カール・グスタフ
16キロの無反動砲を両肩に軽々と持つ男は、ふと立ち止まった。
「グスタフ!歩を止めるな!」
上官からの叱責の声に、周りが嘲笑を浮かべる。
グスタフは愚鈍であると、認識しているからだ。
独活の大木だの総身に知恵が回りかねた大男だの、筋肉を司る分しか脳味噌が入っていないだのと、囁かれている言葉に誰も異存はない。
グスタフにできることは、言われたとおりに他人の倍の荷物を持って、部隊のしんがりを歩くことだけだ。
ギアナ高地の不思議な穴から、ある日ぞろぞろと出てきたものは、ヒトに似ていた。
似てはいるが、ぎょろりとした目は顔の両側についており、その体は体毛ではなく鱗に覆われて、裂けた口には歯がびっしりと生えていた。
彼らは実に友好的に、自分たちは地底人であるのだが、最近数が増えてしまったので地上にも土地が欲しいと言った。
同じ地球人として、少し場所を明け渡して欲しいと。
彼らの容姿は、ヒトに似ている分気持ちが悪かった。
哺乳類が進化したものがヒトであるなら、彼らが何から進化したものであるのか、一目瞭然。
彼らに土地を提供しようなどという国は、現れなかった。
彼らは知能が高く、国に受け容れたら当然のように、ヒトと同じ権利を与えなくてはならないだろう。
今までヒトが築いてきた文化を、トカゲなどに使わせてはならない。
そう口に出す人間は居なくとも、隣になど住みたくないと、声高に言う者はあった。
そしてそれは、国への受け入れ反対の運動となり、地底人たちとの軋轢を生むのである。
ギアナ高地の上に、地底人たちがぞろぞろと出てくる。
器用に岩を辿りながら動く姿は、トカゲそのもの。
それぞれが背に背負っているものは、今までのヒトの文化にはなかった形状の物だ。
一連隊分も集まっただろうか。
あまりの気味の悪さに、ひとりの兵が叫びながら発砲した。
それが「地底人壊滅作戦」の発端だった。
人道的にどうなのか、いや、そもそもあれは「ヒト」ではないではないか。
地底に返してしまえば、いや、また出てきて権利を主張されたら――
まだ世論が割れている中、強大な軍事産業に背中を後押しされた形で派遣された軍隊、それがグスタフの所属する軍隊である。
グスタフは、とても優しい男だ。
蟻一匹殺せやしないのに、軍隊に所属している理由はただひとつ。
戦争が起こっていないから。
人一倍大きな身体に、食料も着衣も無償であてがわれ、失業する恐れもない。
だから戦闘の技術など覚える気はなかったし、上昇志向もない。
それが愚鈍だと思われる原因でも、改める気はなかった。
逆にそう思わせておけば、有事に前線に向かわされることもないと踏んでいた。
ヘリコプターでしか近づけぬギアナ高地の、下を固めろ。
搬入の難しい場所は、アナクロい人的な作業で行うしかない。
腕力だけ認められているグスタフが投入されたのは、そういう理屈だ。
壊滅させる必要どころか、攻撃する必要すら認められない。
地底人は昔からそこにいたらしいし、地球は人間のためのものだと思うのは、思い上がりだ。
グスタフはそう思うのだが、はじめての戦闘である仲間たちは高揚していた。
トカゲなどに地球を乗っ取られてしまうと、大真面目にそう言うのである。
地底人の出入り口である高地の下にキャンプを張ったとき、グスタフは斥候として、高地に登るように命じられた。
バディが「ウスノロと一緒か」と吐き捨てたのを、聞いた。
敵の動きが認められたら合図しろと渡された無反動砲と照明弾を背負い、ほぼ直角に切り立った崖を登っていく。
平地に登りきった時、地底人たちの姿は認められなかった。
出入り口らしき穴を覗いても、中は暗い。
この下には、地底人が地底人として生活を築いているのだ。
それを否定する権利がヒトにあるだろうか、とグスタフは思う。
ギアナ高地のように、下界から隔離されている場所。
そこから出入りして、ヒトとすれ違うことのない場所を提供すれば――
「おい、グスタフ、起きろ!顔を覗かせたヤツがいるぞ!」
背を蹴られて、思わず飛び起きた。
「攻撃はしてきていないか?」
「いや、見回して引っ込んだだけだ。次に顔を出したら、撃ってやる」
「まだ戦闘開始の指令は、出ていない」
「俺が英雄になるんだ――腰抜けに、戦争ができるものか」
バディの顔は、ゲームを楽しむ子供のように輝いていた。
地底人たちは、自分たちが嫌われていることを知らない。
だからもちろん、ヒトが武装していることも知らない。
カービンを構えて穴を狙うバディは、明らかに軍規に反している。
「おい、トンプソン」
「しっ!」
隣でかちゃりとアクションを起こす音が聞こえた。
今ここでバディの暴走を止めないと、地底人とヒトは本格的に争いをはじめるだろう。
グスタフに、どちらの肩を持つという考えはない。
ただ、同じ地球を共有したいだけだ。
夢中で照準を合わせようとするバディに、グスタフは担いだ無反動砲を振り下ろした。
胸のわずかな振動で、武装解除の合図があった。
どこかの偉い学者の言葉で、国はあっけなく地底人との共存を模索する方向に向かったのだ。
グスタフの前には、失神したバディの姿がある。
どうしようかと考え、目覚めたら煩いので、地底人の出入り口に放り込んだ。
殺されることはないだろうし、戻ってきた頃には脱走兵にされている筈だ。
バディのカービンを背中に背負い、無反動砲を固定した。
これはもちろん、人間を殴るために作られたわけじゃない。
本来の仕事をさせなかったことにホッとしながら、グスタフは崖をリぺリングする。
バディには申し訳ないが、目覚めたら逃げていたことにしよう、そう思いながら。
「バディの逃走に気がつかなかったのか、ウスノロ!」
上官に敬礼したまま、グスタフは普段の愚鈍に見える顔に戻っていた。
俺は何とも戦いたくないし、何も殺したくない。
グスタフが戦火の口火を防いだことは、誰も知らない。
fin.
蛇足:カール・グスタフってのは、84ミリ対戦車無反動砲の愛称です。