第六、第七妖怪がんばる。ぬしさまだってがんばる。
――――――満ちていた。
数歩足を進めた後、鳥居を振り返る。
呆然と目を開いたままのぬしさまを認めたまま、そっと指先でくちびるをおさえる。その動きに動きを止めたままだったぬしさまが、顔を真っ赤に染め上げた。
ふふ、と笑って目を細め、まなざしを生首にすえた。生首が少しばかり、ひるむ。
(・・・まずは、この場を浄化し、貴様を刀身に戻そうか)
『お、おぅ』
ちろり、と舌を出して唇をゆっくりとひと舐めすると、わたわたと生首が明後日をむいた。
・・・ああ、ぞくぞくする。
手指の先から足の先、髪の一筋まで力に溢れていた。一歩を踏み出すたび、足元より妖気が迸り、磁場を塗り替えていく。もう、ここは敵陣ではない。
ゆるりと流し目をやり、うっそうとした社を見渡した。
憎々しげな目線を感じ、朱唇をくっとあげて笑う。
(陰に隠れていじましいことよ。そろそろ表に出てはどうか? それとも・・・引きずり出されるのがお好みか)
―――――まぁ、それも良い。
袂に片手を差し込んで、引き出したのは古びた数珠だった。珠を撫でて手を通す。
かちり、かちりと片手の親指で玉を送りながら、久しぶりの呪をゆっくりと唇にのせた。
(―――――ひ ふ み よ い む な や ここたり とお。・・・ふるえ ゆらゆらと ふるえ)
かちり、かちりと玉を送る。
一粒だけ大きい勾玉が鈍く光り始めた。大きく息を吸って、力強く発す。
(ひ ふ み よ い む な や ここたり とお。ふるえ ゆらゆら ゆらゆらと ふるえ)
おぉん、と風が渦を巻いた。
********
参道の木々が風にその身をよじらせた。うねる。
細かな石が風に煽られ舞い上がり、びしびしとあたりに礫を見舞わせる。
そのうちの数個が俺の頬を切り裂いた。痛みはあるが、今は彼女から目を離せなかった。
広い境内の真ん中に陣取ったわらしさま。
艶やかな髪を風に乗せ、眼差しはまっすぐ前を見据え、きっと艶やかに微笑んでいるだろう。
(たまふり ふれよ)
わらしさまが耳慣れない言葉を発すると、おん! と一際風の音が高まる。
おもわず、ぐっと拳を握り閉めた。
参道を彩る木々の根元が、波打った。
べきべきと音を立て地面を割りながら、根が意思を持つ生き物のように、地面より躍り出る。
俊敏な鞭のように、空を切り裂き、動かないままのわらしさまへと殺到した。
「わらしさま!」
目の前でわらし様の姿が木の根に紛れて見えなくなった。
たまらず一歩を踏み出せば、何かに弾かれるように進めない。透明な壁にさえぎられ、そこを動く事すら出来なかった。耐え切れずに、拳をたたきつける。
何も出来ない自分が、心底情けなかった。
「――――――わらしさま!」
そもそも戦力外だ。足手まといなのはわかっている。それでも届けと叫んだ。
(・・・・・・あめ つち ほし そら )
「・・・わらし、さま?」
ゆるゆると、声。
やがて高らかに響く唄に、俺は顔を上げた。
(あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふ せよ えのえを なれ ゐて )
(・・・有るべきものはあるべき姿に、疾く還れ)
高らかに声。根っこの塊の隙間から、まばゆい光があふれ出した。
**************
凛と立つわらし様の足元には、真っ黒にすすけたぼろきれの様なナニカがいた。
振り乱された髪は泥にまみれた草のようだ。腕や足は真っ黒で枯れ枝のようにしか見えないのに、腹部だけ膨れ上がって、胸部の病的な薄さと対照的だった。白い着物はところどころ擦り切れ、色は褪せ、身にまとうと言うより、纏わりつかせた有様。
振り乱された髪の間から見えた顔は。
「・・・餓鬼」
絵物語や昔話の挿絵のようなそれに、思わず口から出た単語に。
(すこうし、違いますぞ。ぬしさま。あれは餓鬼などと言う可愛らしい者ではありませぬ。あれは、厭鬼。人を羨み妬み驕った者が改心せず堕ちた亡者の成れの果てでございます)
俺の言葉に、動かずにいたわらしさまが、冷めた眼差しで足元の鬼を見据えたまま、呟いた。
『おお、おおぉぉお、おおお』
地面をのたうっていた鬼女がわらしさまを睨むように見上げた。口をついて出る言葉は言葉にならない。
(・・・ふん、言葉すら忘れたか、あさましい)
『・・・ま、さか・・・まさか・・・お嬢さん?』
その鬼女の顔を見た生首が驚愕の声を上げた。
あまりの変貌ににわかには信じられないのだろう、視線が泳いでいる。
鬼女は、時雨を見ると歯茎をむいて言葉にならない言葉を叫ぶ。
・・・そう。はるかな過去、刀をよこせと迫ったように。
刀に対する執着か、男に対する恋情か、死して尚、この地にしがみ付いていた―――――女だった。
生首・・・時雨は驚愕の面持ちで、黒く干からびた鬼を見つめた。
『おおお、おぉぉお、しぃぃぃぐぅぅぅれぇぇぇぇえぇ!』
大きく開いた口の端からよだれが散り、舌の根までがずるりと抜け落ち、骨の浮かぶ身体を起こし・・・鬼女が叫ぶと、色あせた黒髪が生き物のようにうねり、生首を縛り上げた。
「ぐぅううっ!」
『ぁひゃ、あひゃひゃひゃひゃ!はなさない、はなさない、は な さ な い いいいいい!』
軽々と抱え上げ宙に浮かんだ生首の目の前で、鬼が嗤う。嗤ったまま、仰け反るように口角を開け・・・髪の拘束から抜け出そうと歯を鳴らす生首の頭蓋に噛み付いた。
なお一層うねる髪が、生首の耳、鼻、大きく開いた口蓋、光を宿す眼窩にまで、入り込む。
「し、時雨!」
生首の穴という穴から鬼女の悪意の塊が湧き出したようだった。
鬼女の時雨に対する執着を感じた。
刀に対する執着か、時雨に対する恋情かはわからない。
ただ、鎧武者をもう一度作ろうとしているのは判った。
無理やり縛りつけ、意のままに操り、自分の手は汚さずにゆがんだ笑みを見せ付けるのかと思ったら・・・黙って見ていられなかった。
何より、時雨は人を殺すことを嫌がっていた。嫌がっていたんだ!
「時雨ぇっ! 目ぇ覚ませぇっ!」
わらしさまの結界に触れて、硬質な破裂音があたりに響いた。
(ぬしさま!)
構わず、見えない壁に両手を突いて、叩きつけるように叫ぶ。
「そんな女に、また乗っ取られるつもりかっ! お前神剣なんだろう! 悪意なんか吹っ飛ばせ!」
(ぬしさま!おからだが!)
慌ててきびすを返すわらし様の足元に、コマ。
「――――――コマぁっ!」
<きゅん!!>
コマがびょん、と飛び上がった。気のせいじゃなかったら尻尾が股の間に挟まってる。――――――が、気になんかしていられない!
コマの視線を目で受け止めて、俺はびしっと右手を指した。指の先には、鬼女に囚われたままの生首。
そいつを指して、俺は叫んだ。
「――――――獲って来い!」
<きゅん!!!>
ぐっと身を低くしたコマが、短い手足に妖気をみなぎらせ、解き放たれた矢のように飛んでいった。
ごすぅっっと鈍い音が響いた。
「っし!よくやった、コマ!」
白い弾丸が、生首を髪の戒めから解き放った。大きくバウンドしながら地面を転がる首に、さらに叫ぶ。
「時雨! 時雨ぇっ!」
「―――――聞こえてるわぁっ!なんっつう無茶をしよるっ」
叫び返す声にほっとして、俺はさらに続けた。
「いよし、コマ! 時雨こっちに投げろ!」
「わっぱぁ! わしは球ではな・・・う、よせ、よせえええええ!」
コマが兜の紐を咥え、ぶんぶん振り回し始めた。
遠心力を利用して、大きく振りかぶって――――――――。
投げた。
「―――――ぅぎゃああああああああっ!」
「時雨ぇぇっ!」
大きく腕を広げる。
人を殺したくないと言った。もう殺すのはいやだと、泣いたお前だからこそ。
「俺が――――――」
黒い妖刀に戻っても、人を斬ると暴れても、押さえ込んでおとなしく御神刀でいさせてやる。
だから。
「お前の鞘になる」
わらし様の結界に生首が弾かれたのか、接した場所がまばゆい光を起こした。
あまりの眩しさに目を眇めた俺の胸元で、硬質な金属音が響く。
しゃりしゃりと音を立てて、鋭く尖った剣先が現れた。
どこまでも透き通った水面のような美しさ。光の中から現れた刃紋に見とれていた俺は、剣先からずぶずぶと俺の胸に収まっていくのに気がつかなかった。
美しい造りの鍔と握りまでを目と記憶に刻み込んで、自分の胸に消えていった刀を見送った。
「・・・あ、あれ?」
今の幻想的な出来事に驚いて、辺りを見渡す俺に、胸元から声が響く。
『感謝する、主殿』
「ぉ、収まってるのか・・・?俺の中に」
ぺたぺたと胸元を触って、違和感の無さに驚愕した。でも、なんだろうか、うれしい。
『早速で済まぬが、あのおなごを浄化させても良いだろうか、主殿、童神殿』
(・・・・・・わたくしのぬしさまのおからだを・・・・・・)
「わらしさま、なんだか、身体も軽いし、遠くまで良く見える」
視界がまるで薄いベールをはがしたかのように明るかった。遠くまで見渡せる。澱んだ瘴気も、気高い神気も。
それから、俺の腕から立ち上る、熱い湯気のような神気。
(御神刀と一心同体になられたのです、)
「わらし様の役に立てそう?」
遠くで凛と立ったままのわらし様にお伺いを立てた。だってやっぱり、あやかしエキスパートだし!
無言でじいっと見つめてくるわらし様の顔を見つめてた。
(・・・おそらくは、)
「じゃあ、わらしさま、そっち行ってもいい?」
(・・・結界を外します)
考え込んでいたようなわらし様が、なにかを決意したように顔を上げ俺を見て頷いた。
一歩を踏み出す。
進んであやかしと係ろうと思った俺のけじめの一歩だった。
・・・まあ、わらしさまが下駄でにじにじと鬼女の頭踏みにじっているからか、コマがのっしりと乗っかっているからか・・・鬼女は逃げられなかったようだった。
往生際悪く、睨みつけてくる。
『しぐれええええええええエエエ』
爪で地面を引っかいてはのたうちながら、鞘となった俺を睨みつける。
『かえせ、かえせえええええええ』
『主殿、顕現と唱えてくだされ』
「けんげん」
小さく囁けば右掌から刃を研ぎ澄ます音が鳴り、刀が滑り出る。それを両手で支えると、剣先が己ず鬼所に向かった。鬼とは言え人を斬ることに抵抗が無かったとは言えない。でもそれ以上に、この女を浅ましいまま居させたくなかった。
知らず、息を止めていると、いつの間にかわらし様が隣に立っていた。・・・さっきまで踏みつけていたよね?
(ぬしさま、これは御神刀にございます。邪を斬り、魔を滅するのが仕事)
『なに、お前の身体を借りはするが、斬るのはわしの仕事だ。だから、』
「・・・俺だって、背負う」
(ぬしさま?)
『主殿?』
知っている。わらしさまや刀の言うとおりに意識を切り離せば済むなんて事くらい。でもそれは嫌だ。いやなんだ。
「二人の背負う業はいろいろ重いけど、俺だって、少しぐらいは・・・背負わせてくれ」
ニンゲンのために手を汚してしまったわらしさまのために。
人間の欲に染まって汚してしまったこの地を元に戻す為に。
俺だって、一緒に泥をかぶる。
*******
かつん、と刀が骨に当たった。軽い手ごたえ。
胸から日本刀をはやした鬼女は、俺の向こうに誰の姿を追ったのだろう。あんなに怨嗟に塗り固められた顔だったのに、刀が通った瞬間に、まるで赤子のような顔を見せた。
何事か呟いたようだったが、言葉は宙に消える。受け取るべき人は俺じゃない。
やがて素通りしていた時間が彼女を捕らえ、干からびたからだが一層小さくなり骨を晒し、その骨も日本刀を残して崩れ去った。
『・・・なぁ、わしは、ずっとお前のものだったよ』
時雨が囁くように呟いて、透き通った刀の波紋が、震えた。
しんと静まり返った境内に、ゆっくりと日が差し込んできた。
「・・・朝、か」
気絶せずに済んだのが奇跡だと、思ったのも束の間。
<きゅん! きゅうう~ん!!!>
甘えたような声をあげ、欠けてくる白い犬。
「コマ! よくやった!」
身体をコマに向けて、大きく両手を広げた。
(ああ! ぬしさま!)
加速スピード×体重は、あなどれない。
(ぬしさま! ぬしさま~!)
<きゅっきゅきゅっ!>
俺の意識も、飛んでいった。
わらしさま、ぽつり。
一心同体、ああ、なんてなんて、ウラヤマシイ・・・。
窮地に陥った所でもう一度接吻を願うつもりだったのに、かなわないなんて!ああでも、ぬしさまのご意向にそむく事はできませぬ、出来ませぬがくちおしや・・・。




