1.天使なんてヤダ
「そらのうえにはなにがある?
おひさまって神さま?
まんまるでぴかぴかでぽかぽかで...
天使になったら神さまとおはなしできるかな?」
空のうえの、ずうーっとまだうえに、大きな雲にかこまれた広い大地が広がっていました。そこはいつもいいお天気で、あたり一面きれいな花が見えなくなるまで続いています。遠くに見えるたかいたかい、てっぺんが見えなくなるくらい高い塔……どこからか聞こえて来る子供達の歌声……ぽかぽかとあたたかい陽にほのかに輝く湖のそばの草原で、今日も一人の女の子がとおい空を見上げています。
「あの雲までだったら飛んでいけるかな?でも雲さん、おひさままでいったらとけちゃうかもなあ……あーんセリエもみんなみたいにうまくとべたらいいのに!」
草の上にねころんだセリエは、頭のはねをぱたぱたさせてみました。まだ幼い羽毛はまるできゅっと結んだ髪のように可憐にセリエを装っているのですが、さすがに空を飛ぶにはちょっと小さいみたいですね……そよぐ風にのって、かすかに鐘の音が聞こえて来ます。透きとおるようなその音色はまるで精霊のささやきのようにやさしくて、セリエは思わずうとうとしてしまうのでした。ここは天の国……空と星とに抱かれる魂の還る所……天使の子はここでいろいろな勉強をして、一人前になってゆくのです……が……あれあれ、塔の方からだれかやってきますよ…どうやら先生みたいですね……神々しい羽が1…2……6翼!ちょっとちょっと、ラファエル様がこっちにくるよ!セリエ!おきておきて!
大きな影がおひさまをさえぎって、ぞくぞくっとしたセリエはぼーっと目を開けました。ラファエルは長い髪とローブをゆるやかになびかせて、セリエの横に立っています。
「セリエ」
「えーと…だれだっけ?」
セリエはきょとんとして目をぱちぱちさせました。太陽を背にした顔は真っ黒でよく見えないけど、上級の天使であることはすぐわかります。
「ここで何をしているんです?セリエ」
「セリエなんにもしてないよっ」
ちょっと先生になんて事を……でもたしかにお勉強もお手伝いも歌の練習もさっぱりみたい。セリエももうお年頃なんだから、ちゃんと勉強して、早く天使の輪をいただかないと...兄弟はもうみんな一人前にお仕事してるんですよ!
「セリエ、どうしてキミは天使になろうとしないのです?」
「おしごとなんかヤダ!天使なんてめんどくさくてキライ」
ラファエルの言葉に半身を起こしたセリエはひざを抱えて、風紋の揺らぐ湖の水面を見ながらつぶやきました。ラファエルはちょっと困った顔をしてセリエの肩に手を置くと、その意思を確かめるかのように言葉を続けました。
「セリエ、あなたにとって一番大事な物は何ですか?」
「だいじなもの……?」
「天使の子である以上、あなたはいずれ天使として、人間さまの為に大切な役目を果たさなければなりません。自分の思う大事な物、それを守ってゆくことがあなたの役目なのですよ」
「うーん……わかんない!セリエ、とうさまやかあさまのこともおぼえてないし、みんなセリエをわらうんだよ!あたまにはねがあるへんなこって!」
口を尖らせてそう答えてくるセリエを見て、ラファエルは少し考えた後、最後の選択を彼女に提示することにしました。
「ではこのままこうやって、ひとりで遊び続けているほうが幸せなのですね、たとえ天使になる事ができなくなるとしても」
「ウン!おはなや、かぜさんといろんなことおはなしするの、だいすき!」
素直で幼稚なセリエのその言葉に、さすがにラファエルはすこし苦笑いをしましたが、目を閉じて暫し天空を見上げた後、ふところより取り出した書を彼女のひたいに当てて、祝福の言葉を授けました。そしてやおら立ち上がると、厳しい表情でセリエに告げました。
「よくわかりました。今のあなたにあるのは汚れ無き純真な心……それはとても大切な物です。でもあなたの放蕩ぶりにはほとほと愛想が尽きました。熾天使ラファエルの名において、これより天小使セリエを天界より追放します」
ちょちょちょっとそりゃあんまりじゃありません?そりゃすこし頭が軽…いや羽とか生えてるかもしれないけど……ほらこの子!成長が遅いだけ!そのうち立派な天使になりますよ!
「いや!あ、ちがった、ごめんなさいごめんなさいっ!あした…いやいまからちゃんとべんきょうするから!」
「またそれですか……今日で65536回目……もうあなたには、実際に触れ合って感じてもらう以外に道はないみたいですね。その方がむしろ……まあいいでしょう」
ラファエルは右手を高く掲げると、セリエの周りに旋風の壁を作りました。それは竜巻のように彼女を飲み込んで、身動きのできないセリエはその壁を両手で叩きながら懇願しました。
「ラファエルさまー!だしてー!だしてよーーーッ!」
「アペリオテス!セリエを下界へ!」
「承知」
周りに渦巻く気流を携えた南東の風神アペリオテスの湿った季節風は、もののひとふきでセリエを遥か春の地へと飛ばしてしまいました。
「きゃああーラファエルさまー!」
あたたかい恵みのかぜに乗って、セリエはとおい春の地へとはこばれていきます。でもそのうららかな空気とはうらはらに、セリエの心はかなしさでいっぱいでした。
「ぐす…みんなみんなだいっきらい!だれもセリエのことなんかすきじゃないんだ!なんで天使になんかならなきゃいけないの?セリエにはみんなみたいにせなかにはねなんかないんだよぉ!……ぐすぐす」
あれあれ、あんまり泣いてると春の地が大雨になっちゃいますよ。
「なんで…ぐす…なんでセリエにはあたまから羽がはえてるの?……ぐすぐす……神さま……どうしてなの?……」
あーっふってきちゃった……おおつぶの雨が春の地をつつみます。
「いやだよぉ……えーん、えーん」
春の雨は、しとしとと大地をうるおしていきます。ちょっとしょっぱいのは、たぶん、海の水とおなじだから。
「なあにあなた、髪かとおもったら羽じゃないの!みっともないから結んどきなさい」
みっともなくないもん!かわいいもん!
「この子はほんとに天使になれるのかしら…もしなれなくて堕天でもしたらどうしましょう」
セリエ、わるい子じゃないもん!
「ここまでとんでこいよー!ハハハッおまえ飛ぶのへただなぁ!」
へただけどちゃんととべるもん!あれ、あれれれ?あーっ!落ちちゃうーっ!
「きゃー!?……なんだ…夢かぁ…びっくりしたぁ」
泣いてるうちにねむってしまったセリエはびくっと起き上がると、あわてて立ち上がろうとしました。でもどうしたことかくるくる回ってまっすぐになれません。耳の横を風が口笛を吹いて通り過ぎます。白い雲を何度も何度もつきぬけて、その度にセリエの顔は綿水でまっしろしろになりました。手足と頭の羽根をばたばたさせてなんとか身体が回るのを止めはしましたが、どうやら夢の中みたいにすごいいきおいで落ちているようです。
「どどどどうしたのー?ひゃあーおちてるよー!」
南風は雨になって、みんな降ってしまったみたい!
「なんでぷかぷかうかないのー?とまんないよーっ!」
そのうちに緑の大地が足下に浮かび上がって来ました。山や川、田んぼや道路がだんだんとはっきり見えて来ます。ここが春の地なのでしょうか?…もひとつ雲をつきぬると、下にはとても固そうな四角い建物がいっぱい建ってます…街だ!こんなところにおちちゃったら…セリエ!
「だーれーかーたーすーけーてーーーー!」
「だれかたすけて…」
ちょっと、今なにかきこえなかった?
「あれ、なにかきこえたけど…だれ?」
「だれかたすけて…」
「だれなの?…そんなこといったって!たすけてほしいのはセリエのほうだよーっ!」
あ!ちょっと真下を見て!あの四角い建物…ビルっていうのかしら?てっぺんにだれかいるよ……男の子だ!
セリエ!あの子のこえがきこえるの?
「ねえ!いまたすけてっていったの、あなたなの!?」
その男の子は、そっと顔を上げました。
「なにかきこえる…でももういいんだ……だれも僕なんか…」
ちょっと!この子ひょっとして!
「かなしいの?……かなしいんだね………かなしいのはいやだよね……セリエだって……」
「え……?」
「かなしいいこころ……セリエとおんなじ……うん、たすけてほしいんだよね……」
もうぶつかるッ!