衝動 4
明かりもなく、汚れた路地裏にヴィオラの姿はあった。
――いっそ、狂ってしまいたい。
不意に浮かんだ気弱な発想に奥歯を噛みしめる。
気を抜くと我を忘れてしまいそうだ。
(……いつもと違うやんか、これ)
クラリスやユメリを目の前にして湧いてくる殺意は、今までならその姿と気配を見失えば自然と消えていた。
しかし今回は違った。
いつまでも治まらない殺人衝動にヴィオラ自身が苦しんでいた。
千種の意思に従い、ユメリとハルを手に掛ける覚悟はあった。
だが、それを実行するのはもっと後になってからだと考えていた。
まずはクラリスの不可解な行動の動機を探る。
それから千種の『願い』を実行しても遅くはないのだ。
覚悟はあるものの、本心はユメリを手に掛けたくなんかない。
好意を抱いてるのに殺意が湧く理由は自分自身にもわからないが、出来ることならユメリも守りたい。
だから一昨晩は上辺だけ千種に従うように振る舞い、適当なところでわざと二人を逃がすつもりでいたのだ。
ユメリを殺したい衝動は起きるものの、それを抑制できないことはない。
千種の目を盗んで、適当な理由を付けて二人を逃がす――予定だった。
ユメリを見るまでは。
ユメリを見た瞬間――理性が消えた。
抑えようとした殺人衝動に、逆に理性が一瞬で飲み込まれた。
もうどうでもいい。
殺したいなら――殺せバいイジャナイ。
泣こうが、叫ぼうが、許しをこおうがかまわない。
踏み躙り、犯し、引きずりまわし、体と心を引き裂けば、きっとそれはすごく気持がいい。
想像しただけで快楽だ。
なら実行すれば何回イケるだろう?
いけない、妄想で涎が零れそうだ。
そんなはしたないところは見せられない。
ああ、だから早くこいつを――
「ヴィオラ!」
意識を取り戻させたのは千種の声だった。
けれどそれも一瞬のこと。
男を千種にまかせて、ユメリを思い通りに出来ると思うといてもたってもいられない。
千種だって両親のかたき討ちを望んでいる。
早くそれを実行してやろう。
――だから、千種に待ったをかけられた時は耳を疑った。
ここにきてハルと話がしたいと言う。
反論したら、今度は自分がどこかおかしいなどと言ってくる。
おかしいのは千種のほうだ。
ユメリを目の前にして、こうして意見を聞いてやってるだけ有難いと思ってもらいたい。
あまり口ごたえするようなら――千種も殺してしまおうか?
―――――――――なにを!
ウチは今なにを考えた!?
千種を、コロス?
誰が、ダレを?
ドス黒い殺意は治まらない。
だがそれを圧倒するほどに、自分の考えたことに恐怖を抱いた。
(……ウチは千種を殺そうとなんて思ってない。あれはなにかの間違いや)
十年間、自分の娘のように大切に育ててきた。
そこに何かの下心があったわけじゃない。
純粋に、千種には元気でいてほしかった。
それなのに黒い感情を抱いてしまった。
いや、抱かさせられた。
こうなってしまった原因はわかってる。
ユメリに近づいたせいだ。
ただ今回が異常なのだ。
自分が危険人物だとわかっていてもユメリは警戒しない。
そのせいで何度も顔を合わせ、殺意を抑えてきたかわからない。
そう、今までは抑えられた。
我慢できたのだ。
無防備にユメリが近づいてきても、自分から離れてやり過ごしてきたのに、今度だけは衝動の激しさに抗うことができなかった。
何故か? そんなのはわからない。
だからあとは、この体の奥底から湧き出てくる黒い衝動を治まらせればいいだけなのだが……
時間が解決してくれるのならそれでいい。
ユメリさえ近づいてこなければ精神の安定は保てる。
だが安心はできない。
何故なら、自分はユメリの能力に巻き込まれているのだから。
千種とユメリが街で会ったのは、強引に引き付けられた必然。
自分ではなく千種と出会わせたのは、確実に自分を舞台に上がらせるためだ。
もし自分だけだったら、身を隠してやり過ごすこともできただろう。
だが、ユメリの能力は千種を餌にすることでその退路を消した。
そう、必要とされているのは千種ではなく自分なのだ。
だから必ずまたユメリは目の前に現れる。
本人が望んでいなくとも、ハルの『願い』を叶えるために自分の力を利用しようとする。
その時に、また理性を失わないという保障はない。
いや、むしろそうなるだろうと考えてたほうがいいかもしれない。
(……千種、かんにんな)
昨晩の千種の顔……あんな不安そうな表情を見たのは何年ぶりだろう。
(あいつのことや、今頃ウチのこと探してんやろなぁ……)
見つかったらきっと怒られる。
たぶん、なんで勝手にどっかいくのよ!? ってプンプン怒る。
それでさんざん文句を言われて、渋々許してくれるんだ。
でも自分が見つかるまできっと不安になってる。
それがわかっていても今は戻れない。
千種と一緒にいてユメリが現れたとき、今度こそ千種を傷つけてしまいそうで怖かった。
彼女に寂しい思いをさせてるとわかってても、今は耐えるしかない。
(ユメリにゲンコツの1発でもくれてやらんと気が済まんなほんま)
本人が悪いわけじゃないにしろ、そこは能力の所有者ということで責任はあるだろう。
それとも、ハルをぶん殴ったほうが気が晴れるだろうか?
体の火照りはまだ冷めない。
それでも少しは落ち着いてきたと、自覚できるほどにはなってきた。
動くのは万全になってからだ。
深く息を吐き、汚れた壁に背を預けて、ヴィオラは静かに瞳を閉じた。




