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ぬしさまの御尊父 2

 父親。

 ずっとあこがれて、でも手に入ることはない存在だと知っていた。

 春夏秋冬。季節を巡る行事に参加する同級生の父親たちが、うらやましくないと言ったらウソになる。

 でも、俺にはかーさんがいて、かーさんには俺しかいなかったから、別に寂しくなんかないと前を向いた。

 母子家庭だと偏見の目で見られるから、勉強には力を入れた。でも勉強だけではなく同級生とバカ騒ぎもして、そつなく先生の雑用も請け負って、さりげなく多岐に渡って頼れる滝沢 真人像を作り上げた。ひとり親家庭で暮らす男子は、二人親家庭の女子より、よほど女子力がある。

 腹を満たすための料理、清潔に暮らすための掃除、洗濯、忙しいかーさんの代わりにできる事からこつこつと覚えていった。家庭科実習のカバン作りだって、シャツ作りだって女子よりよほどうまくできた。当然だ。ボタンなんか気を抜いたらどっか飛んで無くなってたからな。

 勉強も運動も適度に出来て、仲間と適度に羽目も外す、笑いのツボを押さえた男なら、目の敵になりにくい。

 ま、誰もがうらやむような容姿じゃなかったのも幸いした。これで見目が良かったら、反対にやっかみで絡まれた事だろう。


 まあ、最近じゃ、わらしさまのお手製重箱弁当と、美幼女のあーん攻撃で、野郎どもの目が怖くなっているが、俺はどこにでもいるフツメンだ。


「とーさんの話は、小学生の頃に一回したっきりで、かーさんなら何か知ってるかもしれないけど……」

(さようで)

 では、かーさんさまに伺いましょう、とわらしさまが目を細めた。

 教えてくれるわけないじゃないか、という言葉は何とか飲み込んだ。実の息子にさえ話せない父親像なんだ。生まれてからこっち、会ったこともない、生きてるのか死んでるのかえ定かではない。

 現に写真の一枚も手元にない、その事実。離別か死別か、いずれにしてもダメ親父像を想像するのは簡単だ。

 かーさんも事とーさんの事になると、口ごもってしどろもどろになるから、なお怪しい。

 大昔の寂しいという気持ちが蘇りそうになって、慌てて気持ちを切り替え、俺はゆっくりと立ち上がった。

「……目まいも収まったし……ガッコ行ってくる……」

 どんなに調子が悪くても、わらしさまクオリティのまよいがで休めば、短時間で回復できる。身体能力が爆上げされるのか、病気の類とは無縁だった。

 玄関開けたら、喧騒渦巻くクラスの後部扉だった。急いで扉を締め切る。背後でゴンと音が響いたのは、今日もまたコマがあとを追おうとして、扉に阻まれた音だろう。


「おはよ、真人! どした、寝坊か」

「はよ、清秋せいしゅう。少し寝過ごした」

 ごそごそとカバンから靴を出して履き替えていると、クラスメートの橘 清秋が声をかけてきたので軽く返す。

「なんだ、調子悪そうだな?」

「まあ、な」

 世話好きのクラスメートは結構目敏い。ちゃんと飯食ったのかと問いかけれられて、大丈夫だと返す。

「ならいいけど、一限目は古文だぞ、教科書出しとけよ、目の敵にされっぞ」

「ああ、すまん」

 そのまま、どこか上の空のままで、一日が始まった。古文の担当教師が入ってきたので、慌てて席に着いた。

「……余談だが、古今和歌集には伝説の世界も描かれていることもあるぞ。まあ、伝説と言ってもなあ……宇治の橋姫の伝説なんかはえらく美しく脚色されてるぞ。たとえば」

 教師の言葉は上滑りしていくだけだ。

「……さむしろに衣かたしき今宵もや 我をまつらん 宇治の橋姫 とかな。こわーい嫉妬の鬼も、詠み手に掛かれば、どこかロマンチックにきこえないか?」


 いつもなら子守歌のように聞こえるものなのに、その詩がいやに耳に残った。



 *******



(おかえりなさいませ、かーさんさま)

「たっだいまー! ふひゃー、めまぐるしかったー!」

(お疲れでございましょう。軽い食事の準備はできておりますゆえ、まずは汗をお流しくださいませ)

「やーん、わらしちゃんったら、理想の嫁! むしろ私が嫁に欲しい!」

 ギューッと抱きしめて、ぐりぐりと幼子の頬に頬を合わせる。ぷにぷにむちむちの感覚が懐かしい。

「真人もさあ、こーんなちっこいころは、むちむちのぷにぷにで、頬っぺた合わせると、顔を真っ赤に染めて恥ずかしがって、でもうれしそうに笑ったんだよ、わらしちゃん」

(さよう、で)

「そうそう。最近じゃ、恥ずかしがって抱きしめさせてもくんない……つまんない」

 むにむに。ぐりぐり。ぎゅーっと抱き着かれても、美幼女の眉はピクリともしないが、振りほどかれないだけマシなのだろう。

「フフフ。今日もご飯とお風呂のお礼に、真人の子供の頃の話をしてあげるね!」

 にこにこと良い笑顔で言い切った未咲と、きらりんっと瞳を輝かせた童神は目を合わせて笑い合う。

 人と神が共存するまよひがのあるべき姿がここにあった。男子高校生の羞恥心に目をつむれば、平和な光景だった。

(ささ、かーさんさま。ずずいと奥へ。本日は河童が奥会津の良い酒とつまみを持参しましてな……)

「はーい、おっじゃまっしまーす!」


 ひと風呂浴びて、真昼間から切子グラスに注がれた酒を口に含む。

 喉を焼き、胸を焼き、鼻から抜けていく香りを楽しむ。

「ああ、やっぱ、花泉はひと味違うねえ」

(それはよろしゅうございました。こちら河童が今朝釣り上げました若鮎でございます。まずは炙りたてを骨ごとそのままどうぞ。お好みで蓼酢や蓼味噌もご用意してしてありますから、お試しください。ささ、もう一献)

 三寸五分の小ぶりの鮎が炭火であぶられている。ぱちぱちと油が滴る音と、香ばしい香りに、期待が膨らむ。串を持ったまま豪快にかぶりつくと、よく焼けた皮がぱりっと弾けた。中の身はしっとりとジューシーで噛めば噛む程、うま味が襲い掛かってくる。

 夢中で尻尾までしゃくしゃくと口の中に詰め込む。骨は全く気にならない。それどころか炭火であぶられた鮎の、うま味たっぷりの肉汁が、じゅわりと出てくる。やけどしそうな熱さだ。頬の内側が熱い。

 そこへ、きんと冷やした酒を含む。

「~~~んっ! これは、罪作りだわ、わらしちゃん……」

 恍惚の吐息がもれる。

 うまい酒とうまい肴の最強タッグだ、止まんないじゃないか。むしろどうやったら止められるのか、教えてほしい。

(こちらはいかがでしょう。玉梨とうふ茶屋の生揚げを炭火であぶり味噌をぬってさらにあぶった田楽にございます。同じく南会津産のアスパラガスも、程よくあぶってあります。こちらは山塩をつけて召し上がってみてください)

「くあー! 何たる贅沢!」

(ときにかーさんさま。ひとつお聞きしたき義がございます)

 なにものをも逃がさない強い眼差しで、童神が未咲を見つめた。

「うん」

(ぬしさまのご尊父のことです)

「真人何か言ってた?」

(…………顔も名前も知らない、と。生きているのか死んでいるのかさえ分からない、と)

 ひょいと肩を竦めた未咲を静かな眼差しで見据えた。未咲は飲み干した杯を片手でクルリと揺らして、長いため息を吐いた。

「あの子は妙に聡くてさあ……。よく言葉を飲み込んで我慢してしまうんだ。願う前に諦めちまうの。悪い癖なんだ……ホントそっくり」

(ご尊父は今どちらに?)

「……教える前に、約束してくれる、わらしちゃん。真人の手を離さないって、誓ってくれる?」

(もちろんにございます)

「あっは、即答だ! 愛されてるじゃん真人。さっすが私の子だね! じゃあね、教えてあげる。真人の父親はね――――――――――人間じゃないんだぁ」

(……ああ、やはり)

 童神は、自分の中で浮かんでいたあやふやな答えと合致して、その面に納得の色をのせた。

(あの水のような澄んだ気配。霊験あらたかな修験者と言われても納得の清らかさ。あのけしからん親族共の迷言にもひるまず返す心根の澄んだ美しさ。あの年ごろにありがちな、青くて酸っぱい青少年が持ってて良い類の度量ではありませぬ。もっと欲に満ちてギラギラしててもよろしいのに、ぬしさまは一向に手を出して下さらぬ……ですがそれもこれで納得ができました)

 うんうんと頷いている童神を見て、未咲は吹き出した。

 どうしようもなかった現実を前に、よく曲がらずに生きてくれたと思う。

「き、きーよーらーか! あは、あはは! そうだねえ、あの人もえっちい事とは無縁の世界に住んでますってお綺麗な顔をしてたよ。でも一回発情期に突入すると、しつっこいのなんのって、身体中の水分という水分、搾り取られるかと思ったもんよ」

(ほお。常には清廉潔白な風情を見せて、その実秘めたる劣情とはなんとも業の深い……してどこの妖なのですか? ここより北ですか? それとも南? こうして我が神域におられるという事は、ご尊父の質は闇のものにあらずという証)

「西の方だよ。学生やってた時に迷い込んでさ。捕まっちゃった。でもあの人は土地を離れることが出来なくて。学生の頃は良かったんだけど、私だって自分の夢を諦めたくないからここにいる」

「土地持ちの妖怪の執着を振り切るとは、なんと剛毅な! さすがかーさんさまです!」

 きらきらした眼差しで、尊敬の念を送る童神に未咲は微笑んだ。その手腕、見習わねば。

「でも期間限定よ。人間としての生を存分に生きたら、あの人の眷属になることを魂に刻まれてんだから。それでもあの人の領域から出るときはそりゃあたいへんだったんだよ? あの人が泣けば大雨振るし、腰を上げれば地震が来るんだもん。動けないけどすることはできるから、何度か死ぬかと思った。死んだら眷属決定してたから、計画的犯行かと疑ったもんだ。あ、そうそう真人を身籠った時は、星が降ったのよ?」

(……そ、それはそれは……。なんという伊邪那岐ぶりかと……ですが、そうですか。魂に刻むのか……いい事を聞いた(ぼそーり))

「……でもさあ生まれた真人は、あやかしの特徴を全然持たない、人間だった。とっても弱弱しくて、あの人の領域では到底育てていけなくて。この国ってシングルマザーとその子供には結構厳しいけど、やっぱ行政の支援って貴重なのよね。で、母親の私もこっちを拠点に生活することにしたのよ」

(それは、よく許可されましたね?)

「だってさあ、水の中で赤ん坊が生きられると思う? 風邪ひくよ?」

(はは。なるほど、ご尊父は西国の水の妖ですか。ですが、それでも一目くらいご尊父にとは、思われなかったのですか? ぬしさまは顔も名前も知らないとおっしゃっておりました)

 真人の気持ちを思いやったのか、その瞬間だけは童神の気が尖った。

 だが未咲はやはり腐っても妖の妻。

「……子供の頃から何回も会いに来るし、私だって何回も会わせてるわ!」

(ええ? そのような風情は……)

 言い淀んだ童神の肩をガシッと掴んだ未咲は、ググっと顔を近づけた。酒臭い。飲ませすぎたか。

「真人はね、怖がりなの。筋金いりの怖がりに、なっちゃったのよ」

(スジガネ 入り……)

 あ、なんかわかった気がする。と童神は思った。

「男ってバカよね。息子に良い所見せようと張り切ったあげく、本性晒して大泣きされて、それでもめげずに妖時間・・・に会いに来るのよ!」

(ははははは。妖時間、そうですか。それはそれは何という怪談いやいやいや、和製ほらー、けほんけほん)

 黄昏時に現れる、レアなあやかしペアレント。何というレアモン。

「おかげさまで、堂々と彼があなたの父親だと言い切ったら、即効でベッドに放り込まれて、看病始めた息子(小学一年生)の出来上がりよ! ますます頼りになる息子になって母嬉しいけど、うれしいけどおおお!あれ以上何といえばよかったの?」


 滝沢 未咲(41歳)未婚、子供一人と同居中。

 奨学金制度をフルに利用して勉学に励む。一人息子を育てつつ、外科の腕を磨く。息子には寂しい思いをさせたと思ってはいるが、同じ境遇の女性看護師達とは、戦友である。今ではアメリカからも引き抜きの話が舞い込む女傑。とある地方都市の豪族の血筋であるが、出奔して久しい。からりとした性格ゆえに男女問わず友人は多い。求婚話は笑って取り合う気配はない。ちなみに求婚志願者は片手では足りないことを追記しておく。

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