第一同居人認定
「ああ、すっとした!」
ほうほうの態で逃げ出した親戚一同を見て、ほがらかにかーさんが言い切った。
門前で仁王立ちするかーさんと、俺の横で塩壷抱えて塩まいている少女を見ていた。
なんだろう。どっと疲れが。
とりあえず、言いたいことはひとつだけ。
「・・・ホラーいくない」
俺の精神安定の為にもひとつ。
********
「・・・へええ。これがまよひがかぁ・・・」
「まよいが?」
かーさんが、屋敷の中を見渡しながら感慨深く呟いた言葉に、俺は思わず聞き返した。なんだろう、聞いた覚えがあるような、ないような・・・。
「さまよう屋敷なんだよ。昔、話したろう?」
「・・・ああ。思い出した」
寝物語にいろんな話をしてくれたのは目の前にいるかーさんだ。夜な夜なおどろおどろしい妖怪話を繰り広げられたっけ。
小豆あらいに砂かけばばあ、天狗においてけ、妖狐に妖怪狸は祟る者。一つ目小僧にのっぺらぼう、河童に竜神、龍田姫。思い出せば切がない。
まよひがは、遭難した旅人に訪れる「迷い家」で、衣食住を提供してくれ、怪我を治療し栄気を養いまた旅立つ力を起こさせる、妖怪と言うより土地神だ。家から抜ける時、ひとつだけなら調度を持って行っても良いとされる。
そして言わずと知れた座敷わらしは良い妖怪の代表だ。家に憑き繁栄を約束してくれる童神。
「・・・まよいがねぇ・・・」
でもこれ普通の日本家屋だよ。
清潔なトイレだってあるし、飯は美味いし、風呂入ったし、上下水道はじめ、地下水ポンプ完備で、排水設備も完璧。
これが御伽噺のまよいが?
・・・と、思った瞬間わしゃわしゃが、きゃわきゃわ言いながら足元を磨いていった。
・・・うん、なんか、納得。
「はじめて招いてもらえた。何年もあこがれていたんだよ」
お前はあたしの誇りだね。
そう言って、かーさんは笑顔を見せた。
いや、しかし面と向かって褒められると、なんというか・・・。
照れる。
・・・と、そこへ、件の座敷わらし・・・赤い着物の少女が畳みに正座してかーさんを見つめた。
ずっと俺の隣にいたのに、かーさんたらこの子にはじめて気が付いたようで、飛び上がって驚いた。俺のほうが吃驚ダヨ、卒のないかーさんがめずらしい・・・。
さて、少女はきっちり三つ指付いて、かーさんに向かって綺麗にお辞儀して。
(ぬしさまのかーさんさま、わらしにございます。末永くかわいがってくだしゃりませ)
・・・かーさんに、褒められたそばからヘッドロックかけられた。
「ロリは死ね!」
「ぎいゃあああああああっ!」
「幼女萌え抹殺!」
「・・・萌えるかよっ!つるぺたすとんにゃ反応しないっ」
冴え冴えとしたかーさんの眼差しに射抜かれ、ごくりと息を飲む。
「・・・本当か」
「(こくこくこく)」
「・・・・・・・・・ならば、よし」
その冷え切った溜めはなんなのでしょう、お母様。
いえね、可愛いよ着物少女。むしろ嫁目指して頑張ってる幼女は可愛いよ?
でもね!
手のひらの中で弾む弾力と芯のある柔らかさこそ、正義!
乳と尻の豊かさは健全なる男子高校生にとって譲れないの!
*********
「・・・さて、面倒な手続きも終わったし、帰るか」
「・・・手続き?」
「そ。相続放棄してきた」
最後の念押しは俺のためか。ちらり、と赤い着物の少女を見つめて、若干の寂しさを飲み込んだ。
でもそんなのは当たり前なのだ。
あいつらの言うとおり、俺はどこの馬の骨とも知れない男の子で、ここいらの因習や柵にも属さないよそ者だ。
この家は初めからあっちのものなのだし、少女に至っては・・・ものですらない。
「もとより、もらう義理も義務も無いだろう? 俺にはじーさんもばーさんも親戚もいない。今までどおり、かーさんと俺のふたりきりさ」
そういいきれば、かーさんはまるで何か眩しいものを見つめるように目を細めた。
「・・・そうか」
「そーだよ。大体あんな失礼な親戚なんか要らないね。もれなくすげぇ遺産が付いてくるって言われてもごめんさ」
「・・・あぁ・・・そーだな」
呟いて、ようやくかーさんが笑った。
ガキなんて現金なもんで、それだけで無敵な気持ちになれるんだ。
「お世話になりました。ありがとう」
俺はかーさんに続くべく、深く少女に頭を下げた。
(ぬしさま、なにか入用のものはございませんか)
「これ以上何もいらないよ。飯うまかった。風呂、薪炊きがあんなに気持ちいい物だってしらなかった。寝床はふかふかで、今迄で一番だった。本当に、もうここにこれないのが残念だ」
(ぬしさまは、ぬしさまゆえ・・・本当に何もいらないのですか?)
「まよいがの不文律か。ありがとな、でももう沢山もらってる」
そういって笑えば。
(・・・さようで。ではお引止めいたしますまい。いってらっしゃいませ、ぬしさま)
少女も華やかに微笑む。それから丁寧に頭を下げた。
「はは。・・・いって、きます」
思わず俺も頭を下げて、待てと思った。行って来ますじゃないだろ、さよならだろ!
なに言ってんだ、俺!
「あーはいはい。行ってきまーす!」
「いぃいたたたた」
かーさんが脇をすり抜けざま、頭を下げたまま固まってた俺の耳を引っつかみ、そのまま土間から一歩出た。
続いて歩き出した俺は、かーさんの背中に顔をしこたま押し付ける形になった。
「ぶふ!」
かーさんは後ろも見ずにさっさか歩く人だ。だからこんな風にぼうぜんと立ち止まるってのはめずらしい。
「・・・どーしたのさ、かーさ・・・」
珍しい事もあるもんだ、とかーさんの肩を掴んで脇に一歩、出た。
絶句、した。
土間から一歩しか出ていない。外はうっそうと茂る田舎の原風景だったはずだ。電車を乗り継ぎ乗り継いで、六時間もかけてようやくたどり着いた場所だったのに。
目の前には、見慣れたマンションの玄関、が。
「・・・俺ン家・・・?」
ぱっかりと口を開け放した母子ふたり。
・・・どうやら、まよいがは、どこでもドアになるらしい。
******
玄関を呆然と見つめる俺を尻目にかーさんが、困ったような顔で後ろを振り返った。
前面の見慣れた玄関、後方には緑豊かな日本家屋。体を押し包むような濃密な緑の香りにとまどう。
マンションの狭い共有廊下で、まさかの異次元空間。なぜにこんな状態に。
「いいのかい?長い約定だったのだろう?」
(はい。初代さまとの約定は、気の済むまで、とありました。代替わりは済みましたゆえ。柵も、制約もありません)
「・・・だが、やつら、そう簡単に引き下がるかな」
(益体も無い事。現に私は、そういう存在です。私が選んで、私が自分を捧げるのです。なんの柵がありましょう)
赤い着物の袖を揺らし、少女が笑う。
「・・・まぁ、それで納得するとも思えないんだが、閉じてしまえば届くはずも無い、か」
かーさんが何かを憂うように視線を揺らした。
(私が気を向けなければ、気付くことすら出来ませぬ。お分かりでしょう?かーさんさま。そして、彼らにはその資格も無い)
くすり、と笑う、赤い着物の美少女。弓月につり上がった口角を、なにか恐ろしい者を見る眼差しで、かーさんは声も無く見つめていた。
「かーさん?」
肩に触れるとはっとしたようにかーさんが俺を見た。
(ぬしさま、かーさんさまはお疲れのようでございます。よろしければ私が、精の付くものをこしらえましょう)
「いや、その、お、送ってもらっただけで十分だよ」
君だって、帰る場所があるんだろ?
だからもう十分。そう言って目尻を下げれば、少女は頬を赤く染めた。
(私、ぬしさまに憑くと決めたのです)
なんか、付くが違う意味合いにきこえたヨ。だらだらと背中を伝う汗は冷や汗だ。
「え、ええと、確か君はわらしさまって呼ばれて敬われていたじゃないか。信仰はあの場所にあるんじゃないのか?」
そんな簡単に捨てちゃっていいのか?
(・・・彼らは欲に溺れて「気」を磨くことを忘れたのです。当たり前のように甘受して、有る事が当たり前となっていました。彼らはきっと、豊かにしてくれる神であれば、マガツカミでも讃えるのでしょう。もう、何年も彼らの声は、私に聞こえてきませんでした)
少女は凛とした眼差しで見つめてくる。
(・・・それでもわたくしがあの場にいたのは、細いながらも彼らに初代の血が流れていたからでございます)
懐かしそうに目が細められ、何かを探すような眼差しでゆっくりと目線を合わせてきた。
(ぬしさま。最早、私に柵はありません。ぬしさまの傍にいとうございます。いさせてくださいませ)
赤い着物を着込んだ、黒髪の少女が何かを決めてしまった眼差しで見上げてきた。
(・・・ぬしさま)
あかいくちびるが、動くのを、夢の中の出来事のように見つめていた。
なんだろう、囚われたような予感が、した。
「こ・・・この唐変朴っ!女の子がここまで言ってるのに、返事もしないとは何事かッ!」
がしっとヘッドロックをかけられて、さらに四の字固めで絞められた。
「・・・かーさん、ロリは死ねって言ってたじゃないか・・・」
ため息吐いて、たしたしたし、と腕にタップ。
それから、少女の前に正座した。共有通路の一角だとか、床がコンクリでざらついて痛いとか、今は考えない。
まよいがの土間に立つ少女を見上げた。
「・・・君は、それでいいのか?」
(はい)
こっくりと頷いた黒髪の少女は、赤い頬も麗しい美少女だ。
わらしさま、と呼ばれるおそらく妖怪。童神。
「・・・その、俺はぬしさまなんて器じゃないし、君はどこへ行くにも自由だよ。それでもいいなら、お隣さんになろう」
玄関開けたら異次元の、ものすごく遠くて近い、お隣さんだけどね。
そう言って笑ったら、少女が大きく目を見開いた。
(私は私のしたいようにしております。・・・私ははじめから自由です。それに・・・)
「それに?」
ふふふ、と少女は笑って首を振った。俺を見上げるように顎を上げた少女が、するりと猫のように擦り寄って、腕を絡めた。
ふに。
「のわあっ、うわああぁっ」
ずざっと、体全体で引いてしまった。かーさんが、げらげら笑ってる。
しょっ・・・しょうがねぇじゃないか!免疫ないんだからっ!
(ぬしさまは、やっぱりぬしさまです。初代と同じことを申しました)
「・・・は?」
ですから私は、やはり、ぬしさまの傍にいたいのです。
赤い着物の少女が艶やかに微笑んだ。
********
遠くでかーさんが早く起きろと叫んでいる。もう少し、あと少しだけ寝ていたい。耳を塞ぐ為に布団をかぶろうと手を伸ばし・・・。
むに。
(ぬしさま)
「うわああああああっ!ごめんなさい、ごめんなさい、ち、ちち違う、襲ってないっ、うわそれまじヤバ!」
なんで毎朝、ベッドに潜り込んでるの、なんでそんなに薄着なの。
その布、隠す意味さらさらないよね、赤い着物だったのが、最近じゃもっぱら、赤い極ミニ肌襦袢一枚って何の拷問なの?
(ぬしさまはぬしさまですから。わたくしのすべてを捧げるべきお方)
少女は笑顔で見上げてきた。
うわ、やべ。鼻の奥がツーんと痛くなった。
この夏、俺は世の中の正しい男子の理想の嫁、妄想の嫁に懐かれた。
飯ウマ、朝寝床で冥府へ叩き込んでくれる理想の嫁だ。・・・年齢的に無理があるがな。
えろ可愛い理想のロリ巨乳。どうぞお好きに染めてくださいってくらい、積極的だ。
でも、青少年保護条例違反はダメー。
「朝からお盛んだねぇ~~」
にやにや笑って顔を出すかーさんを部屋から追い出し、お世話にこだわるわらしさまも追い出す。
それから制服に着替え始めた。おお、アイロンばっちり。ワイシャツなんかいぃ匂い。
緑を意識する香が焚かれて、くゆる。濃密な緑の記憶。
なんだか奇妙な同居生活が始まっていた。
気を抜くとまよいがの空間すり抜けて、わらしさまがいたりするから、気は抜けない。
お世話にこだわるわらし様がいつ出てくるか判らないのだ。たとえ風呂場と言えど・・・いやさすがに風呂とトイレは出てこないけど・・・ヌく時なんかは細心の注意が必要。一度現場を押さえられ(文字通り)下のお世話を買って出られたときは泣いた。泣いてかーさんに助けを求めたのは黒歴史。
女ふたりでこんこんと話し込んだ後、少女に頭を下げられて焦ったけど。
ってか、童貞の誇りってなにさ、かーさん。なにを教え込んでいるのさ。怖くて聞けないけどな!
(ぬしさま、今朝の献立は、ひじきの煮物に、厚焼き玉子、焼き海苔、漬物・・・)
「・・・わらしさまの梅漬け忘れないでね。あれが無いとご飯が始まらない」
(・・・もちろんにございます)
頬染めて微笑む可憐な少女の姿を見ていると、悩んでいた諸々が、実に些細な事と思える。俺の童貞が風前の灯だとしても。
「でも、しょっぴかれるの俺だよなー・・・」
歴然とした年の差ってもんがある。たとえ襲われたのが真人だとしても、最終的に喰ってしまえば御用。
少女の熱烈な愛情表現にやれやれと肩を落とした。