協力
キーンコーンカーンコーン
授業を終える合図で目が覚める。
「……寝ちまった」
三年になって新しく入ってきた数学教師は、授業中生徒が寝ていても放っておいてくれるのでここぞとばかりに寝入ってしまった。
放って置かれる生徒は試験になったら大変苦労するわけだが、大体は試験前日の一夜漬けで乗り切れてるし問題ないだろ。
さて、昼休みになったし飯でも食いに行こう。
今日は弁当作ってないから食堂だ。
敦でも誘おうかと視線を向けると、授業が終わったってのに楽譜を片手に真剣に悩んでる様子。
(まだ悩んでたのかあいつ)
先日アスハのことで聴いてやれなかった敦が作ってる楽曲。
朝一番に捕まって、とりあえず音にしたものを聴かされた。
本人が言うには、どうもどこどこのフレーズ(説明されたけど覚えてない)がしっくりこないから意見が欲しい、ということなのだが、素人の俺に何がおかしいのかわかるはずもなく、結局あいつは一人で悩み続けている。
こんなことはしょっちゅうで、毎回俺は首を傾げるだけでろくなアドバイスもしてないのに、それでも敦は制作に詰まると俺に意見を求めてくる。
素人に何を期待してるんだろうか?
しゃあない、俺一人で行くか。
ああなった敦は自分の世界に入って当分戻ってこない。
「あ、水衛君、今日食堂なの?」
教室から出ようとしたところで南雲に呼び止められた。
「え? ああ、そうだけど」
「ほんとっ! ちょうどよかった~」
なに?
もしかして南雲も食堂で飯食おうとしてて一緒に食べようとかそんな展開!?
「帰りに苺ミルク買ってきてくれない?」
食堂の売店にあるパックジュースの苺ミルク。
女子生徒に大人気。
「……いいけど」
「ありがとう! はいお金。よろしくね」
素敵な笑顔を残して南雲は女子グループの中に戻ってしまった。
……こんなこともあるよね。
若干気分を沈ませて教室の戸を開けると――
「!!!」
「うわっ!」
俺の顔を見るなり鉢合わせしたアスハは逃げていった。
その反応は結構傷つくぞ……
ユメリと話してから俺の中のアスハ象は好意的になってるが、向こうは違うんだろう。
……泣かせちまったしなぁ。
「……」
逃げたと思ったら、曲がり角から顔半分だけ出してこっちの様子を伺っている。
会う約束は放課後のはずだが、別の用事だろうか?
こいこいと手招きをしても隠れたまま近寄ってきてくれない。
「……なんなんだよ?」
しょうがないのでこっちから歩み寄る。
「……あ、先輩。こ、こんにちは」
今度は逃げずにいてくれた。
見れば弁当箱らしき物を持ってる。
女の子の弁当にしては大きい気もするけど。
「どうした? 約束は放課後のはずだったけど?」
「えと、それとは別の用事で……」
俺に引け目を感じてるのか、視線を合わせてくれない。
「あのさ、そんなに怖がらなくてもいいぜ。ユメリから色々聞いたし、前ほど疑ってねーよ」
「えっ!?」
ユメリの名前に驚いてるようだ。
「ユメリと仲いいんだろ?」
「そうですけど……ユメリちゃんて……ええ!? うそ!? なんで先輩ユメリちゃんのこと知ってるの!?」
驚きすぎだ。
「知ってるも何もあいつ俺ん家いるし。話すと長くなるから、そのことも放課後話そうかと思ってたんだよ」
「そうだったんですか」
若干表情が和らいだようだ。
やっぱり怖がられてたのかな?
「で? 何か用があんだろ?」
「あ、えと……その、敦さんに」
「敦に?」
手に持ってる物を挙げて俺に見せる。
「お弁当作ってきたんです。あ! 毒とか入ってませんから!!」
「いや、そこまで疑ってねーよ。でも自分以外の弁当作ってくるなんて珍しい奴だな」
「だって今は敦さんの彼女だし、このくらいは」
仲間内で付き合ってる奴らは結構いるけど、彼女のほうから弁当作ってもらったなんて話全然聞かないぞ。
「それで俺の教室に来てたわけか」
「……はい」
「なら敦は教室だ。自分の世界に入ってっけど弁当持ってきたんなら手ぐらい休めるだろ」
「いいんですか!?」
「いいもなにも、そこまで口出しする気はないし」
それに、そんな珍しい光景もきっと『誰も気にしない』ようになってるだろうしな。
それを言ったらまた落ち込みさせそうなので口には出さない。
「そんじゃ、俺食堂で飯だから」
「あ、はい! ありがとうございます先輩!」
よほど敦に会いたかったのか、笑顔のままアスハは走っていった。
しかし弁当ね。
本人の意思を無視されてるとはいえ、ちょっとだけ敦が羨ましく思えてしまった。
■ ■ ■ ■ ■
テレビや漫画ではよく学食で生徒が揉みくちゃにされてるシーンが描かれてるが、ウチのところはいたって平和だ。
ここはマンモス校だし中学まで給食だったから入学時はすごいもんを想像してたけど、予想と反して大したことなくてちょっとだけガッカリしたことを覚えてる。
まあ苦労せず食えるのはいいことだ。
「ごちそうさま」
日替わり定食を食ったものの物足りない。
南雲に頼まれたジュースを買うついでに、パンでも買ってくか。
「先輩」
売店を覗こうとしたところでアスハが食堂に入ってきた。
「あのっあのっ!」
少し焦り気味。
「なに? どうした?」
「あの、放課後のことなんですけど、やっぱりこれからお話してもらうのってダメですか?」
「これからって、昼休み終わっちまうぞ?」
「そうなんですけど……ユメリちゃんのこととか気になっちゃって」
そういうことね。
何も説明してないし、あいつと仲がいいならそりゃ気になるか。
「それと、放課後に用事ができちゃって、できれば断りたくなくてですね」
なんだか嬉しそうですけど?
「用事って?」
「敦さんがバンドの練習をするから見に来ないかって誘われたんです。あたしだけじゃなくて先輩も一緒に」
「え? 俺も?」
「はい」
これまで何度も練習を見に行ったことはあるが、本当にただ見てるだけで正直飽きる。
敦にもそう言ってあるし最近は誘われなかったのに、なぜ?
「あたしだけ行くと練習中つまらないかもしれないから水衛先輩も連れてこいって言ってましたけど……ダメ、ですか?」
あの野郎。
つまらないとわかってる奴を誘いやがって。
敦がどういうつもりなのかは知らないが、アスハは行く気満々のようだ。
「まあそれはひとまず置いといて、とりあえず移動するか」
昼休みも終わろうとしてるのに食堂で長話をするわけにもいかない。
ここはやっぱり屋上がベストだろうか。
何気なく動かした視線の先に、苺ミルクのパックが目に入った。
教室に渡しに行くくらいは余裕がある。
頼まれたんだから買っていこう。お金も預かってるしな。
その折をアスハに話す。
「わかりました。先に屋上行ってますね」
一足先に行ってもらい、俺は苺ミルクを買って教室に急いだ。
■ ■ ■ ■ ■
「ありがとう」
南雲の輝くような表情。
うん。その笑顔だけで買ってきた甲斐があるってもんだ。
「で? またサボリなの?」
そのまま教室を出ようとしたら止められた。
そりゃもうすぐ昼休みも終わろうって時に出て行こうとすれば察しもつくだろうけど、ちょっとトイレに行くだけかもしれないとは思わないのかね?
「えーと、はい」
しかしその通りなので頷くしかない。
「保坂君も帰っちゃうし、二人は自由でいいな」
「え?」
その言葉につられて敦の席を見ると、机の主人の姿はなく鞄も消えていた。
「バンドの練習があるんだってさ」
なるほど、それでアスハに伝言を残したのか。
今は南雲と話してる余裕が無い。
チャイムが鳴る前に屋上に行かないと教師に見つかってしまうからな。
「わりぃ、ちょっと急いでるから行くよ」
「はーい。お勤めごくろうさまでしたー」
呆れ顔で見送ってくれた。
授業を『お勤め』と表現するあたり俺にぴったりだなー、なんて思いながら屋上へ急いだ。
■ ■ ■ ■ ■
「オレンジジュースで良かった?」
「あっ、ありがとうございます」
今日も暑い。
流石に昼間の屋上で冷たい物なしで話をするのは辛い。
途中で買ってきた缶ジュースをアスハに渡し、給水塔の日陰に陣とることにした。
クラリスと出会ってからのことを一通り話し終え、終始表情を曇らせていたアスハの第一声は、信じられない、だった。
「まるでお姉ちゃんが別人になったみたい」
「……お姉ちゃん?」
「クラリスとヴィオラはあたしの姉です」
「えっ!? マジかよ!?」
「そんなに驚くようなことですか?」
「いや驚くって! 二人がアスハの姉なら、あいつらも姉妹ってことだろ!? そんなこと一言も聞いてないし!」
「……そうですね。ヴィオ姉はともかく、どうしてお姉ちゃんがそれを教えなかったのか疑問です。ヴィオ姉のことを敵視してるようにも思える」
敵視というか、会えば殺意が湧くとも言ってたんだ。
「別人になったみたいって、以前はどんな奴だったんだ?」
「とても優しい人です。あたしやヴィオ姉、ユメリちゃんのことをすごく大切にしてくれてるし、会社の人たちからも人望が厚いって聞いてます」
「……あいつ、働いてるんだ?」
まるで想像できん。
「働いてると言うか、お姉ちゃんは社長ですよ。WMW……ホワイトミルキーウェイって社名なんですけど、先輩も聞いたことありますよね?」
あるもなにも、テレビを付けたらほぼ毎日その会社の製品CMが流れてるくらい有名なところじゃないか。
主に女性向けの衣類や化粧品を製造販売していて、多くの女性ファンを抱えている企業である。
俺には縁のないところだが、それでも社名を出されれば何をしているかくらいは答えられるほど知名度は高い。
「この前、他のクラスの女子がそこを受けて落ちたって聞いたばっかりだぞ」
高卒から社員を募集している会社で本社も近くにあるので、ウチの高校からも入社希望の生徒はいる。
「お姉ちゃんのところは求人倍率がすごく高いですからね」
「あいつが社長なんて大丈夫なのかよ?」
「それどういう意味ですか?」
嫌味で言ったわけじゃないんだが、すごく睨まれた。
「誤解してるかもしれないから言いますけど、お姉ちゃんが成功してるのは純粋な実力です。一生懸命努力して苦労して認められた結果なんです。
あたしたちは他の人にはない『力』を持ってますけど、それを使ってズルなんかしてない! 先輩が疑うのもわかりますけど、お姉ちゃんはずっとがんばってきたんです!」
「……ご、ごめん」
よほど気に障ることを言ってしまったようで、彼女は本気で怒っていた。
この際社会での立場は置いておくとして、俺とアスハのクラリス象が違うのはどういうことだ?
「それが本当なら、どうしてあいつは俺にこんなことをしてきたんだよ?」
「……それは、わかりません。人を殺したなんて信じられないし、お姉ちゃんに何が起こったのか全然わからない。
先輩、本当にその女の人は死んじゃってたんですか? 見間違いとかじゃなくて?」
「……そう言われてもな。あの時は気が動転してたし、死んだかどうかなんて確認しようとも思わなかった」
ただ逃げることだけ考えていた自分が蘇る。
あの時の俺は本当に最低の奴だった。
「クラリスは死んだって言ってたし、俺が能力を使うには人の命が必要なんだろ?」
一瞬アスハは考え込んだ。
「人の命と断定する必要はありませんけど、それだけのエネルギーが必要なのは確かです」
「なに!? じゃあもしかしたらあの女の人は生きてるかもしれないのか!?」
故意にあの場所を避けていたせいもあるが、何か騒ぎが起きたとも聞いていない。
もしあの場所で死んでいたとすれば、警察が事件性がないか動いて誰かが絶対うわさ話をするはずだ。
「いえ、まだわかりません。そんな嘘を吐く理由がわかりませんし、エネルギーの供給源が他にあるならわざわざ誰かを苦しませる必要はないと思います。
……ごめんなさい。どうしても人の命に拘る必要はないって言いたかったんですけど、変に期待させちゃいましたね」
淡い希望はあっさりと砕かれた。
「けど、そもそもお姉ちゃんがそんなことをする理由がわからない以上、あたしもその可能性を信じたいです」
クラリスの話を聞いて陰っていた彼女の瞳に光が灯る。
「先輩、その場所まで連れて行ってもらえませんか? どうしても自分の目で確かめたいんです。それとユメリちゃんにも会わせてください。急にこんなことになって寂しい思いをしてないか心配です」
「寂しがってる様には見えないけど」
むしろ我が家の様に俺ん家でくつろいでるんだが。
「それは先輩がまだユメリちゃんのことをわかってないからです。事情は大体把握しました。とにかく色々確かめたいこともありますし移動しましょう」
「協力してくれんのか?」
「協力もなにも放っておけるわけないじゃないですか!?」
「……そうか。そうだよな。いや悪かった。よろしく頼むよ」
「はい。それじゃあ行きましょ」
すぐにでも動こうとしたアスハを止める。
「ちょっと待った!」
「はい?」
「今はまずいだろ。授業中だし」
校門は教室から丸見えの位置にある。
退屈しのぎに外を見てる奴は絶対いるだろうし、今出たら注目の的だ。
「それなら大丈夫ですよ。外に出るまであたしと先輩の存在感を消しますから」
「そんなことできるんだ?」
「はい。その間だけ先輩は道端の石ころ同然の存在ですから誰も気にしません」
……笑顔でその例えは嫌だな。
アスハの言ったとおり、堂々と校門前まで移動しても誰も俺たちを気にする奴はいなかった。
「ね、言ったとおりでしょ?」
「……ああ、まあそうだな。これで見つかっても困るし、助かったよ」
「はい。それじゃあ、まず女の人が倒れた場所まで案内してください」
「案内するのはいいけど、行って何かわかるもんなの?」
「見ないとなんとも言えませんけど、たぶんわかると思います」
なるほどね。
ここで問答してもしょうがないし、俺は彼女をあの現場へ案内した。
「……ここ、ですか?」
案内された場所に立ち止まり、疑問色を現すアスハ。
「たぶん……いや、間違いなくここだ」
同様に、案内した俺も本当にここだったのか一瞬疑問が過ぎる。
あの時はクラリスが先導して適当についていってただけだから、歩いた道順なんて覚えてないが、暗かったとはいえここ周辺の家並みには覚えがある。
それでもなぜ疑問が過ぎるのかというと――
「何もないですね」
そう。何も無いのだ。
最悪流血の痕でもあるんじゃないかと思っていたのに、目の前にあるのは普通の舗装された道路。
「誰か外で死んだ時って献花とか置いてあるよな?」
「そうですね。もしかしたらすでに片付けられた後かもしれないですけど、それにしたってまだ日も浅いですし、ここまで何も無いのはおかしいです」
「ということは、本当は誰も死んでないってことになるのか……」
俺の期待にアスハは難しい顔で返した。
「ちょっと別の『視点』で確認してみます」
言うや否や、その瞳が血色く変色した。
そうすることで俺には見えない何かが見えるようになるのか、ただ黙ってその様子をうかがう。
しばらくして――
「先輩」
彼女は体を震わせて涙を流し始めた。
「なんだよ!? 何が見えたんだ!?」
「……やっぱり……ここで人が亡くなってます…………それに……それに」
苦しそうにギュッと自身を抱きしめる。
「……お姉ちゃんの『力』の残り香も一緒に残ってる」
つまりそれは、あの日の出来事は紛れもなく起こった現実だったということだ。
アスハの話をまとめるとこうなる。
彼女が見たものは、命が消されたときに残る痕だという。
寿命で亡くなった時と違い、無理やり命を奪われた場合、与えられた圧力や暴力で生命エネルギーが血しぶきの様に散って痕跡として残るらしい。
その痕跡をアスハは確認し、さらにそれを行ったクラリスの能力の気配までも見つけてしまった。
そしてこのあたかも何も無かったかのような現場は、クラリスが係わっているからこそ簡単に説明がついた。
そう。アイツはここで『何もなかった』ことにしたのだ。
ここで一人の人が死んだ。
その事実は『誰も死んでない』という嘘に塗り替えられた。
そしてあまりにも惨いのは、嘘で事実を隠したとしてもあの女の人は生き返らない。
しかしその人は死んでいないことになる。
その矛盾を解消するにはどうするか?
亡くなった女の人は『存在しなかった』と認識され、誰の記憶からも消され、誰も悲しむことはなく生きた証すら残らないということらしい。
「ひでぇ。そんなの、酷すぎる」
こんなの運が悪かったじゃ済まされない!
心の奥底からクラリスに対する怒りが湧いてくる。
反面、知らなかったとはいえ、一時でも与えられた能力に優越感を感じてた自分に嫌悪を抱く。
ショックが大きいのか、アスハは膝を着いて涙を流している。
その背中に掛けられる言葉を今の俺には到底思いつくことができなかった。
「……そろそろ行こう」
アスハが落ち着いてきた頃を見計らって声を掛ける。
ここにいたって俺も彼女も辛いだけだ。
「…………はい」
擦れた声で彼女は頷き、俺たちはユメリの待つマンションへと向かった。
「わあ。先輩って一人暮らしなのにいいところに住んでるんですね」
マンションを見て驚いてるアスハの瞳は、まだ少し涙で濡れている。
ここに来るまでも泣いてたし、それだけショックだったんだろう。
冷血無慈悲と思ってたクラリスは、アスハの前ではどんな顔をしてたのか?
話の中では優秀で頼れる優しい姉という存在。
そんな奴が俺には悪魔の様に微笑んだ。
もし突然人が変わってしまったのなら、一体クラリスに何が起きたんだろう?
「先輩?」
「ん。あ、ああ、悪い。中に入ろう」
「はい。ユメリちゃんと会うのは久しぶりです」
それが嬉しいのか、彼女の表情が少し和らいでホッとした。
「おかえり」
俺たちの気配に気づいてたのか、ドアを開けるとユメリが出迎えてくれていた。
「……ユメリちゃん。ユメリちゃん」
その姿を見たアスハの顔が次第に曇り――
「お姉ちゃんがぁ……わああああああああ」
涙をポロポロ零しながら、小さなユメリをすがる様に抱き寄せた。
「アスハ」
それでもユメリは無表情のまま、大きな瞳を彼女に向けるだけだった。




