第七妖怪、身の上話をする
「なあ、本当にこれがやりたいことだったのか?」
人間の小僧が、深く染み入る眼差しで、こちらを見た――――――――――。
『や・・・やりたいことなど、決まっておるわ! 殺すのよ。老いも若きも女も男も、命を散らす! ツルギとはそのためのものだ!』
「・・・本当に?」
すっと目を細めて探るように見つめられた。思わずそらしそうになる目を意地で固定し、睨み返した。
『それ以外に何がある! 決まっておろう!』
ざわり、ざわりと胸が焦がれる。侵蝕されていく感覚に身を慄かせた。この子供の目線は、潔いばかりに真っ直ぐだ。
期待などしてはいけない。穢れきったこの身、誰も分かってなどくれない。
塗り込められた狂気が、嘆きが、この身をしばる。
なのに、わっぱの黒い瞳が閉ざしたはずの心の奥を見透かすように、見据えてくる。
ぱっくりと口を開けたままの傷口が、また新たな血を溢れさせる。
汚され貶められたこの身は、もはや自分の意思では動かせない。
『・・・っ殺せッ!!』
わらべ神の持つあの護符ならば妖刀一振りごとき、消滅させてくれるだろう。
怨念に凝り固まった身体をいともたやすく滅したのだから。
さっさと貫けと喚いて挑発した。
「やったことに対して謝りもしない、反省もしない、理由も言わないじゃぁ、殺してなんかやらないよ」
わっぱはそんな風にうそぶいた。
『き・・・貴様になど頼んでおらんわ! 東の童神殿、完敗にござる! さあ、一思いに!』
身体を失った今、自由に動ける範囲は少ない。少ないが精一杯頭部を童神殿へと向けた。
望みは消滅。魂の欠片も残さぬ、完璧な消失だった。だが。
(貴様ごときの嘆願など聞かぬ)
『わ・・・童神殿?』
睨みつけてくる童神殿の剣幕に慄いた。このお方は、東国の百万余の妖怪の総轄だ。
伝え聞く話によれば、慈悲深く助けを求めるあやかしに手を差し伸べる一方、敵対するものには冷淡で、その足元で火種を熾せば指先ひとつで消滅させる力を持つという。
見た目はいとけない少女でありながら、恐るべき力を持ったあやかしの、長老種。
絶対不可侵の童神。
そのお方が人間のわっぱの隣に立ち、その者を主と呼ぶ。これを悪夢と呼ばず、なんと言う?
(貴様、ぬしさまに敬意を払え。質問に答えよ。貴様がぬしさまを粗末に扱う限り、わたくしも貴様を粗略に扱うぞ。まずは・・・コマ)
冷たい眼差しに腰が引けた。・・・腰、なかったが・・・。
『わ、わらべがみどの!』
目前の狛犬に、じゃれ付かれて鞠代わりに放り投げられた。
右足でていっと転がされ、地面が回り、左足でていっと転がされ、天地が回る。脅しても喚いても、果ては泣いても、止める者は皆無。
鼻先でがつがつとこずかれ、齧りつかれて放り投げられ、べろべろと嘗め回されては、振り回されて。
陥落、した。
『・・・滝沢 真人殿、重ね重ねの御無礼、申し訳なく・・・平に、平にご容赦頂きたく、なにとぞ、なにとぞ・・・!』
気分は、惨敗。ぼろぼろだ。
「・・・あー・・・泣くなよ」
優しくなでるな、わっぱ。・・・さらに泣けてくるだろう。
**********
(気は済んだか)
童神殿の言葉に、わしは顔を上げた。真っ直ぐに前を見つめるのは何時以来だろうか。
赤い鳥居の下に立つニンゲンの男と、狛犬、童神殿がこちらを見つめていた。
『長い、話になりもうす』
鳥居越しに見上げた空は、青。あの日もこんな風に空を見上げた。
『――――――わしは名のある刀匠の鍛えた刀剣だった』
吹きすさぶ熱風と、上がる蒸気、肌は火に炙られ、倒れぬようにと供えた水も蒸発する。
その暑い只中で、もろ肌脱いで鎚を振るう。熱した鉄が煌々と輝きを増し、とろりと形をなくす瞬間、打ちつけ引き伸ばし、また叩いては火にかけ、水に沈める。
刀鍛冶。
その時代、御神刀を鍛えあげた者は、領主じきじきのお抱えとなり、家格が与えられることになっていた。
名も無い農民の子倅が、領主様に抱えられ、家屋敷を与えられる。それはとてつもない出世だ。
だが刀鍛冶師の元で修行に明け暮れても、御神刀を鍛え上げる事のできる者など数えるほど。それほどにきつく厳しい道だった。
その男、時雨が続いたのも、帰る家がなかったことと、(百姓の子沢山と言うとおり、時雨の下に四人の弟妹がいた)人より丈夫な身体を持っていたこと、そして。
鍛冶師の師匠の娘の存在があった。
玉鋼の溶ける色を美しいと評した、激しく美しい女だった。心底、女に惚れていた。
師事のもと鍛え上げた刀剣は由に百を超え、名声も上がった。無口で無骨な時雨の鍛える刀剣は、芸術面でも優秀で、収集する者すら出始めた。
そうすると妙なもので、時雨に目もくれなかった女が、時雨に目を向けるようになった。
まあ、大概、鍛え上げた刀を一振り、二振りと強請られたのだが、それでも時雨は嬉しかったのだ。女が望むまま、打ち上げた刀を手渡した。師匠には止められたが、時雨は構わなかった。刀はまた打てば良いし、その頃には時雨はこの仕事が大好きになっていた。鋼の声を聞き、導かれるまま打ち伸ばせば、無骨な鉄の塊が、水面を映すまでに美しい輝きを見せるのだ。
老いた師匠も時雨を跡継ぎとして認めてくれた。
そんな折、城主より各地の鍛冶師に命が下った。・・・城の守り刀とする御神刀を一振り鍛え上げよ、満足行く代物を鍛え上げた者には褒美を取らす、と。
時雨は奮い立った。
師匠も城主も唸らせる、渾身のひとふりを鍛え上げる為、昼夜を惜しんで鍛冶場に立った。
時雨の鍛えた刀は、刀身の長さ、反り返りの美しさも相まって、張り詰めた優美な空気を持った刀となった。
もはや、世俗と切り離された神聖なひとふり。まさに神の為の刀。
美しい仕上がりの刀を手に、身を震わせながら刀身を眺めていた時雨は、背後に現れた気配に気付けなかった。
それほどに美しい刀に、魅入られていたのだ。
時雨、と声が響いた。
娘だった。ぎらぎらとした眼差しで時雨に詰め寄って来る。
お嬢さん?戸惑いながら時雨が答えると、娘は時雨にまっすぐ手を伸ばし、その刀をよこせといった。
だがこれは、もうすでに神刀だった。ただの刀ではない。
一介の刀匠が差し出せる刀ではなくなったのだ。打ち上げた時雨がそれを誰よりも知っていた。
お嬢さん、これはだめだ。これ以外なら何本でも差し上げますから。これはだめなんです。
初めて時雨は娘の願いを断った。
ところが娘は、それが気に入らない。時雨は、娘にとって強請れば与えてくれる男だったのだから。
初めての拒絶に、娘は徐々に激高していった。
恩知らずめ!私の言う事が聞けないのか、このでくの坊!よこしなさいったらッ!と当り散らす娘に、時雨は困惑した。
何とか宥めようと娘に大きな背中を丸めるようにして、申し訳、申し訳ありません、と頭を下げた。
だんだんと娘の金切り声が高くなっていく。どうすればいいのか、と時雨が口を開きかけたとき。
腹にどんっとぶつかってきた娘を受け止めた。
腹に冷たい固い感触。
ゆらりと、胸に抱いた者を見た。愛しい娘のはずだった。
だが今は鬼の形相でこちらを、時雨を見つめている。
なぜ、と問いたかった。
手を血に染めた娘の背後から、男があらわれた。
男は娘に突かれたままの時雨に近づくと、その手に握られていた長刀を奪った。
慣れた風情で表裏をあらためると、満足そうなため息をつく。
琢磨さま、と娘が呼びかける声を聞いて、時雨は初めて理解した。自分を呼ぶ声音とぜんぜん違う。弾む音も、強請る声も、色をにじませ、思いを焦がし。
・・・娘の心はこの男の下にあるのだ。
城代家老の嫡男で、役者のように顔が良いと評判の男だった。
だが、素行が悪く、気性も荒い男は、良識ある者にとっては鼻つまみ者だった。
その男に、あろうことか娘は惚れたのだろう。刀を確かめる琢磨を見上げ、嬉しそうに頬を染めている。そして、上目遣いに誓いの言葉をねだってさえいるのだ。
『約束でしたよね、刀を手に入れれば、琢磨様の奥にしてくださると。ねえ、琢磨さま・・・』
馬鹿なことを。声に出そうと思ったが、時雨は身体がすうっと冷えていくのを感じていた。ただ、聞き逃すまいと耳を傾けた。
男は笑ったようだ。縋りつく女を蹴りつけ、長刀片手に出て行こうとしていた。
琢磨さま!と女が叫ぶ。その声に男は立ち止まり、ゆっくり踵を返して女を見ると、あざ笑った。
『刀匠など、家禄を貰っても田舎百姓と同じ、わが家に嫁げるなどと本気で思ったのか。ましてや、人殺しなど、恐ろしくてどうして家に入れられる』
その言葉に、信じていたのに!と娘が泣き叫ぶ。
『だいたい、これほどの刀を打てる男をたやすく手にかける愚かな娘など、誰が望むものか。身をわきまえろ、お前のような端女は、親の言うとおりこの男に嫁げば良かったのよ。殿の目を盗んで男の打つ刀をわたしに捧げてくれれば、もう少し遊んでやっても良かったのになぁ。愚かな女よ。・・・しかし惜しい。これほどの刀を打てる男だとは思ってもいなかった』
琢磨さま! 女は、泣きながら男に縋りついた。
男は端正な眉を歪めるとうるさそうに女を払いのけた。
『この男の腕がなければ、貴様のような女に付き合うものか。馬鹿な女だ。自分から切り札を切り捨てたんだからな!』
だが、殴られても蹴られても、女は男の足にすがりつくのだ。美しかった顔は腫れ上がり、髪は振り乱れ、欠けた歯や、折れた鼻から血が滴る。まるで鬼女の面持ちだった。
男の洒落た着流しの裾に、時雨の流した血潮か、娘の流した血が指の形の線を描いた。
・・・男が激高し、女の腹を蹴りつけると、一際女がうめき声を上げた。
腹を押さえてうずくまる。
乱れた着物の裾から血が流れ出した。あかちゃん、と女が嗚咽を上げた。
その様に、男はようやく娘が子を身篭っていたことを知ったのだろう、ちっと舌打ちをする。
『あとあと面倒だな』
土間に転がった娘を冷たい眼差しで見下ろすと、男は手にした業物を振り下ろした。
『たく、まさま・・・、なにを』
ひいいっと悲鳴が上がった。
がっと、鈍い音がそれに続いた。響く。肉を絶ち骨を砕いた音だ。
男の瞳が大きく見開かれた。女のすすり泣く声が聞こえた。
・・・時雨は、立っていた。
自らが鍛え上げた刀身の下に身を投げ出した時雨は、大地を踏みしめるようにして立ったまま、肩口に刃を受け絶命していた。
大きく広げられた両腕は、裏切られた女を守るように広げられたままだ。
その姿におびえた男は、時雨の身体から刀を抜き出そうと力を込めたが、深く食い込んだ刀は容易に抜けなくなっていた。
焦った男が時雨の身体に足をかけ、抜き出そうとしていた時。
もはや立てるはずもないと思っていた女が、琢磨の脇腹を短刀で突いた。
にらむ女と驚愕する男。
・・・血臭が辺りを包んだ。
***********
『・・・で、気がついたらわしの身体は冷たくなっておって、わしを殺した男も女も事切れておっての・・・。なぜか、わしの意識だけ刀に吸い込まれ、縛り付けられ、身動きできん。意識はどんどん黒く染まっていくわで、絶望したのよ。・・・わし、腐っても御神刀なのに意識があるし、どこまでがわしでどこからが時雨なのかさっぱりわからんし、村人はまるで妖刀のように扱うしのぅ・・・。生贄なんかいらんわぁ!って最初こそあらぶっていたんだが、荒御魂を鎮めるためにってむりやり、生贄の身体に沈められるようになってしまって・・・』
しょんぼり
うつむいた生首兜を中心に、わらしさまとコマ、そして俺の三人(匹?
「・・・痴情のもつれ、それも一方的な巻き込まれかあ・・・なんて不憫」
(御神刀で人を斬るなど、阿呆か)
「きゅっ!」
『わし、わし、人を斬りたくない。斬りたくないのに、誰も聞いてはくれないし、そのうち、黒い波にさらわれるように自我が表に出ることがなくなって、穢れきったこの身体などもう、誰も必要としてはくれないと、絶望してしまって・・・』
「・・・なんで今は良くしゃべれるのさ?」
(先ほど、怨念の大半を吹き飛ばしましたから)
こっそりわらしさまの耳元で囁くと、あっさりわらしさまが返してきた。ああ、あの、首なし落ち武者かー・・・。怨念で出来上がった身体だったんだね。おぞっ。
『お願いにございまする、童神殿、滅してくだされ。わしはもう人を殺めるのは嫌なのです。この上は、冥土で今まで切り捨てた者たちの冥福を祈りつつ、縛につきたいと存じます』
(言い分はわかった。だが、ぬしさまが危惧したとおり、貴様を滅したところで、この場が鎮められるとは思えない。・・・ますます、そう思えるようになった)
『元凶となるわしが消えれば、それも消滅するのでは?』
・・・多分気持ちは小首を傾げてるんだろうな! 芸が細かいな、生首!
(貴様、刀身に戻れるか)
『何かがしがみついているせいでそれも叶いません』
(む)
生首と美幼女。和風サロメって心臓に悪いわぁ・・・。
ひとり鳥居の下で、怖気と戦っていたら、わらしさまがとことことやって来た。見上げてくる。
「どうしたの、わらしさま?」
俺は腰を下ろして目線を合わせた。わらしさまの凛とした佇まいに居住まいを直す。
(ぬしさま。お力をお借りしてもよろしいでしょうか?)
「・・・もちろん。俺に出来る事ならなんだって」
この神社に来る前に約束したじゃないか。いまさら怖気づくなんてありえない。そう思いながら大きく頷いたら、わらしさまが、ふわりと微笑んだ。
(ありがとうございます。それでは、もう少し屈んでくださいますか?)
「ん」
わらしさまが両手を俺に向けて広げたので、俺はその高さにあわせ心持ち頭を下げた。
両頬がわらしさまの手の中に包み込まれた。
***********
ぴちゃり、と小さな舌先が一瞬、目に焼きついて、視界から消える。
(・・・やはり、ぬしさまの鋭気はすばらしい・・・たった一度でここまで満ちるとは、わたくしも思ってもいませんでした。これなら一気に浄化が叶います。参りますよ、コマ)
「きゅん!」
呆然とする俺の目の前には、わらしさまが立っていた。着ている着物の模様も変わらないし、締めている帯の柄も変わらない。変わらないけれど明らかにサイズが変わってる。
わらしさまはちっちゃくて、守ってあげたくなるような可愛い美幼女だったのに。
「あ? え? あ・・・え?」
大人の女性になったわらしさまが、踵を返し生首に向かって二歩三歩歩いて――――――――振り返りこちらを見て、笑った。
ぼっ!っと頬に熱が集まるのを感じて焦った。
――――――見返り美人って、すげえ威力。
わらしさま、ぽつり。
(しゃ――――っっ!)←拳握り締め仁王立ちとご理解いただけたら幸いです。




