悪魔の能力 4
「……あのー?」
向かったのは、公園からそう遠くない工業団地だった。
機械の音は響いてるが、近くに人の気配はない。
すでに空は夕焼けに染まっている。
予定なら家に帰ってる時間だ。
「なにかしら?」
「……どこまで行くんですか?」
俺の問いにクラリスさんは周りを見渡す。
三十度近い暑さの中歩いてきたのに、彼女は汗一つ流していない。
「そうね、ここにしましょうか」
と、近くの鉄工所を指さし、建物近くの廃材置き場へと移動する。
彼女が何をしようとしてるのかさっぱり見当がつかない。
「ここであなたの能力を試しましょう」
なんて言いながら、近くに転がっていた太さ五センチ程の廃材の鉄棒をひょいっと片手で拾う。
結構重そうな鉄棒なのに、見かけによらず力持ちだな。
――じゃなくて。
「能力を試しましょうって、まさかその棒で俺を殴ったりしないですよね?」
軽いジョークのつもりで言ったのに、大抵の男ならコロッと落ちてしまいそうな笑顔で肯定された。
「いやいや冗談ですよね? そんなので殴られたら、下手すりゃ死にますよ?」
「冗談じゃないけど? このくらいしないとあなたの能力の真価がわからないじゃない」
クラリスさんは笑顔のまま。
マジで言ってんのこの人?
もしかしなくとも、関わらない方がいい人に関わってしまったんだろうか?
「それじゃあ簡単に説明するわね」
俺の意思など関係なく話を始めた。
「あなたの能力は『オーバーアビリティ』よ。スーパーマンになれるって言った方が解りやすいかしら? あ、でもさすがに空は飛べないわね」
笑いどころだったのか、クスリと笑う彼女。
「えー……っと、はい?」
すごく帰りたくなってきた。
この時点で美人相手だからいいところを見せたいとか、微塵も考えなくなっていた。
「まずは能力を使う時の切り替えだけど、ごめなさいね、これは個人によって切り替え方が違うから上手く説明できないのよ」
「……はあ」
もう適当に相槌をうつしかない。
「でもそうね……指を動かすとき『動け』と考えただけじゃ指は動かないでしょう? 指を動かすには指に力を入れないといけない。それと同じで、能力を使う時も『使いたい』と思うだけじゃダメね。能力を使うために力を入れないと」
「…………」
もうこの状況はどうしたらいいんだろう?
「とりあえず試してみましょうか」
鉄棒を構えながら歩み寄ってくる。
その表情は極めて不吉。
「ちょっ! ちょっと待ってくださいよ! 試してみようって何ですか!?」
「この棒であなたの頭を殴るから、避けずに能力を使って耐えてみて」
フルスイングの構えをとる彼女。
「なに無茶言ってんすか! そんなので殴られたらタダじゃすまないよ!」
とっさに身を引こうとしたが、足が地面に張り付いて動かない。
「なっ――!?」
なんだこれ!?
下半身の感覚はあるのにまったく動かない!
「いいこと? 能力を使うのなんて手先を動かすのと一緒で簡単にできるわ」
グッと鉄棒を持つ腕に力をこめる彼女。
「簡単にできるって、もしでかなかったらどうするんですか!?」
クラリスさんは一瞬考え――
「できなかったら違う人を探すわ」
なんて不吉なことを言った。
「違う人を探すって、それ俺死んでるんじゃ――」
「覚悟はできてないみたいだけど、いくわね」
ブンッと鉄棒が振るわれる。
そのモーションは一瞬だが俺にはスロー。
確実に鉄棒は俺の頭を直撃する。
驚いたことに、クラリスさんのスイングは人間のそれを遥かに超えた速度だった。
「っ!」
気づいたときには、鉄棒は側頭部数センチというところまで迫っていた。
今から腕で防ごうとも間に合わない。
確実に直撃する。
この速度で直撃したら骨が砕けるどころじゃない。
なんなら頭が吹っ飛ぶぞ。
ゆっくりゆっくり近づいてくる鉄棒。
その速度は尋常じゃないのに、俺の視覚はコンマ単位でその軌跡を捉えている。
こんなに遅く見えるのに、なんでクラリスさんのスイングが尋常じゃないとわかるんだろう?
そもそもなんで俺はこんな冷静に――
ゴィン!
直撃音。
その衝撃はコンクリートブロックを粉砕できるんじゃないかって程のものだった。
けど、俺の頭は吹っ飛ぶどころか、痛みさえ感じていない。
「ほら、簡単にできるでしょ?」
彼女は鉄棒を手放して笑った。
何分にも感じた一瞬。
転がった鉄棒を見ると、頭を模してグニャリと曲がっていた。
「……これ、は?」
信じられないけど、鉄棒は頭に確かに当たり、俺は無傷で鉄棒だけが姿を変えていた。
「片鱗だけど、それがあなたの能力よ。身体能力の大幅な向上。その力は人間の限界を遥かに超えるわ」
彼女の声が遠い。
自由の戻った足で鉄棒を蹴ってみると、硬く重量感のある感触が伝わってきた。
こんなので殴られて無傷なんてありあない。
身体能力の大幅な向上と彼女は言った。
これはそんな次元を超えてるんじゃないのか?
肉体を限界まで鍛えても、鉄棒を変形させるほどの強度を人間の体は持つことができるのだろうか?
「よくて?」
クラリスさんの呼びかけに我に返る。
「……あ、はい」
けど、どう反応していいのかわからない。
まるで現実感のない出来事に、夢でも見てるんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。
「戸惑っていたわりに、すぐに体を強化するなんて筋がいいわよあなた」
いや、それは違う。
「俺、クラリスさんの言ってるような能力なんて使ってないですよ。ただ起きてる事に身を任せてたというか」
「あらあら、それじゃあ防衛本能の条件反射みたいに使っちゃったのね」
頬を思いっきりつねってみる。
痛い。
これは夢ではなく、いまだに信じられない現実。
「無意識だと実感がないでしょう? 能力を一度使ったら元の体に戻るまで一時間は掛かるから、今のうちに色々試してみましょうか」
そう提案されても俺はすぐに返事はできなかった。
「何か訊きたそうな顔ね」
当然だ。
訊きたいことは山ほどあるが、まず何より先に確認したいことがある。
「クラリスさん……あなた、何者なんですか?」
「そんなこと気になってるの?」
俺が不審がっているのにクスクス笑った。
「気になりますよ。いきなり現れて、こんな……その、なんていうか」
「能力なんてモノを与えられて実感がないと?」
「はい、まあ……そんなところです」
「あなたには私が人間に見えるのかしら?」
あまりに平然と言ってくる彼女の瞳は、俺の視線を捕らえて逃がさない。
「そ、そんなの見ればわかるじゃないですか。どこから見たってクラリスさんは――」
――人間にしか見えない。
最後の言葉がでなかった。
俺の中の常識と現実で摩擦が起こる。
じっとりと背中に汗をかき、口の中はカラカラ。
俺をからかっているだけだ。
ヒトの形をしていて人間じゃないなんて馬鹿げてる。
頭の中で都合よく解釈しても、目の前に落ちてる曲がった鉄棒が現実を肯定し、思考を否定する。
「跳んでみなさい」
「……え?」
突然の指示に、すぐに言葉の意味を理解できなかった。
「その場で跳躍しろと言ったのよ。思いっきりね。そうすれば私の言ってることも、あなたが身につけた能力も事実として受け入れられるわよ」
俺が得たという能力。
人間ではないという彼女。
俺が跳べば、その両者を証明できると、クラリスさんはその瞳で語っていた。
返す言葉なんて見つからない。
流れに身を任せるまま、両膝に力を込め――
ダンッ!
言われたとおりに力いっぱい跳躍した。
一瞬で世界が変わった。
気が付いた時には工場の屋根は眼下にあり、空から見下ろす町の風景は夕焼けで紅く染められていた。
「うわああああああああああ!!」
いやいやいやいや!
町の風景なんて見てる場合じゃない!
俺は何十メートル跳んだのかさえわからないほど高く跳び、最高点に達したのかすでに落下を始めている。
やったことはないけど、例えるならバンジージャンプで落ちるときの様。
ただし体にゴムなんて巻かれてないし、下で待ってるのは硬いコンクリートの地面。
地面に落ちるまで三秒と掛からない落下スピードで、その降下をスローで体験していた。
鉄棒が振るわれた時と同様に、時間の流れをコンマ単位で感じている。
ゆっくり感じているせいか、パニックになりかけていた思考は冷静を取り戻し、どうやって着地しようかなんて考えている。
頭では理解してないのに、身体のほうが理解してるその違和感。
タンッーー
結果として、驚くほど静かに無事に着地した。
足に掛かった負担はごくわずか。
反射的にクラリスさんを見たら、彼女は俺を見てニッコリ笑った。
「どうかしら?」
どうもこうもない。
「正直……信じられないです」
この言葉しかでてこない。
「足のバネだけであそこまで跳んだのは、人類の中であなた一人だけでしょうね」
そりゃそうだろう。
こんなのオリンピックに出て世界新記録どころの騒ぎじゃない。
「信じられないのは気持ちだけ。あなた自身は現実を受け止めている」
俺の心を覗くその瞳は核心を突いていた。
地を蹴った感触。
空に浮いてるような浮遊感。
落下時の足元からの風圧。
着地したときの驚くほどソフトな衝撃。
どれもハッキリとした感覚で残っている。
「本当に……自分の力でやったんですか?」
だから、目の前の得体の知れない彼女に答えを求めた。
「そうよ。あなたは自分の能力で、自分の力で跳んだのよ」
俺を見据える深海の様な瞳には底が無く、まるで俺が自分から飲み込まれるのを待っているようだ。
「じゃあ本当にクラリスさんは、その……人間じゃないんですか?」
普段なら馬鹿げていて口にもしないような質問を、真剣に問い、彼女は当然のように頷いた。
超能力に人間の姿をした誰か。
目の前の出来事に常識が邪魔をして思考を混乱させる。
唯一現実味を与えてくれているのが蝉の鳴き声だけだった。
それから俺たちはすぐに移動した。
彼女の言い分はこうだった。
俺に与えた『オーバーアビリティ』の能力は人に感謝されるものだと言う。
「その力を使って誰かを助けなさい。その力を使って誰かの為になりなさい。そうすればハルの望みは必ず叶うわ」
ヒトの形をしたヒトではない者の言葉はとても甘く響いた。
それは俺にとってこの上ない誘惑だった。
自分の憧れである姉の様になれる。
当時の姉ちゃんと今の自分とでは、話にならないほどその在り方に差があった。
でもこの降ってわいたような出来事で、少しでも姉ちゃんに近づけるなら嬉しくないわけがない。
もちろん最初は呆気にとられる事ばかりだった。
夢心地っていうのはこういう気分のことなんだろうか。
夢のような現実で、クラリスさんに言われるがまま能力を使ってみた。
コンクリートの壁を殴れば、豆腐を崩すよりも簡単に割ることができ、少し本気で駆けてみれば、百メートル程の距離ならないも同然だった。
彼女の言うことは至極簡単だった。
つまりこの能力を使って人助けをし、恩を売れということだ。
他人に特別視されるに最も手早く効率がいいのは、感謝されることだと彼女は言う。
「恩を売ると言うと聞こえは悪いけど、感謝されるということはそういうことよ」
それが故意であれ無自覚であれやってることは同じ。
もっとも、こんな人間離れした力を使えば感謝されるどころか怖がらせてしまう可能性だってある。
そうそう人助けができるような場面に出くわすことだってない。
「そんなのは力の使いようでどうにでもなるわ。それに能力を使う時は必ずやってくる。あなたが満足するかどうかはあなた次第なのよ」
そう言うクラリスさんは、この先に起こるであろう未来を見据えているようだった。
■ ■ ■ ■ ■
静かな住宅街。
いつの間にか空は暗くなっていた。
外を出歩く人影はみられない。
道中クラリスさんの話を聞きながら、俺の興奮は治まらなかった。
こんな力を得て興奮しないほうがおかしい。
人助けとかそういう話を抜きにしても、こんな能力を持ってるだけで俺は誰よりも特別じゃないか。
「ずいぶんご機嫌ね」
俺を見て彼女は目を細めている。
「そりゃそうッスよ! こんな漫画みたいなこと普通できないでしょ」
この能力を使ってもっと何かしてみたい。
何ができるのか、何をしようか、今はそれだけしか頭にない。
「そんなに喜んじゃって、まだあなたは自分の願望を叶えてないのよ?」
「それはそうですけど、それとこれは別って言うか、なんていうか……今はめっちゃ楽しいです!」
素直な感想を言っただけなのに、何故かクラリスさんは驚いていた。
「……こんな簡単に『実る』なんて」
なにか考えてる様子。
「そう……そうよね。元々ハルの願望は自己満足できるかどうかという点でしかないものね。これなら、もう育てる必要もないかしら」
「……?」
途端に彼女は真顔になった。
「興奮する気持ちはわかるけど『オーバーアビリティ』を使い始めてもうすぐ一時間よ」
そういえば、一時間経つと元の体に戻るとか何とか言ってたな。
「一時間経つと力が使えなくなったりするんですか?」
問いながらも、この時俺は前方から歩いてくるスーツ姿の女の人を視界の隅に捉えていた。
「いいえ、能力の持続が切れるだけで使おうと思えばすぐに使えるわ」
淡々と答える彼女の瞳には、これまでになかった感情が見える。
例えるなら、獲物を狩る瞬間の肉食獣のそれ。
「そ、それなら、別に問題ないですね」
その瞳に多少気負いながらも、なんとか小声で答えた。
スーツの女の人が俺たちの横を通り過ぎようとしている。
「それがね、そういう訳にもいかないのよ」
彼女が言い終えるのと、女の人が倒れるのはほぼ同時だった。
倒れた音に反応して見れば、女性がうつ伏せに倒れて小刻みに痙攣している。
「えっ!?」
苦しんでいる人がいる。
助けなきゃいけない、と理解はできた。
けど、動揺が大きくて体が固まって動けない。
「あなたが能力を使うたびに誰かが死ぬ」
その宣告はあまりにも不意だった。
振り返れば、彼女は不吉に笑っている。
「……え? なんの冗談ですかそれ?」
「冗談ではなくてよ。そこの倒れている人間があなたには見えない?」
「うそ、ですよね?」
「能力を得るのに代償が無いとでも思っていたのかしら?」
頭が混乱する。
現実離れした俺の体。
倒れて苦しんでる女の人。
お互い何の接点もない。
「本来なら、あなたに関係する人間の命が必要なのだけど、今回は特別サービスで無関係の人間を犠牲にしてあげたわ」
俺に囁きながら、初めて彼女――クラリスは本性を見せた。
「俺の能力の代償に誰かが死ぬ? 馬鹿げてますよ、全然笑えない」
「笑ってもらおうなんて思ってないわ。あまり冗談って得意じゃないの」
クスクスクスクス。
その瞳に優しさは一切ない。
ただ愉悦だと笑っている。
「今更になってそんなこと! それなら最初に言ってくれよ!」
「こんな大切な事を言い忘れるなんて私ってダメね。ハルがとても嬉しそうに能力を使っているものだから、言い忘れちゃった」
人間の姿をした悪魔が笑う。
女の人は口から泡を吐いてもがいている。
どれほど苦しいのか、近くにいる俺たちに助けを求めようともしない。
ただ苦しみにその身を蝕まれている。
「だから今回はあなたに関係ない人間を犠牲にした。それでいいでしょ?」
「いいわけないだろ!」
ここにきて、クラリスは本当のことを言ってるんだと理解していた。
「人が死ぬんだぞ! なんでそうなるんだよ! なんで俺が力を使うと誰かが死ぬんだよ!」
「あなたの様な普通の人間に能力を使わせるにはそれなりの代価が必要。それは物ではなく、目には見えないエネルギーが適材ね」
「……それが、人の命だってのか」
「分かってるじゃない、エライわ」
頭を撫でようとしてきた腕を力いっぱい振り払った。
「でも今回だけよ。次からはあなたの大切な人の命を使わせてもらうわ」
言われて頭に浮かぶ身近な顔。
家族だったり、友人達。
ドクン……ドクン……ドクン……
さっきから鼓動がうるさい。
理由は明白。
倒れている女の人が動かなくなったからだ。
――死んだ。
怖い。怖い。怖い。怖い。
体の底から噴き出る感情が、足をガクガクと震わせた。
死んだのか、それともただ動かなくなっただけなのか判断できない。
――それは違う。
もしかしたらただ気絶してるだけなのかもしれない。
――俺は保身を優先してるだけだ。
だから、こんなことで人が死ぬわけない。
――人の死に、俺が関わってるなんて考えたくない。
だってもう、女の人は息をしていない。
「どうしたの? そんなに震えちゃって」
俺の心を見透かしたような瞳。
けど今はそんなの気にならない。
早く、早くしないと――
早くしないと、誰かが来てしまう。
嫌な考えばかりが頭の中を巡る。
ここにいた俺は必ず何かを追及される。
彼女に何があったとか、倒れる前はどんなだったとか。
わからないし答えられないけど、女の人がこうなった原因は、俺だ。
いや違う。
近くにいただけで俺が追及されるはずなんてない。
だってどうしてこうなったのか説明なんてできないし、偶然ここにいただけだと済まされるに決まってる。
違う! 違う! 違う!
そもそも何も知らなかったんだから、女の人を助けるなんて選択肢はなかった。
だから俺が考えなきゃならないのはなんだ!
女性はピクリとも動かない。
もう息をしていない。
「っ!」
誰かの気配がしたような気がした。
視認してないが、誰かが通りがかったのかもしれない。
気がついたら俺は走っていた。
怖くて、何が怖いのかも分からないくらい怖くて、現実に背を向けて逃げた。
はぁっ、はぁっ、はぁっ!
振る腕も駆ける足もてんでバラバラ。
呼吸はすぐに乱れ、酸素が足りぬと口から空気をむさぼる。
自分がどこを走っているのか、どこに向かっているのかもわからない。
ただ一刻も早く、あの場所から離れたかった。
女性が倒れた時の鮮明すぎるフラッシュバックに俺の足はさらに加速した。
思考はめちゃくちゃなのに、全身を満たす罪悪感だけはしっかりと理解できる。
がむしゃらに走った。
酸素が足りない。
意識がもうろうとして、目に映るものが認識できていない。
「能力も使ってないのに足が速いのね」
クラリスが目の前に立ちふさがった。
得体の知れない何かが目の前にいる。
いや、本人も言ってたじゃないか。
自分は人間ではないと。
荒い息のまま現在位置を確認すると、ここは俺のマンション近くの公園だった。
すでに陽も沈んで街灯が灯っている。
「……さっきの人はどうなったんだ?」
白々しい質問。
自分が嫌になる。
「私の言ったこと信じてないの? どうなるもなにも、死んだわ」
わかっていたことだった。
俺にそんな嘘を吐く必要はクラリスにはない。
だからあの時こいつが言ってたことは全て事実なんだろう。
――俺が能力を使えば誰かが死ぬ。
信じるには非現実すぎる。
もとより、そんなのは信じたくない。
けど俺は体験してしまっている。
名も知らない女性が、助けも求めずに苦しんで動かなくなった。
視覚で感じた死の臭い。
思い出すだけで纏わりつくその臭いは、一生忘れられるものじゃない。
それでも確かめたかった。
最後の救いとばかりにクラリスに訊いた。
けどやっぱり答えは変わらなかった。
俺の求めた答えなんて、ただの逃避でしかないんだから。
「……なんでだよ? なんでこんな事するんだよ?」
理由がわからない。
クラリスとは初対面。
こんな目に遭わされる謂れがない。
「ハルは自分の望みを叶えることを望んでいたでしょう? だから私はそれを叶えられる力を与えただけ。それだけよ」
「ふざけんなよ! それはあんたが話の流れで俺から聞き出したことだろ! 確かに俺は姉ちゃんみたいになりたいって願望はあったさ。けどそれを叶えてもらいたいなんて一言でも言ったかよ!?」
「そうだったわね」
悪びれる様子は微塵もなく笑っている。
「答えろ! なんで俺に近づいてきた!」
大声で叫んで、クラリスに掴みかかろうとする衝動を抑える。
「良いわよその感情。もっと憤りなさい。与えた能力でもっと絶望なさい。それが私の糧になるんですからね」
悪魔が悦んでいる。
「……なに言ってんだよ?」
不気味でならない。
恐怖より、目の前の存在が不気味でしょうがない。
なぜこいつを見たとき、綺麗だなんて感じたんだろう。
なぜこんなにも不気味で得体の知れない奴の言うことを聞いたんだろう。
「クスクス、そんなに怖がらないでちょうだい。別にあなたの命を取ろうってわけじゃないんだから」
本人は極めて優しく話しかけたつもりなんだろうが、今さら慰めにもならない。
「そうね、今日のところはここまでにしましょう。これ以上苛めてもかわいそうだもの」
あっさりと背中を向けた。
「え!? ちょっと待てよ! 話はまだ終わってないだろ! てか、俺の能力はどうなったんだよ!?」
正直、途中までは本当に特別な力を得たことに喜んだ。
けど人を犠牲にしてまで使う能力なんていらない。
こんなの殺人道具と一緒じゃないか。
「能力はあなたのモノよ。一度与えてしまったら私でも奪うことはできない」
「は!?」
そんな馬鹿な話ってないだろ!?
勝手に渡してきて返すことができないなんて!
「それにあなたもずいぶん気に入ってるみたいじゃない。『俺の能力』って自分でも自分のモノだと言ってるんだから」
クスクスと笑い声だけ残し、クラリスは闇に消えた。
もう本当にどうしていいのか分からず、ずっとクラリスが消えた闇を見続けているしかなかった。
突然降りかかった悪夢のような現実。
人を救うための能力だと言われ、その実、人を殺める力。
見ている闇は、これからの俺の生活を表しているようだった。