小さな違和感
「ご飯までご馳走になっちゃって、ありがとうございました」
あっという間に時間が過ぎ、すでに二十一時を回っていた。
俺とユメリは玄関までアスハを見送る。
「いや、こっちこそ付きあわせちまって悪いな」
アスハはユメリと会ってから終始楽しそうだった。
三人で夕食も食べた。
ユメリはリンゴジュースだけど。
「水衛先輩が料理上手だったなんて意外でした」
「褒められるほどたいしたモノは作ってないけど」
実際、作ったのはカレーだし。
「それじゃあ、また明日学校で。ユメリちゃんもまたね」
「あっ、ちょっと」
ふと思いつき、玄関のドアノブに手を掛けたアスハに声を掛ける。
「はい?」
「ユメリだったらしばらく俺の家にいると思うから、会いたくなったらいつでも来いよ」
「――え?」
「こいつがクラリスのとこに戻ったら、また会えなくなるんだろ? 今だったら会いたい時に会えるぜ」
「いいんですか、あたしにそんなこと言って」
「別に悪かねーだろ? ユメリに会いに来るくらいなら俺はかまわないよ。俺とユメリしか住んでないんだ、気を使う必要もないしな」
「……先輩。 ありがとうございます! すごく嬉しい!!」
思った以上に喜んでもらえてこっちとしても提案してよかった。
多少キザっぽいかなーとは思ったけど、このくらいのことはしてもいいと思う。
「それじゃあまた」
嬉しそうに手を振ってアスハは出ていった。
隣を見れば、彼女が出ていくまで無表情でユメリも手を振っていた。
「んじゃ、洗い物をさっさと片付けちまうか」
「ん」
ユメリはさっさと中に引っ込んでいった。
返事はするが、ユメリは一切家事を手伝ってくれないんだけどね。
リビングでボーっとテレビを見てるユメリを横目に、俺は食器を洗っている。
洗う食器は二人分。
ユメリと同じ存在なら、ユメリ同様アスハも食事を必要としないはずなのに、何も言わずに俺といっしょにカレーを食べてくれた。
アスハは言葉通り、食事に『付き合ってくれた』のだ。
ユメリと遊んでる時も、いくつか俺の質問に答えてくれている。
それらを少しまとめてみよう。
まず、クラリスが何を考えているのかはいまだ不明。
何せアスハと俺のクラリス像がまったく違うのだ。
あいつが何故こんな行動を取ってるのか謎が深まる一方だった。
アスハの見解では、俺に能力を与え、それをユメリに消させるメリットは何もないということだ。
逆に、ユメリが憑くには魂を同化させなければいけないから、車に撥ねられただけで死んでしまうような人間に憑かせるのは、デメリットしかないという。
そして、アスハには俺の能力を取り外すことはできない。
ちょっと期待してただけに、それを聞いたときは肩を落とした。
要するに、俺が受身な状況は変わらないということ。
クラリスの話に嘘があることはわかっていても、だからといってどう動いていいのかわからない。
ただ一つだけやれることはできた。
それは楼園とヴィオラのことだ。
ヴィオラと姉妹なら、アスハが楼園のことを知っていてもおかしくはなかった。
アスハ曰く、ヴィオラが動くのは楼園が原因とのこと。
楼園がユメリを親の仇と思い込んでいるから、それに従い動くようなことを本人も言ってたけど、今となっては楼園の怨恨で実の妹を手に掛けるのかよって言いたくなる。
ヴィオラがまた襲ってくるときは、クラリスが事前に教えてくれるらしいが、それを当てにするのは危険だ。
「ヴィオ姉を止めるなら、先輩が千種さんを説得するのが一番効果的です」
というアスハの助言。
いつヴィオラが出てくるかわからない以上、アスハは楼園に近寄れないし、ユメリは論外。
そうなると楼園を説得できるのは俺一人しかいない。
もともとヴィオラもユメリには好意を持ってるし、楼園を説得できれば力になってくれるかもしれないということだけど、俺にあの楼園を説得できるか激しく不安だ……
ま、当たって砕けろだ。
何もしないよりはいい。
楼園とヴィオラが住んでいるアパートの住所はアスハから聞いた。
明日学校が終わったら早速行ってこようと思う。
それと、敦のことはしばらく保留にした。
アスハのやったことは、敦と周りの人間に『アスハと敦は以前から付き合っていた』と思わせるだけだそうだ。
だけって言い方はないかもしれないが、要はユメリがやったことと一緒なのだ。
それ以外は何もしていないし、能力を使ったのも久しぶりらしい。
それまでは普通の人間と同じ生活をしていたとのこと。
普通に中学を卒業して、今の高校に入学。
友達も結構いると語っていた。
能力の効果を消すこともできるそうなのだが、それにはちょっと問題があった。
アスハ自身も敦の心を勝手に操作したことに引け目を感じているのか、能力を消してもいいと思い始めているようなのだが、その問題を聞いて、能力を消すなと止めたのは俺である。
まあ人間の中にも、金や権力で好きになった相手をムリヤリ自分のものにしてしまうって話があるくらいだ。
それと比べれば、自分の行いに引け目を感じてるだけアスハはマシだ。
「ん?」
突然ユメリがキッチンに入ってきた。
無言で俺の横を通り過ぎる。
「…………」
冷蔵庫を開けて、新しいリンゴジュースに手を伸ばしたところで、俺は素早く冷蔵庫を閉めてそれを阻止した。
「いじわるするな」
おお、まるで俺が完全に悪い言い方だな。
「意地悪じゃない。さっきの約束、忘れたのか?」
リビングのテーブルには空になった一リットルの瓶が置かれている。
こいつはジュースがあればあるだけ飲んじまうから、一日一本と制約したのだ。
食事がリンゴジュースだけなら、過剰に飲んでるように見えてもそれが普通なのかもしれないって思うところもあったが、あまりの飲みっぷりに、アスハがこっそり教えてくれたのである。
「ユメリちゃんのコップ一杯は、先輩の半食と同じくらいだから……ちょっと先輩、ユメリちゃんに甘すぎかも」
と、苦笑された。
別に甘やかすつもりなんてまったくないのだが、こいつが何も言わないから、何が普通なのかさっぱりわからないのだ。
「しらない」
しかもだんだんワガママになってきやがる。
「知らないか。オーケー。じゃあもう一回だけ言ってやる。リンゴジュースは一日一本までだ!」
コップ二杯で俺の一食分なら、だいたい瓶一本で一日分なのだが、こいつはあきらかに飲みすぎである。
「そんなの――」
「知らないって言うなら、明日からは紙パックジュースに変えようかな」
「!」
「紙パックで果汁十パーセントのやつなら安いし、経済的にも助かるしな」
「!!!」
目に見えてユメリは動揺している。
「どうする? それでもいいなら今日は好きにしていいけど?」
「がまんする」
あっさりとリビングに戻っていった。
小さい子供を持つ親って、こんな気苦労をしてるのかね?
なんて思いながら、洗い物を終わらせて俺もリビングに戻った。
■ ■ ■ ■ ■
「……ありがとう、水衛先輩」
アスハはマンションの前でハルの部屋の明かりを見上げていた。
敦の気持ちを自分に向けさせたとき、同時にアスハは、敦周辺の人間関係の情報も得ていた。
水衛ハルという存在は事前に知っていたが、まさか姉妹と関わってる人間だったなんて想像もしなかった。
敦を核に得た情報では、ハルとは幼稚園からの幼馴染ということしかわからなかった。
アスハにとっては、普通の人間の一人という認識しかなかったわけだ。
他の人間の記憶には存在を書き込めたのに、ハルだけアスハの存在を認識しなかった時、たまたま水衛ハルにだけ能力が上手く作用しなかったんだろうと思った。
だからすぐに自分を認めさせようと能力を使って、撥ね返された時は本当に驚いた。
でも今に至ってみれば納得できる。
すでにユメリが憑いていたのなら、能力の反発が起きたっておかしくない。
こんなことは初めてだけど、たぶんそうだろうと納得していた。
(けど、水衛先輩って、どこか変)
食事を終えて一息入れている時、皆に掛けた暗示を消すことはできないのかとハルに訊かれた。
当然できる。
クラリスのように、能力を人間に植え付けたわけではないし、暗示を消すだけなら簡単だった。
ただ一つだけ問題がある。
アスハが能力を使った人間は、その大半がすでに一度記憶の改ざんを受けているのだ。
ユメリである。
ハルにユメリが憑いていることを知ったのは、アスハが能力を行使した後だったから防ぎようがなかったのだが、ハルと敦の人間関係はお互いに共通する人物が多い。
つまり、ハルの件でまずユメリが記憶の改ざんを行い、敦の件でアスハが能力の改ざんを行った。
両者の友人知人が共通することから、二重に記憶の改ざんをされた者が極めて多いということだ。
アスハだけの仕業なら、二重三重に改ざんを行っても問題はない。
ユメリや他の姉妹で同一人物に行うとなると非常に厄介なのだ。
例えるなら、人間の記憶がハードディスクのデータだとすると、アスハが加えたデータを削除した場合、その空いた穴を塞ぐために元のデータを整理してやらなければならない。
元からあったデータは動かせるのに、別ユーザーのユメリが改ざんしたデータが動かせずに上手くデータの整理が出来ないのだ。
結果、記憶に空白が出来、最悪のケースで記憶障害を引き起こす可能性がある。
アスハのデータだけを問題なく消したいのなら、一時的にユメリのデータも消して、データを整理した上で再度ユメリが情報を書き込む必要がある。
もちろんユメリが協力してくれればすぐに実行に移せるのだが、更にここでも問題が起こる。
この短期間で二重に記憶の改ざんが行われた上に、その作業を実行した場合、人間側にかなりの負担が生じてしまうのだ。
これもまた、記憶障害に繋がる可能性が考えられる。
短期間で行おうとするから問題であって、時間を置けさえすれば問題はない。
そのことをハルに説明したときのこと――
「じゃあ、どのくらい時間を置けばいいんだ?」
「一ヶ月くらいで大丈夫だと思います」
「……一ヶ月か」
「あの、敦先輩と一緒にいたいからとかそんな理由じゃなくて、ほんとにそのくらい必要なんです」
「いや、別に疑ってないよ。アスハがそう言うなら本当なんだろ?」
「えっ!? ええ、そうですけど……」
疑われるのも辛いが、正直そこまで信用されているとは思わなかった。
「アスハのやったことは確かにいけないことだけど、誰かをすごく傷つけたってわけじゃないし、敦には悪いけど、少し我慢してもらうってことでいいんじゃね?」
「でも先輩、最初はすごく怒ってたのに……いいんですか?」
「それはほら、最初はクラリスと同視してたっていうか、アスハも悪いことするんじゃねーのかとか思ってたわけで、実際は恋愛話になるわけだろ、これって? だから、アスハがこれ以上変な力を使って何もしないっていうなら、しばらくはこのままでもいいと思う」
そう言う背景には、きっと自分への同情もあるのだろう。
お互い大切にしているのに、一緒にいることのできない姉妹。
そんな境遇に置かれているのだから、少しくらいは好きな相手と一緒にいてもいいのではないかと憐れみを感じたのかもしれない。
時間を置かなければならないのは本当だし、ハルがそう言うのであれば何も文句はない。
(けど、先輩の思考には違和感を感じる)
率直に言うなら、順応が早すぎる。
他の姉妹の前例があるとはいえ、簡単に人間の記憶を操作し、実際に能力も使って見せた自分に対し、あまり恐怖を感じていないようだった。
未知への恐怖は自分にだってあるというのに、ただの人間がそんなに早く克服できるものだろうか?
それとも、短期間に集中して事が起こったせいで、精神が麻痺しているのか……
(……ううん。そんなこと考えたら、先輩に失礼だよね)
少なくとも、ハルは自分を人間と対等の存在として見てくれている。
敦とのことを『恋愛話』と言ってくれたのだ。
きっと他の人間ならこうは言わない。
化け物扱いされて、恋愛対象とすら考えてもらえないだろうから。
お礼を言うのは変だと思ったから言わなかったけど、本当に嬉しかったのだ。
「水衛先輩に協力するって決めたんだから」
ユメリに会いに来てもいいと言ってくれた。
それはきっと、自分の気持ちをくんでくれてのこと。
他にどんな他意があろうと関係ない。
その言葉を聞いて決心したのだ。
(それに、お姉ちゃんがすごく心配)
クラリスと最後に電話で話したのは先週のこと。
敦との件が起こる二日前。
話した会話は他愛もない世間話だった。
学校のことや人間の友達のこと、話してたのはほぼ自分だったような気がするが、クラリスは楽しそうに聞いてくれてたし、特に変わった様子もなかった。
(……)
アスハはもう一度ハルの部屋を見上げ、踵を返す。
向かう先は自宅ではない。
どうしても確かめたいことがある。
まずはそこに行こう――
闇の降りる住宅街。
意識せずとも歩行は早くなっていた。




