悪役令嬢はキャンセルでお願いします!
「お兄ちゃん、助けて! ヒロインに殺される!」
今日は午後一杯まで講義があった。やっと最後の講義が終わり、のそりのそりと教科書をしまい始めていると、妹からメッセが来た。僕は大きな溜息をついた。どっか行くのは、僕が家にいるときにしろってあれほど。
「媒体は?」
僕はスマホにメッセージを打ち込んだ。
「イケメン魔法学園3。 3ね、3! すぐ来て!」
イケメン魔法学園3 、攻略と打ち込み、概略を音声で読み上げさせて、それをイヤホンで聞き始めながら、僕は急いで家に帰った。
家の妹の部屋を開けると、金色の小型スイッチが落ちていたので、それを拾いあげると押し込む。周りの景色がポスターを引っくり返したかのように入れかわり、僕は中世らしき街の真ん中に立っていた。通りすがりの人達が、僕の服とイヤホンを珍しそうに見てくる。無視してスマホにメッセージを打ち込む。
「今着いた。 どこ?」
「カジノの部屋!」
カジノの部屋は、この中世の街唯一の酒場の地下にある隠し要素で、貧しい出のヒロインはここで資金を荒稼ぎすることで、より色々な攻略の仕方ができるようになるらしい。たくましいというか、ゲームならではというか。
酒場の扉を開いて中に入ると、扉についたベルが鳴り響き、中にいた客が一斉に振り向く。僕は彼等が見るままにして、後ろの一見トイレに続くドアに見える扉を押し開ける。すると、中には、一匹の鼠がいる。
「カジノに行きたい」
鼠に話しかけると、鼠はチュチュチュッと笑いだした。攻略によると、ここを通る為には、3つの方法があり、一つは超高級チーズを賄賂として渡す、一つは正規の手続を得たことを示すコインを渡す、だがこの2つは時間がかかる。だから、僕は、左手に力を集めはじめた。鼠はそれを見て目を見開き、とたんに話し出した。
「それは聖魔法! 王家の印! じゃあ、王の直属の視察ですかい? それならそうと言って下さいよお」
鼠が小さなスイッチを操作すると、通路に地下への階段が開く。このゲーム世界では誰でも魔法が使える設定になっているから、魔法が使いやすくて便利だ。
地下に入ると、酒場よりよほど混んでいたが、誰一人僕に目も向けない。それはそうだ。自分の賭けに皆夢中なのだから。しかし、周りを見渡しても、妹らしき姿は見えない。メッセージはリアルタイムで来ているから、今回は転移のはずで、容姿も変わらないはずだが。それとも?
「カジノに着いたけど?」
「3番目のスロットと4番目のスロットの間の空間!」
スロットマシーンのある壁際に向かい、手前側から数えると、確かに3番目のスロットと4番目のスロットの間に間の抜けた空間があったので、そこに入り込む。するととたんに景色が変わり、周り全部が機械だらけの部屋に移る。たぶん空間ごとここは隔絶されている。隠し部屋というやつだ。
「お兄ちゃんやっと来た!」
出迎えたのは妹と似ても似つかない高貴な…
「お兄ちゃん、何を考えてるか分かってるって知ってる?」
妹とは別の高貴さを持つ、ご令嬢だった。
「なるほど、憑依というやつね。 この子が悪役令嬢?」
「うん。今はもともとの人格と記憶があたしと混ざっちゃってるけどね。そんなに悪い子じゃないと思うよ」
「それで、なんで苦戦してるんだ? 悪役令嬢世界なんて、もう何度もやってるだろ? 随行で?」
妹は異能を持っている。人の異世界転移や転生に随行できるのだ。異世界への移動が近くで発生すると、その移動先の情報と共に、随行するか、しないかが選択できる。しかし、長らく随行しないを選択し続けると、妹は調子を崩す。だから、いずれは随行しなければならない。本来は、一度移動すると帰って来れなかったのだが、それは何とかして、帰って来れるようにした。だから本当に危ないのなら帰って来ればいいのだが。
「それがさ、今回は何かヤバイんだよ。まずね、このゲームでは本当は悪役令嬢って死なないんだよ。破産して、裕福な暮らしが出来なくなる、とかはあるけど、大抵は主人公であるヒロインが選ばなかった攻略対象とくっついたりしてね。平和なゲームなの。でも開発時はあったんだって。すっごく難しい条件を沢山重ねた上で、悪役令嬢を無惨なやり方で殺して、なおかつ、攻略対象の貴公子達を全て手に入れて逆ハにする方法が。ただレーティングの問題もあって、社内の反対もあって消えたの。それが明かされるのが、この開発ルーム」
「じゃあ、そのすっごく難しい条件とやらのどれかを崩せばいいんでは?」
「それがなぜかできないんだよ。もう決まってしまった歴史みたいに、変な修正力が働いて、どう動いても、条件が達成されちゃう。それに」
「それに?」
「あたし、帰れない。ロックかかってるみたい」
「なんだって!?」
最小限のステータス画面を出しながら、チェックしてみると、確かに妹が得た帰還スキルはこの世界では無効にされている。その無効のされ方がこの悪役令嬢との魂との鎖から出来ているから、妹を憑依から切り離せば何とかなりそうだが、そうしてもこの悪役令嬢は死ぬ、か。
「もうすぐ、全ての必要な条件は達成できちゃう。貴公子たちは、ヒロインへの好感度が限界を突破して、ちょっとした理由づけで、ヒロインのいうことを何でも信じて、何でもしちゃう。攻略対象の中には王子も入っているから、本当に何でも出来ちゃう。条件を達成されたら、悪役令嬢であるあたしはどこででも殺されうる。ここ以外」
ここがゲームでは存在しないはずの部屋だから、か。
「さすがにいつ頃までに処刑されるかはゲームで決まってたんでは? そこまでここにいるというのは?」
「それも駄目。たしかにゲームでは悪役令嬢はいつでも攻略対象との結婚までには排除されてるけど、それは大分先だし、この開発ルームに入れるのは、ゲーム開始時から、今日の18時までだもん」
開発ルームのモニターを見ると、今は17時半。あと30分か。時間ぎりぎりまでいても、カジノ部屋に帰ったら即拘束されかねない。しかしながら、シナリオだけで実装されていなかったルートを、それも、かなりの実力者であるうちの妹が抵抗しても、定まった運命のように強制してきて、しかもうちの妹の帰還能力にまで干渉する、これって、ただの初回転移者がするにしてはありえなくないか。
「ちなみに相手は普通の転移者なんだろ?」
「うん。初めての転移だと思う。能力だって、ここで普通に進行して手に入るものしか使ってきてない。でも」
「でも?」
「気のせいかもしれない。でも誰かからアドバイスを貰っているような?」
僕はなんだかゾクッとした。
「元の世界では死んでてもう戻れない。だから逆ハに拘るのは分かんなくもないんだ。でも、悪役令嬢を破産させるルートだってそれに近いことはできた。あいつはあたしを殺すことに何故だか拘ってる」
「相手はもう悪役令嬢も転移者だって知ってるんだろ?」
「こんだけ抵抗してるから、気づいてなきゃおかしいと思う」
「そっか」
じゃあ仕方ないね。僕は自分に掛けていた制約を、一つ外した。
18時、開発ルームが点滅しだすと同時に、カジノ部屋に戻った僕達は、白い甲冑をつけた兵隊たちに囲まれていた。ちょうど3番目と4番目のスロットの間の空間から出てくることを分かっていたような包囲の仕方であった。先程いた客や店員達は全て消えていた。
一番豪華な甲冑をつけた兵隊が前に進み出た。
「令嬢ザイーデ。王国騎士第1席の責任のもと、以下言い渡す。貴様を国家転覆の罪で逮捕する。抵抗した場合、即刻処刑することも許可されているからそのつもりで」
「分かりました」
打合せ通り、妹は素直に騎士団に連行されていく。僕はそのあとを黙ってついていく。
時間はそうかからなかった。騎士団は中央道を歩くと、お城の真ん前に作られた、野外劇場のようなところに妹を連れてきた。客席には王国民がひしめき合っており、舞台には、邪悪な笑顔以外はほぼ完璧な美少女が、少女を見つめる顔に締まりがない以外はほぼ完璧な美男子達を連れて立っていた。その後ろにはギロチン台や、車輪裂きなどの処刑具が並び、その後ろには、偉そうな老人達が立派な服と立派な帽子を被って座っている。老人の中の一人だけは王冠を被っている。
妹がギロチン台の近くに一つだけぽつんと備えつけられた、椅子に座らされると、なおも笑顔を続ける美少女が口を開いた。
「今回は抵抗せず、素直に出頭しましたのね。仲間が来たというから、もっと波乱を期待したのですが、仲間の方が期待はずれでしたか」
そういうと美少女は僕の方を見て、わざとらしく溜息をついた。
「ま、仲間のほうも念のためにあとで殺しておきますから、心配しないでくださいまし」
「アリカ様、まだ判決が決まったわけでは…」
豪華な甲冑の男が恐る恐る進言する。
「そうでしたわね。ヒルドリッヒ王子さま、お願い致しますわ」
美少女がそういうと、美男子の中の一人で金色の刺繍が一面についた白い軍服を着た男が進み出た。
「わかった。我が親愛なるアリカよ。さて諸君。この我が国の汚点たるザイーデ。この者の邪悪さはこの顔付きを見れば明らかであるが、こいつはこの王国の秘宝である白色大鉱石の破壊とそれによる、王国の精神守護結界の消滅を企てた。幸い、ここにいる親愛なるアリカのおかげで、精神守護結界は一時的に弱体化するも、すぐに力を取り戻し、白色大鉱石も健在である。しかし、だからといって、王国の危機であったことは間違いない!! さあ、国王陛下を筆頭とする我が王国裁判官の皆様方、ぜひ厳格な判決を!」
王冠の男が口を開いた。
「我が息子、聡明なる第一王子よ。お前の訴えはよく分かった。お前の訴えを補償する証人も幾人も名乗りを上げておる。さて、ザイーデ、何か申し開きはあるか?」
妹は口を開いた。
「精神守護結界の消滅はアリカ様が行なったことです。それにより、王子を含め、王国中の人々の洗脳が行なわれました」
ヒルドリッヒが狂ったように叫んだ。
「何ということだ! よりにもよって我が愛しのアリカに罪を擦りつけるとは! この罪人はまったく罪を悔いていない。こんな罪人には見せしめのため、考えられる限りの刑を執行するしかあるまい。そうではないでしょうか!」
「「「極刑、極刑、極刑!!」」」
群集が叫び出す。
「静かに!」
国王が遮った。
「今から決をとる。被告人ザイーデが有罪であると思う者、手を挙げよ」
老人達が全員手を挙げる。
「更に、見せしめのために考えられる限り残虐な刑に処すべきと思う者、手を挙げよ」
老人達は誰も手を下げない。
「これにて刑は確定した」
「そうですね、刑は確定しました」
僕は拍手をしながら、ゆっくりと壇上に登った。アリカが近づいてくる。
「ガッカリ助っ人さん、今頃なんですの?」
「ガッカリかどうかは、今から分かりますよ。はい!」
僕が大きく手を一度叩くと、アリカと妹と僕以外にその場にいた者達が全員崩れ落ちた。勿論、群集もだ。
アリカが叫ぶ。
「お前! いったい何をしたのです!?」
「別に特に害することは何も。ただ皆さんに全員眠ってもらって、今悪役令嬢ザイーデが、皆さんそれぞれが想像しうる限りの残忍な方法で、処刑されているシーンを見て頂いています。有り有りと感じとって、それをリアルと思えるほどにね」
「そんなことをして一体なんの意味が!」
「歴史の修正力だよ、アリカさん」
妹が椅子から立ち、静かに僕達の方に近づいてきた。
「歴史は人々の記憶が作るもの。お兄ちゃんが皆が望むリアルを見せ、皆がそれを記憶にしたことで、歴史は現実になったの。だから、もう歴史の修正力は働かない。もう終ってしまった歴史だから」
リンゴーン、リンゴーン
「ほら、鐘の音が聞こえるでしょ。ハッピーエンドだよ。逆ハの人生、せいぜい楽しんでくださいな」
「そんな、そんな、そんなこと、許されないわ!!! あなたが生き長らえるなんて!」
妹の言葉にアリカはわなわな震えている。
「あなたがあたしを殺したかったのはよく分かったけどね。残念だったね。何で殺したかったかはよく分からなかったけど」
アリカはしばらく黙っていたが、やがてつぶやいた。
「人を殺すことこそ、最大の禁忌であり、最大の享楽。だとするなら、誰にも殺されず、自分をただ殺してしまったわたくしは、享楽どころかからっぽになってしまったわたくしは、いったいどうすればいいんですの」
「ふーん、それで自分が失った享楽を、ザイーデを殺すことで得ようとしたわけね。ゲーム的には正当な手続を踏んで、遵法な形で。うん。で」
僕はアリカの顔を覗き込んだ。
「その人を殺すことうんねんってのは、誰に教えてもらったの?」
「えっ?」
アリカは僕の方を見た。
「実はね。アリカさんも眠らせることはできたんだよ。当然でしょ。そしたら、アリカさんも精神的には目的達成、僕達も大丈夫でよかったじゃない? これ、今からそれをしてあげても全然いいんだ。空想はその人の自由だし? でもね、聞いておかなければならないことがある」
「あたしの帰還を妨げたのはどうやったの? 誰がそれをやったの?」
アリカは妹を見た。そして首を振った。
「誰?分からない。 帰還を妨げた? そんなことはわたくし、やってない。 あ、でも」
アリカは空を見上げた。
「声がしたの。いつも、どこでも。死んだあと、説明もなく転移させられたわたくしを慰めてくれた。誰も頼れなかったわたくしの相談に乘ってくれた。そう! ザイーデさんの魂が逃げてしまうよ、手伝ってあげるよって言ってくれたことがある。お願いっていったら、わたくしの魔力が少し使われていったっけ。よく分からなかったけど。 少し前から声は聞こえなくなったわ。逆ハに成功したときだったかな」
僕は妹と顔を見合わせた。僕は質問を重ねた。
「その声は自分のことを何にもいってなかった?」
「うーん。自分はアドバイザーなんだって。迷える子羊を導く、物知り博士、Mなんだって」
結局、アリカは夢を見ることを望まなかった。
「わたくしがここでの全人生を費してやってきたことが、たった一回の夢で終ることだったって、そう分かってしまったら、とっても虚しくなってしまいましたわ。逆ハをわたくしなりに楽しんでみます」
ザイーデについては、妹の魂だけ分離して、この世界の別の場所で暮らすことも提案してみたが、
「アリカ溺愛王国に住むなんてまっぴら御免です。どうせ王国中枢では死んでしまったことになってますし、妹さんと過ごしてみて、わたしにも全く非がないことはなかったって分かりました。だから妹さんにもう少し着いていってみます」
ということで、家に着いて来ることになった。妹の異世界転移に付合うっぽい。鐘の音が流れて、『ザイーデが死んだ』時点で帰還スキルの無効化も解除されてたし、まあいいでしょう。
「そういえば、お兄ちゃん、制約を一個解除するって言ってたけど、何をしたの? いつもと全然変わらなかったけど?」
「そういや、結局意味なかったね。ま、うまくいってよかったってことで」
「そうそう、お兄ちゃんが警戒してた物知りM? も介入してこなかったし」
「これからもそうだとは限らないんだよ。だから、絶対に、転移は僕が家にいる時だけにすること!」
「はーい、分かりましたよーだ」
僕は妹の返事を聞きながら、自分の部屋に戻り、ようやく自分のベッドに俯せに倒れ込んだのだった。