衝動 2
「ご馳走様でした」
真夜さんとカナちゃんが玄関まで送ってくれる。
二つ結びでおさげ髪のカナちゃんは、ユメリよりも小さい幼稚園児。
今日もお気に入りの水色のワンピースを着ていた。
カナちゃんはバイバイと小さな手を振って、ユメリもそれに応えて手を振りかえす。
俺は軽く会釈をして玄関のドアを閉めた。
夏の夜は二十時を過ぎても暑さが体にまとわりつく。
珍しいことじゃないんだが、俺はよく真夜さんに夕食を誘われることがある。
学生の一人暮らしということもあり、真夜さんが気を遣ってくれての誘い。
俺が行くとカナちゃんが喜んでくれるから、ありがたく誘いを受けていた。
いつもと違うのは、そこにユメリがいたということ。
初対面の相手でもユメリが受け入れられるのは理解してたけど、あまりにも馴染みすぎていて変な気分だった。
夕食に招かれたとはいえ、やっぱりそこでもユメリはリンゴジュースしか飲まなかったわけだが、真夜さんがユメリ用のジュースを用意してくれてたことにまず驚いた。
「はい、ユメリちゃんのジュースね」
なんて言って、俺とカナちゃんの前には普通に料理が並んでるのに、当たり前のようにユメリのところだけジュースを置くという光景は寒気がするほど異常だった。
ジュースしか与えない虐待とも言えるその行為を平然とする真夜さんを前に、俺は平静を装うのに至極苦労した。
ユメリはカナちゃんとも仲が良かった。
まるで以前からの友達のようにじゃれ合っていた。
じゃれあうと言っても、カナちゃんが一方的に話しかけてユメリがそれに応えてるだけなのだが、それでも二人の仲が良いのは伝わってきた。
まったく癪な話である。
ユメリは平然としてるのに、俺のほうが気が気じゃない。
「……やりづれぇ」
愚痴ってユメリを見ると――
「おまえっ! どうしたんだよ!?」
瞳を変色させて俺の家のドアを凝視していた。
いや、正確にはドアの向こうを視ているのか、無表情なのにユメリの体からは緊張が感じられる。
「ヴィオラがいる」
「――え?」
「ヴィオラがへやにいる」
ユメリは家の中にヴィオラの存在を認めている。
「ハル」
ユメリの血色い瞳が俺を見上げた。
「にげないとダメ」
その声に一瞬で心拍数が上がった。
ユメリが言ってるのは注意ではなく警告だ。
こいつの様子を見れば、今がどれだけ緊迫してるのか俺にだってわかる。
今晩中に動くとは言ってたが、まだ人が起きてる時間帯にやってくるとは思わなかった!
「くそっ!」
すぐにユメリを抱えてエレベーターへ走る。
あいつらは他人を巻き込むのを嫌ってた。
きっとだいぶ前から俺たちの近くまで来てたんだろう。
けど真夜さんたちがいたから手を出してこなかったんだ。
ガチガチとエレベーターのボタンを何度も押す。
運悪くエレベーターは一階で止まってるようで、すぐには上がってきそうにない。
「ええい!」
隣の階段へ走る。
「うあ」
俺が激しく動くもんだから、腕の中のユメリはビックリしてるが今はかまってられない。
家に入る前にユメリがヴィオラに気づいてくれたから良かったものの、逆に向こうも俺たちが逃げたってすぐに気づくはずだ。
飛び降りる勢いで階段を駆け下り、自転車が置いてある場所へ走る。
ユメリを乗せる座席なんてないから、こいつには俺の首にしがみついててもらうしかない。
俺たちの行動を読んでたのか、自転車の前には楼園がいた。
向こうもこっちに気づく。
「逃げるな!」
なんて言いながら疾走してきた。
応じてる余裕はない。
すぐに踵を返しとにかく走る。
マンションの敷地から出て、近くの住宅街へ。
「待ちなさいよ! そいつを置いてけ!」
後ろであの女が無茶なことを叫んでる。
軽いとはいえユメリを抱えてるせいで思うように走れない。
しかもあの女、俺よりも足が速い。
「くっそ!!」
直線で走ればすぐに追いつかれてしまう。
できるだけ角を曲がりつつ、サッと隠れられそうな場所を探すがそう簡単には見つからなかった。
公園が目に入り咄嗟に入る。
ここなら障害物も多くて、あいつを隠れてやり過ごせる場所もあるかもしれない。
「あ」
ユメリが声を上げた。
「こうえん、ダメ」
「え!? なんだって?」
走ってるせいで、うまくユメリの声が聞き取れない。
「こうえん、ヴィオラがいる」
「――ばっ、そういうことは早く言えよ!」
俺の部屋にいるんじゃないのか? なんて疑問はナンセンス。
こいつらに常識は通用しないからだ。
「そうやなー。でももう手遅れや」
「うわ!!!」
なんの手品か、本当に突然ヴィオラが目の前に現れた。
その視線がスーッとユメリに移動し――
「ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
突然の哄笑。
瞳もユメリと同じく血色く染まっている。
「アカンで。アカンでぇユメリ。ウチの前に姿を見せたらアカン言われとるやろォ」
ケタケタと笑う。
……こいつ……昼に会った時とは印象が違う。
目の前にいるだけでこの威圧感。
一秒でもこの場に留まっていたくないのに、こいつを視界から消したとたん襲われるんじゃないかという不安が胸を支配する。
「ヴィオラ!」
追いついてきた楼園が視界に入ると、ヴィオラは何事もなかったかのように平静を取り戻した。
「ご苦労やな千種。『あいつ』はウチにまかしとき」
「うん」
両者に挟まれて逃げ場がない。
……どうすればいいんだよこれ。
「その前に水衛に訊きたい事があるんだけど、あんたそいつに操られてないって本当?」
「……だからそうだって言っただろ。俺はいたって正気だ」
それより今はヴィオラが気になる。
あいつのユメリを見る目は異常だ。
「千種、ちゃんとにぃちゃんの足止めしとくんやで。すぐに終わらせたるさかい」
「待って。少しだけ水衛と話をさせて」
ここにきて何を思ったか、楼園は俺と会話をしたがってる。
訳もわからずやられるよりはこっちも願ったりな状況だけど、てっきり従うとばかり思っていたヴィオラが不満を表した。
「なんでや? 今更話し合いしてどないするっちゅーねん。『あいつ』を追い詰めたんやで? さっさとケリつけようや」
「……え? ちょっとヴィオラ、あなた様子が変よ?」
その様子に誰よりも驚いているのは、ヴィオラと親しいはずの楼園だった。
昼に会った時、ヴィオラはユメリのことを好きだと言った
少なくともその言葉に嘘があるとは思えなかったし、対峙してるだけで俺たちを威圧できる奴がそんな嘘を吐いても意味が無い。
それなのに、今は獲物を狩る猛獣の様な瞳でユメリを凝視している。
「様子が変? なに言うとんのや。目の前に獲物がおるんやで? それをほっといて話し合いしようとしてるほうが可笑しいやろ」
ヴィオラの体が小刻みに震えている。
そこから伝わるのは、早くユメリを襲いたいという殺意のみ。
― 顔を合わせれば相手を殺したい衝動が起きる ―
クラリスの言葉が蘇る。
あいつが言ってたのはつまりこういうことかよ!
ヴィオラが衝動を抑えているのはきっと楼園がいるからだ。
しかしその様子からいつ飛び掛ってきてもおかしくない。
俺はユメリを背中で庇う。
「なんやー? それで守うとるつもりか? 余計なことしとらんでさっさとどかんかいアホンダラ!」
ゾクリ、と全身が一瞬で凍った。
……なんだよこの化け物は。
こんな奴からどうやって逃げろってんだよ!?
本能から身の危険を感じた瞬間――
その『能力』が疼いた。
俺に植え付けられた常識を無視した能力が、自分を利用して身を守れと訴えている。
ここで命を落とすくらいなら犠牲を払えと疼いている。
能力で自身を守れば、その代償に俺の大切な人が死んでいく。
そんなの納得できるわけがない。
なのにどうして――
意識しないと能力を使ってしまいそうだ。
こんな馬鹿な話ってあるかよ!
使いたくないのに、条件反射で使ってしまいそうだなんて。
「ヴィオラ待って! やっぱり今日は引き返そうよ。あなたいつもと違うわ!」
「ここまできといてなに言うてんねん! オマエがやり始めたこととちゃうんかい!」
「えっ――?」
ヴィオラが楼園を睨んでいる。
仲間割れと言うには早いが、どうも様子が変だ。
学校で会った時には楼園を第一に考えてる様にも感じたのに、今のあいつからはそれが感じられない。
俺としてはあいつら同士で揉めてもらえれば逃げるチャンスも生まれるわけで、少しでも距離を離そうと二人を見据えたまま後ろのユメリを背中で押す。
「おすな」
しかしまったく俺の意思を理解していないのか、逆に文句を言われた。
かんべんしてくださいよユメリさん……
下手に騒いで気づかれたくもないし、俺の考えてることがわかるんじゃねーのかよー! と内心愚痴る。
「……ヴィオラ、どうしちゃったの? あなた、なんでそんなに――」
楼園の表情は、その性格に似合わないほど弱気になっていた。
ヴィオラの反応は予想外だったのか、見るからに狼狽している。
「いちいちうるさいんや! ごちゃごちゃぬかすようやったらオマエも――」
「――ッ!!」
ヴィオラが吼えそれを受けた楼園が身を震わせた。
「――っち、千種……」
直後、それまでの様子とは一変した。
「……違うねん、これは……ウチは千種のこと……」
自身を抱え、必死に湧き出る衝動を抑えている。
「……ヴィオ……ラ?」
「ウチは……ウチは今、千種のこと……違うねん、違うねん……」
その瞳にはいまだに狂気を宿し、息も荒い。
それでもヴィオラは本能的な衝動を殺し、なんとか理性を失わずにいた。
「……ヴィオラ」
楼園が一歩ヴィオラに歩み寄る。
「近寄るな!!」
「ッ!」
「すまん……かんにんな、千種」
「ヴィオラ!」
ヴィオラは踵を返し走り去った。
後を楼園が追っていくも、あの走る速さは人間の比ではなく追いつけるとは思えない。
公園を出る直前、楼園が一度だけ振り返った。
「……」
何か言いたそうにして、結局何も言わずにヴィオラの後を追って行った。
まったく状況についていけなかったものの、二人がいなくなってくれたおかげでようやく生きてる心地が戻ってきた。
振り返ると、何を見てるのかユメリは公園の中をジッと見てる。
「……どうしたんだ?」
瞳の色は戻ってるものの、そんなことをされてるとまた何か厄介ごとでも起きるんじゃないかと不安になる。
「おねえちゃんがいた」
「えっ!?」
その視線を追っても薄暗い公園が広がるだけでクラリスの姿なんて見えない。
「もういない」
「……クラリスは何をしてたんだ?」
「わからない」
俺は視認してないものの、ユメリがそう言ってるのなら本当にクラリスがいたんだろう。
もしかして俺たちを助けに来てくれたんじゃないかと一瞬思うもすぐに否定した。
あいつは言ってたじゃないか。
自分でユメリが守れるなら俺なんて必要ないって。
「……じゃあ、何しに来たんだよ?」
一人愚痴るも答えなんて返ってこない。
いや、そもそもあいつは俺に能力を使わせることを前提に動いてるんじゃなかったか?
ユメリの能力がどうとか言ってたけど、結局はあいつの手の内で踊らされてるようにしか思えない。
楼園たちのことといい、一体どうすればいいんだよ。
「ハル」
「……ん?」
「ヴィオラは?」
「さっき走ってどっかにいっただろ」
「どうして?」
「知らねーよ。なんか様子がおかしかったし、ユメリだって見てただろ?」
「ハルがじゃまで見えなかった」
……人が体を張って守ってたってのに邪魔扱いか。
まあ確かに、守ってやれる自身は微塵もなかったわけですが。
「ヴィオラのことが気になるのか?」
「…………」
返答なし。
人には訊いといてこれかよ。
「かえる」
しかも一人でさっさと帰ろうとする始末である。
「……まったく」
文句を言ったところでどうせ聞かないだろうし、ため息を一つ吐いて俺もその後ろに続いた。
ユメリが歩くたびに赤い大きなリボンが揺れて、まるで大きな蝶が先導してくれてるようだった。




