楼園千種 2
ユメリに逃げられ、女が部屋に戻ると、まだ昼だというのにビールを片手にテレビを見ている赤髪の女が出迎えた。
ラメの入った金色のジャケットにチェック柄のプリーツスカート。
中には白シャツに緩めた紫のチェックのネクタイで、一昔前のアイドル衣装の様な服装。
先日、深夜にクラリスを追いかけていた女だった。
「おー、千種おかえり」
楼園千種は無言で同居人に近寄る。
「『あいつ』を見つけた。何度も電話かけたのになんで出ないのよ?」
キスができそうなほど詰め寄って睨む。
「……なんやて?」
千種の言葉に、陽気だった女の雰囲気が一変した。
「誰を見つけた言うた?」
「『あいつ』よ。名前はユメリっていうみたい。一緒に若い男がいたけど、たいした奴じゃなかった」
そんな馬鹿な、と言いかけて女は寸前のところで飲み込んだ。
「それでどうしたん?」
「捕まえようとしたけど抵抗されて逃げられた」
ギリッと憎々しげに奥歯を鳴らす千種。
逃がしたのがよほど悔しかったのか、体は小刻みに震え、少し刺激されただけで感情が爆発しそうだ。
「奇襲をかけようと思えば簡単にできた。けど『あいつ』を見つけたとき、わたしと同い年くらいの女の子と話してたからできなかったのよ。『あいつ』は人間の生活に溶け込むために人の記憶を侵す。無遠慮に記憶に侵入して、無理やり自分の居場所を作る」
千種の拳に力が入る。
「だから誰も気づかない。突然『あいつ』が現れても誰も気にしない。あの子が操られて人質に取られたら何もできないから、一人になったところを狙おうと思ったんだけど『あいつ』は一緒にいた男に憑いていた。きっとあいつも殺される。わたしのお父さんとお母さんみたいに殺されるんだ」
千種が瞳を伏せる。
「いやすまん。そんなことになってるなんて気づかへんかった」
近くに投げてあったスマホを見ると、電源が切れて真っ暗になっている。
昨日から充電バーが赤かったのを思い出す。
「充電切れとったわ」
その反応に千種は溜息を吐く。
「……いつもの事だから今さら言ってもしょうがないけど、これからはちゃんとしてよねヴィオラ」
「そう言ってもらえると助かるわー」
女、ヴィオラは苦笑してみせるものの、内心穏やかではなかった。
「でも千種から逃げるなんて、何かされたんか?」
「『あいつ』の瞳が赤くなったとたん頭痛がして、動きたくても動けなかったのよ。少し動くだけで吐き気がする程にね」
「……なるほど。けど憑いてる人間がいるなら面倒やな」
「うん。もう呆れるくらい洗脳されてるっぽいしね」
あの男の顔を思い出すだけで腹が立つ。
「けどどうするん? そいつを人質に取られたら、いや、もう人質にされてるも同然か。ウチら手が出せへんで?」
千種は他人を巻き込むことを嫌っている。
「どうするって……どうすればいいのよ?」
悩む千種に、ヴィオラも一緒に悩んでるフリをする。
正直なところ、ヴィオラにとってこの出来事は想定外だった。
なぜなら、千種とユメリは『絶対に出会わない』ようになっていたからだ。
それなのに千種はユメリを見つけた。
これは偶然ではなく、確固たる必然。
考えられる理由は一つだけ。
(ちびっ子の能力がウチの仕掛けを壊しよった)
内心爪を噛む。
千種とユメリが出会わないようにしていたのはヴィオラの仕業。
その仕組みをユメリの絶対的な能力でかき消された以外に考えられない。
実際のところ、ヴィオラはユメリのことをよく知っている。
だがそれは訳あって千種には隠し、自分もユメリのことを知らぬ顔で通していた。
しかし、千種がユメリと出会ってしまったのなら話は別だ。
千種は両親の仇を討とうとユメリを狙っている。
十年間、その事だけを願いながら彼女は過ごしてきた。
そしてヴィオラは、その『願い』を叶えるために千種と一緒にいるのだ。
本心は乗り気ではない。
両者を出会わせないようにしていたぐらいなのだ。
しかしもうどうにもできない。
自分たちはユメリの能力に巻き込まれてしまった。
自分たちを巻き込むということは、ユメリの主はよほど人間には不可能な『願い』を言ったのだろう。
クラリスやユメリは『願い』のことを『夢』と表現するが、そんなことはどうでもいいし、ユメリの主がどんな『願い』を望んだのかも興味はない。
ただそのせいで、自分たちの生活が一変することが許せなかった。
先日、クラリスが目の前に現れた時は、その行動の意図がまるでわからなかった。
自分たちはお互いに姿さえ見せなければ干渉することはない。
なのにクラリスは身の危険を冒すような真似をして、わざとこっちの『衝動』を刺激した。
それは本能に埋め込まれた、理性では抑制できない『ある欲求』を生み出すものだ。
その行動がこの件の布石だったとしたら、本質までは見抜けないがある程度の納得はできる。
(……あいつ、何を企んどるんや?)
もし仮に、先日会った時にユメリの能力がすでに動いていたとしたら、クラリスもその影響下にあったと言える。
だとしたらこれはクラリスの企みではなく、ユメリが目的とする道筋の過程でしかない。
「そうやなぁ……『あいつ』とその男を別々に押さえればええんちゃうん?」
千種はユメリの姿だけは知っていた。
だから今日名前を知るまではユメリを指すときは『あいつ』と呼んでいた。
「……それはそうだけど……そんなに簡単にいくかな? 『あいつ』と一緒にいた男だって、わたしみたいに特殊能力を持ってるかもしれないじゃない」
千種はユメリと対峙するには相性が悪い。
よって、自然と千種の相手は男のほうになってしまうわけだが、さてどう説明したものかとヴィオラは考える。
「その前にやな、『あいつ』がどこにいるのかどうやって探すんや? 偶然見つけたのはいいけど、行動を起こす時に闇雲に探すのは勘弁やで?」
「大丈夫よ。一緒にいた男の手がかりはわかってる」
「……さよか」
これで千種が手がかりを持ってなければ、もう少しこの生活も続けられたのにと、少しだけヴィオラは気を落とした。
「男は嶺桜の学生よ。あの学校を調べれば男の居場所がわかるわ」
私立嶺桜高等学校。
進学校でありながら、スポーツや文芸活動に力を入れ、特に他校には無い芸能科が注目を浴びている、本当に進学校? と首を傾げられる高校である。
「男って、学生だったんか」
千種は男としか言わなかったから、てっきりもっと歳が上の人間かと思っていた。
「なんや、千種と同い年かもしれんな~」
「そんなのどうでもいいわよ。それで、そいつが置いてった自転車に学校のシールが貼ってあったのね」
ハルは普段徒歩で通学しているが、たまに自転車で通学することもある。
その際、学校の自転車置き場に生徒の自転車だとわかるように、学校指定のシールが貼ってあるのである。
なるほど、とヴィオラは納得した。
ヴィオラは思案する。
ユメリの憑いている人間の居場所がわかれば、ほぼ詰みと言ってもいい。
今回幸運だったのは、ユメリの能力に巻き込まれたと自覚できたことだ。
本来なら能力に巻き込まれたことにも気づかず、自己の判断で動いていると錯覚させられて利用されるのがオチだったはず。
催眠術にかけられて、普段やりもしないことを何の疑問も抱かずに平然とやってしまうようなものだ。
しかしヴィオラは、千種とユメリは『偶然でも出会うことは無い』という現象を起こしていた。
現象を起こすとは字の如く。
地球の反対側で生まれた人間でも、もしかしたらどこかですれ違うかもしれないという可能性がある。
それは限りなく低い可能性だが『0』ではない。
その可能性を確実に『0』にしてしまう作用を持つ現象をヴィオラは起こしていた。
人間の言葉で表すなら魔法や奇跡。
ヴィオラたちにとってそんな現象を起こす事は腕を動かすのと同等で、魔法や奇跡などと特別な言葉で括るようなものではないが、それを行えることはこの世で特別なことだと理解はしている。
だからその現象を無視して千種とユメリが出会ったということは、自分の力を上回る力に邪魔をされたと言う他ならない。
それが出来るのは、知るところ一人しかいない。
現象のターゲットとなっていたユメリ本人の能力である。
だから気づけた。
力と力が拮抗してるなら、邪魔をされる時に起こる摩擦や圧力で感知できるのだが、生憎ユメリの能力は規格外もいいとこで、蟻が大津波に飲み込まれたかのように、自身に何が起こったのか理解もできず、流れに身を任せるしかないのだ。
大津波に飲み込まれたものの、海の中に引きずり込まれたと理解できただけでも幸運だったのだ。
わからなければ養殖で育てられる魚と同じ。
目的の為だけに泳がされるだけだ。
だが、誰もが逆らえない反則的なユメリの能力には致命的な弱点があった。
それは『ユメリの能力はユメリ自身を守らない』ということである。
つまり、本人が望む結果へとレールは敷くものの、その道中の障害に対しては関与しないのだ。
大きな壁が立ち塞がればそれを排除してくれるわけでもなし、大河が横切っていれば向こう岸に渡してくれるわけでもない。
全て自力でクリアしていかなければならないのだ。
望む願いへと導く能力は、不可能な願いに近いほど危険を呼び寄せる諸刃の剣。
不可能な願いを叶えるにはそれ相応の存在を呼び寄せることであり、それだけの力を持つ存在は思惑通りに扱えるものではない。
それこそ命を賭して挑むだけの覚悟が必要だ。
そしてヴィオラの存在は、クラリスとユメリの『天敵』に位置する。
いくら潜在能力で勝っていようが、ユメリはヴィオラを撃退することはできない。
にも関わらず『天敵』であるヴィオラをユメリは引き付けた。
ヴィオラが望まずとも、千種という駒を使って無理矢理舞台に上がらせたのだ。
千種は両親の仇を討つためにユメリの命を狙っている。
ヴィオラの力を借りて特殊能力が使える以外は千種も普通の人間と変わらない。
彼女だって殺人には強い抵抗があるだろうが、初めから千種はユメリを人間とは捉えていなかった。
その点で言えば確かにその通りだ。ユメリは人間ではないのだから。
だから千種はヒトの形をしているユメリを殺すのに抵抗はない。
そこに十年もの恨みが加われば尚更だ。
付け入る隙は充分にある。
むしろ優勢はこちらのほうにあると言ってもいい。
ヴィオラは千種との今の生活をとても大切にしていた。
願わくば、ずっとこのままこの生活が続けばいいとさえ思っている。
それを邪魔するというのなら当然牙も剥こう。
ただ、一つだけ疑問点がある。
千種の両親が殺されたのは十年前。
だがユメリが生まれたのは四年前だ。
千種の話によれば、両親が殺された時、残酷なことにも千種は現場にいて両親の死に際を見ている。
そしてその場には『ユメリと容姿が一致する幼女』が居たと言う。
ユメリが生まれる前にその話を聞いていたヴィオラは、ユメリが生まれて初めてその姿を目にしたときは驚いた。
なにせ千種が話し、絵にも描いた人物像とまったく一緒なのだ。
ヴィオラは一つの仮定を立てた。
前提として、ユメリの能力は因果を無視した現象は起こさない。
主が大金持ちになることを望めば、その人物に権力を与え、財力を得られる功績を与える。
主が不老不死を望めば、それを叶えられるだけの『人間以上の存在』を呼び寄せる。
つまりユメリの能力は、望んだことをすぐに実現するのではなく、無理矢理ではあるが辻褄を合わせようとするのだ。
大金持ちを望んでもすぐに大金が入るわけでもなく、一瞬で不老不死に成れるわけでもない。
まずはその願いを叶えれる状況を作り出す。
さて、その前提を元に考えて、もしユメリがこれまでに憑いた人間の中に『千種の両親が数年前に死んでいたら』又は、『ユメリが生まれる前の時点で、ある事柄に関わった人間全員の死(この場合千種の両親がその中に含まれる)』という願いをユメリに願わせていたら、ユメリの能力は辻褄を合わせるために術者が生まれる以前の過去に遡り、該当する人間たちを『消去』したかもしれないという仮定が立つ。
無茶苦茶な仮定だが、ユメリの能力は未知数。
さらに、自分以上の存在ですらその力で呼び寄せてしまうのだから、過去を変えてしまうなんていうことも出来るのではないか?
それが正しければ、十年前に千種の両親が殺された場所にユメリの姿が現れていてもおかしくはない。
むしろそうでなければ説明がつかないのだ。
だからハッキリと、千種の両親をユメリは殺していない、とは言い切れないし、まずどう説明していいのかもわからない。
「黙っちゃって。何か良い案でもあるの?」
それに自分たちを利用しようと、ユメリの能力は働いたのだ。
こうなった以上どう足掻こうが抜け出すことはできない。
「良い案っちゅーか、学校がわれてんのやったらやることは決まっとるやないか」
それならば自分の考えに忠実に従おう。
「え? 何よ?」
千種の為に、出来るだけのことをやろうと十年前に決めたのだから。
「は? わからんの? 相変わらずアホやなー」
「うるっさい! いいから話せ!」
こんな時ばかりは、やっぱり小学校を中退させたんはアカンかったかなぁ、と本気で後悔するヴィオラだった。




