ぬしさまの御尊父3
(話がそれました)
こほん、と咳をすると、かーさんさまも居住まいを正した。
(その西のあやかし殿の事にございます)
「田に水も入っただろうし、新緑も芽吹いているから……。わらしちゃんの守護もあるし、安心して仕事してると思うけど?」
(このところ、ぬしさまの夢見が悪いのをご存知でしょうか。わたくしの領域であるにも拘らず、ぬしさまに不調が見られるのです)
「この間の修学旅行で"また"厄介なものを連れてきちゃったかなって思ってたんだけど違うの? 小さい頃から怖がりな癖に、物の怪の類にはよくよくよーく好かれる子だったから」
あははははと笑い飛ばすかーさんさまに、ふふふふふと微笑む。背中におどろおどろしいナニカが見えるようだ。
「まあ、わらしちゃんがいるから、そのうち勝手に浄化されて、勝手に成仏するだろな、って思ってたんだけど」
(その信頼、とてもうれしゅうございます。ですが、かーさんさま。京の都は、ただでさえ厄介な魑魅魍魎が跋扈しておりますから、この度の旅行に合わせて勝手ながら守護の陣を三重にして対処しておりました)
乳女(雪女)みたいな物の怪や、ヤドカリ刀のような付喪神に、またなつかれでもしたら大変だ。
(ぬしさまはお優しい故、困ったようなお顔をしながらも、きっと彼らに手を差し伸べてしまうでしょうから)
先回って京の妖怪どもに、この稀有な魂が誰の主であるかを盛大に知らしめてあった。鞍馬の天狗の長殿がご神木から転げ落ちたとか、鼻の骨を折ったとか聞いているが定かではない。
だがこれだけは言える。年だな天狗め、耄碌しおって。
そしてぬしさまの一番は誰にも渡さんぞ。
これ以上の寝取られフラグはいらんのだ!
ぐっとこぶしを握り締めるわたくしの真剣な姿に未咲の顔が曇った。
「じゃあ、ほんとにあの人に何かあったんだと思うんだね?」
(杞憂であればと思っております。かーさんさま、連絡をとるあてはございませんか?)
「ちょっと待って。鱗預かってるんだ」
胸元から細いチェーンを引っ張り出す。陽光に充てられ、鱗が七色に輝いた。
(ほう、これは何ともはや……)
何と業の深い贈り物か。
*****
ぱん! と両手を合わせて拝みだしたかーさんの様子に、俺はムムムと眉間にしわを寄せた。
「真人、お願い! わらしちゃんと一緒に京都行ってきて!」
「俺、明日も明後日もガッコあるんだけど」
忘れてないよね、まいまざー。六月は国民の休日がないんだぞ! しかも最近じゃ土曜日に授業やる週もあるのだ。
(放課後、まよひがにて京の都へ参りますゆえ、移動にはお時間を取らせませぬ)
おおう。なんというまよひがクオリティ。和製どこでもドア―。
「わらしちゃんの全力を引き出させるには、真人がいないとだめなんだよ。なんたって、わらしちゃんは家に付いてるんじゃなくて、真人に付いてるでしょー?」
「う、うん」
全力という言葉に、とある記憶がよみがえって、顔に熱が集まる。
唇に触れた、しっとりした弾力。甘い香り。振り返り見つめられた眼差しは、いつもの角度ではなく、腰をかがめる事も無い、素のままの立ち位置で目線が重なった。
赤い唇を抑えた嫋やかな繊手、ほのかに色づいた指先の桜色と、恍惚のため息をもらした美しい大人の女性のおもかげ。目の前の最強幼女によく似た、優しげな横顔。
そうと知られないように目線をさりげなくわらしさまから外した。
顔が熱くて仕方がない。
……わらしさまの顔を真正面から見られなかった。とくにその小さな赤い唇を。柔らかくて、いい匂いがしたっけ……。
(おそらく一度の口吸いでは、邪を払いきれるか、どうか)
「(がふぅっ!)う、そんなにヤバい相手なんだ。それはもちろん、協力するよ」
思い出すんじゃねえ、俺!
あの時のキ……違うっ口吸いだって、鋭気の譲渡だって、わらしさまも言ってたじゃないか!
おとぎ話の住人であるあやかしにとって、生きている者の生気ほどに、強力なエネルギー源は無いってことだろう。特に意味は無いはずだ。
そうさ、あれはエネルギー補給!
ゼリー飲料みたいな十秒チャージなんだよ! 勘違いすんな、俺!
『おおお~。なんぞ甘いのぉ~、甘くて酸っぱい匂いがするのぉ~。この恥じらい、この初々しさは、なるほど、山男には出せない清らかさよのぉ~。なるほど、これはこれで、子宮にガツンと来るものがあるのぉ~。わっぱよ、どうじゃ、京の旅が終わったら、わらわにその初々しい童貞男子の精気吸わせてくりゃれ』
「来世の命まで吸い上げられそうだから却下」
<きゅん、きゅん、く~ん>
童貞男子としては、精気の吸い上げ方法に、がぜん興味があるけれど、死と隣り合わせの雪女との熱い(凍える)夜はごめんだ。
誘惑に抗っていると、俺の眼の前では雪女の嗚雪が、狛犬のコマを抱きしめて、身を捩っていた。その立派な胸部装甲にコマの般若顔がうずまる。
むにんむにん、ぎゅむぎゅむり。
……一夜のお誘い、躊躇なく蹴ったけど……ちょっと揺ら…………揺ら……。
(乳女め、世迷い事を申すな!)
わらしさまの背後から、極寒の雪女でさえ凍り付かせるような妖気がほとばしった。
「わらしさま」
(この一大事に、貴様らが思うような不埒な思いなど欠片もないわ!(抱き上げてもらって口付けて貰おうか、上目遣いで見上げて誘って、強引に奪ってもらおうか、それが問題だ。勝負襦袢は何色にしよう。素肌がすけるほどの薄い絽の朱色か、はたまた萌黄色か。そもそも襲ってくれるほど童貞拗らせていないぬしさまゆえ、さじ加減が難しいのぅ))
……なんだろう、なんか妙に背筋がぞわぞわする。
「じゃあ、京都に行くことは決定で、俺はどうすればいいの?」
(西の水のあやかし殿とさっぱり連絡が取れないので、ぬしさまの気から辿ろうかと)
そこでなぜかがっくりとかーさんが項垂れた。いつも身に着けているネックレスを、今日は珍しく片手で握りしめていた。
(わたくしが第一に守るべきはぬしさまの御身とそのお心です。わたくしに敵対するあやかし共も、ぬしさまの存在がわたくしの最大の弱点にして、最凶の逆鱗だと存じているはず。それでも彼の水妖を捕らえ、それによりぬしさまに不調を強いたのです。これはわたくしに対する宣戦布告。西の水妖を足掛かりにぬしさまに、ひいてはこの東の地のあやかし達に剣を向けると同じこと)
わらしさまが激オコなのはわかったけど、西の水妖がなんで俺に対する足掛かりなのかさっぱり理解できないんだけど?
「わらしさま。俺、西の水妖に心当たりはないんだけど」
(かーさんさまに確認を取ってもらいましたところ杞憂ではない事が判明しましたので)
「?」
わらしさまはまっすぐに俺を見据えるだけだ。そして冷静沈着なかーさんが珍しく憔悴していた。
「おねがい真人、あの人と連絡が取れないの。こんなことはじめてなのよ」
俺の父親が、何か悪いことに巻き込まれているかもしれないことはわらしさまから聞いてて分かってたけど、それがどうして西の水妖と同義語になるの。それにその口ぶりじゃあ、マジで……。
「……西の水妖って本当に俺の親父なの?」
(西国の水を司る大蛇だそうですね)
「ちょっと待って、人型ですらないの!?」
俺のおやじって、まさかの蛇ィッ?ちょっとかーさん!
「お馬鹿!ちゃんと人だったわよ!そりゃたまーに蛇の時があっただけで!」
「やっぱ蛇なんじゃんっ!」
慌てまくるかーさんを尻目に、俺は封印していた遠い昔を思い出した。
そう、あれは小学生のころの―――――トラウマ物のホラー体験。
月のない夜だった。
星の光さえ届かない、墨を吐いたような真っ暗闇。
なのに、アパートの窓ガラスの向こうに大の大人でもビビるサイズの蛇のシルエットを確かに見て、大騒ぎしたことがあったっけなあ。110番をしようとする俺をかーさんが全力で止めたっけ。
あ、そうそう。その夜、聞こえてきた風の音が、人の声に聞こえて震え上がったっけ。
『まあああさあああとおぉぉぉこおこおををををおおおあああけてえええおおおおくうううれぇぇとおおおおおさあああんだあああよおおおおお』
…………うわ。思い出しただけで寒気が走った。
風の音と、窓ガラスをたたく音、人とも風ともつかぬ声。小学生のガキにとっては怖くて怖くて、耳をふさいで布団被って、震えてたっけなあ。
泣きながら震えていると、かーさんが窓を全開に開けて、『お馬鹿-!どうして本性晒したままなのよ!怖がってるでしょ、馬鹿!やりなおし!』って叫んだんだった。
そしたら窓の外に、いつのまにか泣いて謝る、腰の低い綺麗な男の人が立ってて。
気絶したなあ。
……アパートの部屋、三階。
しかもかーさんが開けた窓って、ベランダも何もない、ただの窓なんだな。
叫ぶよな?叫ばないはずないよな?
俺も叫んだ。
ギャーって。で、気絶した。
今思えば。
あの蛇がやって来る時は、いつもかーさんが、嬉しそうな顔で「真人!おとーさんが来るよ!」って言ってたっけなあ。
父親に会えると喜んでいたのに、いつの間にやら、おばけ騒ぎ。
かーさんに引っ付いてギャン泣いてると、怖い蛇はいつの間にかいなくなって、涙目な男の幽霊がこっちに向かって手を伸ばすシーンで、震え上がって、そして朝を繰り返したっけな。
あはははは。じゃあ……。
「……蛇が父親?」
え、ちょっと、まじでメンinブラックの世界だったの?
過去の記憶と自問自答してみる。
シルエットの蛇は、後光が差しているように光っていたような気がするぞ。そのあとに垣間見た、泣いてる男は深い藍色の着物を着た、涼し気な男だった。
「ま、まじで」
一瞬頭の中が真っ白になった。
それでも記憶を呼び覚ませば覚ますほどに、あの蛇が父親に違いないと、すとんと腑に落ちる。
なんだ、俺にもちゃんとオヤジが居たんだ。
捨てられたわけじゃなかったんだ。
そんな俺のまわりで、あやかしたちが勝手に盛り上がり始めていた。
『心配無用じゃ、わっぱ! 親父殿の窮地、助太刀してしんぜようぞ。富士の雪妖は、わっぱと童神殿に付くと皆でもう決めておるのじゃー! 大恩ある童神殿が、せねばならんと断じた事じゃ。ゆえに正義は我らにあるのじゃー! それにの、富士の雪妖が童神殿に付くということは、たいていの山の妖は童神殿に付くことになる。われらそれほどに古く、霊験あらたかな強い妖じゃからの!』
拳を振り上げるな。
熱弁すんな。どこの戦争狂だ、雪女が熱くなってどうすんのよ、溶けるだろ! こおり、こおり!
<きゅー、きゅきゅきゅ、きゅん、きゅー!>
『うむ、コマ殿も神社仏閣に鎮座しているお仲間たちに、陳情して回っても良いと言っておるぞ』
峰雪さんがコマを抱き上げて差し出してくる。すると、俺の口から時雨の声も聞こえた。
『さもありなん。先に童神殿の神域を穢したのだから、報復するは我にあり、だな』
「ちょ、コマ? 時雨? なんでそんなに好戦的なの?」
俺は慌てて鏡を覗き込んだ。
鏡に映る平凡な俺の眼が、妖気を帯びて青く光っていた。
『真人。人斬り刀の前歴を持つわしが言うのもなんだがの、この身を奪われ意のままに操られる恐怖というものは、一朝一夕では消え失せぬ。だが、わしには、わしには……お前がおった。真人。童神殿がおった。コマ殿がおった。貴殿らに受けた大恩を、ほんの少しでも返したいだけだ。……それにわし、童神殿に浄化してもらったから、今じゃ立派な御神刀の端くれじゃもん。邪気を切るのはわしの仕事だ』
もちろん、宿主である真人の身体を使わせてもらうけど、と鏡の中から時雨が笑った。
「……そりゃ、こっちの台詞ってやつだよ。だって俺一人でわらしさまに付いて行っても、単なる足手まといにしかなれないじゃん。時雨やコマや鳴雪さんがいてくれたら、心強いよ? だから、どうか力を貸してくれないか?」
そう言うと、鏡の中の俺が笑ってうなづいた。
心強さに胸が熱くなる。
『なーなー、かーさんさま、童神殿。西の水妖のところには、どんなおのこがおるのじゃろうなー? 筋骨隆々が良いのぉー。むかーし、僧籍にありながら薙刀振り回して無双していたおのこのような。ひょろいおなごのようなおのこに仕えて、西から東へ旅しておったが、あの腰回り、棍を振り回していたあの胆力、一晩におそらく五回抜いたとしてもなお衰えぬだろう太い首と太い腕! あの僧兵くらいのおのこに音を上げるまで攻め立てられたいものじゃー』
雪女がまたエロいことを口走っていた。
どうしてくれよう。いい雰囲気だったのに、台無しだ。こいつの頭ん中は、九割九分が色事だ。
「あっは、鳴雪ちゃん、現代にそんながつがつの肉食僧兵はいないんじゃないかな? あ、そうそう嗚雪ちゃん、あの人以外だったら誰を誘惑してもかまわないけど、一応食事する前に相手の同意とお許しだけはもらってねー?」
「かーさん。お許しもらっても俺が許さねーから! 相手した奴死んじゃうだろー!」
「そこはほら、生かさず殺さず、精液吸い尽くすくらいで」
「それで済むはずないよね!」
(武蔵坊弁慶とか名乗ったあの忠臣は誠素晴らしい性根のおのこだったが、もっとも今目の前に立っても、ぬしさま以外のおのこになぞ、とんと興味はないわ)
『っか~~~~~! 枯れてる! 枯れておるぞ、東の童神殿! おなごはいつ何時でも、子宮をうずかせるおのこにであったら、接近して足払い!かーらーのー、もろ肌見せてのしかかっての色仕掛けであろうが!』
(ふん。色情狂め。貴様の言うおなご像とはまっこと、あさましき色鬼ではないか。そしてわたくしは枯れてなどおらん!)
「あー、分かった!よく分かったから、さっさと血筋血縁辿って親父のところに行こう!ほら、わらしさま!」
ひょいとわらしさまをだきあげると、ピタリと口喧嘩が収まった。
そのまま、まよひがの表玄関を見た。
見慣れた都会の風景が、深緑の森の風景に変わって行く。
空気が変わるのを感じた。
濃い緑の匂いと、そして。
「水の音……?」
まよひがから玄関の向こうには、緑と巨石群と飛沫を上げる滝と、青々した広大な湖が絵画のように配置された世界があった。




