協力 2
「すいません。ご迷惑ばかりおかけしちゃって」
リビングに移動し、彼女の前に麦茶を置く。
親しい者の顔を見て気が緩んだのだろう。
ユメリを抱いてひとしきり泣いたことで吹っ切れたのか、アスハの表情には現実を受け止める覚悟が浮かんでいた。
「迷惑だなんて思ってない。この状況で俺たちが何をすればいいのか見当もつかないから、むしろ協力してもらって助かるよ」
「協力……ですか。あたしに何が出来るかなんて自分でもわかりませんけど」
彼女も不安なんだろう。
それでも今の俺にはアスハに頼る以外思いつかないわけで、彼女の存在は大きい。
「アスハ」
「ん? なあに?」
アスハの隣に座っているユメリが声を掛けた。
「アスハ、あつしに『のうりょく』つかった?」
「ど! どうして知ってるの!?」
「ハルからきいた」
「えっ!? ……そう、ですよね。言わないわけないですもんね」
鋭く俺を睨んだかと思うと、一気に意気消沈。
何かまずいことでもしただろうか?
「帰ってからユメリに相談したんだけど、まずかった?」
「いえ、そんなことはないです。あたしのワガママで……ユメリちゃんには知られたくなかっただけなので」
ユメリはアスハが能力を使って敦を洗脳したりなんてしないと否定した。
そう思うってことは、これまでの彼女は能力を使って人を操るような事はしてなかったということか。
「ユメリのせい?」
ユメリの問いにすぐ否定するアスハ。
「違うよ。ユメリちゃんは悪くない。悪いのはあたしだから、変なふうに考えないでね」
そのやり取りに疑問が浮かぶ。
「どうしてユメリせいってことになるんだ?」
「すいません。それはちょっと」
「なっ、なんだよ急に……」
急にアスハの態度が一変した。
「ちょっとこっちに」
何を思ったのか、アスハは俺の腕を取って廊下へと連れ出した。
「すいませんけど、そのことをユメリちゃんに訊くのは絶対に止めてくれませんか?」
「なんでだよ? 俺にわかるように説明してくれ」
「先輩、ユメリちゃんの能力のこと知ってるんですよね?」
ユメリに聞かれたくないのか、少し小声になるアスハ。
「詳しくは知らないけど、なんかいろんなもんを巻き込むくらいすごい力だって聞いてる」
「そうです。でもあの子はそれを望んでやってるわけじゃない。それがわかりますか?」
「……そりゃわかるけど」
「事の発端はお姉ちゃんです。けどこうして先輩に憑いちゃった以上ユメリちゃんの能力は動いてる。それがどう作用するかなんてあの子にも誰にもわからない。
そんなとき、普段起こりえないような出来事が起こったらどう思います? もしかしたらユメリちゃんの能力が引き起こしたんじゃないかって少しは考えませんか?」
「そりゃあ、少しは」
ここでようやくアスハの言わんとしてることを理解した。
「つまりユメリは、起こってることを全部自分の能力のせいだと思ってるわけか?」
「直接聞いたわけじゃありません……けどもしそうなら、そんなの残酷じゃありませんか? 何が起こっても、特に悪いことが起こったら自分のせいじゃないのかなって、あんな小さい子が責任を感じちゃうんですよ?」
「そうだとしてもあいつが望んでやってるわけじゃないんだから、そう過敏になることもないと思うけどな?」
「――だから、あたしが言いたいのはそういうことじゃなくて」
アスハの言葉を遮り、俺は口を開く。
「言いたいことはわかるよ。こっちが責めなくても何でもかんでも自分の責任だと思っちまってるってことだろ? でもそりゃ仕方ないじゃないか。そういう力を持ってんだから。むしろそうやって責任を感じてるなら逆に安心したぜ。何が起こっても、知らない関係ないなんて言うよりよっぽどマシだからな」
「そんな他人事みたいに言わないでください! 先輩はユメリちゃんの気持ちを考えてあげたことはないんですか!?」
心情的には他人に近いぞ。
「ねぇよ。俺には変な力もないし、察してやることはできるけど本当の気持ちなんてわかるわけないだろ? それに変に気を遣ったら逆に責任感じさせることになるんじゃないのか?」
「もうちょっと大きくなったらそうかもしれませんけど、あの子はまだ四歳なんですよ? もう少し考えてあげてもいいじゃないですか?」
「別に文句を言うつもりはないよ。アスハはあいつの身内だしそういう気遣いも必要だろうさ。それに俺だってユメリに理不尽な責任を感じてもらいたいわけじゃない。
けどな、そんなやって心配して話をはぐらかしてるくらいなら、こっちが原因を絶ってやればいいんじゃないの?」
俺の言葉に彼女は一瞬黙る。
「……どういうことですか?」
「クラリスは言ってたぜ? ユメリの力は強力だけど簡単に邪魔することができるってな。つまり良い事も悪い事もユメリの能力が絡んでるってわかってれば、実現を回避することができるってことだろ? なら悪いことが起こりそうだったら、俺たちがなんとかして実現させないようにしてやればいいじゃないか。
起こったことをユメリのせいじゃないって誤魔化してるよりも、未然に防いでやったほうがあいつも安心するんじゃないのかよ?」
「それができれば苦労しませんよ」
だよな。
「ならこれからしてやろうぜ。アイツの能力が動いてるってのはもうわかってんだ。最悪の結果にならないように最善を尽くすべきだろ?」
「簡単にはいかないと思います。ユメリちゃんの能力はお姉ちゃんだって完全に把握してないんですから」
「そんなの最初から承知してる。だからこそアスハに相談してんじゃないか。俺とユメリだけじゃきっとどうすることもできない」
しかも、自衛手段がクラリスに植え付けられた能力しかないってのが最悪すぎる。
「買いかぶりすぎです。あたしは先輩が思ってるほど頼りになるような力は持ってません」
「もちろん頼りっきりにするつもりはないさ。だから協力してくれ。これ以上犠牲を出さないためにも、クラリスの能力を俺から取るためにもどうすればいいか一緒に考えてほしい」
「………………」
「そこで黙るのかよ?」
こっちは二つ返事を期待してたんだぞ。
「あっ……すいません。ただちょっと先輩ってすごいなーって思っちゃって……」
「俺がすごいならお前たちは神様レベルだぞ」
およそ人間にはできない事をしてくれてんだからな。
「そういう実力的なものじゃなくて、なんて言うか……先輩って、適応力がありすぎですよね?」
適応力だと?
「お姉ちゃんたちと会ってからまだ日が浅いのに、そんなに落ち着いて前向きに考えられる人なんてそうはいませんよ。昔からあたしたちみたいな人と関わってたのなら別ですけど」
「そんなわけないだろ。お前たちみたいのと会うのは初めてだよ。クラリスが言うには俺みたいなのを『適任者』って呼ぶみたいだけどな」
「えっ? ああ……そうだったんだ」
一人納得している。
「なんとなく理解しました。『適任者』と言うのはお姉ちゃんが特定の人たちを呼ぶときに付けた呼称ですけど、先輩がそうなら納得です」
「……俺の他にそういう人たちに会ったことがあるのか?」
「あります。近くにいる人なら、お姉ちゃんの秘書をしてる人が『適任者』にあたります」
側近にするなら普通の人じゃ務まらないわけか。
ひとまずその話は置いておこう。
「俺のことはいいとして、話を戻そう。ユメリの力のことだけど、ぶっちゃけアスハも巻き込まれたくちなのか?」
「……どうして、そう思うんですか?」
問うアスハの表情がすでに答えを語っていた。
「ユメリの言ってることが引っ掛るんだよ。あいつはアスハが敦に力を使ったことを疑ってた。それに自分のせいかとも訊いてただろ? アスハは否定してたけど本当は違うんじゃないのか?」
「……あたしは……自分の意思で敦さんや他の皆に力を使った。そこにユメリちゃんの能力の介入があった感じはしませんでした」
「百パーセントユメリは関係ないって言い切れるのか?」
「……………………それは」
二つの瞳が俺を見る。
「あたしが考えて実行したことに変わりはありません。ユメリちゃんのせいにするのは筋違いです」
「可能性はあるんだな?」
「ですから、あたしのことは――」
「可能性があるなら見過ごすわけにはいかねーんだよ!」
どうしても自分の責任にしたがる彼女につい声が荒れてしまった。
「この前泣いてたじゃねーか! アスハだってやっちゃいけないことだとわかっていて敦に力を使っちまったんだろ!? それがわかっててなんで能力を使った? ユメリが疑うくらいそんな事をしなかった奴がどうしてこのタイミングで使った!?」
「……………………」
アスハは答えない。
「最初は疑ってたさ。クラリスの時みたいに上手いこと言われて騙されないように、アスハの話すことが嘘か本当か探りながら聞いてた。
けどそんな必要はなかった。お前はクラリスのやったことにショックを受け、ユメリが傷つかないように庇ったり、あいつの能力のせいにできるのにそれをしないで受け止めた」
「それはユメリちゃんの能力が関わってるとは言い切れないからです」
その言葉に知らない記憶が蘇る。
「アスハはアイツの能力をよくわかってない。あの力は『無意識に姿を変えた意識』なんだよ。自分で考えてやったと『思わせて』巻き込まれたことを自覚させない催眠術みたいなもんなんだ。
俺に付けられた能力は人間には消せない。だから人間以上の力を持つアスハやヴィオラを巻き込んだんだと思う」
「ちょっ……どうして先輩にそんなことがわかるんですか!? それにヴィオ姉のこともどうして巻き込まれたって言えるんです? 何か聞いたんですか?」
「……え? あれ? 俺、なんで――」
そんなことを知ってるんだ?
そう思ったから口に出しただけで、情報の出どころが思い当たらない。
ユメリの力の正体をどこで聞いた?
ヴィオラが巻き込まれたなんて誰から聞いた?
わからないけど、それが真実だと知っている。
- □□□□□□□□□□□□ -
誰かの声を聞いた気がする。
声だとわかっても、何を言っているのか解らない。
声としか認識できない。
「先輩、あたしに何か隠したりしてます?」
「そんなわけあるか……自分でも何言ってるかわかんねーけど、そうだってわかるんだよ」
「…………」
アスハの探るような瞳が俺を映している。
「すまん。今のは聞かなかったことにしてくれ。確証がないし、上手く説明できる自信がない」
「別に責めてませんよ。でも先輩の言ったとおりの作用をユメリちゃんの能力は持っています」
「え?」
「言葉を借りるなら『無意識に姿を変えた意識』。
自分を擁護するつもりはないですけど、あたしが敦さんに力を使った背景にその作用があった可能性は否定できません」
やっぱりそうなのか。
「……ごめん」
「どうして謝るんです?」
「だってユメリの力は俺の為に動いてくれてんだろ? それに巻き込んだのなら……俺の責任でもある。俺がクラリスに騙されなきゃこんなことにはならなかったし、誰も苦しまずにすんだんだ」
俺の言葉にアスハが少し表情を和らげた。
「なんだか急に話がとんじゃいましたね。それすごい被害妄想ですよ。誰も先輩のせいだなんて思ってないし、ハッキリ言ってそう思われてると逆に気を遣います。
でも……だからあたしのこと見過ごせないんですか? 自分のせいで力を使わせちゃったって思ってるんですよね?」
「可能性はあるんだろ?」
素直に頷くアスハ。
「そうかもしれないってだけです。
けどそればかり言ってるとなんでも有りになっちゃうじゃないですか。だからもうこの話は止めませんか? 先輩がユメリちゃんやあたしのことを考えてくれてるのはわかりました。それに先輩の考え方、すごくいいと思います。ユメリちゃんに不安を感じさせるくらいなら未然に防いであげるやり方、あたしも賛成です」
「ああ。難しいのはわかってるけど、できるならそれが一番いいと思うんだ」
「そうですね。先輩のこと誤解してました。ユメリちゃん一人にさせちゃってるし、戻りましょう」
リビングに戻るアスハの背中を見ながら思う。
ユメリは実際子供だし子供扱いするのは間違っちゃいないとは思う。
でもそれ以上に、あいつはしっかりしてると思うんだよな。
普通の子供じゃないからか、俺には実年齢よりもしっかりした心を持ってるように感じていた。
リビングに戻ると、定位置に座ってリンゴジュースを飲んでいるユメリの姿があった。
あいかわらずマイペースな奴だと思う反面、アスハと話してからコイツにも悩みがあるんだろうかと考えてしまう。
「ちょ、ユメリちゃん。なんでそんなおっきな瓶があるのかな?」
ユメリの傍らに置いてあるのは俺が買ってきたリンゴジュースの瓶。
「ハルがかってきた」
「そうなんだー。ふーん」
ジト目が俺に向く。
「そこでなぜ俺を睨む?」
「なんでも何も、ちょっとユメリちゃんに甘くないですか。いくら飲みたがるとはいえ、あんな与え方はあの子にもよくありませんよ?」
「……そう言われても、何も聞いてないし、ジュースしか飲まないんだったらあれくらい普通だと思ってたけど、違うの?」
ユメリを見ると、不満顔でアスハを見ていた。
まるで余計なことを言うなという顔だ。
「違います。ユメリちゃんのコップ一杯は食事の半食分の栄養が摂れるんです。だから一度に二杯くらいで充分なのに、あんな瓶ごと渡してたら好きなだけ飲んじゃうじゃないですか。あれじゃいくらなんでも過剰摂取ですよ」
「へー、なるほどねぇ」
今度は俺がジト目でユメリを見ると、知らん顔して何杯目かのジュースをコップに注ごうとしていた。
朝開けたばっかりの瓶なのにすでに三分の一くらいしか残ってない。
「はいストップ!」
手を掴み注ぐのを止めさせる。
「いじわるするな」
めちゃくちゃ不満顔で文句を言われた。
「ダメだよユメリちゃん。そんなに飲んだら体に悪いんだよ?」
「わるくない」
「悪いんだってば」
「アスハうるさい」
「先輩! お姉ちゃんにちゃんと聞かなかったんですか!?」
俺に矛先が向いた。
「そういうことは一切言ってなかったからな。これからは気をつけるよ」
「お姉ちゃんたら、自分の子なのにそういうところをしっかり教えていかないとダメじゃない」
「……ん?」
なにか今、おかしなことを言わなかった?
「自分の子って? ユメリは妹なんだろ?」
「え? あれ? それも聞いてないんですか? ユメリちゃんはお姉ちゃんの子供ですよ」
「えええ!?」
年の離れた姉妹だとは思ってた。
「本当に知らなかったみたいですね。隠すような事じゃないし、教え忘れてただけなのかな?」
「……でもユメリはクラリスのこと『お姉ちゃん』って呼んでるけど?」
「ああ、それはそう呼ばせてるだけです。
お姉ちゃんは社長だって言いましたよね。だから色んな人と会ったりするみたいで、特に親しい人たちと会うときはユメリちゃんも連れて行ったりするみたいなんです。
そこで『ママ』って呼ばれると皆に驚かれるみたいで、『お姉ちゃん』て呼ばせたほうが自然に見えるってことでそうさせてるみたいです。でもそっちのほうが若く見えるしまんざら悪い気はしないみたいですね」
いや、母親って言われた方がしっくりくるのは俺だけか?
「若く見えるって、実際あいつは何歳なんだ?」
ユメリの話じゃ姿を変えられるっていうし、実年齢より若作りしてそうだな。
「今年で二十六ですよ」
うちの姉ちゃんよりわけぇ!!
マジかよ。
歳とかあんまり気にしてなかったけど、以外と普通なことにビックリ。
何百歳って言われたほうが納得できるイメージだぜ。
ユメリがクラリスの子供だろうが妹だろうが現状にそんな関係ないわけで、驚いたものの事態を改善させる材料にはならなそうだ。
「興味はあるけどとりあえずこの話はおいといて、これからのことを話そう」
だいぶ話が逸れてしまったが、アスハに相談したいのはそこなのだ。
「そうですね。まず確認したいことがあるんですけど、あたしの前に敦さんや他の人たちの記憶を操作したのってユメリちゃんで間違いないですよね?」
「ああ。俺とそいつが一緒に暮らしていても『誰も気にしない』ようにしたのはユメリだ」
「そうですか。なら問題は一つ解決しましたね」
「問題って?」
「あたしの力を解除する方法です。
複数に掛けられた記憶の改竄を正常の形に戻すにはあたしだけだと都合が悪いって話しましたよね。
もう一人がユメリちゃんなら解決したも同然です」
ああそうか。
俺は彼女に、みんなに掛けた能力の解除を求めていたんだった。
「けどいいのか? そんなことしたらもう敦と一緒にいられなくなるんだろ?」
「そんなこと? だって先輩はそれを望んでたんじゃないんですか? それともあたしのことを理解してくれて、少し考え方が変わっちゃいました?」
言われればまさにその通りだった。
彼女の本心や性格を知り、ある意味被害者なんじゃないだろうかって思える境遇に同情が生まれたのは言うまでもない。
「もしそうならがっかりです」
俺の気持ちを否定するように彼女の瞳が睨む。
「先輩は人の心を勝手に操ったことに怒ってたんじゃないんですか? 敦さんが操られて怒ってたんじゃないんですか?
もしあたしと先輩がもっと前からの知り合いで、あたしのことを理解してくれてたなら、今回のことは許してくれてました?」
それは……ない。
「すまん。軽率な発言だった」
素直に謝罪して頭を下げる。
ここで情に流されて意見を変えるようならアスハの信頼も得られない。
「ふふ、そんな頭を下げないでください。ちょっとイジワルでしたね。それだけ先輩があたしに気を許してくれてるってことですもんね。
初めて会った時、あたしが記憶の戻し方を説明したときはユメリちゃんのことを教えてくれなかったじゃないですか。それって疑ってたんですよね? あたしのこと」
「ああ疑ってた。クラリスの時みたいにまた騙されるんじゃないかって思ってたよ」
もはやトラウマだ。
「でも今はこうしてあたしの話すことを受けとめてもらえてるし、それだけでも良かったです。敦さんのことは自分でも後悔してますから、気持ちは嬉しいですけど情けは無用です」
彼女は笑っている。
好きな人に能力を使って自己嫌悪に陥り、尊敬するクラリスの変わりようにショックを受けて泣いてたばかりなのに、もう彼女は笑っている。
「先輩?」
「あ、いや。そう言うならこのまま話を続けよう。それじゃあまず敦の暗示から解くか?」
特殊な能力を持ってるとか関係なく、純粋にアスハは強い子なんだと実感した。
きっと心の中はまだ晴れてはいないだろうけど、俺の前でこうして笑っていられるだけでも強い子だ。
「……そのことなんですけど」
俺の提案に言葉を濁す。
「実は先輩に話してないことがまだあって……あの、敦さんと一緒にいたいからとかそんなのじゃなくて、本当に必要なことで、あの」
俺を見る瞳に怯えの色がある。
それを教えたら怒るんじゃないかと思ってるのだろうか?
「必要なことなら教えてくれ。大丈夫。変なことでも疑ったりしねーよ」
「……あ、はい」
頷くアスハ。
ユメリは不機嫌な顔で我関せずを通している。
ジュースを取られてご立腹のようだ。
こいつはしばらく放っておこう。
「みんなの記憶を元に戻す方法は以前話したことに違いはないんですけど、実はすぐにそれをやっちゃうとマズイことになっちゃうかもしれないんです」
「マズイこと?」
「この短期間に敦さんたちは二重に記憶の改竄が行われました。元に戻すといってもまた記憶の操作を強制的にすることになるので、みんなの負担が極端に大きいんです。だからといって出来ないというわけではないんですけど……負担を無くすには、ある程度の時間が必要でして」
「負担が掛かるとどうなる?」
「……記憶障害に繋がる可能性が高いです」
可能性ってくらいだから絶対にそうなるってわけじゃないのか。
「それじゃあ負担が軽くなるにはどれだけ時間を置けばいんだ?」
「こんなケースは初めてだから正確にはわかりませんけど、一ヶ月くらい時間を置けば大丈夫だと思います。あっ、あの! 敦さんと離れるのが嫌とかじゃなくて本当にそのくらい必要だと思うんです!」
「別に疑ってねーよ。そういうことなら安全策をとったほうがいいな。この件は保留ってことにしとこう」
「あの……でも、いいんですか? その間あたしと敦さんは……その……」
戸惑う気持ちもわからなくもない。
きっと彼女も複雑な気持ちなんだろう。
「アスハって敦のことどんだけ好きなの?」
「はい!? なんですか急に!?」
「いや、ちょっと気になったから」
「そんなこと急に訊かれても……その、なんて言うか……すごく……大好き、としか言いようがないっていうかなんというか」
顔を真っ赤にしてしっかり主張してるじゃないか。
「そうだよなー……」
敦の弁当作ってくるくらいだしな。
だとしたらこの状況はアスハにとって残酷だ。
すぐに敦たちの記憶を戻せるならまだいいが、好きな相手と一ヶ月後に別れると知っていて付き合っていかなければならない。
「敦が元に戻ったらあいつはアスハのこと覚えてるのか?」
「力を使う以前に知り合ってるのであたしを忘れるということはありません。正確に言えば、あたしと付き合っていたことだけ忘れちゃうんです。それまでに記憶したこと、例えば勉強した内容とかはそのまま覚えてます」
「それは他の皆も同じことなんだよな?」
「そうです」
つまり今の二人の関係があったという事実を覚えているのはアスハと俺だけになるわけだ。
「……それで、いいのか?」
「良いも悪いも、あたしは敦さんにフラれてるんです。やっちゃいけないことをしてしまったんです。バチが当たっちゃったんですよ。
それでも……少しだけでも敦さんと一緒に居られたんだからそれだけで充分です」
彼女の言うことは間違っちゃいない。
元は成立してない関係なんだから。
けど、だからこそ納得がいかない。
やってはいけないとわかっていて、後悔するとわかっていてなぜ力を使った?
一時の気の迷いかもしれない。
けれど、なぜ今?
まるで敦を餌にして俺とアスハを出会わせたとしか思えない。
半年前から同じ学校に通っていてお互いに顔すら知らなかった。
敦のことがなければ、きっと廊下ですれ違っても意識しないで終わっていたはずだ。
一ヶ月は間を置かないと記憶を戻すのに危険が伴うそうだが、それはつまり『一ヶ月は逃げられない』ということじゃないのか?
もちろん俺のことじゃない。
逃げられないのはアスハだ。
敦に能力を掛けたのなら俺は見過ごさない。
そしてアスハも敦を大切に想ってるからいい加減にしてはおかない。
同じ相手に関わる上で必ず俺たちは接点を得る。
この状況を作り出したのは他でもない、ユメリの能力なんじゃないのか?
だからって別にユメリを責めたいわけじゃない。
ただ、アスハの境遇があまりにも酷すぎるじゃないか。
俺がクラリスに騙されてなければ、彼女はこんな辛い思いをしなくて済んだかもしれないんだ。
過ぎたこと、起きてしまったことを悩んでも今さらだけど、それでもあまりにもアスハが可哀想だ。
「あのさ、余計なお節介かもしれないけどさ」
「なんです?」
こんなこと出しゃばりかもしれないけど――
「一度フラれたからって付き合えないってわけじゃないし……なんつーか、問題が全部解決したらもう一回告ってみれば?」
「っ!?」
「あのっ、ほら! アレなんだよ!」
いかん。
他人の、しかも女の子の恋愛事情に口をはさむのって変に緊張する!
「敦が今まで彼女を作らなかったのは音楽に集中したいってことが大きいんだけど、だからって彼女が欲しくないってわけでもないんだよ」
「え? そうなんですか?」
あいつがこんなことを女子に話すとは思えないし、さすがにこの情報は知らないか。
「じゃあなんでみんなの誘いを断ってたんです? 敦さんにフラれた子は一桁じゃないんですよ?」
……へぇ、モテる男は羨ましいね。
「彼女が出来たら一緒にいる時間とかできるわけじゃん? だけど作詞・作曲中はそのことだけに集中したいらしくて、その間かまってあげられないわけだろ。長いときは一、二ヶ月悩んでるときもあるし、その間相手を放っておくのが嫌なんだってよ」
「それって、敦さんが真剣に相手の女の子のことを考えてあげてるからじゃないですか?」
「……まあ、そうなるのかな?」
適当に考えてるならとっくに誰かとくっついていてもよさそうだし。
「素敵」
「……え?」
「素敵じゃないですか。そんなふうにちゃんと想ってもらえるなら、あたし何ヶ月放って置かれてもかまわないです!」
……あれ?
なんか俺の意図しない解釈をされてしまったようだ。
「それに今日お弁当持っていったときも悩んでましたけど、食べるときはあたしのこと見てくれてましたよ」
「さすがに飯食うときくらいはそうだろうさ」
弁当作ってもらっておいて、相手を見もしないなんて最低だろ。
「あたし、それだけで充分です。そばに居れないわけじゃないんだから、それだけで幸せです」
うっとりしてるし。
知らずに敦の好感度を上げてしまったようだ。
「でも、そんなに上手くいくわけないですよ。あたしなんかじゃまたフラれちゃうに決まってる」
急転直下。
今度は重い空気を身にまとう。
「まあ、普通にいったらダメだろうな」
「ほら! 先輩だってそう思ってるじゃないですか!? 変に期待させないでくださいよ!」
「だから普通にいくからダメなんだって。だいたい聞いた話だと、告ってくる子たちは敦のことをそれなりに知ってるみたいだけど、あいつにとっちゃ初対面な子ばっかりなわけだろ? それをいきなり受け入れるのは難しいんじゃないかな。真剣に考えてるだけあってなし崩しに受け入れるなら、きっちりフッたほうがケジメがつくとでも考えてんじゃないのか?」
いきなり知らない子に告白されても困るだろう。
あいつも男だから、めちゃくちゃタイプの子だったらどうするかわからんけど。
「……それは、一理あるかもです」
「だろ? だから俺が協力してやるよ」
「え?」
「敦にアスハのこと色々知ってもらってから、また告白すりゃいいんだよ。そうすればあいつの反応も少しは変わると思うぜ?」
少しずつ仲良くなればいい。
「そうは言いますけど、どうやって知ってもらうっていうんですか。一回フラれちゃってる記憶は残るし、また話しかけるのなんて気まずいですよ!」
「気まずいのは自分でなんとかしてもらうしかねーけど、あいつはよくここに泊まりにくるから、あいつが来てるときにユメリに会いに来たって理由でアスハも来ればいいじゃないか。敦だって相手がフッた子だから気まずいかもしれないけど邪険にしたりしないだろ。間に俺たちだっているわけだし話はできる。
ようはアレだよ。俗に言う『お友達から』ってやつ?」
「……お友達から。そう、ですよね。あたしだって知らない人から急に好きだって言われたら戸惑います。でも、どうしてそこまでしてくれるんですか? やっぱり同情ですか?」
「まあ百パーセント同情だよな」
「ハッキリ言うんですね」
そういう彼女はなんだか嬉しそうだ。
「先輩、一つ訊きたいことがあります」
そして急に真顔になり、二つの瞳が鋭く俺を捉えた。
「お気持ちはすごく嬉しいです。それが同情でも優しさが伝わってきました。だから真剣に答えて欲しいんです。
今は流れで同情してくれてるのかもしれませんけど、一つ忘れてることはありませんか? あたしは普通の人間じゃないんですよ? いえ、人ですらないかもしれません。それなのにそんな甘いことを言ってもいいんでしょうか? こんなあたしと一緒に居たら敦さんも先輩も不幸になっちゃうかもしれませんよ?」
これはどんな問いかけなんだろう?
不幸になるというのなら彼女とは離れたほうが良いとでもいうのか。
「俺とアスハたちの違いって、特殊な力が使えるかどうかってことだけだと思うんだよ。そりゃ細かく挙げれば他にもあるかもしれないけど、能力さえ使わなければ他のやつと一緒だろ?」
「……」
肯定も否定もない。
「見た目も考え方も持ってる感情も同じだし、能力さえ使わなければ人間も同然じゃないか。それに人の中でも差別はある。アスハが俺たちと一緒にいたいのに、自分が人間じゃないからって理由で距離を置くのは違うと思うぞ。
お互いが一緒にいたいならそれでいいじゃねーか。不幸になるかもしれないってなら、それこそ、そうならないように頑張ればいい話だろ?」
最初に会ったのがクラリスだったから、こいつら全員があいつみたいに簡単に人を殺すような奴らだと思い込んでしまった。
元はそんなことをするような奴じゃないって話だが、俺の前で非道なことをしたことには変わりない。
もし半年前に普通にアスハと知り合ってたらどうだろう?
彼女は力をほとんど使わないらしいから、きっと普通の女の子として接していたはずだ。
後に特殊な力が使えると知っても、驚きはするだろうけど、きっと嫌いにはならないと思う。
当人の人柄を知ってれば、俺は超能力うんぬんで避けたりはしない。
「……そう、ですか」
目を伏せ唇を噛んで悩んでいる。
「心配事があるなら俺でよければ相談にのるよ?」
「……いえ、そういうわけじゃないんです。けどそんなこと言ったら、あたし先輩に色々頼っちゃいますよ?」
急に明るくなった。
無理やり明るく振舞ってる感じは否めないけど、そこまでするなら俺もそれに付き合おう。
「俺に頼れるもんなら頼ってみろってんだ。後でがっかりしても知らないからな」
「ふふ、なんですかそれ? ほんとに頼りにしてるんですからよろしくお願いしますね」
そう言われたんじゃ気合を入れるしかないよな。
「ユメリちゃんも、敦さんたちの記憶を戻すときは協力してね」
ずっと黙ってたユメリに振り向き賛同を求める。
当然協力してくれるものだと俺もアスハも思ってた。
けどユメリは不思議そうにアスハを見上げ――
「ユメリとアスハだけじゃ、できない」
いつもと変わらない調子で、そう言ったんだ。




