強くなって現代に帰ってきた勇者はキャンセルでお願いします!
僕は思う。男性が男性を大事に出来ない国って滅びるんじゃないかなと。
新聞にジムのチラシが入っていた。最初の一月は無料で、今なら入会金も無料らしい。昨日の夜、家族で食事をしていたら、父のお腹のボタンが弾け飛んだ。それを見た妹が、
「お兄ちゃんはお父さん似だもんね。わたしはお母さん似でよかった」
とコメントした。テーブルに当たって一番弱る部分だし、などと言いながら、自分のお腹を見た。それから、妙に気になっていた。ジムの広告に乗せられている気がするが、なんとかするヒマがあるなら、なんとかした方がいい。
幸い今日は一限がなかったから、見学に行ってみることにした。ジムは大学を通り越してずっと行ったところで、バスか電車でしか行けない。
僕は家を出て中道を抜けて、大通りの交差点に出る。横断歩道は大きくスクランブルに広がり、そこをベビーカーをゆっくり引き隣同士しゃべりながら歩く主婦たち、髪の毛や服装がだらしない中年男が歩き出す。
正面の緑色の屋根をかぶったバス停の下には、会社員らしき整ったスーツを来た黒っぽい男女達、お嬢様学校の高校生、そして黒い道着を身に纏い、長い棒を片手に持った大学生集団が並んでいて、その奥には青く雲が殘っていない空がのしかかっていた。空の下には川が、その向こうには海が流れているはずだが、まだ今の暑さでは雲が作れるほどではないということだろう。
左を見ると、信号で止まっている何台かの車の向こうに、 赤いバスが走ってくるのが小さく目に映る。急がねば。
僕は走って横断歩道を渡りはじめる。まず主婦たちの横を通り、そして、ふらふら歩いている中年男の横を通り抜けようとしたとき声が聞こえた。
「おい、てめえ」
近頃は本当に物騒だ。おそらくあの中年男は対岸から渡ってきた誰かとぶつかったかどうかしたに違いない。そう思いながら、走り続ける。
「てめえ! そうか、おれに喧嘩売ってるんだな!思い知らせてやる!」
その声が聞こえると、とたんに足が進まなくなった。耳が痛いほどに静かになる。前方から渡ってきていた黒い帽子を被った幼稚園児も空中で飛んだまま、足が止まっている。時間が止められたのだ。周りの時間を止めてまで、誰が被害者になっているのだろう。僕が振り向こうとすると、その前に中年男が僕の前にのろのろとまわり込んできた。こっちを睨んでいる。えっ、僕?
「ふん、このままこいつに正義の鉄槌を下してもいいが、何をされたか分からないようじゃ意味がねえな。こいつだけ体の中を1倍、外の空間を0.5倍速にするか」
中年男は指を鳴らした。そしてまたしゃべりだす。
「おい、てめえ。もうおれのことが認識できるな? よくも、おれを追い越しやがったな。礼儀を知らねえのか!」
「礼儀って何ですか?」
「このガキ、やっぱりおれのことをなめてやがる」
僕は大きく溜息をついた。
「つまり、あなたにとって、あなたを追い越す人は礼儀がないと」
「当たり前だろ! 三尺下がって師の影を踏まず。つまりてめえはおれより90cm以上後ろで歩いてなきゃいけねえんだ!それどころか、おれを追い抜くなんて、なめてやがる。女なら許してやってもいいが、男は許さねえ!」
「あなたは僕の師ではありませんが?」
「おれは異世界のダンジョンに2回入って合計159年生きのびてきたんだ。この世の人類は皆おれより実力も年齢もはるかに下だ。年上は師として敬う。当然の常識だ。 圧倒的な実力差があるのに、見てそれすら分からないてめえのような 男には力で思い知らせねえと分からねえんだ。こんな風にな!!」
中年男は僕の顔を狙い、左の拳を繰り出してくる。拳は汚い虹色に輝いている。おそらく異世界のダンジョンとやらで手に入れた、スキルか何かの技が乗っているのだろう。何にせよ、彼の手に触れるのはまっぴらなので、僕はそれをかわした。
「なに!? まだお前の体の周りは0.5倍速のはず。そうでなくたって、おれの音速の拳をよけるなぞできるはずが…」
「あなたの礼儀ってだいぶ姑息ですね」
「なんだと」
中年男は懐から剣を取り出した。その剣も汚い虹色に光っている。彼のダンジョンのいわゆるなんちゃってアダマントかミスリルか、ヒヒイロノカネ製なんだろう。どうでもいいが。
「だって、あなたは今自分に一方的に有利な条件を作って、突然殴りかかってきましたよね。それに、僕は口でしか応じていないのに、あなたは身体的な暴力を一方的にはじめましたよね。いくら、精神的な暴力が近年注目されるようになったからって、その二つは明らかにレベルが違いますよね。あなたの行動には、道義的におかしな面がいくつもあるのに、あなたはその礼儀は踏み付け、相手の行動だけを指摘している」
中年男は嗤った。
「てめえは間違っていて、おれが正しい。なぜなら、おれの方が偉いからだ。この世は強いものこそ正義なんだよ!」
中年男は、汚い虹色の剣を、ますます眩しくさせながら僕の方に向けて構えた。
「FINAL Destruction!」
その叫び声に呼応し、地面がゆれ、光の輪をかぶった赤子が4人、天から下りてくる。その赤子たちがにやけ顔をしながら、それぞれの手を剣の方に向けると、剣の周りにも光の輪の束がいくつも現れた。僕は周りを見る。あの光の輪ごと剣が僕に振り下されれば、どの角度であろうと、未だに停止したままの歩行者に被害が出ることは明確だった。 これはもう仕方がない。僕は印を結んで手を合わせた。
「な」
一言を残し、剣と共に中年男は消失した。赤子4人は慌てた表情で中年男が消失したところに集まった。
「しっしっし」
風の法を乗せて、手を振り払うと、赤子たちはもの凄い勢いで、もといた天に吹き飛ばされていった。中年男はもちろん無事だ。ただ、モンスターどころか石ころさえ何もいないダンジョンに飛ばしただけだ。入口も出口も消えているから、ただただ出られない。もっとも、1時間したら、出口が現れてこちらに帰れる。今日は説得する時間すら惜しいのだ。
手を叩くと、人の波と一緒に時間が動き出す。僕は横断歩道を渡りきり、車の進行方向に沿って、バス停へと辿りついた。嬉しい溜息が出る。バスにこれで間に合う。バスに乗るための並び列もそう変わっていない。前から、黒い道着の長刀集団、お嬢様学校生、そして、黒っぽいスーツに身を包み、黒い鞄を手に下げた男女。すると、そのうちの一人の男が振りかえり、
「君はけしからん! 歩行者は右側通行だということを知らないのか! 女の子ならいいが、社会のルールを男がやぶったらどうなるか、異世界で230年戦い続けたわたくしが、とことん味あわせてやる!」
と叫びながら、自分の黒い鞄から、絶対にそんな鞄には入らないであろう、先に巨大な宝石のついた長くて太い木の杖をとり出した。そういうあなたはさっき159年の中年男に時間止められてましたよね、と言いたい気持ちを抑えながら、僕は大きな溜息をついた。
社会人の男と、汚ならしい中年の男は、なにもないダンジョンに送られた同士で改めてお互いに因縁をつけ合い戦った。1時間後に戻ってきたあと、二人で飲み屋に行き、そこでファンタジー的な戦いの話を現実感たっぷりに仲良く話していたと、同じ飲み屋に偶然居合せた大学の同期にあとで聞いた。
僕はジムに行き着くまでに計6回、強くなって帰ってきた系の勇者に絡まれ、ジムに辿りついた頃には運動する気力を失なっていた。




