男は機会があれば絶対浮気すると言われたので、早速婚約者で検証した。
「男なんて機会があれば絶対浮気するもんなのよ!」
隣国から傷心旅行にやって来たまた従姉のコゼット・ヴァンデルが、何度目になるか分からない叫びを上げ、そのまま私の寝台へ顔面から倒れ込んだ。
「あの、コゼット。鼻水が……。」
「男なんて所詮下半身で生きるクソ馬鹿野郎なのよ! くたばりやがれ! あの屑!」
制止は間に合わず、涙と鼻水が盛大に寝台のシーツへ擦り付けられた。私は彼女の背中を撫でながら、コゼットが帰った後にまずシーツの交換をせねばと、頭の中の予定表へ追加する。
「コゼット、落ち着いて。あのクソ馬鹿ハゲ野郎のことはもう忘れて。婚約も解消したんだし、次はきっともっといい人が見つかるわよ。」
「あいつはハゲではなかったわ!」
寝台から勢いよく跳ね起きたコゼットは、泣き腫らした目のままこちらを睨みつけた。
「むしろハゲならどんなに良かったか! 少なくともあんなに顔が良くなければ、あんなに簡単に女が寄ってこなかったのに! デブかハゲだったらよかったのよ!」
それならそもそもコゼットが彼を選んでいなかった可能性が高いのではないだろうか、と私は思ったが、口には出さなかった。
更にそもそも醜男であっても、金か地位か弁舌か何らかの一芸でもあれば普通に女性は寄ってくると思うし、人間の性的選好というものを顔面の造作だけに還元するのはあまりに乱暴である。
しかし今ここでその話を始めても、傷心した女の鼻水がさらに増えるだけだろう。
「もう次は絶対、顔で選んだりしないわ……。」
「それがいいわね。」
「いやっ! でも誠実そうに見える男だってどうせ浮気するのよ!」
「……じゃあどうするの?」
「あそこをチョン切る?」
「さすがにそれは犯罪よ。」
コゼットは再び寝台へ沈み込んだ。ちなみに彼女が我が家へ来て今日で四日目になるが、同じ会話をすでに少なくとも七回はしている。
元婚約者とは七年間の付き合いで、結婚も目前に迫っていたらしい。ところがある日、別の令嬢との逢瀬が発覚し、それも一人ではなく二人、さらに追及した結果、過去にも何度か似たようなことがあったと分かったのだから、それは確かに気の毒ではある。男性不信になるのも当然といえるかもしれない。
「そんな我関せずの顔して……あなたも必ず悪夢を見ることになるんだからね。」
寝台へ伏せたまま、コゼットがぎろりとこちらを睨んでくる。
「聞いたわよ。あなたの婚約者だってものすごい美形なんでしょう!」
「ああ、リオルドね。」
「絶対浮気するわよ! 顔のいい男は絶対浮気するのよ!」
それは偏見ではないだろうかと思いつつ、私は首を傾げた。
「いや、ないと思うけど。」
「何よ、その自信は!」
自信というほどのものではなく、単に想像がつかなかっただけである。
私の婚約者であるリオルド・ヴェストライルは、私より一つ年下の十八歳。伯爵家の長男で、背が高い上に、均整の取れた体格をしている。一見細身に見えるが、実際にはかなり鍛えられた実用性も兼ね備えている体躯である点を私はとくに高く評価していた。
顔立ちについては確かに私でも整っていると思う。甘い顔立ちと評されることが多く、淡い金髪に青い瞳、笑うと目尻が少し下がるため、昔から老若男女を問わず受けがいい。
性格も穏やかで、大抵のことでは怒らない。私たちは私が七歳、彼が六歳の時に婚約しているので、もう十二年近い付き合いになるが、私は彼が誰かに声を荒らげたところを一度も見たことがなかった。小さい頃はよく泣いていたものの、それも十二、三歳頃からめっきり見なくなったので、少し残念ではある。泣いているリオルドはなかなか可愛かった。
「でも、本当にないと思うわよ。」
「甘い!」
コゼットが寝台をばん、と叩く。
「今まで浮気しなかったからって、これからもしない保証にはならないの! 男っていうのはね、機会があるかどうかなのよ!」
「機会。」
「そう! 美人と二人きりで、誰にも知られなくて、向こうから迫ってきて、少しくらいなら大丈夫だと思える! そういう条件が全部揃った時に本性が出るの! 今まであなたの婚約者が浮気しなかったのは、単に条件が揃ってなかっただけかもしれないでしょう!」
「なるほど。」
確かに一理あるかもしれない。
私は暫し考えた。条件、環境、対象、心理的な障壁、そして成功率。考えてみればたいへん興味深い。
「どの程度条件を揃えればいいのかしら。例えば好ましい容姿だけでいいのか、それとも性格的な相性まで必要なのか。関係構築に必要な時間は? 接触深度は? 婚約者に発覚する可能性がゼロに近ければむしろそれだけで成功率が上がるのかしら。それとも単純に、視覚刺激や、性的欲求へ直接訴えた方が早い?」
「……キャロル?」
「難攻不落に見える城でも、構造を分析すれば必ず侵入経路は存在するものね。だって、入る人間と出る人間が居るのだもの。道が無いわけがない。」
「キャロル!」
顔を上げると、コゼットがひどく嫌そうな顔でこちらを見ていた。
「なに。」
「今、すごく嫌な顔してる。」
「どんな顔よ。」
「あなたが、何かやらかす直前の顔。」
失礼な話である。しかし、一度考えついてしまうと、自分の中で急激に好奇心が膨れ上がっていくのを感じた。
――知りたい。
これは、試さずにはいられない。
私は昔から困った衝動を持っていた。
八歳の時には、魔石へ許容量以上の魔力を流した場合どうなるのか気になって初めて魔道具を爆発させ、十歳の時には絶対に入ってはいけないと言われた森の奥に何があるのか知りたくなって三日間行方不明になった。
十二歳では、油へ直接火炎魔法を当てた場合の燃焼効率を確かめようとして屋敷の調理室を半焼させ、十四歳では自作した大型魔力増幅器の限界出力を確認した結果、私専用に建てられた研究棟の一部を崩壊させた。
十六歳には極寒地にしか生えないという希少薬草を実際に見たくなり一ヶ月失踪し、十八歳の時には論文発表のため訪れた東方の国で、色々あって一度牢に勾留されている。
そして現在十九歳。どうやら結婚を目前にして、また若気の至りという名の持病が発症したらしい。
私はコゼットを慰めることを忘れ、いつの間にか猛烈な勢いで紙にペンを滑らせていた。
◇
「さてさて、始まりました! ザ・ドキドキ!浮気検証ターイム! 司会進行は私、ターゲットの婚約者であるキャロル・ハーネスト。そして解説席には、つい先日浮気被害をご経験されたコゼット・ヴァンデルさんをお迎えしております!」
「なにがどうなって、こんなことになったの……。」
数日後、私は王都でも有名な高級喫茶店の二階個室で、コゼットと並んで椅子に座っていた。目の前には大きな魔道モニターが置かれており、一階奥の特別席が映し出されている。そこへ今まさに、一人の青年が案内されてきた。
「さあ、ターゲットが入ってきました! いつも通り非常ににこやかですね。」
「わ……あなたの婚約者、本当にめちゃくちゃ顔がいいじゃない。」
コゼットが画面へ顔を寄せ、感心したような声を出す。若干青ざめていた顔に僅かに朱が上る。
「なんでこんな異常者の婚約者に……。」
「誰が異常者よ。」
「あなたに決まってるじゃない。」
今日、この喫茶店は丸ごと貸し切っている。中にいる店員も客も、すべて私が雇った仕掛人だ。ただ一人、何も知らされていない私の婚約者である、伯爵家長男リオルド・ヴェストライルを除いて。
「さあ、被験者が椅子に座りました。」
「あ、もうターゲットじゃなくて被験者になった。」
まず侍従役の男がリオルドの席へ近付き、私からの手紙を渡した。内容は簡単で、急な所用で今日は行けなくなったこと、再来月に迫った結婚式について衣装店、菓子店、式場などの担当者を呼んでいるので、私の代わりに話を聞いてほしいというものだ。
リオルドは手紙を読み終えると、ほんの少し首を傾げた。
「今、首を傾げたわよ。怪しまれてない?」
「まさか。ここまでは完璧よ。」
リオルドは席を辞すことなく侍従に何か告げた。表情はいつもと変わらず穏やかである。
「さあ、では仕掛人一号を投入します。」
私が耳元の魔道具へ指示を送ると、店の奥から一人目の女性が現れた。艶やかな栗色の髪に大きな琥珀色の瞳、上品な服を身につけた正統派の美女で、明るく朗らかでありながら煩すぎず、男性受けが良さそうな仕草も事前に仕込んである。
設定は衣装店の従業員で、まずは普通に結婚式の衣装について打ち合わせを行うことから始める。リオルドもいつもの調子で丁寧に応じていた。
五分が経過した頃、仕掛人は笑いながら彼の容姿を褒め始め、十分後には休みの日について質問し、十五分が過ぎる頃には今度おすすめの店を紹介したいと言い始めた。そして二十分後、とうとう個人的な連絡先を書いた紙をそっとテーブルへ置く。
リオルドは紙を見て、いつものように柔らかく笑った。
「申し訳ありません。婚約者以外の女性と個人的なお付き合いをするつもりはありませんので。」
そのまま紙は丁寧に返却された。私は記録帳へ『検証一。正統派美女。効果なし』と書き込む。
「一切靡かないわね。さて、これで終り――」
「まだよ。標本一件で何が分かるというの。」
「標本って……あなた本当に異常者ね。」
「では仕掛人二号!行くのだ!」
「いや、聞けよ。」
二人目は小柄で可愛らしい少女だった。といっても十七歳なので、リオルドとは一歳しか違わない。薄茶色の髪を二つに結び、少し頼りない雰囲気を作っており、菓子店の見習いという設定である。
まず事前に発注していた内容を一度間違え、「ご、ごめんなさい……」としゅんとした様子で申し訳なさそうに謝る。リオルドは「大丈夫ですよ」と穏やかに笑った。
「優しい!」
「……これからよ。」
次に少女は焦った振りでリオルドの近くに伝票の束を落とす。いつまで経ってもリオルドは拾わず、結局少女は自分で拾った。
気を取り直して、続いて庇護欲をそそる様な若干舌足らずな甘い声で「リオルド様って、どういう女性がお好みなんですか?」と尋ねる。
「婚約者です。」
リオルドはにこやかに、しかし一拍も置かずに答えた。
「……あ、あの具体的には?」
「キャロル・ハーネスト。」
「い、いえ、そうじゃなくて、髪が長いとか、可愛い感じとか……。」
「あ、描画ならここに。」
リオルドが胸元から、携帯用の小さな肖像画を何枚か取り出す。
その瞬間コゼットが机をバァンと叩いた。
「全部お前やないかいっ!」
私は机の上に両肘を置き、合わせた両手の上に静かに顎を載せた。
「これは、なかなか強敵ね。」
「あんたは一体何と戦ってるのよ。」
最後の仕掛けとして、給仕役が横からぶつかったふりをし、少女が「あっ」と声を上げながらリオルドの胸元へ倒れ込む。
瞬間、リオルドはずさあっと音がしそうな勢いで驚くほど素早く椅子ごと後ろへ下がる。支えを失った少女はそのままどすりと床へ落ちた。
モニターの中で、床に伏せた仕掛人の少女が沈黙している。
「……避けたわよ。」
「素晴らしい。見事な反射速度だ。」
「そこ感心するところ!?」
しかもリオルドは手を差し伸べることもなく、「大丈夫ですか?」と声だけは優しく掛けた後、「そちらの女性店員に支えていただくといいでしょう」と微笑んだ。笑ってはいるが、なぜだろう。第一検証の時より明らかに目が冷たい。
私は『検証二。庇護欲刺激型。効果なし。むしろ微弱な不快反応の可能性あり』と記録した。
「二号撤退!次よ、次!」
「もう止めましょうよ。」
「続いて三号のご登場です……!行け!行くのだ!」
「人の話を聞け。」
三人目は知的な雰囲気の美女で、式場のプランナーという設定だった。この女性は本当に頭がよく、王立学院を上位成績で卒業しており、魔術史にも経済にも詳しい。私自身と少し属性が近いため、今回の検証ではかなり期待値が高かった。
「今回は期待できるわ。」
「婚約者が浮気するのを期待してるの?」
「科学的好奇心は誰にも止められない。」
「お前人として最低だな。」
ところが、この仕掛人は実際リオルドとの会話がかなり盛り上がった。
これまでと違い、一方的でなくリオルドも言葉を発している。
「ほら! これは来たんじゃない!?」
私は思わず身を乗り出し、コゼットもそれに続いて画面へ顔を近付ける。
「きっとこういうところから始まるのよ! まず会話が合うの!」
画面の中、仕掛人が最近開発された新型魔導炉について語ると、リオルドは興味深そうに頷いた。
「面白いですね。ただ、その方式でしたら、三年前にキャロルが発表した術式の方が魔力損失率は低かったはずです。」
「はい?」
仕掛人が別の学説を話せば、「それについても、去年キャロルが反証論文を書いていますよ」と返し、必要なら写しを渡すとまで申し出る。さらに薬学へ話が移れば、「では北方薬草の研究はご存じですか? キャロルが十六歳の時に――」と、またしても私の研究へ話題が戻ってきた。
「おお、これはすごい。私の論文全部暗記してるじゃない。」
私がモニターを見つめたまま呟くと、コゼットがゆっくりこちらへ顔を向けた。ぎぎぎ、と音がしそうなほど緩慢な動きだった。
「あなたの婚約者、なんか……ちょっと怖くない?」
「そうかしら?」
「普通、婚約者の論文を発表年から参照文献まで暗記してないわよ。」
その後も会話は続いたものの、気付けば完全にリオルドによる『キャロル・ハーネスト研究成果発表会』となっており、仕掛人の方がだんだん疲れた顔になってきたため、私は検証を打ち切る判断を下した。『検証三。知性型。会話は継続。ただし話題がほぼキャロル研究へ収束。浮気兆候なし』と記録し、終了を指示する。
「撤退!続いて四号を投下!」
「まだあるの!?」
四人目は少し毛色が違い、実際に以前からリオルドへ好意を寄せていた令嬢だった。決して今回の為に無理を通したわけではなく、彼女自身から「機会があれば一度だけ気持ちを伝えたい」と偶然申し出があった為、今回の計画について説明し、是非にと合意をもらったので、参加をお願いすることになったのだ。
令嬢は席へ座り、しばらく普通に話をした後、「リオルド様」と静かに彼の名を呼んだ。
「再来月ご結婚なされることは既に存じております。それでも、どうしても気持ちだけお伝えしたくて。……私、ずっとお慕いしておりました。」
さすがに私も黙った。これは演技ではなく本物の気持ちであり、リオルドもすぐに分かったらしい。少し困ったように眉を下げた後、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。そう思ってくださる方がいることは、本当にありがたいです。ただ、申し訳ありません。僕はキャロル以外の人と人生を共にするつもりはありません。」
コゼットも何も言わなくなった。令嬢は泣かず、「……分かっていました。一言でも伝えられてよかったです」と微笑み、リオルドももう一度申し訳なさそうに頭を下げる。
彼女が立ち去った後、私はペンを持ったまま少し考えた。
「本物でも駄目なのね。」
「あなた倫理観が崩壊してるわね。」
コゼットが静かに突っ込むのを聞き流しつつ思案する。
「これは、かなり条件が厳しいわ。」
「……キャロル。ごめん、もしかして、私の認識が誤っていたのかもしれないわ。本当に男全員が浮気するわけじゃないのかも。だからもう止めましょうよ。」
数日前まで「男は全員下半身で生きるクソ馬鹿」と宣言していた女から、とても小さな進歩が生まれている。
うむ。検証の過程で得られた副次効果として記録しておこう。私はそっと記録用紙にペンを走らせた。
「しかし、まだ最終結論は出ていないわ。やはり好みと機会提示の問題かもしれない。」
「いやいやいや、もう止めましょうよ!!」
「次が本命よ。さあ行くのだ!五号よ!」
五人目については、私はかなり自信を持っていた。事前にリオルドがどういう女性を好むかを逆算し、私自身の性格や言動も多少参考にしながら調整している。研究好きで、好奇心旺盛、少し理屈っぽく遠慮がない。服装も多少私に寄せていた。
「人間は、最も身近にいる人間と似通った存在に親近感や好感を抱きやすい可能性があるわ。」
「婚約者の浮気相手をわざわざ自分に寄せてまで一体何を確認しろと?」
仕掛人が席に着く。リオルドは彼女をじっと見た。ほんの数秒だったはずなのに、その沈黙が妙に長く感じられた。
それから、にこりと微笑む。
「……キャロルを参考になさいました?」
私とコゼットが揃って固まる。
「……キャロル。」
「なに。」
「バレてる。」
「ぐ、偶然よ。」
「どう考えたらこれが偶然になるのよ!」
仕掛人は誤魔化しながら、上手く話を逸らして会話を始めた。
リオルドはうんうんと暫く対応した後、仕掛人へ殊更柔らかく笑いかけた。
「服装と話し方と、質問の仕方がとても似ていますね。努力の成果が伺えます。ただ、キャロルならそこで先に仮説の提示から入るかと。」
「はい?」
「あと、彼女は初対面の人間へそんなに器用に話しかけられません。」
私は少し傷付いた。
「私、そんなに不器用かしら?」
「え?そこなの?まさかの?他にあるだろ、この異常者が。」
リオルドはさらに続ける。
「それからキャロルは、自分を頭がいいと思わせるために専門用語を使いません。相手が理解できない専門用語を使った結果、説明に余計な時間を取られることを嫌いますので。」
「おお!さすが、よく分かってるわね。」
「感心してる場合じゃないわよ。」
その時だった。リオルドがゆっくり顔を上げ、小型撮影魔具が隠されている方向を真正面から見つめ、そのまま微かに笑った。
私とコゼットは言葉を失った。
「……こっち見た!」
「偶然でしょう。」
「いやいやいや!」
「五号撤退!続いて六号参れ!」
第六の仕掛人は妖艶な美女だった。もう回りくどいことはせず、胸元の開いた衣装に僅かに低い声、甘い香水を纏わせ、物理的な距離も最初からぐっと詰める。
私でもくらっとしそうな、大人の色気を纏わせた女性からの直接接触。これに靡かない男は男じゃない。
「素敵な坊やね。ねえ、婚約されていても、遊びくらいはいいでしょう?」
仕掛人が手を取ろうとした瞬間、リオルドはさっとテーブルの下に手を隠した。
美女が暫し無言になる。
「結構です。お引き取りください。」
「一度くらいならいいでしょ?あなたみたいな子、寝台の上では鬼畜になるタイプが多いのよね。私好きよ、そういうの。」
「そうですか。」
仕掛人が体を寄せてリオルドの太腿を触ろうとした瞬間、また椅子ごとざっと移動する。
美女の表情が固まる。リオルドは笑顔のままだが、若干こめかみに青筋が浮き始めている気がする。
それにしても素晴らしい反射だ。私は素直に感心した。
「私、口は堅いわよ?誰にも言わないわ。」
「誰にどうこうではなく。僕が嫌なんです。」
「え?」
「僕に記憶が残るじゃないですか。普通に嫌です。」
私は記録用紙へ書き込みながら頷いた。
「なるほど。自己規範型ね。」
「もう分析やめなさい。もうリオルドさんが可哀想……。」
しかしこの頃になると、リオルドの顔からは明らかに笑みが薄れ始めていた。口調こそまだ丁寧だが、かなり苛立っているのがモニター越しに伝わる。こめかみが若干ぴくぴくしている気がした。
そろそろ限界かもしれない。しかし、次が最後にして最大の仕掛人だ。やらないわけにはいかない。ということで。
「六号撤収!続いて、七号!お前が最後の砦だ!心して行け!」
「だからお前は一体何と戦っている。」
最後の女性は、私の友人という設定だった。妖艶というよりも大人びた雰囲気の美人で、今回もっとも重要な役割を頼んでいる。
今回はまず、私への不満を聞き出すところから始める。
「キャロルって、昔から変わった子でしょう?」
「ええ。」
即答された。
「否定しないの?」
「そこは紛れもない事実ですから。」
「研究ばかりで突然いなくなったり、平気で危ないことをしたり、周りを混乱させることも多いし。結婚してもさぞかし苦労するでしょうね。」
「間違いなくそうでしょうね。」
私は思わずモニターへ顔を近付けた。
「ちょっと酷いじゃない。」
「事実でしょうが。」
コゼットの声が冷たい。
「それでも結婚したいと思います?」
「はい。それとこれとは別なので。」
リオルドはあっさりと答え、仕掛人は少し間を置いてから、次の台詞を口にした。
「……そういえば、キャロルが言ってましたよ。あなたがあまりに真面目だから心配だって。結婚前に少しくらい女性経験があった方が、自分を満足させてもらえそうだって。」
その瞬間、リオルドの表情が完全に固まった。細めた目に長い睫毛の影のせいだろうか、瞳の色が若干暗くなったような気がした。
「……それは、キャロル本人が?」
「ええ。」
もちろん脚本である。私はもちろんそんなことを言った覚えも思ったこともないが、検証のためだ。多少の創作は致し方ない。
「だから、私と一度くらいどうです?」
仕掛人が彼の身体へ触れようとする。
「触らないでください。」
それまでとは明らかに違う固い声だった。
空気が一変し、私はペンを止め、コゼットも黙り込む。リオルドはゆっくり立ち上がった。もう笑っていない。完全に表情が削げ落ちていた。
「先程の言葉が本当にキャロル本人のものかどうか、すぐに確認する必要があります。」
そう言った彼は、壁の向こう、正確には私たちのいる二階の個室の方向へ顔を向けた。
「キャロル。三十秒以内に出てきてください。出てこない場合、今日中にハーネスト侯爵へ直接お願いして、結婚式を一ヶ月前倒しします。」
「なん、だと!!」
私は椅子を蹴って慌てて立ち上がった。
「ほら! やっぱりバレてたじゃない!」
「それどころじゃないわっ!くそっこのままでは最後の演出がっ!」
事前に用意していた棒の付いた巨大な板を掴み、部屋を飛び出して一階へ駆け下りる。そのまま勢いよく扉を開けたところで、絨毯の端に靴が引っ掛かった。
「リオルド! ちょっ――。」
盛大に転んだ。
額を床へ打ちつける寸前、何とか棒を掴んだ手だけは直角に上げたため、私の頭上には巨大な板が掲げられていた。
『ドッキリ大成功!!』
店内に何とも言えない沈黙が落ちる。
リオルドは一度、二度と瞬きをした後、やがていつもの柔和な笑みを浮かべた。
「やっぱり、またこれですか。」
笑っている。確かに笑っているのに、何故だろう、ひどく怖い。やはりこめかみに青筋が浮いている気がする。
「……気付いてた?」
「ええ、不自然でしたから。」
「なにが?」
「手紙です。あなたが『急な所用』などという曖昧な表現だけ残していなくなるわけがないでしょう。」
言われてみれば確かにそうだった。
普段の私なら、何の所用なのか、どこへ行くのか、何時に戻るのか、何をするのか、必要なら地図まで添付する。そうしないとリオルドがすぐに追いかけてくるのが分かっているからだ。
これは抜かった。
「……最初からか。」
「納得するところなの!?」
後ろからコゼットの声が飛んできた。
「二人目で確信しました。」
「なんで?」
「偶然とは言えないハプニングが連発しましたので。」
「……長い人生、そういうこともままあるかもしれないじゃない。」
「いやいやいや。あなたが作為的に関わる時だけですよ、少なくとも僕の人生においては。これ、何度目ですかね。」
「あ、ああ。何度目かしらね?十回目くらい?」
「くだらない冗談は止めてください。百回は優に超えてますよ。」
リオルドが、ははは、と軽やかに笑った。
やはり怖い。
「キャロル。少しお話ししましょうか。」
「ちょっと所用が……。」
「座ってください。」
そうして私はそのまま彼の向かいの席へ座らされた。助けを求めて周囲を見回してみるが、先程までそこにいたはずのコゼットの姿がない。
「あれ、コゼットは?」
「先程逃げました。」
「薄情者。」
「賢明な判断ですね。」
リオルドはそう言うと、片手を上げて指を一本立てた。
「まず僕が七歳、あなたが八歳の時。あなたは初めて魔道具を爆発させた。僕は隣にいました。結果、全治二週間。」
「もう治ったでしょう。」
「ええ。僕の人生である意味記念すべき、初めての大怪我でした。」
次に指が二本になる。
「九歳。禁足の森へ勝手に入って三日間遭難。」
「今になって思えば楽しい思い出よね。珍しい茸も見つけたし。」
「どこが。僕は泣きながらあなたを探して森へ入り、そのまま一緒に遭難し、死にかけたんですよ。」
「あなた昔は泣き虫だったものね。」
「重要なのは決してそこではない。」
三本目が立つ。
「十一歳。厨房半焼。」
「全焼しなかったから良かったじゃない。」
「僕がすぐに消火に走ったからです。」
「あれ?あなたもいたっけ。」
「炎に包まれる悪夢を見続けて、暫く苦しみました。」
四本目。
「十三歳。研究棟崩壊。」
「崩壊というほどではないわ。西棟の三分の一くらいだし、構造的には残っていたでしょう。」
「あなたを抱えて窓から飛び降りたのは僕です。その時もまた骨を折りました。」
「今は治ってるじゃない。」
「そりゃ全部治ってますよ!!」
初めてリオルドの声が少し大きくなり、私は思わず目を丸くした。
「リオルドが声を荒らげた。」
「誰のせいですか!」
五本目。
「十五歳。極寒地。」
「あれは価値があったでしょう。あの薬草のおかげであなたのお母様を含め、何百人も助かった。」
その時だけ、リオルドの表情がほんの少し柔らかくなった。
「それには感謝しています。ですが、だからといって僕が一ヶ月雪山で遭難した事実は消えません。」
「遭難はしてないわ。計画的野営よ。」
「帰還予定日を三週間過ぎたら遭難です。」
「定義の問題ね。」
「常識の問題です。」
さらに六本目。
「昨年、十七歳。東方。あなたが牢に入りました。」
「誤解だった。」
「市場で勝手に違法魔道具を分解したからでしょうが。どこが誤解ですか。」
「危険性を確認したかったのよ。」
「僕は現地語と法律を調べ、領事館と役所を回って半日であなたを釈放させました。」
「あなた、妙に何でもできるわよね。」
私が素直に感心すると、リオルドはしばらく黙った後、静かな声で並べ始めた。
「乗馬、登山、水泳、野営、狩猟、応急処置、消火魔法、魔道具の緊急停止、外国語、交渉術、刑法。」
「随分器用よね。」
「……誰のせいで身についたと思っていますか?」
「……。」
「あなたのせいですよ。」
私は少し考えた。
「でも、嫌ならついて来なければいいじゃない。私が勝手にやってるんだし。」
リオルドは一度黙り、しばらく私を見つめてから、諦めたような声で言った。
「僕が行かなければ、あなた一人で行くでしょう。」
そうだろうな、と内心で頷いたが、珍しく空気を読んで私は口を噤んだ。
「……あなたの研究や発見に価値があることは分かっています。実際、多くの人が助かった。僕の母もです。だから、あなたに全部やめろとは言いません。」
「でしょ!?いやー、ほんと、すべては世の為、人の為なのよ。」
リオルドの表情がまた固まる。まずい、調子に乗ってしまったと私はすぐに後悔した。
「……ですが、それとは別に、僕はあまりにも被害を受け過ぎではありませんか?」
にっこりと笑う彼に、私は若干不穏さを感じながらも口を開く。
「でもあなたいつも笑ってるじゃない。嫌だったの?」
沈黙が落ちた。
「嫌なら浮気でもなんでもして、婚約破棄したらいいのに。私は侯爵家の娘だけど、双方合意なら解消できるでしょう。」
リオルドは無言だった。笑顔はそのままなのに、更に周囲の温度が少し下がったような気がする。
「いつも言っていますが、あなたを愛しているので、それは絶対にありません。」
「そ、そう。」
「ええ。しかし、まったく伝わっていないようで、僕は今とても落ち込んでいます。」
落ち込んでいるというより、とても怒っているように見えるのは気のせいだろうか。コゼットに続き、気付けば周囲の人間もいつの間にやら消えている。
「いや、伝わっているわ。試すようなことをしてごめんなさいね。」
「あなたはいつもそれですよね。表面上謝ってそれで終わり。そしてまたとてつもない凶行を成すのですよね。僕を巻き込んで。」
「いや、別にあなたを巻き込んでるつもりはないのよ。ただ、あなたがいつも一緒にいるから、自動的に……。」
リオルドが、ははは、と軽く笑う。
「自動的に被害者になる、と。」
「そ、そうね。」
私の視線は自然と泳いだ。
「では、先月のあれはなんでしょうか?」
「……ああ。あれは、人間が親しい相手から突然認識されなくなった場合、何日目から精神的変調を――。」
「二週間存在を完璧に無視されたら相手がどう思うかは実験ではなくただのイジメです。」
一息に告げた彼の声は静かだった。
「先々月は、『何の連絡もなく約束の時間に現れなかったら、人は何時間で大規模捜索を始めるか』でしたか?」
「あなた二時間だったわね。予想より三時間早かった。」
「婚約者が過去六回失踪していれば早くもなります。」
リオルドは大きく息を吐いた後、「まあ、いいでしょう」と言って再び軽やかに笑った。
私はそっと息を吐いた。良かった、いつもの通りこのままなんとなく丸く収まるようだ。
「それにしてもキャロル。再来月、僕たちようやく結婚ですね。」
リオルドの若干低くなった声に、違和感を感じて顔を上げる。
「これで合法的にあなたに罰を与えることができますね。」
「なに。」
私は少し身を引いた。
「財産を取り上げるとか?研究を禁止するとか?」
「そんなことしませんよ。」
「じゃあ、無視するとか?」
「僕はあなたと違って、そういう陰湿なことはしません。」
「じゃあ何よ。」
リオルドは一切表情を変えずに答えた。
「褥で。」
私は瞬きをした。
「虐め抜きます。」
リオルドはまた爽やかに微笑んだ。背景に青空が浮かびそうなほど眩しい笑顔だった。
「誰が。」
「僕が。」
「誰を。」
「あなたを。」
「…………は?」
私は固まった。
「先程も、経験のある男の方が自分を満足させてくれそうだ、などという随分な台詞を用意してくださっていましたし。」
「あれはただの脚本よ! 私、そんなことまったく思ってないから!」
「分かっています。それも含めて、むしろ安心しました。」
リオルドのいつもと変わらないように見える笑顔に、なぜか背筋に冷たいものが伝った。
「あなたがその辺りについて僕へ何一つ期待していないことに。」
「……どういう意味?」
「期待値が低ければ、結果が多少上振れしただけでも満足度は高くなるでしょう?」
私は黙った。何か嫌な予感がする。
「キャロルが好きな言葉でしたよね。事前予測と実測値の乖離。」
「……そ、そういう用途で使う言葉じゃないと思う。」
「結婚後、実測しましょうね。色々と。」
「……色々って何。」
「ここで説明しますか?」
「結構です。」
「ほら。」
リオルドがまた楽しそうに笑う。私は、額にじわりと汗が浮かぶのを感じた。
「今の反応だけでも、かなり期待できます。」
「何が?」
「僕は、十二年我慢したんですよ?」
「何を。」
私が問い返すと、リオルドはむしろ爽やかさを増した笑みを浮かべた。
「もうここ数年、僕はそれだけを楽しみに、あなたから繰り返される実験と検証の皮を被った虐めや苦行に耐えてきましたから。」
「さっき愛してるって言ったじゃない。」
「あなたこそ自分を愛しているという婚約者によくここまでの所業が成せますね。」
言い返せずに黙る私を見て、リオルドはまあいいです、と続けた。
「一ヶ月は寝台から出られない覚悟はしておいてくださいね。」
「……一ヶ月は物理的に無理でしょう。」
思わずぼそりと言い返すと、リオルドは待っていたと言わんばかりに微笑んだ。
「ではどれくらいいけるか検証しましょう。実地調査ですよ。あなたが大好きな。」
「嫌よ。」
「性能試験も。」
「最低。」
「耐久試験も。」
「無理。」
私は立ち上がろうとしたが、その前に手首を掴まれた。強くはない。振りほどこうと思えば簡単に振りほどける程度だが、リオルドは相変わらずにこやかに笑っている。
「自分は事前の合意なく散々やっといて、自分の番になって逃げるのは違うでしょう。」
「い、いや、私は実験は好きだけど、被験者になるのはちょっと……。」
笑ってるのに目が怖い。
「あと六十一日ですね。結婚式まで。」
「……数えてるの?」
「当然でしょう。朝起きるたびに一日ずつ減っていますから、僕、毎朝嬉しいです。」
「怖い怖い怖い……!」
「明日また一日。明後日また一日。そう考えれば、今日受けた僕の不快感なんて些末なことですよね。」
手はすぐに離されたが、逃げる気はかなり失せた。
「ちなみに、先月の無視実験は二週間でしたね。僕も二週間くらい何かして差し上げようかと思っているんですが。」
何がいいかな、と笑いながら首を微かに傾ける。またぞくりとした悪寒が背筋を走る。
「な、何を考えているかしら。」
リオルドが微笑む。
「知りたいですか?」
「知りたくない。」
「好奇心の塊のようなあなたが、珍しいですね。」
私は思わず椅子ごと少し後ろへ下がった。
「先月のは別に怪我してないしいいじゃない。」
「二週間存在を完璧に無視された人間へ言う言葉ではありません。」
「いやー三日目辺りから独り言が増え始めておもしろか……。」
またついつい零れてしまった言葉に、リオルドは少し目を細めた。
「……本当に覚えておいてくださいね。」
「何を。」
「結婚後。」
また笑う。
何だろう。この男は、昔はもっと純粋だったはずなのに。
六歳の頃など、私が少し強く手を引いただけで泣いていたし、九歳の森でも泣いていた。
十一歳の厨房火災でもまだ泣きながら水をかけていた。
しかし、十三歳の研究棟崩壊時にはもう泣かず、私を抱えて脱出した後負傷した足を押さえながら物凄い顔で怒っていた。
十五歳の雪山では最初無表情だったのが、途中から悟った顔をするようになり、そういえば昨年の東方では、私が牢から出た時に「次は国外退去で済まない可能性がありますから、事前に僕へ相談してください」と穏やかに笑っていた。
私はそこまで考えて、ああ、と、やっとこうなった原因の仮説に思い当たった。
なるほど。私が育てたのか。人間の適応力とは凄まじい。
「これはまさか身から出た錆?いや、因果応報か?」
「キャロル、僕は相当我慢強い方だと思います。なにせ十二年あなたと付き合えていますから。」
そこでリオルドは一旦言葉を切る。私は思わずごくりと喉を鳴らした。
「ですが、我慢強い人間というのは、我慢すること自体が別に好きなわけではないんですよ。単に、後でまとめて取り立てるのを虎視眈々と狙っているだけの場合があります。」
にこり、と彼が笑う。
「あなた今、ものすごく悪いこと言ったわよ。」
「そうですか?」
「柔和な顔で言っていい内容じゃない。」
「では笑うのをやめましょうか。」
すっと笑顔が消えた。
「……やっぱり笑ってて。」
「注文が多いですね。」
いつもの笑顔へ戻ったが、怖さはあまり変わらなかった。
その時、店の扉の陰からコゼットがそっと顔を出した。
「……終わった?」
「逃げたわね。」
「だって怖かったもの!」
そう言いながらコゼットが恐る恐る中へ入ってくると、リオルドは何事もなかったようにいつもの優しい笑顔へ戻った。
「コゼット様。今回は大変でしたね。元婚約者の件はお伺いしました。でも、世の中の男が全員同じというわけではないと思いますよ。」
「……そ、そうね。」
コゼットは私を見、それからリオルドを見る。
「浮気しない男もそれはそれで怖そうだわ。とんでもない執着と束縛と狂愛を感じる。愛が重すぎるのも考えようね。」
「あはは、異常者が相手ですから。朱に交われば赤くなるというものです。」
リオルドが軽やかに笑った。
「……イケメンでなくていいから、浮気も狂愛もしない普通の男は転がってないかしら。」
コゼットが笑うリオルドと固まる私から目を逸らし、ぼそりと呟いた。
その後、私たちは結婚式の打ち合わせをやり直すことになった。本当に衣装店や菓子店の担当者も呼んでいたので、喫茶店を貸し切ったこと自体は無駄ではない。リオルドは何事もなかったように候補を確認しており、私はその隣で、今度こそ何も企まずじっとしていた。
披露宴のお開きと帰宅予定時間を確認していた折に、視線を感じて、横を見る。
リオルドが柔和な笑顔でこちらを見ていた。
「本当に楽しみですね、キャロル。初夜が。」
最後の言葉を殊更に強調される。
なるほど。コゼットの言葉にも一つだけ真理が含まれていたようだ。やはり男にとって下半身というものは、極めて重要らしい。
私は何も答えず、黙って紅茶へ口をつけた。




