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16.翼をください

 ねえ!おかあさんどこへいくの?ぼくもいっしょにいくよ!

「大丈夫よ……ちょっと……ちがう国へ行ってくるだけだから……」

すぐに……すぐにかえってくる?

「うん……ずっとそばにいてあげる……サツキちゃん……マーちゃんをお願いね……」


 おとうさん、おかあさんって、いつかえってくるの?

「マオがいい子にしていれば、すぐに戻ってくるよ、さあ、もう寝なさい」

うん……おしごと、がんばってきてね……

「明日おじいちゃんが来るから、ちゃんと言うこと聞くんだよ」

あのね……ごほんよんで……ほしのごほん……


 あれ?ガンじい、わざわざどうしたの?

「おじいちゃん、駅前で撃たれたそうだ……抗争に巻き込まれたらしい……」

え……だ……大丈夫なの!?

「取りあえず確認に行ってくるが……頭らしいから……」


みんな……みんな行ってしまうんだ!……僕を残して……どうして僕はいつも一人なの?どうしてみんな僕に押し付けるの?どうして……


(もうこわれちゃうよ)


壊れちゃったおもちゃはどうする?捨てちゃう?

すきですきで、大好きで

でも、僕にはとても直せない

壊れちゃった魂はどうする?捨てちゃう?

大事な大事な、なんのやくにもたたないもの

でも、僕にはとても直せない


(捨てちゃったら、すっきりするかな?)


「おもちゃは喜んでるよ!ほら、たくさん遊んでくれたから!」

そうだね、おおきくなったら直せるかもしれないから、とっとくね

「うん!おとなになったらきっと直せるよ!」

おとなになる?僕、おとなになれるの?どうやって?どうやったらおとなになれるの?


(今すぐ!今すぐ大人になりたいんだ!強い大人に!)


「マーちゃんなら、だいじょうぶ。だって私の天使だもの……」

いやだよ!すぐ大人になれなきゃイヤだ!だって僕、もう壊れてるんだよ!

「あわてないで……今は壊れたままでいいの。つらくても、いつか直せるときがくるから……ね」

そんなに待てないよ!辛くて寂しくて……誰も僕のそばには……


「おにーちゃん!ねえ!おきてよ!おにーちゃんってば!」

耳元で呼ぶ甲高い声が拡散した記憶の雲に飛び込んできて、マオは意識を取り戻しました。手足は氷のように冷えきっていて、セリエが起こさなければ、このまま凍り付いてしまっていたかもしれません。傍らの心配そうな涙目のセリエを認めたマオは、自分を呼んでくれるひとのその想いがたまらなく愛おしく感じられて、知らず知らず笑顔を浮かべていました。

「……やあ……おまえか……」

「おにーちゃん……ぐす……おかーさんにくっついたままうごかなくなっちゃって……もうおきないかとおもった……」

「ありがとう……もう大丈夫だ」

マオは氷像からからだを離すと、ゆっくりと立ち上がりました。サクラも駆け寄ってきてよろめきがちなマオを支えます。

「マーちゃん、立てる?母さんとお話しできた?」

「うん……」

三人の並んだ姿がなめらかな氷の表面に映り込んで、その鮮やかな色彩は幾重にも屈折して氷像の中を駆け巡りました。ほのかに光り輝く心の灯がゆらめいて、光彩に合わせてくるくると色を変えていきます。

「母さん、僕たちが見えてるかな……」

「うん、ほら、あんなに喜んでるよ!」

「うわあ!きれいきれい!」

三人の瞳に同じように映る灯は、あたかも心をむすびあわせるようにみんなの顔を照らして、相手への想いがつまった優しい表情を彩ります。輪になってそのやわらかな笑顔を見守っていたマオは、もうひとりじゃないんだと思える自分が嬉しくて、それと同時にそんなみんなを助けてあげたい、幸せにしたいと強く感じるのでした。

「帰りたいな……みんなでさ……」

見る影もなくなってしまった背中の翼……引きちぎれて焼けこげて、もう根元しか残っていない翼ではみんなどころか、マオひとりでさえ浮き上がらせる事はむずかしいでしょう。その無残な様を見ていたサクラは、何か思いついたのか急にセリエの方を振り向くと、

「セリエ!ちょっとあなたの羽根、借りるね」

そういって頭の翼に手をやると、その一本を引き抜きました。

「あいたっ!ふぇええ……いたいよぉ……」

「ごめんごめんごめん!あれ、これ、ただの羽根じゃないの、セリエ、あなた、大天使の羽根は?これかな?」

「そんなのしらないよぉ……えっえっ……」

「おい、やめろよ……ったく、はげちまうぞ」

マオはセリエの頭を撫でてやりながらサクラの顔をにらみました。彼女の持つぽわぽわの産毛に包まれた小さな羽根……どうみてもひな鳥の羽根です。あてがはずれたサクラは、申し訳なさそうに謝りました。

「ごめん……だってあの、天使の女の子がね、セリエの羽根をマーちゃんに生やしてあげたのを見たの……だからね……帰れるかなって思って……」

「天使……エリシャだ!エリシャ……あいたいな……しんぱいしてるだろうなぁ……」

「帰りたいなぁ」

「うん……」

見上げる三人の上には光すら吸い込んでしまいそうな闇が果てしなく広がっていて、まるでその圧倒的な絶望を誇示しているかのようです。何の道標もなく、方角さえもわからない迷い子たち……でもセリエを追って、こんなところまで来ることができたマオの心には、運命を切り開いてゆく強い意志……その勇気のほんの小さな芽が、自分でも気づかないうちに生まれていたのでした。

「行こう、ここにいたってどうなるものでもないし」

「え……?行くって……マーちゃん、ここに来たかったんじゃないの?」

「セリエ、おまえどこから落っこちてきたんだ?」

「んーとね、かわのずぅーっとむこうだよ」

「マーちゃん!?」

サクラはびっくりしてたずねました。マオはポケットから細長くまいた新聞紙をとりだすと、暝い空を見上げて言いました。

「花壇でセリエを見つけてから今まで、もう何度も駄目だって思った……でも僕は母さんと姉さんと、セリエにまた会う事が出来た。不思議なんだけど、それなら今度はみんなで家に帰ろうって……みんなであのカーネーションを見たいって、そう思うんだ……」

新聞紙から顔を出した一輪の花、それはセリエが、マオが心から渡したいと思っていたプレゼント……深紅の花弁は、こんな凍り付く大気の中にあってなお瑞々しくあり、贈るものの想いをしっかりと抱きしめています。

「母さん、やっと赤いの、渡せるね……」

「あ!おにわのカーネーション!よかった……みんな……きれいにさいたんだ!」

セリエの喜ぶ顔に、マオは笑顔で頷きました。

「僕たち、何とかして上に戻るよ。だから、見守ってて下さい……母さん」

「マーちゃん……」

マオは氷像の手に赤いカーネーションを握らせると、もういちどその冷たい肌を抱きしめました。そして見つめるサクラとセリエの方に向き直ると、肩を抱いて二人を促しました。

「行こう、振り向かないで……」

三人はセリエの記憶をたよりに、厳寒の大河へと踏み出しました。振り向きたいけど、そうしたらまたあの像のもとへ戻ってしまいそうで……三人は肩を寄せあって寒さに耐え、ゆっくりと進んでいきました。一人では心細い道だけど、みんながいれば元気が出てくる……マオはいつの間にか先頭に立ってみんなを導いている自分をおかしく思いながら、両手に力をこめるのでした。


「……ありがとう、マーちゃん……」


「あ……おかーさん?」

「マーちゃん……マーちゃん、まって……」

「ん?姉ちゃん、なんか言った?」

氷の大河の淵まで来たところで、不意にサクラが立ち止まりました。隣のセリエは思いっきり後を振り向いていて、マオは仕方ないなぁとその頭をつつきました。

「だめだよ!後見ちゃあ……」

「でもみて……あそこ……キラキラしてるよ!」

「?」

振り向いたマオの目に、いままでとは比べ物にならないくらいに光り輝く氷像の姿が飛び込んできました。それはまばゆい光の羽根をはためかせて闇の世界を白日のごとく照らし出し、心の灯は自らを閉ざしている氷を砕かんばかりに大きく燃えさかっていました。

「か……母さん!どうしちゃったんだよ!」

その光景を見たマオはさすがにびっくりして、大急ぎで氷像のところまで戻っていきました。息を切らせて追いついてきた二人、彼らの目の前の像はやがていっそうの輝きに包まれて、固い氷の表面に無数の亀裂が走っていきました。

「どうして?……割れる……割れちゃうよぉ!」

「これは……破裂するのか!?」

「ふえぇぇぇぇぇぇ……」

亀裂から大量の蒸気が吹き出してきた次の瞬間、弾けるように氷の像は粉々に砕け散り、無数の氷が雪嵐のように吹き飛んできました。

「!」

マオはとっさに二人を抱きかかえると、氷像に背を向けてうずくまりました。来る……緊張して身構える三人……白い光に包まれた静寂の刻……3……10……30まで数えて、しかし、待っていてもそれっきり何も起きません。ときおり耳元でなるカサコソ、カサコソとした音が気になって、マオは促されるようにそおっと瞼を開いてみました。今までの暗がりになれた目にはあまりに眩しすぎる白銀の世界……目がなれていくうち、それは白く見える何かがたくさん舞っているからだということに気がついたマオは、そのひとつを手に取って見てみました。

「……羽根……?」

それは無数に舞い降りてくる氷の羽根……蒸発した氷が再びかたまって出来た綿のような結晶が、まるで包み込むかのように降り注いでいました。その幻想的な光景に三人は声もなく、降りしきる羽根の乱舞をただ見上げていました。

「何だろ……この羽根……さわると溶けてしまう……氷……?」

「きれいだなー!セリエもほしいなー!」

「……?」

羽根と戯れるセリエとマオ、でもサクラはそんな白い結晶には目もくれず、何かを見いだそうとしているかのようにじっとその光の中心……あの氷像の立っていた氷の岩盤を見つめていました。それに気がついたマオとセリエが声をかけようとして駆け寄った時、ひるがえる羽根の舞いの中で静かに佇むその姿に、三人は息を呑みました。

「わらってる……こおって……いないの……?」

「私……初めて会うんだよね……」

「まさか……母さん……」

限りない愛を包み込んだ深い色の瞳、マオと同じ、すこし青みがかかった黒髪、生きているかのようなあたたかな肌……それはまさにマオの、そしてサクラの母、茜の命ある姿なのでした。マオは信じられないといった表情で茜に近づくと、さしのべられたその細い手をそっと握ってみました。茜はマオの手の上にもう片方の手を添えて、しっかりと握りしめました。

「マーちゃん、よくここまで……ほんとに……ほんとに会いたかった……」

マオは、自分の心の奥底にある、触れられたくないものを守る壁が霧のように消えていくのを感じました。その想いは心を、からだを通りぬけて飛翔し、マオは初めて自分の素直な気持ちと向かい合うのでした。

「……母さん……僕もだよ……」

「ほら、よく顔を見せて……うん、いい男になってきてるじゃない……」

「母さんだって昔のままだよ……ああ、夢を見てるみたいだ……」

「……クスン……よかったね…マーちゃん……」

二人の姿に、サクラはついもらい泣き、でもセリエは茜の、その神々しい光の中に何かを見つけたようで、ぺたぺたと駆け寄って来て言いました。

「おかーさん……ねえ、おかーさんって、天使さんなの?」

「?」

セリエの一言に、マオははっと気がつきました。茜の頭上に輝く虹色の輪……それは確かに天使の証、祝福の法輪に間違いありません。

「ほんとだ……母さん……なんで……何で天使なの?」

「どうやら、許していただけたみたい……みんなマーちゃんのおかげよ……ほんとに……ほんとにありがとう……」

茜のからだからあの光の粉がひとつ、ふたつと生まれてきて、それらは暝い天球に吸い込まれるように上っていきました。やがてその数はだんだんと増えていって、茜はそれを確かめるとちょっと慌てた様子で言いました。

「……あまり時間がないみたいね……サクラ、もう満足しましたか?」

サクラは小さくうなづくと、マオの手を取ってその瞳を見つめました。

「うん……マーちゃん……私、もう帰らなくちゃ……少しのあいだだったけど、いっしょにいられて楽しかった……元気でね、マーちゃん」

「え…ね、姉さん、帰るって……どこへいくんだよ!」

「だいじょうぶ、あなたが立派な男になって彼女とかできるまでは、ずっと見守っててあげるから、セリエとね………」

「姉さん……」

サクラはおどけて手を振ると、セリエの前にしゃがみ込んでその心配そうな顔を覗き込みました。

「おねーちゃん……」

「……あなたの心に戻るわね、セリエ……マーちゃんをよろしくね……」

そういってサクラはセリエを抱きしめると、静かに目を閉じて、そのまますうっと消えていきました。

「サクラ……姉さん……」

マオは呆然として、目を閉じて立ちすくむセリエを見つめていました。死んだものが生き返るはずはないとわかっていても、マオにはサクラが自分の側にいられないのが不憫に思えて仕方ありません。我にかえったセリエは、消えていったサクラの運命を目の当たりにして、心配そうに茜にたずねました。

「おかーさん……セリエも……セリエも消えちゃうの?……」

「!」

その問いに驚いたマオは、あわててセリエに駆け寄りました。きょとんとした顔のセリエを無造作に抱きよせて、マオは自分に言い聞かせるように話しかけました。

「そんな……そんなことないよ……ねえ母さん……こいつ、こんないい子なんだからさ……死んだりなんか、しないよな……」

マオは呪文のように何度も同じ言葉をくりかえすと、その存在が消えてしまわないようにぎゅうと手に力を入れました。

「おにーちゃん……くるしいよぉ……」

「マーちゃん、セリエは大丈夫……いなくなったりはしないわ」

「え……」

茜の言葉に、マオは抱いた手の力をゆるめました。こういう時の真摯な物言いは昔のままで、マオはちょっと懐かしさを覚えながら茜の顔を見つめて聞きました。

「そ……そうなの?……セリエ……生きてるの?……」

「セリエの魂がとうに生まれ変わってしまったのなら、彼女はこんな牢獄に来る事は出来なかったはずです。ね、セリエ」

「わかんないけど……お花になれるってきいたから……」

そこまで言って、セリエははっと気がついて胸の輝く球を取り出しました。中の草の子たちはみんなお花になってしまって、もうだれもいないはずなのですが、不思議なことに小さな光がひとつ残っていました。

「あれ?ひとりのこってる……どうしたのかな……」

訝し気な顔をしたセリエはその球を耳元にかざすと、目を閉じて心の中で問いかけてみました。

「ねえ、あなたはだれ?ひとりぼっちなの?どうしてお花にならないの?」

ほのかに輝く球からの聞こえないくらいの小さな声……でもセリエにはなぜか、その声が心の中から聞こえてくるのでした。

「セリエ、ボクらの願いを聞いてくれてありがとう。みんなすごく喜んでる……でもそれはほんとはやっちゃいけないこと、その為にセリエが死んじゃうなんて……そんなことは絶対あっちゃだめなんだ。だから、みんなで決めたんだ。ひとり、セリエになろうって……」

「わたしに?」

「うん、それがボク。ボクのタマシイは今、セリエとともにあるんだ」

「そ……それじゃあ……」

そういって見上げたセリエの顔を、茜は優しく撫でてあげました。

「そう……あなたにはまだタマシイがある……だからこうやって罪にも問われてしまうの……でも、もう心配はいらないわ」

「母さん?」

見れば茜の背中には輝くばかりの白い翼が、天に突き刺さるかのように大きく伸びていました。それはいまにも飛び立たんばかりに風をはらんでふくらみ、光の粉はみるみるその数を増していきます。茜はマオとセリエをそばへと引き寄せると、両手で二人をしっかりと抱きしめました。

「あなた達のおかげて、今から私は天界へと導かれます。マーちゃん、セリエ、二人の想いは無駄にはしません」

「ちょ……母さん……うわ、浮いてきた……」

「とぶ……とぶのね!」

三人のまわりを包んだ光の粉はまるで花畑のように彼方まで広がって、それぞれがすごい勢いで天球へと上っていきます。茜が翼をおおきく広げた時、その光たちは一本の束となって、天界へと通ずる光の回廊をつくりあげました。

「強く思って……戻りたいところ、大切な思い出、そして、なりたい自分を……」

全てが白い光に包まれていき、昇天する魂を迎える遥かな空……見上げたさきのその透き通る群青は、やがてマオの忘れられない思い出になるのでした。

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