西の水妖・奪還戦
久しぶりにランキングに載って嬉しいさくらです。久しぶりの作品ですが、読んでくださるだけでもうれしいのに、ポイントまでありがとうございます。でも令和になってランキング見ると、さらっとした表題に違和感感じたので、少し文字を増やしてみました。副題つけたの初めてで、ちょっとドキドキ。2021/3/3
「ねえ、わらしさま」
(いかがしました、ぬしさま)
まよいがの不思議を使って、俺たちが現れたところは敵陣真っ只中。生い茂る草木と水の香りがあたりを包み込む、独特な空間。
宇治の橋姫の伝承が伝わる橋姫神社―――の境界内(異空間)に存在する岩穴だった。
ちなみに助っ人は五名。
少数精鋭だと叫びたい。
人族代表、普通の高校生・滝沢真人と、東の童神・わらしさま。
俺に憑いてる御神刀・時雨と、健気な石造りのかわいいやつ狛犬・コマ。
そして暇だから参戦したといってるけど、わかりやすいやつ。婚活パーティーで、相手が見つからなくて京都まで足を延ばした富士の雪妖・嗚雪だ。
古の大神様たちがそろいもそろって美丈夫だと知ったから付いてきたんだ。知ってる!
対するは 古都京都の代表格の鬼。
多勢に無勢? んにゃんにゃ、京の妖、それもラスボス級なら過剰防衛なんてならないし、むしろもっと助っ人が欲しいわ。
祟り神。
嫉妬の鬼。
丑の刻参りの元となった恐ろしい妖だ。手加減なんかできるはずがない、と意気込んでいた。
こいつは鬼だ。人の親父をさらって意のままにしようとしている、嫉妬の鬼……のはずなんだ。
悪女で、ヤバイ奴にまちがいないはずなんだけど。
<賀茂や、賀茂、なぜわかってくださらぬ、古より共に手を取り水を治めてきたであろうに。人の性、人の心ほどあやふやなものはない。賀茂や、また元のようにふたりでこの地を治めてまいろう>
腰まで垂らした黒髪は艶やかで、そのいで立ちはたおやかで麗しく、慈愛に満ちた黒い眼差しはいじらしいまでに一途。
この場所がほの暗い天然の岩穴の中でさえなかったら、天から差し込む一条の光が女神か天女の降臨の場面を表しているようにすら思えた。
とても嫉妬に狂って、その身を焦がし鬼となった稀代の悪女・宇治の橋姫とは見えなかった。
……まあ、その恋情の相手である青い着流しを着た美貌の青年はぐりんぐりんに縄で拘束されてたけど。
※※※
岩から染み出る水音、濃い水の気配に支配された空間。
その真っ只中で、目線を合わせる男と女。
ぴんと張りつめた緊張感。
……それを前に声を出すのは正直しんどかった。
「あのー、お取込みのところ申し訳ないんですけど」
一大決心して出した声は語尾が力なくかすれてしまった。
神秘的な青い鱗が男の頬や首筋に時折浮かび、光に当たってキラキラと輝く。……蛇のまなざしが俺のほうを向いた。釣られる様に女も目線をよこす。
女の目線がくっと細められた。蛇の瞳孔が、ゆっくりと見開かれる。どちらのまなざしも俺を映し出した。
俺的にはいつものお化け騒動で慣れた、怪異だ。
ただ初の(……でもないみたいだけど)父子顔合わせだ。
ぐっと腹に力を入れた。
「そこの大蛇、返してもらえませんか?」
<誰ぞ>
小さな、それでも背筋がすくみ上るような声だった。
ごくりと知らずのどが鳴る。
「……大蛇の子さ。最近夢見が悪くて、東の童神さまが伝手をたどって探してくれた大蛇を迎えに来たんだよ。とーさん、無事だね?(縄でぐりんぐりんだけど)」
着流しの青年が首をかしげて俺をまじまじと見つめた。
『真人?』
「うん」
『真人はもっとちんまいと思っておったのじゃが』
キョトンとした顔でそんなことをつぶやく。それに大きくため息をついた。
「あのねとーさん、俺、もう高校生。今日はかーさんの代わりに……」
まなざしは、蛇のそれだ。俺の親父、マジで大蛇なんだな。
『未咲は居ないの?』
子供の頃に夢で見た(と思っていた)青い着流しの男の顔が、悲しげに歪んだ。
「とーさん?」
『……われが情けなくも女妖に攫われて拘束されたから? 逃げられなくて無様をさらしたから?』
「ちょっ、とーさん?」
男の独白に、洞窟の中に揺蕩っていた水が渦を巻き始めた。
『そりゃあ総ての結界壊す勢いで暴れれば、この橋姫の拘束でも外せるけど、それって天災級じゃからね? われこれでも京の守護を司る水神じゃよ? 京の守護の最強布陣を壊すわけにはいくまい? もちろん未咲の雄姿をもう一度見たいと思ったのも本当じゃけど』
着流しの男と大蛇の姿が重なりブレる。その異様にも頓着せず、男が―――大蛇が―――つぶやいた。
見る間に大蛇の姿を取った男の、青い瞳がうるうると潤み始める。もちろん爬虫類の目だ。
あっという間にそれが決壊し、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ち、大きく息を吸い込むと叫んだ。
『ぺええええええええ!!!(みさきいいいいいいい)』
「と、とーさん?」
渋い男の声と警笛のような声が重なって聞こえる。
『ぺええええええええ!(女怪に攫われた夫なんていらないの?未咲いいっ)ぺえええええええ!(貞操は守ったのえ、みさきいいい)ぺえええええええ!(卑猥な縛られ方してしまったわれに愛想をつかしたの?)ぺええええええええ!(かっこいい未咲にまた会えるなんて思ってしまってごめんなさあああい!)』
かーさんに捨てられる(かもしれない)と慌てふためく男の叫びがこだまする。縄に戒められたまま大蛇がびちびちとのたうつ。
<賀茂の。迎えにも来やしない、薄情な妹など、捨ててしまい。またふたりで、ふたりだけで水に沈もう。我が背の君>
「そこ!すかさず亀裂を入れようとしない!」
『ぺええええええ(われお前の背の君違うううう!みさきいいいい!)』
鬼女がしなだれかかるが、大蛇は全身全霊で嫌がってのけぞっている。一生懸命びちびちしてる!
宇治の橋姫神社の境内は、異様な空間となっていた。
どこからともなく水音が響き、次の瞬間ざんぶりと水を頭からかぶる。どっから来たのさ、この水、宇治川か? 地下水脈が地表にこんにちはしたんじゃあるまいな!
ちょ、ちょっと待てこら。コントロールの一つもできないのか、水妖!
「落ち着いて、とーさん! かーさんに頼まれたから俺たちがここまで来たんだよ! かーさん、別に来たくないから来なかったわけじゃない……ちょっ、ちょっと話を……泣き止んで、おぼっ溺れるっ」
どぱーんと水をかぶる俺に、頓着せず、なおも大蛇は泣き続けた。
ちょっと、張り倒したくなってきたぞ。
『ぺええええええ(嫌われたあ)!ぺええええええええええ(われ、もう生きていけないいいいい)!』
さめざめと泣く、縄でグリングリンにされた大蛇が元気いっぱい、びちびちすれば。
ざんぶざんぶと濁流にのまれてアップアップする俺。
「ぷあっ、みんな、だいじょうぶか?」
一緒に来た仲間たちはと、周りを見渡せば、俺のすぐ隣で波頭に正座してすまし顔のわらしさまと目が合った。さすが。一滴たりとも濡れてないのはわらしさま仕様だ。
「あれっ、わらしさまコマは?」
(水が引けば平気かと)
「あ、うん。石だもんなー」
石の狛犬・コマは波に呑まれて浮かんでこない。
「嗚雪さんは……『雪女はあそこで上機嫌でござるよ』あ、いたわ」
雪妖・嗚雪はきゃっきゃしながら波の上を走っている。ほんとにさ、重力とか引力とかに喧嘩売るのやめてくれないかな。
「『真人、父君に声をかけてやらんか。あの母君が愛想をつかすわけないであろう?』……そうだな、この水なんとかしてもらわないと」
けろっとしてる女性陣と、時折声をかけてくれる、時雨。
そしてぺえぺえと泣き続けている大蛇。
『青いのー。青すぎる潔癖ちゃんだのー。良いじゃないか嫁に会いたくても会えない距離なのがいけないんじゃよー。それでなくとも、我ら雪妖と同じく水の性を持つ水妖ならば、他者の精気を吸わねば生きていけんもん、すっちゃえすっちゃえ』
水の勢いにもっていかれたのか、美しい姿を保っている上半身とうらはら、シャーベット状に崩れた下半身で、けらけらと笑う雪妖。
「ばっか! 無責任なことをすすめるな!」
(はじめはどうあれ、このような不自由事をのみこんで、かーさんさまを待っていたようですし、情状酌量の余地はあろうかと)
『ぺえええええ(わし浮気してない)!ぺえええええ(未咲いいい)!ぺえええええ(未咲いいい)』
「浮気してないのは当たり前だからな、連絡は……まあ、できなかったみたいだし、セーフか?」
ざっぱーんと波に流され、わらしさまの膝元に流れつきしがみつく。
(ぬしさま、お怪我は?)
「平気」
わらしさまが懐から取り出した手拭いで、ざっと水気をぬぐってくれた。瞳を合わせて苦笑する。
(蛇妖は、自らの子より妻のほうを尊ぶものです、お気になさらず)
「うん、まあ仕方ないよね」
片親が大蛇とか、こんな問題抱えてるのは俺くらいだ。
(しかし、少々やりすぎておりますな。ぬしさまの声すら届かないほどに、我を忘れてしまうとは。それほどの結界それほどの戒め。さすが京の女妖。……しかし、ぬしさまにあだをなすなら話は別にございます)
「わらしさま?」
(なにより、宇治の橋姫ほどの女妖が積み重なった怨念に雁字搦めになったあげく、彼我の区別ができなくなるとは。まるで見当違いな相手にそれを求めるなどあってはならぬことかと。悠長に構えていた西の烏天狗に物申したいところですが、だからこその助力、だからこその神楽鈴なのでしょう。ほんに京の妖らしい回りくどさかと)
「わらしさま、褒めてるんだよね?」
いつになく厳しい指摘に、俺も少したじたじになってしまう。
烏天狗の導きがなかったら、京の社めぐりもできなかっただろうし、とわらしさまを伺えば。
(褒めております。京の大妖怪ともなれば軽々しく動くことすら叶いますまい。動けば日乃本の国が沈みましょう)
うっすらと微笑みを浮かべる。ぞくぞくさせる微笑だ。
『まわりくどーい。恩着せがましーい。自分たちだって手をこまねいていたんだろうに、まー、上から目線で振り回す振り回す! はっきり言えばいいじゃないのねえ。橋姫ちゃんが人違いの横恋慕するくらい自分を見失っているんだから、目を覚まさせてやってくれないかって!』
『そのとおりじゃ』
「時雨?」
雪妖の言葉に、時雨までが賛同した。
『におうのよ、真人。恋情に縛られて身動きできない哀れな女の嘆きと腐れを払おうとあがく女の嘆き、ただれて腐れた膿の匂いが、あの時のお嬢さんと同じヘドロのような魂の穢れた匂いだ。もっと爛れてしまう前に切り伏せてやらねば、以後も永劫の苦しみの中に囚われたままとなろうぞ』
「……狂う前に、何とかできなかったのかよ……」
それしか方法がないとしても、忸怩たる思いに捕らわれる。
(我らに意地があるように、彼らにももちろん意地がございましょう。手を尽くしたことは確実かと)
「わかってるよ、でもさ、それでも、狂うほど好いた相手を忘れてしまうなんて、あの鬼女(橋姫)だって望んでなかったはずだよ」
もう少し早く、だれかが橋姫の異常に気が付けたなら。
好きな人を忘れて、さまようことも、狂うことも、うちの親父が巻き込まれてしまうことも、なくて済んだんじゃないかって思うんだ。
俯き、苦いものを噛みしめていた俺の手を、握りこむ小さな手。
「わらしさま?」
右手のひらがほんのりと熱くなる。
(京の妖とて、橋姫が心配だったのでしょう。だからこうして我らを招いてくれたのではありませぬか。とくに時雨は、ご神刀に自ら成りえた刀でありますれば。悪しきモノのみ切り伏せ祓うこともかないましょう。神代の昔からこの地に住まう妖たちの許しがなければ、いかなわたくしとてすんなり結界内へは入れませぬ)
それがたとえ、切り伏せ鎮めるためであろうとも。
「―――救いに、なるのかな」
(ぬしさまにこうして悼んでもらえるのであれば、それはもう調伏ですらありませぬ。それを人は許しというのではありませぬか?)
「……そうかな。そうなってくれたら、いいね」
淡く微笑むわらしさまに、俺も微笑み返した。
(それでは、ぬしさま、気を頂きとうございます)
「俺のしんみり返して」
※※※
(……では仕切り直しまして。ぬしさま、気を頂きとうございます)
「ぶれない」




