三様の夜
「それじゃ、おつかれー」
「おつかれっしたー!」
十九時半、十人以上いたライブハウスハは、アスハと敦を残してみんな帰っていった。
「わりーな、もうちょっとで終わるから」
「ううん、気にしないでいいよ」
後片付けをしている敦はバンドメンバーの中で最年少だった。
それなのに誰よりもみんなを引張っているように見えたのは、アスハのひいき目だろう。
「しかし今日は緊張したぜー」
「……え? どうして?」
「そりゃお前、彼女の前でヘタ見せられないだろ」
いいところ見せたかったんだ。
そんなこと気にしなくても心配ないのにと密かに思う。
「ふふ。でもそんなことあたしに言ったら意味ないんじゃないの?」
「いいんだよ。ずっと良いとこばっかり見せてたら疲れるだろ? 気張るのは今日だけだ」
「そっかー。カッコイイ敦さんは今日で見納めなんだね。残念」
もちろん残念だなんて微塵も思ってない。
「そうは言っても、ライブの時はキメてやるから期待しとけよ」
「うん」
言われなくてもずっと楽しみにしているイベントだった。
今日の練習で歌っているのを見ただけでも胸が高鳴ったくらいだ。
本番になったら嬉しすぎて気絶してしまうかもしれない。
「それよりどうした? ここに来てからずっと元気ないけど、何かあったのか?」
「……え?」
なにをもってそう言われているのかわからなかった。
「学校で会った時はそうでもなかったのに、ハルの奴となんかあったのか?」
「えっ!? 水衛先輩は優しいよ。どうしてそう思うの?」
「……どうしてって、なんか無理してるみたいだったからさ。オレとしちゃ気になるぜ」
驚いた。
ここに来る前に衝撃的なことはあった。
けどそれは敦に話してもわからないことで、こんなふうに心配させたくなかったのでずっと明るく振舞っていたのに。
「……すごいね。わかっちゃったんだ」
誤魔化そうとはせず、素直に認めた。
「そりゃ、惚れた女が悲しそうにしてんのに気づかないわけねーだろ」
「…………え?」
思いがけない言葉だった。
隠そうとしていた気持ちに気づいてくれたのが嬉しかった。
自分のことを惚れた女って言ってくれたことが嬉しかった。
「ほ、惚れた女って、あたしのこと好きってことだよ?」
「あたり前だろそんなの。好きじゃなきゃ付き合ってねーって」
嬉しいのと同じくらい……胸が痛かった。
敦の言葉は本心からのものであり、虚言でもある。
本来なら築けていない関係。
アスハが強引に作り上げた関係であるため、酷く心苦しい。
「それで、どうした? 何があったんだ?」
敦の声が優しい。
でも、言えない。
本当のことを話しても困らせるだけで、理解してもらうことはできない。
そもそも理解できないようにしているので、話したとしても余計混乱させるだけだ。
「って、おい!? 泣くくらいかよ!?」
「……ごめん、なさい」
我慢しようと努力はしたが、涙を止めることができなかった。
もう自分の気持ちが全然わからない。
こんな一方的な関係は自分のワガママだとわかってるし、ハルとも一度清算する約束をした。
それでも、このままずっと敦と一緒に居たい気持ちもある。
ここに来てからもクラリスのことでずっと胸のざわつきが治まらない。
決定的なモノを見ても、まだ姉が人を殺したなんて信じられないでいる。
もちろんこんなことは敦じゃなくても、誰にだって話せることじゃない。
これは自分たち姉妹の問題なんだから。
だから、彼にどうしたのかと訊かれても応えられるものがない。
申し訳なくて、それでもその気遣いが嬉しくて、アスハは謝罪の言葉しか言えなかった。
「……ごめんなさい……ごめんなさい」
このまま涙と一緒に溶けて消えてしまいたかった。
こんなことしてても彼を困らせるだけなのに、一度せきをきった涙が止まらない。
――なんでこんなことしてるんだろう?
――なんでこんなことになったんだろう?
彼と一緒にいたくて、ただそれだけだったのに……どうしてこんなに苦しいんだろう?
人を好きになるのは仕方なかったとしても、告白したのが間違いだったのか?
人とは違う自分が、誰かと付き合おうと考えたのが間違いだったのか?
心の海に底は無い。
沈みたくなくても、気持ちはどんどん暗い場所へと沈んでいく。
「……んー、まあ、全然事情はわかんねぇけど」
不意に俯いていたアスハの体が包まれた。
驚いて顔を上げると、すぐ近くに敦の顔があった。
体は温かい胸に受け止められて、背中は大きな両手で包まれている。
気づいたら敦に抱きしめられていた。
「話したくないことなら話さなくたっていいし、話して楽になるんだったら後でいくらでも聞いてやるさ。けど、アスハがそんなやって泣きながらオレに謝ることなんてないんだぜ?」
本当に、胸が張り裂けそうだった。
「…………あつし、さん」
涙声に、彼は優しく笑った。
「でも泣くと気持ちが落ち着くって聞いたことあるし、泣きたきゃいくらでも泣いていいぜ? って言うのもなんか変かな?」
ぎゅっと体を抱きしめてくれる。
彼の胸に顔を埋める。
それだけのことがすごく幸せに感じた。
自分でも現金だと思う。
さっきまで落ち込んでいたのに、好きな人に抱きしめられただけで気分が浮ついてしまうのだから。
大きな体に包まれているとそれだけで安心する。
離れまいとアスハも敦の服をきゅっと掴んで――
「うわああああああああああああ」
胸に顔を埋めて思いっきり泣いた。
嬉しくて、悲しくて、温かくて、寂しくて、恋しくて、苦しくて、もう気持ちがグチャグチャで、でも敦が支えてくれているから、アスハは安心して泣くことができた。
クラリスがこんな話をしてくれたことがある。
自分たち姉妹は会うことは出来ないけど、お互いに心の支えになることはできる。
電話で声も聞けるし、写真で姿を見ることもできる。
直接会うことが叶わないだけで、支えあって生きていくことはできる。
けれど、それならどうして普通の人間のフリをして生きていかなければならないのか?
それは心の触れ合いだけじゃ、いつか心が寂しくて病気になってしまうからだという。
心が触れ合ってるのに寂しくて病気になるなんておかしな話しだと思った。
自分たちは他の人たちから見れば『奇跡』と言っても過言ではない事を簡単にやってしまえる能力がある。
それなのにそれを隠して普通の人間として生活しているのは、心は皆と同じだから。
心と体は互いに感じられないものを補って両立している。
心は感情を。体は温もりを。
人はそのどちらかが欠けたら寂しさを感じる生き物で、自分たちも『特別な能力』が無ければ普通の人間と変わりはないからという理由だった。
だから人と触れ合える為にも、普通の人間として暮らしていく必要が自分たちにはある。
泣いて笑って喜んで『同じ場所』で気持ちを共感して体感できる相手が必要だとクラリスは教えてくれた。
今ならその話の大切さがわかる。
だってこんなに心から安心できて落ち着けることなんて、電話や写真じゃできない。
そうして、アスハは敦の胸に抱かれながら気が治まるまで涙を流し続けた。
■ ■ ■ ■ ■
ユメリの頭にシャンプーを垂らしてわしゃわしゃとかき混ぜると、面白いくらい泡が増えていく。
まだ小さいし仕方ないことなのかもしれないが、こいつは一人で風呂に入りたがらない。
だから今日も俺が長い髪を洗ってやってるわけだ。
気持ちいいのか、鏡に映ってるユメリは目を細めていた。
「今日おもしろかったか?」
「うん」
ライブハウスに連れて行ったものの、始終大人しくしていたから子供にはつまらなかったかもと思っていたが、そうでもなかったようだ。
「また連れてってやろうか?」
「いきたくない」
「……本当におもしろかったのかよ?」
「うん」
まあ、本人が行きたくないって言うなら無理に連れて行ったりしないけどさ。
細いとはいえ、結構なボリュームがあるユメリの長い髪はまだ半分も洗い終わらない。
「そういえば、どうしてクラリスが母親だって教えてくれなかったんだよ?」
「ハルがきかなかったから」
そりゃ最初からお姉ちゃんって呼んでれば誰だって疑わないだろ?
アスハの話だとクラリスの都合でそう呼ばさせられてるみたいだが。
「普段からそう呼んでんのか?」
「うん」
一見して娘でも年の離れた妹でも通用する外見だから違和感は感じないけど、教育上これはアリなのか?
「お父さんってどんな人なんだ?」
「おとうさん?」
「ユメリはパパって呼んでるのかな?」
「パパってなに?」
……もしや、これは訊かないほうがいい家庭の事情なのだろうか?
「パパってなに?」
「パパっていうのは……えーと、アレだよ。母親のクラリスがママなら、父親がパパってことで」
そのまんまだった。
「パパいない」
「え?」
それでもユメリは理解したのか、短く答えた。
「……そうか、いないのか」
この話は軽はずみだったと少し後悔した。
「ハルはパパいる?」
「え? ああ、いるよ」
「どうしているの?」
「どうしてってそりゃ」
どう答えればいいんだこれ!?
「……いるから、いるんだろうな、たぶん」
上手い説明が思いつかず、零点な回答を返してしまった。
「ハル、パパいない」
「いや、だからいるって。今は一緒に暮らしてないだけだ」
「ちがう」
「ちがわねーよ。後で写真見せてやろうか?」
確か俺が寂しくならないようにって、引っ越すときに姉ちゃんが勝手にアルバムを荷物の中に入れてたはずだ。
「しゃしん?」
「そう、写真。俺の家族が写ってるから見せてやるよ。ユメリも写真撮られたことあるだろ?」
「おねえちゃん、ユメリのしゃしんいっぱいもってる」
「そっか」
いっぱい持ってるってことは、クラリスは娘の思い出をたくさん残しておきたいと考えてるんだろう。
ユメリが来た日のことを思い出す。
体を拭かないで風呂から出てきたユメリをクラリスは笑って拭いてやってた。
あの時のあいつの顔、あれは母親のものだったのか。
そんな一面があるのなら、どうして娘を俺みたいなよく知らない男に預けたのか見当もつかない。
あいつの目的は一体なんだんだ……?
それから俺は一人で考えを巡らせながらユメリの髪を洗うことだけに専念した。
「よし、終わった!」
タオルが巻き易いようにさっと髪の水分を取ってやる。
「ん」
洗ってもらったのに礼を言うこともなくユメリは立ち上がり――
「え? おい待て! まだ入るな!!」
捕まえようとする俺の手をスルリとすり抜け、ドボンッと水しぶきを上げて浴槽に入りやがった!
青く長い髪は水面いっぱいに広がり、タオルを巻ける状態じゃない。
「ハルもはやくあらえ」
「……お前、たまに偉そうだよな」
ここで目くじらを立てても疲れるだけだし、俺も頭からシャワーを浴びる。
敦とアスハはもう帰っただろうか?
いつ電話が来てもいいように脱衣場にスマホを置いてあるが静かなままだ。
そんなに早く事態が進展するとは思ってないものの、待つだけってのも辛いな。
浴びるお湯は体の疲れは癒してくれるが、心の不安までは流してくれなかった。
■ ■ ■ ■ ■
同時刻。
薄暗い会議室にカノンの姿はあった。
「……その話は本当なのね?」
向かいにはクラリスの姿があった。
疑っているわけじゃない。
ただ、彼女の口から出た話が信じられないだけだった。
クラリスの計画ではアスハは『関与しないことになっていた』。
そもそも水衛ハルの能力を消し去るのにアスハは必要ないのだ。
それが解っていたからこその計画だったのに、どこでどう狂ってしまったのか?
「それで、アスハの様子はどうなの?」
「お会いしたわけではありませんが、水衛様の話では能力を行使してしまったことを酷く後悔なされてるとのことでした」
「…………でしょうね」
本当に優しい子なのだ。
自分本位の能力行使に、後ろめたさや後悔を感じないわけがない。
アスハに好きな人がいることは本人から聞いていた。
告白してフラれたことも知っていた。
昔から彼女には迂闊に能力を使わないよう言い聞かせてきたし、その意味も理解してくれていたはずだ。
だから事実をそのまま受け入れるには納得がいかない。
「ユメリが『呼んだ』のね」
「……私にはわかりかねます」
見えるものではないからこそ誰にもわからない。
しかしクラリスは『アスハは自分の意思で能力を使っていない』と断言できる。
何故なら、自分の行動がアスハに漏れないように『この計画にアスハは一切関わらない』と能力による絶対定義をしていたからだ。
これはヴィオラが千種とユメリを会わせないようにしていた作用と同じ力である。
その効果を無視してアスハに知られたとなれば、ユメリの能力にかき消されたとしか考えられなかった。
しかしなぜアスハを必要とするのかわからない。
ユメリの能力は『水衛ハルに付けられた能力の廃除』を目的に動いてることは間違いない。
そしてそれを行うのにアスハの存在は必要ないのだ。
「どうなさるおつもりですか?」
「どうするもなにも、このまま事を進めるわけにはいかないでしょう? あの子の力は意味もなく働いたりしないわ。アスハが巻き込まれた以上、計画を変更します」
「わかりました」
頷くカノンはホッと胸をなでおろした。
「なあに? 良かったって顔ね?」
「失礼ながら、その通りです」
主の思い通りにならないことを好しとするのは仕える身として適切ではないが、隠したところでどうせバレている。
「この度のクラリス様のお考えはあまりにもらしからぬものでしたので、些か不安に思っていました」
「………………そう」
自分らしからぬ行動。
クラリスを知る誰もが抱いた疑問は、実のところ当の本人も強く感じていた。
(姉妹を犠牲にするようなことをして誰が喜ぶというの?)
そう何度も自問しては行動を止めようとしなかった。
発作的に感じた不安に解決策を練り、それがどんな悲劇を生むかも解っていながら実行に移した自分の浅はかさを呪いもした。
それでもブレーキが壊れたかのように止まることはできなかった。
「アスハは『あれ』も見たのかしらね?」
「そのようです。それによりクラリス様が殺人を犯したことを確定したのではないでしょうか?」
「なんてこと……」
『あれ』とは女の倒れた現場に残る魂の痕跡。
クラリスの気配も付着し拭い去ることの出来ない致命的な証拠となるのだが、ピンポイントで探らなければ見つけられないような痕跡なので大丈夫だろうと高をくくっていたのが間違いだった。
「ですが、本当のことをお話になればアスハ様もご理解いただけるのではないでしょうか?」
「それを話せばもっと辛い現実を知ることになるのよ」
「いずれは知らなければならないことです」
「……ええ、わかってるわ。でもまだあの子には必要ないもの。できればまだ知ってほしくない。こんな考え方……甘いかしらね?」
「いえ、それこそ本来のクラリス様です」
「……本来の、ね」
なら今の自分はそれを失ってるということだ。
「これからどうなさるおつもりですか?」
「……少し、一人で考えさせてちょうだい」
「かしこまりました」
深く訊こうとはせずカノンはすぐに姿を消した。
何を聞いたとしてもクラリスの指示に従うのだ。
主人が一人になりたいと言うのなら、潔く身を引くのが彼女なりの気遣いだった。
空を見上げても月は出ておらず、街の明かりで星の姿も僅かしか確認できない。
クラリスはこの夜空の下で妹たちはどうしてるのだろう? と思いを馳せる。
アスハのことは想定外だった。
しかしそうなることで自分の考えを改めるキッカケを得た。
(私はなぜ狂っていたのかしら……)
そう、自分は狂っていた。
原因すらもわからず、自然と凶行を正当化していた。
まるで催眠術に掛かったかのような振る舞いをしていた。
外部からの意識の介入。いや、支配と言っても過言ではない。
そんなことが出来るのはユメリの能力しか思い当たらないが、それこそ馬鹿げた妄想だ。
(確かにあの子の力は自分で制御出来ないものだけど、あの子が望まない限り絶対に動いたりしない)
ユメリが考え望まなければ能力は発動しない。
だからわざわざハルとユメリを出会わせ、ハルがどうしたいのか訊かせた。
もしユメリがハルのことを気に入らなければ、ハルの願いを望まず能力も発動しなかっただろう。
だがハルは『適任者』だ。
九割方ユメリは受け入れるとクラリスは確信していた。
だからこそ自分の奇行がユメリの能力のせいだとは考えられない。
(あの子がこんなこと望むわけないもの)
愛娘なのに、可能性として挙げてしまう自分が憎い。
ならば何が原因だ?
自分はなぜこんな愚かなことをはじめたのだ?
(この街に居るもう一人の能力者なの?)
どこに住んでいてどんな相手なのか特定はできない。
けれど自分たち姉妹以外に、もう一人この街に特別な力を持った者が居ることをクラリスは感ずいていた。
悪さをするわけでもなく、ただ偶然同じ場所に住んでるだけなのかと放っておいたが、もし今回のことに関係するならこのままでは済まさない。
シロならばそれで構わないが、クロならそれなりの覚悟はしてもらおう。
眼下を見下ろすクラリスの影は、しばらく動くことはなかった。




