリエの目に、モノクロ写真のように動かなくなったマオの姿が映ります。

「ぐす……まおにーちゃん、まっててね……」

「見て、セリエ」

小さくつぶやくセリエに、エリシャは促すようにいました。部屋に入った二人の前の暗がりに、不思議な霧に包まれた花時計の機関部が、ヒカリゴケのようにぼうっと浮かんでいるのが見えます。

「ふえぇ……なんだかきもちわるいよぉ……」

「うん……でも……」

エリシャもこんな雰囲気は大嫌いなのですが、そこはマオの守護天使、この状況を何とかしなければいけません。セリエのふるえる手をしっかりと握って、おそるおそる淡く光る機関部のそばまでやってきました。

「……ここ……なんかコワイ……」

「この霧は……天界の雲と同じものだわ。やっぱり……」

巨大なモーターとそれの制御部、複雑に組み合わさった歯車が、暗がりに目が慣れてきた瞳にその全貌をあらわしはじめて、二人は足下のコードを引っ掛けないように注意して、針を支える軸の真下の空間までやってきました。金属の部分はまるでさっきまで動いていたかのように光沢に包まれていて、エリシャはここの時間がある時より止まったままである事を確信しました。

「天井まで封印されてる……この部屋の時間だけを止めていたのね……」

「エリシャ……いすがあるよ……」

不安そうなセリエの指さす先に、優美なロッキングチェアーがありました。座面の上にはあたたかそうなひざ掛けと、小さな額に入った幼いマオの写真がおいてあります。二人はその写真をそっと手に取ってみました。

「まおにーちゃんだ!ちっこーい!かわいーなー!」

「10年前のマオくんの写真……これを持ってここに座っていたのは、それじゃあ……」

息をのんだエリシャと、その顔を怪訝そうに見ているセリエの前に、天上から一条の光が差し込んできました。こんな地下深いところにいったいどうしたのでしょうか。びっくりしてその光の束を見上げる二人の前に、やんちゃそうな一人の天使が舞い降りてきました。


「君たちかい?方陣を解いちゃったのは。上じゃ大さわぎだよ!」

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