ユメリ 3
「こんばんは。思ったより元気そうでなによりよ」
「……何しに来た?」
思わず握った拳に力が入る。
朝から探していた奴が目の前にいる。
向こうからやって来て願ったりなのだが、全身が緊張してとても喜ぶ気にはなれない。
全身から汗が滲みだすのは、風呂上りだからじゃない。
「あら、お風呂に入れてもらったの?」
クラリスの視線は俺の後ろに向けられている。
見ればバスタオルを頭に乗せただけで、体もろくに拭いていないユメリがいた。
クラリスは俺を横ぎり、タオルを取ってユメリの体を拭き始めた。
「ちゃんと体を拭いてから出てきなさい」
「ん」
姉妹というより、親子のような光景。
けどここは俺の家だ。
そういうことは自分たちの家に帰ってからやってくれ。
「だから何しにきたんだよ!?」
声を大きくしても二人に驚いた様子はない。
むしろ俺の反応を予想してたかのように、クラリスは薄く笑っている。
「この子の着替えを持ってきたの。着替えが無いと困るでしょ?」
「困らねぇよ! 連れて帰れ! 今すぐ帰れよ!」
ヒステリック気味に叫んでも二人の表情は変わらない。
「せっかく一緒にお風呂に入るまで仲良くなったのに、そんな言い方されると寂しいわね」
そう思わない? とクラリスはユメリに同意を求め、ユメリは無反応で俺を見ている。
別に仲良くやってたわけじゃない。
風呂に入れてやったのは、きっと疲れてどうかしてたんだ。
「連れて帰っても構わないけど、困るのはあなたじゃなくて?」
クラリスの含みを込めた微笑にひどく寒気を覚えた。
もう理解している。
こいつがこんな顔をするときは、決まってよくないことを言うときだ。
「魂が同化してるんだし、仲良く一緒にいたほうが安心できると思うのだけど?」
だからクラリスが何を言おうと動揺なんてしてやるもんかと気構えてみたものの、予想を遥かに超えたことを言ってくれるもんだから徒労に終わってしまった。
ここは冷静になるべきだ。
まずは話を聞き出そう。
その上で、今後の身の振り方を考えるべきだ。
もとより、そんな自由があるかどうかだが。
「意外と冷静ね。もうちょっと取り乱してくれてもいいのに」
そうしてくれないと面白くないとでも言いたそうだ。
生憎そんなことをしてやる義理はない。
「話を聞かせろ」
「何の話をすればいいのかしら?」
理解してるのに、わざととぼけたその口調が気に入らない。
「全部だよ! どうして俺に近づいた! どうして無関係な人を殺した! どうしてそいつを寄越した!」
どうしてどうしてどうして!?
冷静だったつもりの思考は、とぼけたクラリスを見て一瞬で爆発してしまった。
服を着せてもらったユメリはクラリスの隣に座って大人しくしている。
今はこいつを構う必要はない。
「そんなに大声出さなくてもいいでしょ? それに話を聞きたいならお茶くらい出してくれてもよくなくて?」
どこまでふざけるつもりなんだこいつは。
「お茶なんていい! さっさと話せよ!」
「お茶も出せないなんて無骨な男は最低ね。いいからお茶を用意しなさい。でなければ話をする気にもなれないわ。それに、もう後戻りできないんだからゆっくりしましょうよ」
もう後戻りできない。
クラリスの言葉はガツンと頭に響いた。
一昨日までの生活に戻りたい俺に対し、もう戻れないのだという最後通告。
「顔色悪いけど、気分でも悪いの?」
「……気分なら、お前の顔を見たときから悪ぃよ」
「それはお言葉ね」
話が進まないから、仕方なくこいつらに飲み物を用意してやることにした。
ユメリにはリンゴジュースで、俺とクラリスは麦茶でいいだろう。
自分の家にいるのに気分はアウェイ。
知らず知らず追い詰められている感じがして、得体の知れない恐怖さえ覚える。
「熱い玉露でお願いね」
「そんなのねぇよ!」
カチャカチャとお盆に乗せたコップを鳴らし、テーブルに戻るとなぜかクラリスは不機嫌だった。
「なにそれ?」
持ってきた麦茶を睨んでる。
「何って、麦茶だけど?」
「そんなの知ってます。私はお茶が欲しいと言ったのよ? 玉露がないにしても、せめて煎茶くらい出してくれてもいいんじゃない?」
げ。
こいつもしかして本当にお茶が飲みたかったのかよ。
「普段お茶なんて飲まないから煎茶も玉露も置いてない」
「日本人なのにお茶を飲まないなんて、あなたどうかしてるんじゃない?」
ずいぶんな偏見だ。
むしろクラリスのような奴がお茶を好んで飲んでる方が想像し難いだろ。
ユメリは我関せずで、リンゴジュースをコップに注いで一人で美味そうに飲み始めていた。
「さあ、飲み物は用意したぞ。約束通り話してくれ」
クラリスは渋々麦茶の入ったコップを手に取る。
「話せと言われても、何を知りたいのかしら」
「何回も言わせんな。さっき俺が訊いたことだよ」
「ああ、あれね」
言ってクラリスは不服そうに麦茶を一口飲んだ。
「まず誤解を解くけど、人を殺めたのではなくて、あなたが能力を使った代償としてエネルギーを貰っただけ。言ったでしょう? 次からはあなたの大切な人の命を使わせてもらうって」
人を殺してないなんて、物は言いようとでも言いたいのか。
クラリスには罪悪感のカケラもなかった。
「あなたに近づいたのは、あなたが『適任者』だったから」
クラリスは一瞬だけユメリを見て、俺に視線を戻した。
「『適任者』ってなんだよ?」
「言葉通りよ。ハル、あなたは私たちとすごく相性がいいの」
相性がいいとか言ってくれる。
こっちは最悪なんだが。
「あなたと同じ状況に置かれたとき、他の人間ならもっと塞ぎ込むか混乱するか、もしくは事実を否定するか、到底今のあなたのように私たちと向き合って話をするなんてことはできないの」
それはつまり、俺が事実もこいつらも全て受け入れてしまってるということだろうか?
「馬鹿言うなよ! 俺だって混乱してるし、お前たちみたいなのと一緒に居たいなんて思わない!」
「でも私たちを『怖い』と感じないでしょう?」
それが決定的だとでも言うように、クラリスの瞳が妖しく光る。
「多くの人間は私たちと会った瞬間、本能的に恐怖を感じるのよ。深層心理なんてわからないけど、人間の本能は私たちを危険視するようにできているみたいね。もっとも私たちは捕食する側で、人間は捕食される側なんだから当然かもしれないけど」
クスクスと青い悪魔が笑う。
それを俺は無言で睨み返した。
「ほら、その反応。そこは怖がっていいところなのに、あなたは私から視線を外そうともしない。他の人間は向き合ってるだけで怯えてしまってまともな会話もできないの。でもあなたはどうかしら? 体は震えてる? 私たちから逃げたいと思ってる? 違うわよね。あなたは自分から私たちと話をしたがってる。それが他の人間との違いで『適任者』たる理由よ」
ゴクリと、唾をのみ込む音がいやに大きく耳に響いた。
「あなたは私たちを敵視する機能が備わってない。それは猫を前にして逃げないネズミと同じ。ともすれば弄ばれて殺されるのがオチなんだけど、私たちはハルの様な人間を弄んだりしないわ。場合によっては強力な味方になるんだもの」
クラリスの言うことは理解できる。
だが、それを鵜呑みになんてできない。
「そんなの嘘だよな? 昨日のお前はどうだったよ? 俺に能力を与えて、そのせいで人が死んで、それを見てたお前は楽しそうに笑ってたじゃねーかよ! そういうのは弄ぶって言わねぇのかよ!」
「人間は魚を活け造りにするわね。それを見て美味しそうって舌を舐めるでしょう? それと一緒よ。人間と魚を一緒にするななんて言わないでね。私たちだって両者を同等に見てるわけじゃないけど、食事をするのに人間の都合や、人間がどう感じるかなんて一切関係ないもの」
食事だと?
「……人間を食うのか?」
「そんなわけないでしょ。もっと広義的な意味よ。人を食い物にするという言葉があるじゃない。やることは全然違うけど、ニュアンスは同じね」
「お前たちは何をするってんだ?」
「それは内緒」
根本から存在が違うのなら、俺たちと同じ価値観のわけがない。
そりゃそうだろう。
そこまで問い詰めるつもりもないし、同じ意識を共有してほしいとも思わない。
けどこいつの言うことを認めてしまえば、俺たちはこいつらの言いなりになるしかないのだ。
だから理解はできても、クラリスの持論に絶対頷くわけにはいかない。
「つまり、俺がいくら人殺しを責めたところで、戯言にしか聞こえないわけだ」
「ええそうよ。結論付けが早くていいわね」
ばかやろう。
言ってやりたいことは山ほどあるが、それをここでぶちまけても話が進まないから譲歩してやってんだ。
「なら『適任者』ってのはなんだ? お前たちを怖がらないだけで『適任者』なんて呼ばないはずだ。味方になるとか言ってたけど、俺に何をやらせようとしてるんだ?」
そこで何故かユメリに視線を移すクラリス。
「それは話せないわ。あなたを利用しようとしてるのは事実よ。けど、その目的を話すことは絶対にできない」
その声色には今までにない意志があった。
「利用するけど目的は話せないって、俺は都合のいい道具ってか?」
「あら、立場をちゃんとわかってるじゃない」
冗談のつもりだったんだけど、逆に立場を明確化させてしまった。
「……いいさ、今さらどう思われたって気にしない」
物事は前向きに考えよう。
「ならユメリの言ってることは矛盾してるよな? こいつは俺の力を消してくれるって言ってんだぜ? それなのにお前は見過ごしてる……と言うか、お前が俺のところにユメリを送ったんだろ」
ユメリは名前が呼ばれたことに反応して、ジッと俺を見ている。
相変わらず感情の無い顔。
こいつは普段何を考えてるんだろう?
「あなたの能力が消えることに問題はないわ。だって、あなたの能力が消える頃には、全てが終わってるんだからね」
「全てが終わるって、どういうことだよ?」
嫌なフレーズだ。
こいつは人を不安にさせるのが心底好きらしい。
「心配しなくていいのよ。別にあなたが死ぬというわけではないんだから。そうね、私の目論見が上手く成ったと言えば分かりやすいかしら」
クラリスの目論見ね。
さらに不安要素が増えたぜ。
「ああそうかよ。ならどうやってユメリは俺の能力を消すんだ? ユメリは分からないみたいだけど、お前なら知ってるんだろ? まさかそれも秘密とか言わないよな?」
なぜかクラリスは嬉しそうに笑った。
「なんだよ? おかしなことでも言ったかよ?」
「ええ言ったわ。でも、あなたを選んで本当に良かったと思ってる。あなた、ユメリの言うことは信用するのね。自分で能力を消すと言っておいて、その方法が分からないなんて言われたら普通疑うわよ?」
疑ったさ。
けど確かに、それを信じるまで時間は掛からなかったと思う。
ただなんとなく、ユメリは嘘を吐かないと思っただけで、クラリスだったら絶対に信じなかったはずだ。
「擁護するわけじゃないけど、この子は嘘はつかない。言葉は少ないけど真実しか口にしないし、訊いてあげれば、ちゃんと思ったことを話すんだから」
どこか娘を自慢する母親の様だ。
一方のユメリは無口無表情。
なんとも温度差のある姉妹だ。
「けど残念。私にもあなたの能力がどうやって消えるのかわからないの」
「お前の言うことは信じられない」
「あら残念」
そんな気持ちなんて一切ない顔。
「でもこの子の能力は説明できるわよ。それにあなたにも理解してもらわないと困るわ」
ああ、まただ。
また嫌な予感がする。
何度この感覚を味わったことか。
しかもそれがことごとく杞憂で終わらないから困ったもんだ。
「困るというなら、聞こうか」
クラリスは当然と頷いて説明を始めた。
「ユメリの能力は、実は私たちの中で一番強力なのよ。この子自身が制御できないほどにね」
なんだか、力を持ち過ぎた主人公みたいな話だな。
「それはこの子が望んだことなら『全てを巻き込んで実現させる』能力。誰も逆らうことのできない至高の力よ」
なんだって?
言葉のスケールがでかすぎて、いまいちピンとこないんだが。
「自分で扱いきれない程の強い力を持ってると?」
「簡単に言うならそうなるわね。けど強力な反面すごく遅効性で、誰かがこの子の能力の影響を受けてると察知して阻止をしようとすれば、簡単に邪魔ができてしまう」
邪魔できるって、至高能力というには大げさじゃなかろうか。
「で、俺はこいつの何を知ってればいいんだ?」
「この子の能力は全てを巻き込む。言い方を変えれば、見境なしに目的を成そうとするの。今この子がやろうとしてる事は、私があなたに与えた能力の除去。何かを成そうとした時点でこの子の能力は動き出す。本人の意思とは関係なくね」
本人の意思を無視する能力とか、腫物過ぎるだろ。
「でも私の能力を消すのは人間には無理。それを可能とするには、私たちと同等か、それ以上の存在でなければならない。もし知らない誰かに無理やり何かを強制させられたら、あなたならどう思う? その結果の良し悪しは関係なくね」
「そりゃ気分は良くないだろ? そんなことされたら文句の一つでも……もしかして」
「ええ、あなたの考えてる通り、この子の能力は敵を作りやすいのよ」
勝手にそいつの力を使おうとしてるんだから、誰だって気に入らないだろう。
「なんとなく言わんとしてることはわかったけど、ちょっと待てよ。利用されるって気づかれるんなら、ユメリの能力の影響なんて受けないだろ?」
「いいえ、どう足掻いてもこの子の能力の強制力からは逃れられない。それに全てがこの子の目的を成そうと動いてるんだから、むしろ違和感は感じないはずよ。例えば、誰かの時計の針を三十分早めたとして、全ての時計を三十分早めれば、誰も時計が合ってないなんて気づかないでしょ?」
でしょ? って言われても返答に困るのだが。
「ならむしろ敵なんてできないじゃないかよ。いや待て、もしかしてお前らみたいな奴が他にもまだいるのか?」
「とっくにそんなことは承知してると思ってたけど? 私が知る限り、私とユメリを除いてあと二人、同類がいるわね」
おや、意外と少ないな。
「もっとこう世界中にお前らみたいなのが居るかと思ってた」
「居るんじゃない? 私が言ってるのは泉咲市だけの話だけど」
なるほど。
近くにこんなのがあと二人もいるのか。
勘弁してくれほんとに。
「つまりその二人が敵になる可能性が高いんだな?」
「いいえ、その二人はユメリの能力とは関係なしに敵対するでしょう。もしユメリの能力が原因で他の誰かを呼び寄せたとしたら、私たち以上の力を持った存在かもしれないわ」
しれっと大変なことを言ってくれる。
「すでに喧嘩してるような物言いだな」
「喧嘩なんて生易しいものではなくてよ。殺るか殺られるか、その程度の認識はしておきなさい」
話を聞けば聞くほど、以前の生活からかけ離れていく。
「なぜそんな事になってるのか、理由を聞こうか」
「理由なんてないわ。顔を合わせれば相手を殺したい衝動が生まれる。それだけよ」
……こいつら物騒すぎる。
「俺はそんな衝動生まれないぞ……」
「ええそうね。それにあなた自体は相手にされないでしょう。狙われるのはユメリだけよ」
「え? あ、そうなの?」
ユメリには悪いが少し安心した。
一瞬化け物に襲われて逃げる自分を想像したじゃないか。
「でも言ったわよね。あなたとこの子はすでに魂が同化してるって。言うなれば、あなたたちは一心同体。どちらか片方でも命を落とせばもう一方も死ぬ運命よ」
「…………」
あ然。
俺自身は無事でも、ユメリが殺されれば俺も死ぬ。
そんな信じられない言葉は、クラリスがユメリの頬をつねっただけで簡単に証明された。
「どう? あなたも痛いでしょ?」
クラリスはユメリの頬をギュッとつねっている。
それなのに、俺には触れてないのに、俺の頬もつねられてるように痛い。
「片方の痛みはダイレクトにもう片方にも伝わる。どんなに離れててもそれは同じよ」
片方が死ねばもう片方も死ぬとか。
痛みを共感するとか。
漫画の世界で有るような事が、なんで現実で起きてんだよ。
クラリスみたいなのが現実に存在してたらシャレになんねーだろ。
「わかったから、とりあえず離してくれ」
頬をつねられてるユメリは、不満顔で俺を見ていた。
文句ならお前の姉ちゃんに言ってくれ。
「それと、表層程度なら相手の考えてることもわかるわよ」
「え? それって心が読めるってことか?」
クラリスはユメリの頬を撫でながら頷いた。
「読めるというより、勝手に伝わってくるという感じね」
「風呂で俺の考えたことがわかるって言ったのは、そのことだったの?」
ユメリは無言で頷いた。
「それならちゃんと説明しろよ。お前が勝手に心を読んだのかと思ったじゃねーか」
「どっちでもいい」
こいつ、自分がどう思われようが気にしないタイプか。
「それならユメリの考えてることも俺に伝わってくるってことだよな?」
そんな事、これまで一度もないが。
「そうだけど、この子があなたに読み取られるほど簡単に考え事をするとは思えないわね」
クスクス笑われた。
馬鹿にされたようで気分が悪い。
「つまりこういうことか? ユメリの能力で俺の力は消えるが、ユメリの能力に反発して襲ってくる奴らがいるから注意しろと?」
「大筋は合ってるけど、少し違うわ。ユメリの能力とは関係なしに敵対する二人がいるって言ったでしょう? 正確には、向こうから襲ってくるのは一人だけど」
何もしなくても襲ってくんのかよ。
「その襲ってくる一人はどんな奴で、何をどうやって気をつければいい?」
そこが肝心だ。
「それは教えられない。もしあなたが一人で彼女と偶然出会っても、あなたが意識しなければ相手は絶対に襲ってこないから。だからあなた一人で外出するぶんには問題ないの。気をつけてほしいのは、ユメリと一緒に外出したときよ」
なるほど『彼女』と言うから少なくとも相手は女のようだ。
「それならユメリを外出させなければ問題ないよな?」
俺がユメリと無関係を装ってれば無駄な争いも起こらないだろうし。
「それがそうもいかないの」
「なんでだ?」
「この子、あなたが近くに居ないと勝手に出歩いちゃうもの」
……なにそれ?
ユメリに視線を向ける。
「勝手に出歩くって、マジ?」
「うん」
「自分の置かれてる立場がわかってなかったり?」
「わかる」
「じゃあ家で大人しくしてるよな?」
「やだ」
「…………」
「この子のこと、よろしくね」
極上の笑顔で問題児を押し付けられた。
「よろしくじゃねーよ! こいつ俺の言うこと聞かないぞ!」
「そんなことないわ。あなたの言付けなら大抵のことは聞き入れるわよ? それにずっと家に籠ってるのなんて嫌に決まってるじゃない」
「いま言ってるのはそういう問題じゃないだろ!」
こいつも自分の妹の命が掛かってるってことわかってるのかよ?
「言いたいことはわかるわ。でもね、あなたの能力を消すのに相手との接触が必須条件だとしたら、どうやっても逃げられないわよ。例えユメリを部屋に閉じ込めていたとしてもね。この子の能力は強力が故に乱暴。望む結果に辿り着くのなら、その過程は選ばない。たとえあなたの為に願った道でも、あなたが命を落としてしまう可能性だってあるってことよ」
クラリスが指を三本立てる。
「一つ。あなたたちの前には必ず立ち塞がる者がいる。
二つ。ユメリの能力はあなたの願いを叶えようとするけど、あなたにとって有利なモノとは限らない。
三つ。あなたが元の生活に戻りたいと願うなら、命がけでユメリを守らなければならない」
それが俺の知っておかなければならない事。
クラリスの鋭い視線がそう告げていた。
どうやら俺はとんでもない世界に足を踏み入れてしまったようだ。
クラリスは俺を『適任者』と呼んだ。
本来感じるべきはずのこいつらに対しての恐怖をどういうわけか俺は感じないらしい。
実際、震えあがるほどの恐怖はないし、気が付けばクラリスが部屋に現れた時に感じていた緊張感もなくなっている。
それどころか飲み物まで用意して、こんな摩訶不思議な奴らと普通に会話してる時点で、確かに俺はどこか抜けてるのかもしれない。
今さらこれは夢だなんて疑う余地もない。
死ぬかもしれないなんて言われて、迷惑どころの話じゃない。
けど俺が文句を言って済むような状況でもない。
乗ってしまった流れに身を任せるしかなかった。
「なんだよ?」
ユメリがジッと俺を見ていた。
「ハルはふしぎ」
不思議なのはお前のほうだって。
「しんぱいない。だいじょぶ」
…………?
「つまり?」
ユメリが何を言いたいのか理解しかねて、クラリスに通訳を求めた。
「あなたに何かを感じ取ったみたいだけど、私にはわからないわ。でもあなたのこと気に入ったみたいね。この子が人を気に掛けるようなことを言うのは珍しいわ」
こんなんでやってけるのかよ?
「質問がある」
「どうぞ」
「お前の言う『彼女』に襲われたらどうすればいい? ユメリに任せておけばいいのか?」
自分でも制御できない強力な力を持ってるくらいだ。
もしかしたらあっさり追い払ってくれるのかもしれない。
「馬鹿言わないでくれる? この子にまかせるなんて冗談もいいとこよ。ユメリに外敵から自分の身を守る力はないわ。相手が人間なら操ることもできるけど、純粋な力勝負なら人間にも負ける。この子の身体能力は人間の子供と同じよ」
俺の時みたいに頑丈な体になったりできないというわけか。
「言ったわよね、命がけでユメリを守らなければならないって。理解してなかったのかしら?」
「なら俺がお前らみたいな奴らから、どうやってユメリを守れって言うんだよ?」
「あなたが能力を使えばいいのよ」
そうすることが当然のように言った。
ああ、俺は馬鹿だ。
クラリスの目的なんてわかってたじゃないか。
それなのに、無駄な問答をしてしまった。
「最初から、それが狙いだったな?」
「狙いだなんて人聞きが悪いわ」
悪魔が微笑んだ。
能力を使えということは、きっと『彼女』に有効なのだろう。
それはすなわち『彼女』と対峙したら、能力を使わなければ逃げることも出来ないということだ。
能力を使わなければユメリを守れず俺も死ぬ。
だが能力行使の代償に、俺の知る誰かが死ぬ。
どっちを取るかなんて選べるはずがない。
「ふざけんな! 俺が力を使ったらどうなるかなんてお前が一番よく知ってんだろ!?」
「ええ、そうよ。あなたの大切な人がいなくなっちゃうわね」
「だったらよくそんなこと言えるな! 俺は絶対に力を使わない! 絶対だ!」
「能力無しでは相手から逃げることもできないわよ?」
どこか愉しそうなクラリスに腹が立つ。
「だったらお前がなんとかしろよ! お前が近くにいて俺たちを守れば全て済むことじゃないか!」
「甘えないでよ? それにね、それが出来るなら最初からあなたなんて必要ないのよ」
クラリスの視線が鋭くなる。
「あなたの全てを懸けてユメリを守りなさい。もしユメリを守れなかった時は、あなたの大切な人たちを私が全て殺すわ。その時はあなたは死んでるけど、そうしないと私の気が治まらないもの」
怒っていたのは俺のはずなのに、クラリスも苛立っている。
「あなたに拒否権はない。いいえ、私たちの前では人権すら無いものだと思いなさい。ユメリを守ることだけがあなたの全て」
お互い無言で睨み合って数秒、ふっとクラリスが表情を緩めた。
「もう少しお喋りをしてたかったけど、今日はもう無理ね」
「…………」
「キツイことを言ってしまってごめんなさいね。あなたが大人しくしてくれるのなら、私も優しくしてあげれるわ」
それはつまり刃向かうなということか。
ユメリの頭を優しく撫で、クラリスは出て行った。
パッと姿を消すもんだと想像してたが、意外にもちゃんと玄関から出て行った。
あいつが出ていくまで俺は無言だった。
ひとつ気になったのが、あいつが俺を睨んだ時、勘違いかもしれないけど、俺を責める他にもう一つの感情を感じた。
それは自嘲してるような嘲りの念。
あいつは自分で自分を責めてるんじゃないだろうかと、突拍子もなく感じてしまった。
ユメリを見れば、もう何杯目かもわからないリンゴジュースを美味そうに飲んでいる。
こいつはどこまでもマイペースだな。
「俺なんかに命を預けてもいいのか?」
本当のところ、こいつがどう思ってるのか気になる。
ユメリも成り行き上、仕方なく付き合わされてるとしか思えない。
「ハルならいい」
即答だった。
俺ならいいってお前。
「何も知らない者同士なのに、ずいぶん信用してくれてんのな」
命を預けられるほど信用できる相手なんてそう居るもんじゃないのに、そんな簡単に言われて、なんつーかその……ちょっとだけ嬉しかっりした。
ユメリの大きな瞳は俺を映し、その顔に表情はない。
「まあ、できるだけのことはしてみるさ」
ユメリはうんともすんとも反応しないで俺を見てるだけ。
『彼女』という存在も不確かなままで、これからどうなるのか想像ができない。
確実なのが、俺の力は使うだけで人を殺める。
だから何が起きても絶対に能力だけは使ってはならない。
クラリスに何を言われようと、これだけは俺が守らなければならないことだ。
それにクラリスの本当の目的は何なのか気になる。
俺を利用する本当の目的は話せないと言ったのはクラリス本人だ。
あいつは自分の行動に裏があることを隠そうとしなかった。
何故だ?
そんな疑わせるようなことをしても得なんてないはずだ。
俺を不安がらせて楽しもうって腹なのか?
あ、嫌だな。そう考えると本当にそう思えてきた。
こうやって悩んでるだけでも、あいつの思うつぼかもしれない。
「はぁ、疲れるよなほんと」
悩むだけであいつの思惑通りだと思うと、俺がやることなんて全てあいつの計算内じゃないか。
「もう寝ようぜ」
今日はもう休もう。
いい加減疲れた。
ユメリも頷いて同意してくれた。
「さて、じゃあお前はどこで寝させようかな」
空き部屋があるからそこに布団を敷いてやればいいか。
「ハルといっしょにねる」
寝る前にトイレの場所だけ教えておけば問題ないだろ。
「ハルといっしょにねる」
……………
「……なんだって?」
あえて無視してたのに、服の裾を掴まれては無視できない。
「ハルといっしょにねる」
「まさか一人で寝るのは怖いとか言うなよ。 幽霊とか出ないからな」
「こわくない」
意外と大人だなこいつ。
俺が子供の頃はそりゃあ怯えてたもんさ。
「じゃあ別に一人でも――」
「ハルといっしょがいい」
服の裾を掴まれ、そんなやって見上げられればそりゃ可愛く見えるわけで。
「お前、知らない人が隣で寝てたら気になるだろ?」
「ならない。ハルはしらないひとじゃない」
俺が気になって眠れなさそうなんだよ。
ユメリの身体能力は人間の子供と同じだとクラリスは言っていた。
無理やり引きはがそうと思えばできるんだろうけど。
「ああもう! しゃーねぇな、大人しくしてるんだぞ」
結局こっちが折れてしまった。
明日は休みだからゆっくり寝てられるけど、眠りにつくのは時間がかかりそうだった。




