悪魔の能力 2
十一時間前に遡る。
季節は初夏。
照りつける太陽と、絶えず聞こえるセミの声。
じっとりと全身が汗ばんでることもあり、朝の目覚めは最悪だった。
《あはははは! 起きてるかコラー!》
スマホが鳴って出てみればこれだ。
部屋の時計を見れば午前五時半。起きるにはまだ早すぎる。
無視して切りたいところだが、この相手だけはそういうわけにはいかなかった。
「気持ちよく寝てたのを最悪な気分で起こされたよ……姉ちゃん」
せめて皮肉を込めて返事をしてやらないと気がすまない。
《寝てたの? あんた喜びなさいよ。こんな綺麗なお姉さんの声で朝を迎えられる男なんて、世界中どこ探してもいないよ?》
「いや……世界どころか、日本だけでも結構――」
《うるせー! 黙ってろ!》
「…………」
この横暴な声の主は俺の姉、水衛夏音。
こんな電話だと分かっていても、出なければならない理由がある。
俺は高校三年生にしてマンションで一人暮らしをしている。
実家と学校が遠いので一人暮らしというのは仕方ないのだが、俺の生活費とこのマンションの購入費は全て姉ちゃんが出してくれているのだ。
マンションの部屋だけでも一千万以上だというのに「いいよそのくらい」というノリで買ってしまった人である。
入学したての頃は当然皆に驚かれた。
弟が高校に通うためにマンションを買う人なんて普通いない。
実際は掃除も大変だし、一人では広すぎるからアパートで充分だと言ったのだが「ハルが使わなくなったらあたしが使うから」という理由でマンションに住むはめになったのだ。
親父は普通のサラリーマンで、お袋は専業主婦。
家が大金持ちなわけでもなく、軒並みな中流家庭が俺の家だ。
姉ちゃんだけが家族の中で突出していて、預金がいくらあるのかとかそんな疑問の前に、一体何の仕事をしてるのかすら俺にはわからない。
「世界中を回って色んな人たちの為になる仕事なんだから」
以前胸を張ってそんなことを言われたことがある。
だからそれは何をしてるんだよ訊いたら「色々よ」という返事しかもらえなかった。
悪い事をしてるんじゃないんだからと、親は姉ちゃんのやる事を全面的に容認している。
親父たちは姉ちゃんの仕事を知ってるみたいだけど、俺には教えてくれない。
いくら訊こうがはぐらかされ、しまいには何だっていいじゃないかと開き直る始末。
あまりにも怪し過ぎるもんだから、そのうち警察のお世話になるんじゃないかと本気で心配してた頃もあった。
けど今のところそんな物騒な事はなく、最近では俺の方が根負けして、どうでもよくなって訊くのをやめた。
姉ちゃんが才能を発揮し始めたのは、高校に入ったばかりの頃だった。
その頃小学生だった俺は、よく姉ちゃんに連れられて遊んでたからよく覚えている。
姉ちゃんの周りには男女問わずよく人が集まっていた。
単純に人望が厚かったと言ってもいい。
もともと頭が良くて運動神経もそこそこある人だったけど、それに拍車を掛けて高校生になってからは色んな賞を貰い、陸上部でスプリンターだった姉ちゃんは全国大会で記録を残した。
そんな背中を見て、純粋に凄いと思っていた。
俺も姉ちゃんみたいな人になりたいと自然に考えるようになっていた。
身内自慢をするみたいで誰にもそんな話はしてないけど、そんな姉ちゃんだから周りの皆も憧れて集まっていたのかもしれない。
《聞いてる~?》
なんて身の上話を回想してる場合じゃない。
しかしそんなわけで、この人には頭が上がらないのだ。
ヘタに機嫌を損ねて仕送りを止められては非常に困る。
「ごめん……で、なんだって?」
《こっちはさぁ、今すっごく綺麗な夕日なんだけどね~》
日本は陽が出たばかりだってのに、あんた今どこにいんだよ?
しかもこの口調から、酔ってるな姉ちゃん。
《彼女できた?》
夕日からなぜそんな話に変わるんだ?
「……まだできてないけど」
《はぁ!? っざけんなよ! なによそれ!》
電話越しに何かを叩いてる音が聞こえてくる。
嫌だなぁ酔っぱらい。
もう電話切りたいな。
《あたしはね! 心配なのよ! これからは女が男を選ぶ時代なの! そんな中で弟がちゃんと相手を見つけられるかあたしはもう心配で心配で身が引き裂かれそうだわ……うっぷ》
引き裂かれる前に、胃の中のものが逆流しそうだな。
「心配してくれるのは嬉しいけど、そっちこそ相手を見つけたほうがいいんじゃない?」
なにせ俺と姉ちゃんとでは歳が十も離れている。
そろそろ三十路に届きそうだってのに、そっちのほうが心配だよ。
《大丈夫よ、男なんて必要ないし。あたしもね~、まだまだ現役で、あ、マスターもう一杯プリーズ……ブツッ》
あれ?
「……姉ちゃん? もしもーし?」
スマホからはもうやかましい声は聞こえない。
何かのはずみで切ったな。
日本語で注文してたけど、日本語が通用するところにいるんだろうか?
なんて考えながら目を閉じても、変に目が覚めて眠れない。
……しょうがない、もう起きよう。
というか、何の用事で姉ちゃんは電話を掛けてきたんだろう?
■ ■ ■ ■ ■
学校に入り、何度目かの欠伸をしながら教室に入る。
姉ちゃんの電話で起こされたせいで、通学路にある公園のベンチで寝てしまおうかと本気で考えたくらい眠い。
眠気眼で教室を見る。
朝教室に入ってやる事といえば、女子陣の中から特定の人物を探すこと。
「おはよー」
こっちが見つけるよりも早く、向こうの方から来てくれた。
ちょっと嬉しい。
「うぃっす」
心情を微塵も感じさせないよう振舞いながら、右手を軽く上げて彼女の挨拶に応える。
彼女の名前は南雲理緒。
肩まで伸ばしたピンクベージュの髪は細くサラサラで、両脇にリボンで軽く束ねているので年齢より幼く見えるが、めちゃくちゃ可愛い女の子。
夏服の白シャツに紺のスカートは膝上まで短くしている。
『彼女できた?』
不意に姉ちゃんの言葉が蘇る。
彼女なんていない。
けど好きな女はいるさ。
それが目の前の南雲なわけで、姉ちゃんの声が頭で反復し始めたせいか、俺はすぐに南雲から視線を外すはめになった。
南雲が彼女だったら嬉しいけど、実際のところ告白しようとか考えてない。
今の関係が心地よくて、告白してこの関係が壊れたらと思うとそんな気が起きない。
南雲と付き合いたいけど、今の関係も捨てたくないみたいなどっちつかずな心境。
「どしたの?」
覗き込むように俺と視線を合わせてきた南雲。
そんなことされたら絶対に顔が赤くなるって! ヤバイって!
「早く起きすぎて眠ぃーんだよ」
「じゃあ今日も授業中はぐっすりだね」
あははと笑う。
なんとか誤魔化せたようで一安心。
「おーッス」
安心したのもつかの間、突然背中を叩かれた。
「今日も朝から声かけちゃってるね」
後ろから現れた金髪の男は保坂敦。
計算された無造作ヘアーに長身で顔もいい羨ましいやつ。
幼稚園からの幼馴染のこいつは、俺が南雲を好きだと知っている。
「保坂君おはよ」
「おっす」
南雲に挨拶を返して、敦はニヤニヤ俺を見ながら「邪魔者は消えるぜ」と言わんばかりにさっさと自分の席に行ってしまった。
気を遣ってくれるのは有難いが、たまにあからさますぎてバレやしないかとヒヤヒヤするんだよ。
「ねえ水衛君」
「うん?」
南雲はポケットから一枚の紙を取り出した。
「ジャーン! 一次選考受かりましたー!」
はしゃぎながらそれを俺に見せてくれた。
「え! マジ!? すげぇ!」
オーディションの選考結果とか初めて見た。
南雲はアイドルの卵だったりする。
この嶺桜高校には芸能科という専攻科目があり、結構な評判を集めている。
一応進学校なので、そればかりを集中的に学べるわけじゃないが、芸能科を志望する生徒は多い。
本気でアイドルを目指してる南雲は言うまでもないが、敦も芸能科を選んでいる。
あいつの場合は音楽関係で南雲とは違ったジャンルだ。
他にもスポーツや文芸と、生徒の学びたいスキルを幅広くこの学校はサポートしている。
俺はといえば、特にやりたいこともないので無難に進学科目を選んでいた。
「やったじゃん! おめでとう!」
「ありがとう!」
祝福すると彼女は素直に喜んでくれた。
『俺の中ではお前はとっくにアイドルだけどな』
なんてひじょーに恥ずかしい誉め言葉が脳裏に浮かんだが、恥ずかし過ぎるので絶対に言わないでおこう。
「ハルの中ではとっくに南雲はアイドルだけどな」
「ッッッッッッ!?」
席に座ってるもんだとばかり思ってた敦が戻ってきていた。
「なんだよ、そういうことはオレにも教えてくれたっていいんじゃね?」
「保坂君にも教えようと思ったのにすぐ行っちゃったから、先に水衛君に教えてたんだってば」
「あ、そうだったの? そりゃ失礼……ってハルよ、お前顔赤すぎ」
「うるさい!!」
敦が言ったことは無難にスルーされたみたいだけど、チャイムが鳴って席についてもしばらく心臓がバクバクしていた。
南雲は普通に接してくれてるけど、本当に気づかれてないか心配でしょうがない。




