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14.氷壁の聖母

 白い闇、遥かに立ち並ぶ光のコトバたち、空も大地もないけれど、何処からか吹いてくる風はそれらの不思議なカケラをのせて、向かい合う二人のあいだをぴつぴつはじけながら通り過ぎていきます。マオより少しだけ年上……いやサツキちゃんくらいかな?すらっとした、長い栗毛の髪をなびかせた少女は自分の容姿をまじまじと確かめると

「へえ、マーちゃんと並ぶとこうなっちゃうのかぁ……えへ!もう大人みたいだよね!」

そう言ってひらりと踊ってみせました。その妙になつかしさを感じる声に親しみを感じながらも、マオはまだ不安なのでしょう、訝しげな表情で少女にたずねました。

「だれ?……僕をそう呼ぶきみは……セリエじゃない……のか?……」

「あら、名前で呼ぶんだ!男っぽいじゃない」

「な、なんだよ!……別に……」

マオは少女の、その上から物を言う態度にムカッときてつっかろうとしましたが、今の自分の中のセリエの位置づけにあらためて気がつくと、ちょっと照れくさくなってしまいました。

「ごめんごめん、うん、セリエは今ちょっと大変なの……でもマーちゃんが来てくれたからもう安心だね……ほら私、サクラだよ!姫野 桜!……って言っても覚えてないか」

「サクラ?……え、姫野って……」

マオはおどろいてサクラの顔をじーっと見ました。 そういえば誰かに似ているような気がします。この髪の色……とおった鼻すじ……マオの脳裏に結像した顔はあまりにも身近で、そしてとても信じられないものでした。

「……これは……親父?……まさか……」

「うん!そうだよ、あのね、私たちって兄弟なんだ!マーちゃんは私の弟!……になるはずだったんだけどね……」

言葉が途切れて、サクラは小首をかしげました。マオを見つめる笑顔の中に漂う寂しさの色が、これから語ろうとすることの辛さを感じさせます。それでも笑顔を絶やさないサクラ……そのけなげな振る舞いは、マオにセリエの姿を思い出させるのでした。

「私ね、生まれてすぐに死んじゃったの……何だかお母さん、無理しちゃってたみたいで……でもマーちゃん、あなたは大きくなったわね……よかった…おねえちゃん、会えてほんとにうれしいよ……」

サクラはマオに寄り添うように立つと、両手で肩を抱いてほおずりしました。甘くてなつかしい気持ちが、紅潮したほほをつたってマオに届きます。虚ろな目でただ呆然とその心を感じていたマオは、やがてサクラの細い腰に手を回すと、しっかりと、その想いを体中で受け入れるのでした。

「……うん……わかってるさ……姉さんの……母さんの心がここにある……きみはサクラ……僕の姉さん……」

いつしか二人のからだのまわりに光の粉がいくつも浮かんできました。マオの背中の羽根がさわさわとゆれて、サクラの髪とふざけっこをはじめます。光のコトバたちも落ち着かなくなってきて、サクラは顔を上げると、くりくりっとした瞳をマオに向けました。

「りっぱな翼……これならきっと大丈夫ね……行こう!セリエが待ってるから!」

「わかるの?姉さん、セリエ、大丈夫なの?」

マオはぼーっとしててさっき聞きそこなった疑問を思い出して、慌てて問いただしました。サクラはこくりとうなづくと明るく微笑んで、

「セリエはお母さんの所にいるの!私、案内するから!しっかりつかまえててね」

そう言うとマオの手をぎゅっと握りました。光のコトバたちが再び嵐のように飛び交いはじめ、集まった何本ものおおきな流れはのたうつように曲がりくねりながらあらゆる方向へと伸びていきます。

「……よしッ!」

マオの翼が直上へと伸びきり、次の瞬間力強くうちおろされました。その飛翔はまるで鷹のように急駿で、無軌道に走るコトバたちの流れをものともせずかいくぐっていきます。目まぐるしく溶けあい、また別れてゆく無数の記憶の輪の中で、二人は目的地へと誘う流れを探しました。

「あっ!これだ!これに乗ってって!」

サクラの声に、マオは速さを増して流れに沿います。中は雷光と暴風が大暴れしているようですが、マオは臆せず、翼を翻して流れを切り裂きました。

「待ってろ!セリエ!」

わずかに開いた裂け目に吸い込まれてゆくマオとサクラ……二人を飲み込んだ黒い流れは狂った竜のようにひたすらもがき続けましたが、やがて数えきれない程のコトバの渦に取り囲まれて、とうとう見えなくなってしまいました。小さな無限……その混沌の中にあふれるたくさんの自我……それらがまるで一つの意志に協調したかのような巨大な奔流は、願いに応えてくれた全てのコトバの憶いを携えて、瞑く冷たい断罪の地へと飲み込まれていきました。



……とおくまで  つづく

 このみちを  ひとりで……


「しってるしってる!これ、おかーさんのうただよね!」


……かあさんの  くらすくにでは

 さくらの はなのしらべ……


「もう!かってにわたしのなまえ、つかわないでよ!はずかしいよ!」


……いつかきいた かぜのなかで

 おもいだす てとてつないで

     あるいた このみち……


「えへへ、あのね、このうた、おにーちゃんとうたったんだよ!」

「あら?サクラ?まあ、なんてことでしょう」

「サクラ?わたし、セリエだよ……アレ?」


 魂まで凍てつかせる冷気の中で、セリエは絶えてしまいそうな意識を何とかつなぎ止めていました。あれからずいぶん長い間……もうダメかと思うたびにどこからか、ちょっとだけ心を融かしてくれる優しい声のこの歌……永久に凍りつく眠りにかろうじて堕ちて行かずにいられるのは、この歌の励ましがあるからに他なりません。セリエは同じ凍てついてしまうのならば、この歌を歌ってくれてる人のそばで眠りたいと思いました。こんな絶望しか見えない地の底で出会った、まるで神さまのような慈愛と安らぎの心……セリエは固まって砕けそうなひざをむりやり動かして立ち上がりました。

「おかーさん……どこなの?セリエ、あいにいくよ……」

凍った関節がぱきぱきと音を立てて、その痛さにがくっとひざをついてしまうセリエ、でも息を吹きかけながらあたためて、あきらめずに一歩ずつ進んでいきます。いまにも閉じていきそうなまぶたをしっかり開いて、さあ、もう一歩……そのかすんだ目は、遠くに瞬くうっすらと光る一本の氷柱を追っていました。

「……はぁ……つめたくて……あしいたいよ……でもね……とまるとねちゃいそうなの……えへへ……いたいけど……がんばるね……」

足を引きづりながら、でも、歌を忘れない唇で口ずさみながら、セリエは長い長い、嘆きの氷の大河をわたっていきます。からだを抉るような鋭い凍気も、まわりに広がる無数の悲し気な亡者達も、セリエにはもう感じられません。幾つの星が巡ったころでしょうか、身も心も凍りつく寸前のセリエはようやくその畔に立つひときわ整った氷柱のもとまでたどり着きました。まるで灯台のように自分を導いてくれた、ほのかに光っている美しい氷柱……近くによってよく見ると、この氷柱も人の姿をしています。天に向けて祈りを捧げる、凍りついた名も知らぬ婦人の亡骸……セリエはその足下に寄り添うと、手を合わせて祈るその姿に問いかけました。

「おかーさん、セリエはここだよ……あいにきたよ……」

まるで母の胸に抱かれるような、ふっくらとしたおだやかさが冷えきったからだを包み込み、安心したセリエはそっと目を閉じました。このままの気持ちで、幸せに眠っていたい……そんなセリエに話しかける声……今まで勇気づけてくれたあの優しい、あたたかい声です。

「サクラ……よく会いに来てくれましたね……長いこと……ずいぶん寂しい思いをしました」

「おかーさん、わたし、サクラじゃないよ、セリエだよ」

「わかっていますよ……サクラ……あなた、天使に生まれかわって……よかった……」

セリエはふっと目を開けて、凍り付いた婦人の顔を見上げました。優しそうな笑みはまるで生きているかのようにセリエの心を照らして、氷に閉ざされた心を軽やかに解き放っていきます。見つめているだけで安らかな気持ちになるその姿は、セリエにはこの闇の世界を照らす聖母の像に見えるのでした。

「え……でも……セリエ……まだ……」

「サクラ……姿かたちは幻に過ぎません。あなたは天使になりたいと思った……それはどうしてですか?」

「それは……それは……おにーちゃんといっしょにいたいから!」

「それだけでもう十分……その想いがあなたを再びマオの側へと導いたのです。そしてあなたはマオに会えた……守ってあげた……あの子にとって、あなたは立派な天使なのですよ」

「ああ……おかーさん……」

セリエは胸がいっぱいになりました。わたし、おにーちゃんをしあわせにできたんだ……天使なんだ……こんなにあたたかなきもちをくれて……ありがと……向こうが透けて見えるくらい冷たく凍り付いているのに、その心の灯は揺らぎもせず輝き続け、ここまで自分を導いてくれたつよくて、心優しいひと……でも、そんなひとがどうして冷たい地の底で、ずっと苦しみに耐え続けているのでしょうか。セリエはそれがすごくおかしな気がしてきました。闇を振りはらい、寂しい魂を照らしてくれる愛おしい心の灯……その光をあたためるように両手で覆いながら、セリエは問いかけました。

「ねえ!どうしておかーさんはこんなくらいこわいところにいるの?いいひとは神さまのところへいけるって先生いってたよ?どうしていかないの?」


「……あのね、サクラ、ここはね、神さまに従わなかった者が堕ちる所なの……」


「そうなの……きゃあっ!……あーこわ……あ、それでね……えーと?」

稲妻に裂かれ、風雨にもまれる木の葉のように、マオとサクラは嵐の暗闇の中を飛ばされて行きます。閃く雷光が怖くて大声で叫ぶサクラは、そのたびにそれまで自分の話したことをすっかりわすれてしまうのでした。

「だからその……僕らの母さんは、この監獄の底にいるっていうの?」

「あ、そうそう!それでね、セリエも同じ所へ堕っこっちゃったんだ」

「どうしてさ!あいつ何か悪いことした?それにここって……うわっ!」

突然の突風にあおられた二人は、そのはずみで流れの外へと放りだされてしまいました。目の前に迫る壁はものすごい勢いで上へ飛んで行きます。マオはサクラをしっかり抱いて、背中でその衝撃を受け止めました。壁にこすりつけられた羽根は無惨にも削れて飛び散り、マオは片翼を失ってしまいました。

「あいたた……どうなってるんだ!」

「マーちゃん、大丈夫?あっ、翼が!」

「……浮いてる……半分あれば大丈夫みたいだ」

二人を吐き出した黒い流れはおおきな螺旋を描いて落ちて行き、その下の燃えるリング……あの天使たちの焼かれる壁にぶつかりました。永遠に消えない焔が黒い魂たちをあっという間に包み込んで燃え上がり、リングはより高々とその勢いを増していきました。流れから出たことでゆるやかに降りて行くマオとサクラは、その光景を見て背筋が凍る思いです。

「あのまま、あの中にいたらいまごろ……」

「……そうだね……でも、セリエの牢はあそこじゃないの……あの子の罪は、あんなに軽くないの……」

「え……罪だって?……」

サクラの言葉に、マオはおおきな憤りを感じました。なぜ……あんな優しい子がどうして……でも彼女が続けた事実は、自分ではどうすることもできない理のあることをマオに突きつけるのでした。

「セリエはマーちゃんのために、神さまに無断で命のやり取りをしてしまったの……それはね、神さまに逆らうことになってしまうんだ……そんな重罪人は、ここのいちばん底で永遠に苦しめられ続けるの……」

「そんな……それじゃセリエは……!!」

そのとき、突然業火がマオとサクラを炎に包み込みました。半分しかない翼のおかげで斜めに降りていってしまった二人は、燃え上がる天使たちの輪に吸い寄せられていたのです。必死で羽ばたき、距離をとろうとするマオ、しかし焔は残った翼にも、二人の服にも燃え移りみるみる炎上していきました。

「マーちゃん!翼が……セリエの翼がァ!」

「熱ちちっ!これじゃ丸焼けだ!」

マオはサクラを抱いた反対側の手で翼の根元をつかむと、力任せに引っ張りました。ぶちぶちっと繊維の切れるような音がして、マオはむしり取った翼を宙へ放り投げました。焔のかたまりとなった翼はあざやかに舞いながら火の粉を散らして、あっという間に燃え尽きてしまいました。

「ひゃ!落ちる!おちるよ!」

「ここで止まるわけにはいかない!セリエも行った道なんだ!きっと……」

「……マーちゃん……」

サクラはマオの手をしっかり握りしめました。翼を失った二人は地の底に引きこまれれるようにぐんと速さを増して、何も見えない虚無の闇の中を流星のように駆けていきました。

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