異空間
「そう言われても、素直に信じられないな」
クラリスから連絡があったとアスハから朝一番に知らされた。
あいつは自身の間違いに気づき、反省してこれからは俺たちの為に動いてくれるという。
だからといって都合よくそれを信じろというのは無理だ。
「先輩の気持ちもわかります。すぐに信じてもらえなくてもしょうがないですし。だけど、せめてお姉ちゃんの話はちゃんと聞いてあげてください」
早ければ今日、クラリスが俺のところへ来るらしい。
「……話を聞くだけならいいけどさ」
あまり乗り気でないのは確かだ。
「とりあえず、あいつの話を聞いてから判断するよ」
「はい」
話はそこでひと段落。
「あ、それじゃあそろそろ学校行きますね」
「おう、いってらっしゃい」
俺は学校を休むことにした。
クラリスと会うのは乗り気じゃないが、早く色々解決したい気持ちもある。
夏休み近くで休むのも気が引けるが、今日は自宅待機しようと決めたのだ。
アスハもユメリの側にいたそうだったが、敦たちの様子を見に登校することにした。
なにせ正体のわからない能力者に記憶の改ざんをされているのは一人や二人じゃない。
俺たちに覚られたと感づかれ、みんなに変化が起きてるかもしれないからだ。
「あら」
ユメリと一緒にアスハをマンションの出口まで送り出そうとしたら、ゴミ袋を持った真夜さんと鉢合わせしてしまった。
「あ、真夜さん。おはようございます」
「……ハル君、ユメリちゃん、おはようー」
生返事の真夜さんの視線はアスハに向いていた。
「おはようございます」
アスハもニッコリ挨拶をする。
「あらあらあら、おはようございます」
ものすっごい笑顔で俺とアスハを見てらっしゃる。
「……あの、なにか勘違いしてるようですけど、違いますからね?」
「わかってる。夏音ちゃんには内緒にしておくから」
全然わかってない。
「それじゃ先輩、いってきます。ユメリちゃんもまたね」
「ん」
「おっ、おう……いってらっしゃい」
にこやかに手を振ってアスハは登校していった。
「ねえねえねえ! 彼女なの?」
やっぱりね! そういう勘違いしてると思いましたよ!
「……あれ? 彼女は学校行くのに、ハル君は普段着ね」
ああ、もうっ、どう説明しようか。
「おはよう。さっきアスハに会ったけど、水衛は学校休んだみたいね」
ほんとに突然、楼園が後ろからひょいっとあらわれた。
こいつのことをすっかり忘れてた。
「ていうか、こんなに朝早くから来るのかよ!?」
「学生だってこの時間に登校してるんだから別に変じゃないでしょ?」
監視時間を学生の学校の時間と一緒にするな。
「ねえハル君。もしかしてこれから違う女の子と遊ぶの?」
真夜さんが驚いている。
俺が二股かけてるとか思ってないよな?
「いや、これには事情があってですね」
なんとか取り繕うとした瞬間――
真夜さんの姿が突然消えた。
次いで全身に感じるねっとりとまとわりつくような空気。
気づけばユメリの瞳は血色に変色し、楼園は厳しい目つきで周囲を見ている。
「なんだ!? なにが起きた!?」
目に見える景色は変わらない。
それなのに異様に静かだ。
蝉の声も、車の走行音も、全ての雑音が消えている。
「急にみんな消えたわね」
「どういうことだよ!?」
「わたしに訊かれてもわからないわよ。急にみんなの気配が無くなったんだから」
耳が痛くなるほどの静寂の世界は、気持ち悪いとしか表現のしようがない。
「きえたのはユメリたち」
「え?」
雑音が無いからか、ユメリの声がいつも以上によく聞える。
「みんなきえてない。きえたのはユメリたち」
「もうちょっとわかりやすく説明できないわけ?」
「ちぐさうるさい」
「なんだとこのやろう!」
「……おい、そんなこと言ってる場合じゃねぇみたいだぞ」
俺の睨む先に異変が起きている。
コンクリートの地面から黒い煙が上りはじめ――
人の形をしたヒトではない何かが地面から現れた。
「……なによあれ?」
「……俺が知るかよ」
黒煙が固まって出来たような体には、赤い模様が蠢いている。
こっちに近づいてくるが、その動きはかなり遅い。
「水衛!」
「――えっ!?」
楼園に体当たりされ、向いた視線の先が直線におかしな感じに歪み、一瞬で元に戻った。
楼園がいなかったら俺はあそこに立っていた。
考えただけでも背筋が寒くなる。
「ユメリは!?」
俺の隣に立ってたユメリはどうした!?
「ここ」
ユメリは楼園に抱えられていた。
「助けてくれたのか?」
「助けたくてやったわけじゃない。こいつが死ぬと水衛も死んじゃうんでしょ?」
嫌々助けた雰囲気まるだしの楼園に、彼女に抱えられたのが嫌だったのか不機嫌顔のユメリ。
解放されると俺の後ろに回って隠れてしまった。
「ひとまずここから離れるわよ」
言って一人で走り出した。
「おい待てよ!」
慌ててユメリを抱えて後を追おう。
チラッと振り返れば、煙みたいな奴はフラフラと揺れながら俺たちに近づいてきていた。
動き自体はあまり早くないが、さっきの空間の歪みはノーモーションで仕掛けられた。
またいつ仕掛けられるかわからないし油断はできない。
「遅い! 早く走れ!」
イライラした様子で楼園が振り返る。
「行くよ!」
そしてまた一人で走り出す。
「あっ、おい、待てって!」
ユメリを抱えなおし俺も走る。
「あいつ早ぇ!」
楼園との距離がグングン開いていく。
と思ったら、遅れてる俺たちに気づいて引き返してきた。
「とろとろ走るな!」
「しょうがねーだろ! こっちはユメリ抱えてんだからよ!」
チラッと楼園がユメリを見て――
「……わたしが連れてってやるからよこしなさい」
無理やりユメリを俺から奪い、片手で脇に荷物を抱えるようにして持ち直す。
「これでついて来れないようなら置いていくから」
再び物凄い速さで走っていってしまった。
「……なんなんだよあいつは」
俺も後に続く。
「ちぐさきらい」
「ああ!? わたしだってあんたなんか大っ嫌いだ!」
何やら言い合ってるけど、それでも楼園のほうが走るスピードが速い。
今はあいつに任せよう。
置いていかれないように全力で俺も走った。
改めて実感した。
朝の通勤通学時間なのに、本当に誰もいない。車も走っていない。
消えたのは俺たちのほうだとユメリは言った。
少なくともあいつはこの状況を理解している。
詳しく教えてもらいたいところだが、走っていてはそれもままならない。
「逃げるのはいいけど、どこに向かってんだ?」
前を走る楼園に疑問を投げる。
「誰が逃げるって言った? 視界の広いところに行くだけよ」
「それでどうするつもりだよ?」
「さっきのをブッ飛ばす! みんながいなくなったのはきっとあの影のせいだ!」
「おまえアイツに勝てんの!?」
「おまえって言うな! あんなの能力使えば楽勝でしょ。水衛も能力使えるならなんとかしなさいよ」
俺が能力を持ってることは知ってるが、その結果、人の命を奪ってしまうことを彼女は知らない。
それを教えたらきっと楼園は同情する。
他人を巻き込みたがらない奴だ、俺に能力を使わせまいと一人で無茶をするかもしれない。
「……なんとかやってみるさ」
だから本当のことは言わなかった。
彼女一人に負担を掛けさせるつもりはない。
ハァ、ハァ、ハァ……
「ちょっと! 男のくせにもう息切れてんの!?」
男のくせにと言うが、これだけ走って平然としてる楼園のほうが特別だと思う。
「……無茶言うなよ。ってか、もう能力使ってんのか?」
「使ってるわけないじゃない。三十分しか使えないんだからこれくらいで使うかバカ」
そっちこそどんだけ体力バカなんだよ。
「三十分しか使えないって?」
俺の質問に答えず、走っていってしまった。
「くそっ!」
悪態をつき、とにかく置いていかれないように走った。
ようやく足を止めたのは、見晴らしのいい土手の上。
唯一助かっているのは、夏の暑さを感じないこと。
太陽も昇っているのに、最近のうだるような暑さがない。
「……ゼェ……ゼェ……もう、動けねぇ」
「みっともない」
地面に倒れた俺を冷めた目で見る楼園。
ユメリは俺の隣に移動してきた。
「……なんとでも言ってくれ。ここまで来ればとうぶん追ってこないだろうし、少し休憩しようぜ」
あれだけ動きの遅い奴だ、ここに来るには相当時間が掛かるだろう。
「なに言ってんの? アレならすぐそこにいるけど? 走ってる間、ずっと気配がくっついてたの気づかなかったわけ?」
楼園が指したほうを見ると、ちょうど影が地面から生えてきたところだった。
「……冗談やめてくれよ」
無理やり両足に力を入れ、不安定ながらも立ち上がる。
瞬間、ザッと地を蹴る音が聞え――
気づいたときには楼園が影を殴っていた。
ぶっ飛ばされた影は地面に倒れ、そのまま溶けるように沈んでいった。
「……あっけなく倒したな」
「バカ! 後ろ!!」
「っ!」
楼園の声に振りかえる間もなく、ユメリが思いっきり体当たりしてきた。
目の前の空間が裂け、何事もなかったかのように元に戻った。
「………………サンキューな」
もし走って疲れてなかったら、ユメリの力だけで俺の体は押せなかったかもしれない。
楼園が影を殴り、一度は消えるがまた影は地面から生えてくる。
「もしかして、簡単に倒せない?」
「……俺にきかれても」
ユラユラ揺れる影にダメージがあるようには見えない。
それとも、倒すたびに新しい影が生まれてるのだろうか?
「あれ、やっつけてもだめ」
ユメリが口を開く。
「「え?」」
「あれ、やっつけてもだめ」
「だからわかりやすく言えっての!」
「まてって! 俺が聞くから!」
瞬間、肌に突き刺さるような感覚を覚え、ユメリを抱いてとっさに後ずさる。
サンッ……
刃物で斬られた様に空間が歪み、元に戻る。
――よし。
気張っているからか、何となくだけどいつ攻撃されるかわかるぞ。
楼園も無事に避けれたようだけど、その表情が険しい。
彼女の視線を辿ると――
「……マジかよ」
影が増えていた。
「ハルもたたかえ」
抱っこしているユメリがジッと俺を見る。
「ムチャ言うなよ!」
「ユメリのチカラつけた。ハルもたたかえる」
「なん……だって?」
「水衛!」
影からの攻撃が来るぞと、楼園の注意。
言われなくてもわかってる!
攻撃を避けるためユメリを抱いて――
「うわわわわわわわわわわわわわ!」
思いっきり後ろに跳んだら、楼園が小さく見えるくらい後退してしまった。
「だからだいじょうぶ。ハルもたたかえる」
「……これってクラリスの能力じゃねーのかよ?」
「ちがう。ユメリの」
「後で誰か死ぬとか言わないだろうな?」
「だれもしなない。イタくなるだけ」
「痛くって……俺が?」
「うん」
「筋肉痛みたいなもんか?」
「うん」
……ならいいか。
同時に疑問もいくつか生まれたが、それは今を切り抜けてからにしよう。
「で、これからどうすればいい?」
「アンノウンとたたかえ」
影はアンノウンと呼ぶらしい。
「それから?」
「ユメリがなんとかする」
「え? おい!」
俺の腕から離れて、土手から下りようとするユメリ。
「くるな。ハルはあっち」
小さな指が楼園のところへ戻れと指示をする。
「ユメリ一人で大丈夫なんだな?」
「だいじょうぶ」
「……なら、任せるぜ」
「うん」
頷いてユメリは背中を向けた。
「なにやってたのよ!?」
楼園のところに戻ると、影、アンノウンが六体に増えていた。
「なんで増えてんだよ!?」
「一回地面に潜ると増えんのよ!」
「勝手に潜るのか、アイツら?」
「わたしが殴ると潜る」
つまり、こっちが攻撃すると増えるってわけか。
「それより、ユメリは?」
「あいつならどっか行った」
「はあ!?」
「ユメリがなんとかするから、俺たちはこいつらと戦ってろってさ」
「なにそれ! 信用できんの!?」
「っっ!!」
サンッ……サンッ……サンッ……
不可視の空間を歪める斬撃の数が増す。
うおお、さすがに数が増えるとキツイぜ。
ユメリの力がなければ完全に今のでやられていた。
「信用するしかないだろ! とにかく、ユメリがなんとかしてくれるまでコイツらをどうにかしよう!」
「なんか気に入らないけど、そうするしかないみたいね」
とは言ったものの、こっちが手を出したら影が増えるし、どうしたもんだろう……




