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第五妖怪、接近遭遇

 夜ふけに、コンシェルジュのおじさんが回してくれた車に、みんなで乗り込んだ。


 目指すは絶景展望露天風呂だ。テレビにも何回か紹介されていたそこを、なんと、二時間貸切で満喫できるのだ!


 しんと静まり返った屋上は、大海原に繋がっている。浴槽で区切られているはずなのに、すとんと海に浸かっている様な錯覚を起こすうわさの絶景。


 わくわくしながら海と共に男湯に乗り込んで――――――――きょろきょろと浴室内を確認した。わらしさま対策。


 「―――――おし」


 「にーちゃん?」


 「んー?なんでもない」


 海が怪訝な声を上げたが、かまわない。あんな恥ずかしい目は一度で沢山だっ! いや、二度目も三度目も四、五、六、七度目もあったけどね! むしろ、風呂場にわらしさまがいない日のほうが数えるほどだったけどね! 妙な形の椅子だって見慣れてスルーできるようになっちゃったけどねええええええ!


 ま、それは横に置いといて。勇んで足を踏み入れて―――――――。


 (良いお湯じゃのぅ~)


 こけた。


  「うわああああああああああっ!!」


 お湯の表面から頭半分だけ出した・・・違うな、頭半分「だけ」溶け残った雪女がこちらを見上げて、わらっていた。


 うっうっうっ、なんて、ホラー。


 「雪女は雪女らしく、雪山でふぶき背負え! それからそれから・・・女の自覚を持って行動しろぉっ!」


 風呂桶でせっせとアフター雪女をくみ上げて、脱衣所のクーラーの温度を下げて置いた。


 むくむく増える、自称雪女に、びしっと指をつきつける。


 「そこでじっとしてろ!」


 むしろ動くな。雪妖のくせに、お湯につかるな!


 「うぬぅ。わらわとて、温泉三昧したいのじゃあ!」


 ナノに、雪女はそんなぼけたことを抜かす。


 「存在意義なくすから、自重しろ! 溶けちゃ誰も雪女だと思ってくれねえだろ!」


 のん気な雪女をそのまま放っておいて入った天然温泉は。


 とことん冷やされてて、ぬるかった。


 「おかしい・・・。温泉で凍え死ぬかもしれないなんて・・・」


 こんな、和製ホラーいらない。

 

 「・・・夏でよかったねー」


 海とぬるま湯に浸かりながら、顔を合わせてなぐさめいあった。


 何とか、展望露天風呂を堪能して、女湯に入ってたかーさんとわらし様と合流したとき、彼女たちは湯上りの一杯を楽しんでいた。かーさんは風呂の中でも楽しんでいたようだ。あれほど危険だからよせって言ったのに! 


 (大丈夫です。ぬしさま、かーさんさまは節度を持って嗜んでおられました)

 「ごめんな、よっぱらいの相手させて」

 (うふふふ(姑ダイジハヨメノココロエデスカラー))

 「は?」

 (さ、ぬしさま、)

 

 俺と海にわらしさまが差し出したのは牛乳。はいと手渡されて受け取る。・・・あれ?


 (・・・・・・で。そこな痴女は、滅してもよろしいですね?)

 きらりん☆とわらしさまの目が輝いた。狩人の目だ。

 「わらしさま! 目がいやに本気だよ、わらしさま! や、ややめよう!」


 微笑の形のままのまなざしが、一瞬で冷気を帯びた。赤い唇が酷薄につりあがる。いつの間にか右手に茶扇を持っている。どこからともなく吹く風に、髪がなびき、浴衣のすそがはためく。


 「わらし殿。心配せんでも、わらわ、子供に興味はないぞぇー」

 えっへん、と胸を張り、腕を組む鳴雪の姿は、妖艶。まさに日本が世界に誇る美貌の女妖だ。組んだ腕に乗せられた大振りの胸がまた、重そうに、たゆんたゆん、揺れた。

 男なら顔を埋めて窒息しても悔いはないだろう、ふくらみだ。

 

 その乳を憎憎しげに見つめて、わらしさまが眉をよせた。


 (大きければ良いと言うわけではないわ。ぬしさまのあられもない姿を垣間見るなど、この痴れものが。溶けて消えるが良いわ)


 あられもないって・・・わらしさまぁ。


 「・・・はて。見せた覚えも、見た覚えもないぞ。第一、この子供が入ってきた時わらわ、溶けておったからのぅ。そも、貧弱貧相、抜いたら気絶な子供に用はないのじゃ。わらわは、わらわの生のために、オトコを喰えれば良いのじゃからの! 見たところ、まだまだ青い。こんな貧相な腰では勢いも悪かろうて。おのこはもっと筋肉隆々でないとのぅ。何発抜いてもいきり立つほどの絶倫でなければ、わらわの相手など務まらんわー!」


 腰が細すぎるのじゃあ! と言い切った雪女を前に。


 (なるほどの・・・。ぬしさまを侮辱するとは、口さがない雪女よ。永久凍土で凍てついておればかわいいものを)


 「・・・なんと、東のわらし殿は稚児趣味かー」


 (ぬしさまは、このわたくしが認めた大切なお方。取り消しなさい。ぬしさまこそ、男の中の男!(拙いと言うのならいくらでも手ほどきしましょう程に!))


 「(なんか、変な悪寒が走ったあああああああ!)・・・わらしさまっ! や、やめっ!」


 わらしさまの艶やかな黒髪が逆巻いた。

 逆巻く風が花びらを巻き上げて幻想的だった。ついでに盛大にお湯が吹き上がった。

 きらきら光るお湯のしずくは、たちまち氷の粒になる。

 きらめく湯と蒸気、氷と冷気が万華鏡のように煌いた。

 ところどころの瞬間に切り取ったように、わらしさまと、嗚雪。


 「と、止めよう、手かして、かーさん!」

 「えー、どうしてー?」

 「だって、けがでもしたら・・・」

 「大丈夫だって。たのしそうだよー?」


 「・・・は?」


 「よく見な。あれは、楽しんでるよ」


 ビール片手に顎をしゃくったかーさんに、つられて戦う二人を見た。

 確かに、切り返す瞬間、互いに互いの耳元で何かを囁きあっているようだ。


 「逆若紫かぁ、男日照りが極まったか? 峰雪が以前申しておったが、ほんに東のわらしどのは、心に決めたおのこに対してねちこいのぅ」

 (貴様ら雪妖こそ年中だれかれ問わず発情しおって、しかも揃って筋肉好きめ!)

 「仕方がないじゃろ。山に登る男は男の中の男ばかりじゃからの! しかし・・・とうとうわらし殿も年貢の納め時か・・・峰雪が聞いたら転げまわって喜ぶぞ。・・・いや、泣くのか? 東のわらし殿が稚児に走ったと、」

 (筋骨隆々の絶倫おやじ好きに言われとうない!雪妖は何度溶けても趣味が変わらんしの!)

 「女はガンガンに攻められてなんぼじゃ。精根尽き当てるまで互いを求め合う刹那にこそ、生きる意義を感じておるのじゃ!・・・しかーし、女性上位か、うらやましいのー。ちょいと味見をしてもいいかの?」

 (ぬしさまを、雪妖の糧になどせん! 色目使うな、乳女め!)

 「わらわ、稚児趣味じゃないのじゃー。つまみ食いをしたいだけじゃー」

 (つまみ食いでぬしさまの魅力がわかるものか、愚かな)

 「まーあと、三十年もそだったら本気で相手をしてやっても良いぞー」

 (こ・・・この、枯れ専めが!)

 「稚児趣味には言われたくないのじゃー」


 ―――――――うん。真剣に聞くんじゃなかった・・・。


 だけど、わらしさまの怒涛の折檻を、受け止める雪女も、雪女の雪つぶてを受け止め弾くわらしさまも、いきいき(←ううーん・・・)していた。


 (ぬしさまは、精悍で颯爽としていて、俗世に毒されない爽やかさんなのです。香りすらオトメゴコロ狂わせる魅力の持ち主なのです。穢れきった乳女には判らぬ魅力なのですね)

 ふんっとばかりに、当初のよそよそしい言葉遣いが崩れている。


 「なるほどのー。青くて堅くてすっぱいのかー」


 (違う。さわやかで、甘酸っぱいのです!)


 「・・・まー、青りんごちゃんには手は出さんよ。これから世話になるのだから、なおさらじゃ」


 (しかと、聞きましたよ。二言はないな?)


 「ないない。おお怖い、怖い。姉さん女房というやつかのー」


 (・・・あね、さ・・・にょ、)


 お。わらしさまが真っ赤になって口ごもった。終わりかな?


 日本の各地に散らばった、同胞あやかし

 会うのは稀で、

 口げんかすら、娯楽なのかもしれない。


 それを見ていたかーさんが、持ってた缶ビールを高く掲げた。海も手に持ってた牛乳を高く高く掲げる。俺も自然と微笑んで、手にしてた牛乳瓶を高く掲げた。


 「「「あやかしに」」」


 乾杯。




 *********


 


 「・・・『わらわ』の始まりの記憶は、一滴の水じゃの」


 出会った海岸で、騒動のあと雪女は話し始めた。長い長い物語。


 「しずくが少しづつ集まって、大河となり大海原に飲み込まれ、渦を巻き地表を流れ、たどり着く先で陽に炙られてまた蒸気となり空へ還る。

 めぐる螺旋から、外れたのは何時のことだったか」


 一緒に生まれたしずくたちは、彼女を置いて海へ帰っていく。


 残されたのは彼女だけ。

 彼女が声を限りに叫んでも、吹雪となって吹き荒れるだけだ。

 もはやしずくには戻れなかった。


 たったひとりで凍り付いて行く こころ。


 「・・・どうして、わらわは、こうなったのじゃろうなあ?」


 呟きは胸を締め付ける。迷子のような眼差しに言葉もなかった。

 

 「このまま生きてても良いかと思ったのは・・・ある男に出会ったときじゃ」


 大きな男だった。風に洗われた髪も、しずく滴る肌も、すべてが輝いていた。


 伸ばされた手に寄り添い、男の鼓動を感じ、好ましいと思った。思ってしまった。


 凍りついた雪の結晶。崩れることの無い雪の塊。吹きすさぶ風雪。さまざまに形を変え、わらわは、そこにあったのだ。


 出会った男たちは数知れない。


 寒さに朦朧とする男の命を吸いながら、わらわは成長した。


 恋人を呼ぶ男の温度を奪った。母を呼ぶ男を凍らせた。寒さに震える男の意思をくじき、崖より突き落とした。


 そもそも、雨粒一滴。


 山に挑み、夢破れ消えていく男たちの無念の涙を吸い上げ続けて・・・しずくは、嗚雪となった。


 何年も孤高の山麓として名をはせた山脈は、あるものは登頂に成功し、あるものは帰路むなしく立ち消える。


 何人もの男の命を食らい、嗚雪は、登山者の中の伝説と化していた。


 『・・・ああ、綺麗だな』


 あの男の魂と出逢ってしまったのだ。



 **********



 雪山で遭難し、ビバークしていたのだろう、山頂付近。

 命を取ろうと現れたわらわを見て、男は無邪気に笑った。凍る手の冷たさを、あたたかいと評した男。絶対零度の吐息を、微笑んで受け入れた男。


 寒さに身体がきしみ、動きも鈍くなり、目も開けられぬ状況で、それでも男は。


 『俺の女神』


 寒さにかじかむ腕を伸ばしてきた。

 まるで愛しい者を抱きしめるように、微笑んでさえいた。

 虚に陥り、放心している間に、わらわの凍えたからだが、男の命を吸い取っていった。

 抱きしめて心音が途絶えるまで、傍にいた。

 最後に流した涙さえ凍りついたその顔は、満足そうに微笑んでいた。


 その微笑を見て。


 わらわは、


 わらわは――――――――。


 「ビックウェーブが来るぞぉぉぉっ!」

 「なんじゃとぉっ!」


 車座になって経過を聞いていた俺達の目の前で、雪女がだんっと片膝を立てた。

 着物のすそが乱れ、俺の心音も乱れる。

 そんで、わらしさまの眼差しに、冷やされ戻る。


 雪女といえば片手ですかさず空気中の水を呼びつけ、凍りつかせて氷のボードを作り出している。

 すげぇや。ボードいらずじゃん。

 

 「・・・あー、まぁ、落ち着け」


 そこで改めて話しかけた。


 「ぬ。命の恩人と言えども、わらわの波に対する崇高な思いを、引き止めることはできんぞ? これは、わらわに課された試練なのじゃ!」


 「・・・試練以前に、消滅の危機に目を向けろ」

 はー。

 ため息をつき、頭を振りながら続ける。


 「なんの、これしき! この程度の太陽に屈しておったら伝説の荒波になど乗れんっ!」


 「―――――乗る前に、溶けるから! 現に着物の裾から、ぼたぼた滴ってるの見間違いじゃないよね!」


 まったくもうっ!世話が焼けるったらありゃしない!


 クーラーボックスから氷を出し、雪女の身体に貼り付けた。


 ・・・うぐ、やわらけぇ・・・いや、うぐ、ごほん。

 と、目を白黒させていた。だ・・・だって、仕方がないよね!放っておくと溶けるし!寝覚め悪ぃし!


 (・・・・・・富士の嗚雪。きさまら雪妖がこの時期山を降りるなど、たわけたか)

 「・・・たまに、目いっぱい陽光を浴びたいと思っても良いではないかのぅ」

 (・・・峰雪が良く許したな)

 「長の許可など貰ってないからのぅ!」


 かかかと笑えば、座敷わらし殿がすうっと目を細めて見据えてきた。軽く交わせば斬って捨てられそうな妖気だ。


 (鳴雪よ、永の年月、生きるに飽きたか)


 わらわは目を眇めた。射るように見る。


 「・・・東の座敷わらし殿は、慈悲深い。管轄外の雪妖までも気になさるのか。器がでかいとの噂は誠なのだな」


 (・・・茶化すでない。死に急ぐ妖を心配しているだけだ)


 わらわは微笑んで、受け止めた。


 「死に急いでいるわけではありませぬぞぇ、わらし殿。・・・わらわは、奪った命の分も、生きるを楽しんでおるのです」


 あのおのこは、自然をこよなく愛しておった。

 では次に出会えるのは、海の底かも知れぬ。天の果てかもしれぬ。

 人跡未踏の場所にこそ、あの男が惹かれる何かがあるのならば。


 そこへ、この身ひとつで、到達せねばならぬ。


 「この身を形作る妖気の大半は、人の望み、願い。彼らは一様に山海を愛しておりますゆえ、わらわは行かねばならぬのです。わらわの一部となった彼らのために、山に登り、荒波に乗るのです。わらわは、この念がいざなう限り、どこへとも到達してみせましょうぞ!」


 はじめは、ほんの少しの好奇心。彼らの背を押し、追い立てる何かを知りたかった。

 彼らの求める何かに近づけたら判るのだろうか、と思い立ち、白い砂浜へ降り立った。


 ・・・一瞬で溶けたがな!


 それからはもう、意地じゃ。持てる妖気を最大限に引き出して、身体を防御しつつ、山に登り波に乗った。


 (・・・まるで禊だな)


 「・・・禊?・・・禊か・・・。のぅわらし殿、この身は、雪妖ゆえ、数多の命を食らっておりまする。彼らの無念、絶望、執着、それが我ら雪妖の糧ゆえに。わらわは、たとえ陽にあたり溶け消えても、彼らの願いを叶える為ならば構わないと思ったのじゃあ。溶け行く度、彼らはわらわを離れ、歓喜の元かえって行く。家族の元へかもしれぬ。恋人の元へかもしれぬ。けれどもその瞬間、わらわは確かに感じるのじゃー。彼らの胸躍る歓喜を・・・そしてわらわも還ることが出来る。一滴のしずくだったあの頃に」


 溶けるたびに食らった命が昇華するのを見て、厳粛な空気に包まれるのを感じた。


 ・・・そうか、禊だ。これは禊だったのだ。


 いつか あのおのこに であうため なさねばならぬ わらわの みそぎ


 (愚かよの。けれども、その性根心地良い。末期の雪を愛でるにもよかろう程に)


 艶やかな幼女が、わらわの目線にあわせ微笑む。


 死出の旅を尊ぶような、気高い女神のようなその微笑を背に、わらわは高らかに笑った。


 今度こそ軽やかに駆けるつもりで砂浜に立つ。


 黄昏時、波が高い。

 風向き良し!絶好の波乗り日和じゃ!


 「いざ、尋常に勝負ぅぅっ!」


 氷のボードを脇に抱え、砂浜に足を埋め―――――――。


 「いよーし、自殺志願者確保ー」

 「かくほー」

 「うおおおおおおっっ!なんじゃああっ!?」


 ニンゲンのおのこに、抱き上げられた。


 「こ、これ、わっぱ。離さんか」


 このおのこ、わらわを横抱きしたまま、すたすた歩く。

 足は空をけるばかり。


 「ヤダね。死にたがりを見放すほど、人でなしになったつもりはないんだ」


 ニンゲンのおのこの、吐く息が白い。ああ、冷気を下げねば。このおのこが凍えてしまう。


 「おねーさん、死んだらだめだよ。だって生きてりゃなんとかなるけど、死んだらそこでおしまいなんだよ?」


 さらに幼いおのこが見上げてくる。その懇願する眼差しに、つかの間、過去を思い出した。

 命乞いする眼差しは何度も見た。死出の恐怖に強ばり見開かれた両の目も、距離を取ろうと後ずさる姿も、判りすぎるほど知っている。わらわは雪妖、畏怖され恐れられる存在ゆえに。


 けれども不思議とこの二人にはそれが無い。


 真摯にまっすぐ見つめる眼差し。いつか見た、あの男の目にも似た。


 「・・・は、はなしや。わらわは禊を完結せねばならぬのじゃ。いつかの未来であの男と出会うために」


 あまりに眩しすぎて、目をそらしながら呟けば。


 「いつかの未来で出会えるかもしれないなら、今がそうかもしれないじゃないか。しずくに戻って相手に気付いてもらえるのか? 綺麗なお姉さんならまだしも、しずく一滴に気を向ける男はいないと思うぞ」


 おのこは淡々と返して来た。


 「うぬ」と言葉に詰まれば、さらに。


 「しずくじゃ意思の疎通は図れないよな? 存在を否定するわけじゃないんだけど、目を合わせて話ができたほうが、落とせるだろー? あなたを探してましたーなんて、こんな美人に涙ながらに言われたら、どんな男だってイチコロさ」


 そう言って目を細めて笑うのだ。 


 (・・・ぬしさま、夏弱い雪妖なれど、手が凍えてしまいます。どうぞ、捨てt・・・離してくださいませ・・・)


 ・・・わらしどの、聞こえたぞ。

 雪妖を凌駕する冷気をかもしつつ、表面上は淑やかに、にこやかに、辛らつに物申すとは。

 雪妖と言えどもこの冷気、辛いものがある。


 「わらしさま。わらしさまもそうおもうだろう? 言ってやってよ。死ぬ気でマリンスポーツするなんて大馬鹿だってさ。生きてこそ、相手に出会える。そうだろう?」


 (・・・もちろんにございます。ぬしさま。現にわたくしも、ぬしさまに出会えましたもの)


 「だよな!」


 満面の微笑みのおのこと、おのこに対する時だけ柔らかな微笑みを浮かべる東の座敷わらし殿。

 

 そして、おのこから目線が離れれば途端に刃と化す、鋼の視線。刺さる・・・!


 こ、このおのこ、なぜこの冷気に気付かんのじゃ?

 足元から絡め取るように渦巻いておる妖気に、なぜ気付かんのじゃあああああ!

 お、おおお、下ろすのじゃ。今すぐ、即刻、その手を離さんかああああっ!


 (さて、嗚雪。わたくしのぬしさまがこう申しておりますが、少し考えを改めてはいかがか?)


 「は、離せ、離すのじゃ、わっぱ!」

 即刻! いますぐ! その腕から開放せんか! でないとなにか取り返しのつかないことが起きる!


 (い か が か ?)


 わらし殿が、冷めた目を向けてきた。ギラリと目が光った。


 「いひいいいいいいいいいっっ!」

 「うわっ、暴れンなってっ!」


 富士の氷嵐が、そよ風の戯れだったと思い知った瞬間だった。

 情けない事だが、たかが百年余の妖怪にとってその眼差しは、まさしく、捕食者のそれに相違わず。

 蛇に睨まれた蛙、鷹に射抜かれたねずみのように、わらし殿はわらわの身体を凍りつかせた。


 恐るべし、東のわらし殿。


 滑らかに動くはずの唇すら凍りつき、かくかくとした動きしか出来なくなった頃。


 「・・・あああ、ほら。やっぱ夏を甘く見ちゃだめなんだって・・・」


 言わんこっちゃない、とわらわを抱き上げた格好のまま、おのこが呟いた。


 ただし、目と目が合わさることはもう無かった。


 そう。


 夏の日差しに焼かれたのか。わらし殿の視線に妬かれたのか。


 うむ、面目ない。わらわ、すでに水になっておったよ・・・。



 *********



 すぽんじ、とやらに吸い上げられて絞られるのを何回か繰り返し、わらわはようやく実体を取り戻した。


 わらわが縛っておった魂が、また一人、空へ還っていくのを見送った。


 くぅらぁぼっくすの中で冷やされて、目の前のわらし殿の目で凍りつく。


 なんぞ、命の危機を切々と感じる。


 「嗚雪さん、放っておくとまたどっかで溶けてそうだねー」


 「・・・見張ってないと心配だな・・・」

 

 「にーちゃん、隣の部屋空いてなかった?」


 「ああ、六号室。あいてたな」


 捕食者に睨みつけられてるわらわの傍で、おのこ二人が話しこんでおる。・・・頼む。タスケテクレ。


 (・・・では、まよいがにて、此処と其処を繋いで見せましょう。嗚雪も異存はないと申しております)


 言ってないぞっ!

 言ってないと言うにっ!


 (・・・よ い な)


 流し見られた目線に絡め取られて身動きできず。


 「は・・・・・・ははあっ!」


 平伏して肯定する以外に、どのような答えがあるものか、ダレゾ教えて欲しい。



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