月下の哄笑
「せ、先輩の部屋かー」
ドアを開け、部屋の入り口で立ち止まるアスハ。
知り合いといえど、男の部屋に泊まるのはちょっと躊躇いがある。
まさかハルの部屋で寝ることになるなんて思ってもみなかった。
自分はリビングでもいいと言ったのに、女の子だからと気を遣ってくれた。
(敦さんの部屋にも泊まったことないのに)
前回入った時よりも、色々整理されている。
どうやら掃除してくれたらしい。
「なにさがしてる?」
「え? 何も探してないよ?」
「きょろきょろしてる」
「えっと、ほら、人の部屋だし……見てはいけないものとかあったら困る……でしょ?」
「エッチなほんならつくえのなか」
「なんで知ってるの!? っていうかユメリちゃん見たの!?」
「みてない」
「……ならいいけど」
純粋な大きな瞳がじーっとアスハを見返している。
「アスハ、みないの?」
「見ません!」
はぁ、と溜息を吐き部屋の中に入る。
「ね、ユメリちゃん。抱っこしていい?」
「ん」
小さい身体を抱えてベットに座る。
「こうやって抱っこするの久しぶりだね」
「ん」
小さくて温かい体の重さに幸せを感じる。
血の繋がった者の中で唯一ユメリだけがアスハと触れ合える。
クラリスはアスハを見ると『衝動』が起きる。
だからユメリもアスハを見たらきっとそうなるのではないかと思っていた。
しかしユメリの血の半分は普通の人間の血が流れている。
もしかしたらこの子は『衝動』を起こさない可能性があるからと、クラリスがカノンに頼んでユメリをアスハのところに連れて行かせた。
(最初はすごく怖かった)
自分が傷つくことよりも、まだ赤ちゃんだったユメリが自分を見て豹変するのが怖かった。
待合場所は街の公園。
ベビーカーに揺られてやってきたユメリ。
恐る恐るその顔を覗き込んだ。
今と同じ大きな瞳でその子はアスハを見た。
この人は誰だろうって顔でじっとアスハを見て――
「きゃっきゃっ」
にっこり笑った。
アスハが手をだすと、ユメリの小さな手が人差し指をぎゅっと掴んで握りしめた。
たったそれだけのことなのに、アスハは嬉しくて、すごく嬉しくて――涙が流れた。
指先に伝わる小さな手の温もりは、言葉に表せないくらい愛しくて、ユメリに会うまでの不安を一瞬で消してくれた。
抱き上げると、ユメリは嬉しそうにもっと笑った。
赤ん坊の頃が一番感情を表に出していたかもしれない。
クラリスに連絡をすると「……よかった」と、少し涙声になった返事をもらった。
きっとクラリスもすごく心配していたのだと思う。
その後、ヴィオラの話を聞いた。
ユメリはなんともなかったが、ヴィオラが『衝動』を起こしてしまい、姉妹の中でヴィオラだけがユメリと会うことが出来なかった。
あの頃と比べて感情を表に出さなくなったけれど、ユメリを抱っこした時の幸せは変わらない。
自分の妹のように可愛い存在。
大きくなったら、きっとクラリスみたいに美人になるのだと思う。
昔を思い出していると、突然音楽が流れ始めた。
スマホの着信音に気分が現実に戻される。
(誰だろう?)
ディスプレイを確認すると――
「お姉ちゃん!」
ずっと連絡が取れなかった姉からだった。
「もしもしお姉ちゃん!?」
すぐに通話を繋ぎ、クラリスかどうか確認する。
一瞬息を呑む気配。
《……………………アスハ》
聞き逃しそうな小さな声だが、確かにクラリスの声だった。
《……どう? 元気?》
「元気なわけないよ! どうしちゃったの!? 今どこにいるの!?」
《……ちょっと声を落としなさい。耳が痛いわ》
「そんなこと言ったって、こっちがどれだけ心配してるかわかってるの!?」
自分の声にユメリが少しビックリしてる顔をしているが、抑えられなかった。
《……………………ごめんね》
「謝ってほしいわけじゃない。どうしてこんなことになったのか知りたい。前に電話した時までいつも通りだったのに、どうしちゃったの? あたしたちのこと、嫌いになったの?」
《嫌いになんてなるはずないでしょう。私はいつでもあなたたちのことを大切に想っているわよ》
「だったらどうしてこんなことしたの!? こんなの誰も喜ばないよ!!」
返事はすぐにはこなかった。
《……ごめんなさい。どうしてこんなことをしてしまったのか、私にもわからない。けど、そう言って責任逃れをするつもりはないわ。ユメリの力も動いてしまってる以上このままにしておくわけにもいかないし……あなたにも辛い思いをさせてしまった》
「……」
おそらくすでにヴィオラと連絡を取ったのだろう、こちらの事情は知っているようだ。
《カノンから聞いたのだけど、アスハは私が殺人を犯したと思ってるんでしょう?》
「……今でもそんなことするなんて思ってないよ」
《でも、アレを『視た』んでしょ?》
「……うん」
《説明すると長くなるから今は省くけど、私は誰も殺していないわ》
「……え?」
じゃあ自分が視たモノは何だったのか?
《人間が私の能力を使おうとすればそれだけのエネルギーが必要。それは人間一人の命がもっとも適切とはいえ、必ずしも人間の命を使わなければならないというわけではないのよ。アスハもそれは知ってるわよね? 要求される力量さえ確保すればなんでもいいの。普通の人間にそんなことできはしないけど、私にならそれができるもの》
「それじゃあ……あの時あたしが『視た』のは?」
《人の命に見せかけたフェイクよ》
「じゃあ先輩が見た女の人もお姉ちゃんが作った幻なの?」
姉がどれだけの事ができるのか知らないが、体感してると錯覚するような幻覚を見せられるものなのだろうか。
《いいえ、彼が見たのは現実。というより、あなたたちが死んだと思ってる人物はカノンよ。ハルも普通の人とは違うところがあるから、幻覚を見せて万が一気づかれでもしたら困るもの》
「……先輩と会ったのは偶然じゃないのね?」
《ええ、そう。『適任者』であったとしてもよく知らない人間にユメリを預けるものですか》
「……それで、お姉ちゃんは何をしようとしていたの? ユメリちゃんを人に預けてまで何がしたかったの?」
その問いの応えはすぐに返ってこなかった。
《…………ごめんなさい。それは黙秘させてちょうだい》
酷く辛そうな声。
《自分でも何でこんなことをしてしまったのか理解できないのよ。だからって責任逃れをしようとしてるわけじゃないの。こうなってしまった責任は負うし、償いもする。
けど、私が何をしようとしていたのか……それを教えるのだけは許してちょうだい》
直感した。
内容まではわからないけど、きっとそれは姉妹にとって最悪の未来。
きっと口にするだけでも悲しくなるようなことなんだ。
「……うん、わかった。でも一つだけ教えて。先輩から聞いた話だと、お姉ちゃんはすごく悪い人にみえた。先輩を利用するって言ったんだよね?
そんなことする人じゃないのに、どうして先輩に怨まれるようなことをしたの? 先輩の協力が必要だったとしてもちゃんと説明すればよかったじゃない。どうして理不尽に先輩を巻き込んだの!?」
《理不尽なのはわかってる。だからこそ私は悪役に徹したわ。
何があっても私のせいにできるように、不満や怒りの捌け口を私に向けられるようにすることだけが、唯一彼にしてあげられることだったから》
「…………お姉ちゃんがなにを考えてるのか全然わかんないよ」
《ごめんなさい》
謝ってほしいわけじゃなかった。
ただ不安で、胸の暗雲を晴らしてほしかった。
ユメリは黙ってこちらを見ている。
会話から、相手がクラリスだということは察しているだろう。
時おり不思議な言動をみせる小さな女の子。
母親ゆずりの青い瞳は、全ての事情を知ってるように思えた。
《アスハ》
「……ん?」
《好きな人に能力を使ったんですって?》
自分では割り切ったつもりでいたけど、人から言われるとやはり苦しい。
《自分でやったことだと思ってるみたいだけど、それは違うわ。私は今回のことに『アスハは絶対に関わらない』としていた。それを破ってハルと関わったということは、あなたの行動は仕組まれたもの。水衛ハルと関わる為に能力を使わさせられたのよ。
だからアスハが責任を感じることはないの。悪いのは私なんだから》
「………………そっか」
それを聞いても、気持ちはさして変わらなかった。
《……ごめん。こんなの気休めにもならないよね。今さらそんなこと聞いても起きてしまったことを無かったことになんてできないものね》
「ううん、いいの。それにね、悪いことばかりじゃないんだよ。
先輩がね、全部問題が解決したらもう一回敦さんに告白してみないかって言ってくれたんだ。今度は自分も協力するからって」
《……ハルが?》
自分から見ても意外な提案だっただけに、クラリスも少し驚いている。
「うん。『適任者』っていっても、普通に暮らしてた人がこんなことに巻き込まれて一番の被害者と言ってもいいのに、あたしのこと気遣ってくれて、余裕があるっていうか、先輩ってすごく不思議な人だよね」
《……そう》
「今もね、先輩の家にいるんだよ。ユメリちゃんが泊まっていってほしそうだったから、今日だけ部屋を借りてるの」
《ユメリがいるとはいえずいぶん仲が良いのね》
「隣にユメリちゃんいるけど、代わろうか?」
《……ん、そうね。少しだけユメリと話させて》
少しじゃなくてもいいのに。
スマホを渡すと、ユメリは単調な言葉で返事をしてるだけで、自分から何かを問いかけることはしなかった。
「ん」
「え? もう?」
本当に少し話しただけでユメリはスマホを返してきた。
「久しぶりなんだからもうちょっと話してもいいと思うんだけど」
《いいのよ。それにこれから動かなければならないしね》
「……動くって?」
その言葉に少し胸がザワつく。
《まだハッキリとしたことはわからないのだけど、今回の事で私たち以外の能力者が関わってる可能性があるの》
ユメリにそっくりな子の存在。
自分は傍観者で見ていただけと言っていたけれど、本当にそうであるかはわからない。
「どこの誰か見当はついてるの?」
《いいえ、それもこれから調べるわ》
あの子供のことを話すかどうか悩む。
「え?」
不意にユメリが服の裾を掴んだ。
何も言ってこないけど、大きな瞳がジッと自分を見ている。
あの子供のことを話したらダメと目で訴えかけてるよう。
《アスハ?》
「あ……ごめん。あのね、お姉ちゃん。実は相談したいことがあるんだけど」
《なに?》
「あたしが能力を使っちゃった人たちの事なんだけど、あたしとユメリちゃんの能力で記憶が操作されてるから、あたしがやったことだけでも元に戻そうと思ってユメリちゃんに相談したらね……あたしたち以外の人がみんなの記憶をいじってるって言うの。それもだいぶ前から」
逡巡し、別の事を相談する。
《だいぶ前からってどのくらい前からなの?》
「それがわからないって……」
《ユメリに代わってもらえる》
ユメリはクラリスの質問に「うん」とだけ応えていた。
きっと自分やハルがしたような質問をクラリスもしているのだろう。
しばらくして自分と代わる。
《誰かが関与してるとしかわからないみたいね》
「……うん」
やはりそれ以上の事はわからないようだ。
《少なくとも、あなたたちより前に能力を掛けてるのは間違いないようだし、ユメリの能力に引き寄せられたわけではなさそうね》
「でも敦さんから変な力は感じないし、目立つ行動もないみたいだけど……」
《時限爆弾的なものかもしれないわよ? アスハの好きな人だけならともかく、他にも操られてる人がいる以上、広い範囲で何かをしようとしているのかもしれない。術者の指定した日時になったら、一斉に行動を起こさせるようにされているのかもしれないし》
不穏なことを言ってくる。
「いやだお姉ちゃん。あんまり怖いこと言わないでよ」
《ごめんなさい。でも色んな事態を想定していなさい。もし本当にそうなってしまったら、彼を守るのはあなたなのよ。怖いからと言って目を背けてないで、本当に守りたい人たちを守れるように普段から気を入れておきなさい》
クラリスは昔から優しくて気丈に振舞う人だった。
電話の向こうに居る姉はまさによく知る人だ。
《アスハ?》
黙ってしまった自分に、少し不安そうな姉の声。
「ごめんなさい。お姉ちゃんが戻ってきたんだって実感して、嬉しかった」
《……ええ、そうね。駄目なお姉ちゃんでごめんね。これからはまた頼ってね》
「うん! うん!」
嬉しすぎておもわずユメリを抱きしめてしまった。
気持ちが伝わったのか、ユメリが胸に頭をすりすりしてきた。
(もうほんとに可愛い)
ユメリの頭に思わず頬ずりしてしまう。
《これから私とヴィオラで問題を解決できる方法を調べていくことになるけど、何かわかったらあなたにも連絡するわ》
「あたしにも何かできることない?」
《そうね、あなたはみんなにおかしな言動がないか注意して見ていてほしいわ》
「わかった……あの、先輩のことはどうするの?」
《彼には明日にでも事情を説明しにいくつもりよ。私がもっとも優先すべきことは、彼に与えた能力をどうやって排除するかですもの》
「そう、だね。でも本当に先輩が能力を使うと、先輩の大切な人が死んじゃうの?」
《ええ、そうよ。あの時の私は、脅しではなく本当にその条件でハルに能力を与えたんだもの。彼には私が悪魔にでも見えてたかもしれないわね》
自身を言葉で傷つけてるとしか思えないほど、自嘲する声色は後悔で溢れていた。
「お姉ちゃんのやったことはすごく酷いことだと思う。でもちゃんと謝ってこれからどうするか説明すれば、きっと先輩は許してくれるよ」
《……そうだといいのだけれど》
「大丈夫だよ! あたしからも先輩にお願いする! だから、ね……元気だして」
気取られないようにしてると思い何も言わなかったけれど、電話の向こうでクラリスは泣いていた。
何に対しての涙かはわからない。
けれどその涙は今のクラリスに必要なもの。
弱った心を涙が一緒に流してくれる。
明日からいつもの凛々しい彼女でいられるように、今だけは儚い姉を自分が受け止めよう。
姉が何をしようとしていたのかはわからなくてもいい。
誰も殺していないという事実が判り、こうして戻ってきてくれただけで満足だった。
あとはハルの能力を無事に取り、敦に関わってる能力者を探すことが出来れば、また平和な日常に戻れる。
(あたしは、そう信じている)
その後すぐ電話は終わってしまった。
久しぶりに抱いて寝るユメリは、前よりちょっと大きくなっていて、それでも変わらず自分に甘えてきてくれた。
■ ■ ■ ■ ■
月光が町を照らす。
夜も深まる丑三つ時。
小さな影が揺れる。
「つまらない。あー、つまらない」
ユメリと瓜二つの少女の口から、悪意の混ざった不満がもれる。
「みんな良い子になっちゃってこれで万事解決? そんなのつまらないよね」
闇夜に血色い眼球が映える。
仮面の様な表情がニタリと笑う。
「ああ、そうだ。アタシが面白くしてやろう! 忠告だけじゃ足りなかったね。アタシが面白くしてやるよ!
キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
高鳴る哄笑は天を裂き、しかし誰の耳にも届くことはなかった。




