楼園千種 4
「鍵を付けたまま置いてくなんて不注意にも程があるぞ」
「……すいません」
本当のことを言うわけにもいかないので、大人しく謝って長部先生から自転車の鍵を受け取った。
休日なのに職員室には長部先生の他にも先生達がいた。
グラウンドや体育館には運動部の生徒もいるし、それなりに学校全体に活気があった。
「体の具合はもういいのか?」
「え? ああ……はい、まあまあです」
一瞬先生が何を言ってるのか理解できなかった。
そういえば昨日休んだ理由は、体調不良ってことになってたんだ。
「それならいい。高校生活最後の年なんだから、あまり遊んでばかりいるなよ」
体調不良はウソだってばれてるみたいだ……
けどそれ以上追及してこないので、先生の気が変わらないうちに頭を下げて職員室から退散した。
自転車置き場に置いてあった自分の自転車を押して校門まで移動する。
籠に入ってたリンゴジュースは届けられた時にはなかったようで、処分されたのかもしれない。
先生の話だと、自転車を持ってきてくれた人はモデルの様な女の人だったそうだ。
お礼を言いたかったけど、すぐに帰ってしまったらしい。
わざわざ学校まで自転車を届けてくれるなんて、優しい人もいるもんだな。
ユメリのジュースを買ってさっさと帰るか、と自転車に乗ろうとして――
「おー、待ってたでぇにいちゃん」
突然現れた女を目の前にして俺の動きは止まった。
茶色い大きなベレー帽。
白いワイシャツにネクタイを締て、派手な黄褐色のジャケットにチェックのミニスカート。
何よりも印象付けるのは鮮やかな赤い髪だった。
「その自転車、ウチが持ってきたんや。感謝してえや」
見るからに注目を集めそうなその女は、俺の目の前まで歩いてきて陽気に笑った。
クラリスは『彼女』のことを知らなければ、もしどこかですれ違ったとしても俺が反応することはないと言った。
それは間違いだ。
一目でわかった。
頭で理解するより早く、無意識に感じた。
目の前の女は人間ではない、と。
しかし今のところ脅威は感じない。
むしろその笑顔は人懐っこくて好感すら持てた。
そのせいもあって、何となく気軽に口を開いてしまった。
「お前が……ヴィオラ、か?」
迂闊だったと言えばそれまでだ。
相手が自分たちにとってどんな奴なのか聞いていたのに、俺は気を緩めてしまったんだ。
「ほぅ、にぃちゃん、ウチのこと知っとるんか?」
ヴィオラの雰囲気が一変した。
その瞳に見据えられた途端、全身の毛が逆立つ。
怖いなんて表現じゃ生ぬるい。
奴の視界に入ってるだけで死の宣告。
本能で感じる絶対的な敗北感。
クラリスは俺に能力を使ってユメリを守れと言ったが、こいつに挑むこと自体ナンセンスだ。
一瞥で圧倒された俺に何ができるというのか。
「クラリスもあれやなぁ、ウチのこと教えとかんほうがにぃちゃんの身が安全やっちゅーに、それをわざわざ教えとるとは思わんかったわー。ま、ウチのほうから近寄ってきといて言うのもなんやけどな」
名前を教えたのはユメリだが、それを修正してやる義理も余裕も無い。
そもそもこうなってしまった以上そんなことはどうでもいい話だ。
「まあそう硬くならんといてな。ウチのこと知ってんやったら話は早いけどな、今はなんもする気ないねん。いやホンマ」
その言葉にどれだけの本意があるのか量ることなんてできないが、ふっと俺に掛かっていた重圧が軽くなったような気がした。
……今は、ね。
とりあえず、いきなり襲われなくて良かったと思っておこう。
「……よくこれが俺の自転車だってわかったな」
自転車を餌に俺を釣ったのは明白だ。
長部先生が話していたとおり、確かにヴィオラはモデルと言っても過言ではないスタイルだ。
けどどうしてこいつが俺の自転車だとわかったのか謎だ。
「そりゃあれや、にぃちゃんがソレに荷物を載せるところを千種が見とったんや」
「……ちぐさ?」
知らない名前だけど心当たりはあった。
「髪を束ねてる気の強そうな女か? ピンクのシャツとジーパンの」
「おおそうや、その女や。ウチ、千種と同居しとんねん」
「――なに?」
不運の連鎖。
ユメリを狙ってる千種って奴と、俺たちの敵だと聞いていたヴィオラはすでに一蓮托生。
……最悪の展開だ。
「あっはっは! いかにも最悪やー! みたいな顔すんなや。安心してええで。にぃちゃんは助けたるさかい」
「…………え?」
思いもよらない言葉に耳を疑った。
「ウチらが狙ってんのはチビッ子だけや。チビッ子さえ消せればそれでええねん。千種は他人を巻き込むのを嫌うとるし、ウチもにぃちゃんには用は無い。せやからそんな怯えんといてや」
言ってることはわかるけど……ちょっと待て。
話が矛盾してるぞ。
「ユメリが死ぬと俺も死ぬんじゃないのか?」
確かにクラリスはそう言ってた。
俺とユメリの魂は同化していて、痛みや表層思考を互いに共有するのだと。
「なんやそれ? そんなんあるわけないやん。にぃちゃんもアホやなー。何言われたかは知らんけど、そんなんやったらにぃちゃんを出歩かせるわけないやん。詳しく説明すんのはメンドイからせんけど、にぃちゃん騙されとるで?」
どちらか片方でも死ねば、もう片方も命を落とすと言ったクラリス。
それはウソだと言うヴィオラ。
当然俺としてはヴィオラの方を信じたいのだが――
「なんでわざわざそんなことを俺に教えるんだ?」
「言うたやろ? ウチはにぃちゃんに用は無いし、千種もチビッ子以外の奴は眼中に無い。ウチとしてはにぃちゃんなんかどうでもいいねんけど、他人に関心が無いくせに、他の奴が巻き込まれることを千種は嫌うとるからな。親切心で教えとるわけや」
なるほどね。
一応筋は通ってる。面倒くさそうなのがいかにもって感じだ。
「わかった。じゃあクラリスが話したことは全部ウソなんだな?」
「全部言われても、あいつが何を話したのか知らんから一概にそうとは言えんけどな」
確かに。
「……そのことを俺に伝えにきたのか?」
「んなわけあるか。ウチの目的はチビッ子をにぃちゃんに連れて来てもらうことや。そのほうが探す手間も省けるしな」
ユメリの引渡し要求。
確かにそれならユメリを確実に捕まえられるし、周りへの被害も抑えられる。
こいつらにとってそれが理想の展開なんだろう。
ユメリは家にいる。
俺がリンゴジュースを買って帰るのを楽しみに待ってるはずだ。
外に連れ出そうと思えば、簡単についてくると思う。
「……ユメリをどうするんだ?」
「さっき言ったで?『消す』ってな。それともちゃんと『殺す』言わんとわからんか?」
答えを求めたわけじゃない。
ただなんとなく、あいつは誰かを殺したり、誰かに殺されたりするような奴じゃないって思ったんだ。
「にぃちゃんが気にすることは何もないんやで」
そんな心の隙をヴィオラが突いてきた。
「クラリスに騙されて巻き込まれただけなんやから、むしろにぃちゃんは被害者や。チビッ子をウチらに渡してはよう楽になろうや」
やつの声が甘く響く。
こいつらと関りを絶ちたい気持ちは強い。
だけど――
「ふざけんな。お前の言ってることが正しかったとしても、渡したら殺すなんて言われてそう簡単に頷けるかってんだ」
「ほぉ、そりゃたいした正義感やないか」
断られたのにヴィオラは嬉しそうだった。
変な奴だ。
「正義感なんかじゃない。ただお前らは間違ってるって思っただけで……」
「理由を聞かせてもらおうか?」
「千種って奴の親は十年前に殺されたんだろ? でもユメリは四歳だ。あいつの親を殺せるわけがない」
「まあチビッ子は確かに四歳やけど、にぃちゃんはあの子の言うことを信じるんか? ウチらは人間とは違う生きもんや。年齢なんて当てにならんし、姿形も変えられる。ウチなんて十年前からこの姿やで? 千種かてそのことは知ってるさかい、チビッ子がそんなこと言うたかて信じへんで?」
「でもお前らの年数の単位も人間と同じ日数なんだろ? それにユメリは姿を変えられないって言ってたし」
「へっへっへー、なんやにぃちゃん、チビッ子にベタ惚れやな」
ベタ惚れって……
「表現おかしいぞ。別に惚れてもなければ好きでもない。それになんでそんなに嬉しそうなんだよ?」
「そりゃ嬉しいわ。ウチかてチビッ子のこと好きやから、あの子の憑いた人間があの子の肩を持っても悪い気はせんわ」
「好きって……ユメリのこと殺すとか言っておいてなんだよそれ?」
どうもこいつと話してると話が狂う。
「まあそうなんやけどな。それとこれとは話が別やねん。でも安心したわ。チビッ子を裏切るような奴やったらシバいたろう思うとったけど、その必要もないようやしな」
「……わけがわかんねぇ。俺たちとお前は殺し殺される関係じゃなかったのかよ?」
少なくともクラリスからはそう聞いている。
「そうや。でもそれはお互いに会った時の話や。ウチはクラリスやチビッ子に何の恨みもないし嫌ってもいない。むしろ好きやな」
……本気で言ってるのかよ?
「……お前たちはもっといがみ合ってるイメージがあったんだけど、だいぶ違うんだな」
ヴィオラが嘘を吐いてる可能性だってある。
話半分で聞いておくのがいいだろう。
「仮にウチがチビッ子のこと嫌ってんのやったら、会った瞬間ににぃちゃん殺しとるで?」
「なっ! え!? だってお前、さっき俺とユメリの命は繋がってないみたいなこと言ってたじゃないか!?」
「ああ、それウソやねん。ちょおにいちゃんのこと試したかっただけなんや。すまんなホンマ」
まったく悪びれてる様子はない。
「……じゃあ本当に俺がユメリをどう扱うか知りたかっただけなのか?」
ユメリといいクラリスといい、こいつらの考え方がさっぱり理解できない。
「そうや。気になったもんは聞かんと落ち着かんしなー」
あははーと笑ってる。
「もしかして、それが聞きたくて俺を呼び出したのかよ?」
「アホ言うなや。そんなわけあるかい。にぃちゃん。チビッ子に何を願った?」
「……願う?」
「チビッ子と最初に会ったとき、夢はなんやー? って訊かれんかったか?」
ユメリの第一声は確かにそんな感じだったな。
いきなりで変な奴だと思ったのは覚えてる。
「俺に掛けられたクラリスの能力を消してくれって言ったけど……」
ヴィオラの雰囲気が冷たくなっていることに気づいて思わず語尾が弱まる。
「クラリスの能力やて? なんやそれ。にぃちゃん、チビッ子に憑かれる前はクラリスに憑かれとったんか?」
「……そうだと思う」
憑かれてたっていうか、力を与えられたんだけど、こいつらは憑かれたって表現してんのか?
「それでクラリスはどんな能力をにぃちゃんに仕掛けたんや?」
「それは――」
素直に答えようとして咄嗟に口をつぐんだ。
それを話していいのだろうか?
使うつもりは無いものの、俺の能力はこいつに対する切り札のはずだ。
それを明かしてしまうのは軽率だ。
「それは言えんよなぁ。うっかり答えてくれんのかと思ったで」
俺の心中を察したのかヴィオラが笑う。
「質問を変える。クラリスはにぃちゃんがチビッ子に話した願いを知ってるか?」
「ああ、知ってる。っていうか、ユメリはクラリスに言われて俺のところに来たって言ってたし」
「なんやて!?」
うっ……俺を睨まれても困るんだけど……
「あいつ、何考えとるんや。そんなことしたら結果は見えとるやないか」
「……お前、もしかして俺の能力の消し方知ってるのか?」
ヴィオラの反応からすると、こいつは先の展開が予想できている。
「さあな、知らん」
あからさまにウソだという態度。
「なんだよ! 何か知ってるなら教えてくれても――」
「次に会った時は敵同士や。それにな、チビッ子は四歳いうたかてその能力は強力や。もしかしたら過去にさかのぼってヒトを殺せるっちゅーこともできるかもしれん。せやからウチは千種のやりたいことを止めもせんし協力もする。間違ってるか間違ってないかなんてわからんしな」
ヴィオラは俺の発言を許さない。
それ以上声を掛けるなと鋭い眼光が語っていた。
「そお遠くないうちに会うやろうから、そん時は命がけでチビッ子を守るんやで。ガッカリさせんなや、にぃちゃん」
言いたいことだけ言って、ヴィオラは俺を残して去っていった。
……どいつもこいつも自分勝手な奴ばかりだ。
胸に抱えたモヤモヤを解消することもできずに、俺も学校を後にした。




