四天王ヒュージス・ライムは、ただモテたい
「そ、そんな……四天王が、こんなに強いなんて」
「女神様の奇跡が効かないなんて……う、嘘だ」
「いいや、これが現実だよ。 人間諸君」
剣を支えに、片膝をつく勇者。
軽鎧をした男は、倒れ伏しており。
重鎧の大男が、何とか盾を前に突き出す。
回復魔法が使えずに、何も出来ずにいる神官。
自らの魔法により起きた惨状に放心する魔法使い。
そんな光景に思わず、笑みが溢れる。
俺は魔人種の貴族ヒュージス・ライム。
魔王直属の宮廷魔導士だ。
そして、四天王という肩書きがある。
「ここは俺が引きつけるっ! お前たちは逃げろ!」
さて、どうした物かと見ていると。
重鎧の大男が吠えて盾を構えたまま、こちらへと突進を試みる。その号令に合わせ軽鎧の男がすくりと立ち上がり満身創痍の勇者を担ぎ上げ、使い物にならない神官と魔法使いの横を駆け抜けた。
軽鎧の男はやられた振りをして、余力を残したまま状況を観察していたらしい。担ぎ上げられた勇者は何が起こったのか分からないのか終始、目を白黒させる。
「ガインズっ!」
「勇者こそ人類の希望、散らせてなるものかぁ!」
ただ、この程度で逃すような俺ではない。
重鎧の大男の足下へとスライムを移動させ、踏みつけた大男が体勢を崩して地面に転がる。軽鎧の男も同様だ。勇者たちの身体へと粘性の高いスライムが絡みつき、逃げようとする勇者たちの身体から自由を奪う。
小さい悲鳴を聞きながら、自由を奪われた面々へと近寄った。俺単体の実力は四天王の中で最弱だ。ただし状況を整えれば四天王最強の存在でもある。粘り流動するスライムにより、拘束された勇者たちを見渡して。
俺は確信した。
「お前ら全員、男かよぉぉおおお!!!」
◇◇◇◇
魔族は生まれながらに、特有の魔法と魔力を持つ。
その為、力が制御できるように年の近い者たちを集めて学園へと入る事になっている。俺の家は魔族の中では中級位階に位置する程度の実力で、それなりにモテるはずだった。
俺の名前は、ヒュージス・ライム。
そして魔獣にヒュージ・スライムというのがいる。
必然的に俺のあだ名は『スライム君』になり、令嬢からは弱そうだの踏みつけられるのが好きそうだの陰で散々に言われ続け。最終的には名家の生まれである他四天王達に興味が移り『スライム君』とすら呼ばれるような事もなくなるという灰色の青春を送ってきた歴史がある。
学園は学びの場である、と同時に出会いの場。
そんな灰色の学園生活を送ってきた俺に残されていた出会いの可能性。それは一発逆転に近い味方と敵幹部の互いの立場が邪魔をする、甘くて切ないラブストーリー。
「なのに……お前たちはっ!」
拘束されたままの勇者たちを睨む。
「何で男しかいねぇんだよ、ホモなのかぁ!?」
「お前は一人、何盛り上がってんだよ!?」
勇者というのは勇者に神官に盾役一人と女魔導士とか、そういう構成が主流として。構成員に女が一人や二人、なんなら勇者以外の全員女性のハーレムとかいう構成もあったりするのにも関わらず。
こいつらと来たら……本当に。
「使えねぇ……」
「おい、何を勝手に失望してるんだっ! 大体、戦場に男も女もあるか。実力がある奴を連れるのは当然、全員が男であっても何ら不思議はないだろ!」
「じゃあ、女の子紹介してよ」
「それは……その」
「やっぱ、いねぇんじゃねぇかよぉ!
返せ! 返せよ。俺の青春をぉおおお!」
嫌な予感はしてたんだ。
前代の四天王を越え、名を冠した時。
周りには同級生のイケメン達が並んでて「おやおや?」と察しそうになりながら。それでもその他の同級生よりかは給料良いし上澄みも上澄みだし、何となくモテるかなと思いながら、特に何もなく今にいたる。
つまり、勇者一行の到来は。
俺に残された最後の希望だったのだ。
「なのに、お前らときたらよぉおおお!」
「うるさいな、人類はそれどころじゃないんだよ!」
元来、人類種と魔族が住む領域には差が存在する。
それは『魔素』と呼ばれる魔力の原料となる物質だ。
魔族は魔素が濃くないと生きられず、逆に人間は濃度が高いと魔力の変換が追いつかず体調を崩す。その為、人類種の中でも変換器系が丈夫な存在を『勇者』として祭り上げて魔族の王族を暗殺し、内乱を勃発させ魔力を消費させようという動きが定期的に行われてきた。
また、その類いだろう。
「各地で魔素侵食が起き、食糧危機に陥っているんだ」
「へぇー……興味ねぇ。あっ、女の子一人なら何があろうとも、一生をかけ幸せにしてみせよう!」
「一人じゃ、意味ないんだよ!」
この際、人類種か魔族か。
片方が根絶やしになれば、今後の憂いもないだろうに。
とは思いはするけれど。実は魔族の中にも魔素変換器系に異常がある個体が生まれ、人類種側の領地へと渡り住むような事も少なくないので何とも言えないのが実情だ。ただ魔王が死んでも俺以外の四天王はカリスマがあるので、内乱が起こるとも思えない。
てな事を考えながら、俺はわざわざ捕まえた勇者達を人類種領側へと返品に動いている。重鎧のおっさん以外はイケメンばかりなので正直、賊として処分したい気分だが俺の今後の計画を考えれば生かしておいて損はない。
「ほら、着いたぞ」
「……本当に、人類側の領地に運んでいたのか」
「振り出し。いや、経験はたしかに残っている」
「いやぁ、まさか帰ってこれるとは」
「何だか神の加護を感じる気がします」
「でも、これからどうしますか?」
スライムの拘束から、縄の拘束に変えられた勇者達は人類種の領地を眺めながら作戦会議を始めている。正直、こいつらが人類種のどんな立場にいる存在かは分からない。
けれど、俺がすべき事は一つ。
「当然、この命の恩人に女を紹介しろ」
◇◇◇◇
勇者一行の襲撃から三ヶ月。
俺は目まぐるしい生活を送った。
重鎧の男からの紹介で面会した令嬢に「化け物」と叫ばれながらありとあらゆる暴言を吐かれ、俺と人類種の見た目の違いは頭に角が生えている程度でしかないのに。最終的に水が入ったコップごと投げつけられたり。
軽鎧の男からの紹介が、完全に結婚前提ではない一夜の夢を共にする系の女性陣だったり。女を紹介できない神官が俺を暗殺しようと企てたり。何をトチ狂ったのか女装をして妹を自称する勇者がいたりと色々とあったのだ。
それでも、俺は魔導士の紹介で。
地方の令嬢と上手いことやれている。
「今日も凄い移動距離だ、ガンバルゾー」
魔族領の領地よりも魔素が薄い人類種領では、魔法を使い過ぎると人間でいう貧血のような状態を起こす為。俺はもっぱら令嬢からプレゼントされた馬で行動を続けていた。
今、俺が何をしているかと言うと。
魔法を使った食糧保存である。
俺の固有魔法は『腐敗』だ。
腐敗により回復魔法の効果を減衰させたり、スライムを腐敗させる事により瞬発的にガスを放出させ誘爆させたり。粘菌系スライムを活性化させる事により戦闘中に増殖させたりなど、非常に応用が効く魔法なのである。
そんな優秀な俺は固有魔法を使い。地方令嬢の囲う農園での収穫物を腐敗魔法により、いい感じに熟成加工を行なって長期保存できるように活動している訳である。
これは最近知ったのだが、魔法であるため使用すると周囲の魔素を吸収するらしく。腐敗魔法で加工すれば、魔素侵食を起こした食糧も食べられるようになるようだ。
可愛い令嬢の頼みなので、俺は三ヶ月ずっと令嬢の下にも帰らずに地方領民の食糧を保存する旅を続けている。飢饉が起こっているのは確かで、魔素侵食を起こした食べ物を食した領民が病に罹ったように苦しんでおり、腐敗をかけて体内の微生物を活性化させる事により体内中の魔素を消費させるなど医者の真似事も始め。
「違うだろ、勇者」
「うわっ、びっくりした!?」
俺は勇者の下へ来た。
地方の令嬢を紹介したのは魔導士だが。
「よく分からないけど、何が違ったんだよ」
「俺は恋をしたいのであって。
仕事を恋人にしたい訳じゃない」
そう言って、俺は令嬢から渡された翌月の予定を勇者一行の足下へと放ってやる。順々に俺が渡された予定表を回してゆき、渡すごとに見た者達の顔が曇ってゆく。
最後に見た勇者が、静かにうなずいた。
「半年まで予定があるとは、随分と気に入られたな」
「気に入られてねぇよ! それも半年分じゃなくて翌月分だからな。こんなスケジュールで動けるような存在が、この世にいてたまるか!?」
「キレるなよ……待て、令嬢を害してないだろうな」
「何なら三ヶ月前に会ったきりだわっ!」
もう、一週間もまともに寝れていない。
人類種の労働は大変だと思っていたのだが、ひどい。
決死隊であるはずの勇者達でさえも、引いている時点でかなりヤバい予定が組まされていたらしい。途中からおかしいと思っていたのだ、食糧も領民分は賄える量に達しているのに何でかなぁと考えていたのだが。
多分、他の領地から買い集めてもいたのだろう。
俺の魔法によって無害化できると知った時点で「え?じゃあ二束三文の魔素侵食を起こした食糧を買って、加工させればボロ儲けじゃね」的なえげつない事を考えていたのだろう。ひどい。ひどすぎる。
予定表を眺めながら、魔導士がこぼす。
「うわぁ……やっぱ、あの娘の性格キツかったかぁ」
「っ!? お前っ! おまえぇえぇええ!」
分かってたんじゃねぇか、クソ野郎ぉお!
俺は純粋に、しっかりした娘だなぁとか思ってたわ。
あんな使い潰す気で働かせるような娘ならもっと早く逃げ出してたわ、クソが。痩せた領民達が苦労しないよう未来の領主として、死ぬ気で頑張っていた俺が馬鹿みたいじゃないか、ふざけやがって。
「なぁ、ヒュージスライム」
「ヒュージスだっ! わざとだろ、勇者ぁ!」
「そんな事はどうでもいい。俺たちは今、四天王の一人である炎帝フェニルの打倒を目指している。同級生だというお前なら、奴についての情報を持っているはずだろ?」
その勇者の提案に思わず、停止する。
それは、つまり俺に同族を売れという事だった。
◇◇◇◇
フェニル・ウィルバンは。
四天王最強の火力と耐久性を誇る存在だ。
ウィルバン公爵家は代々炎系統の魔術を継承してきた一族であり、魔王として君臨した時代もある名家だ。とくに今代の当主フェニルは、その完成形と呼んでいいだろう。
不死を思わせる再生力。
剣技は守りに重点を置いた、鉄壁。
その上で、他四天王を凌ぐ瞬間火力を持つ。
まず順当な手段での勝機はない。
正面から戦えば地力で押し負け、搦手は炎魔法により焼き払われて無意味と化す。その上、白い軍服を着ており赤い髪の威圧感のあるクール天然イケメン御曹司。基本的に尊大な態度で威圧感があるが、意外と人格者で話ができるし優しさも兼ね備えている。
人類種の近況を聞いたら。
「同情してくれたらいいなぁ……」
「結論として同情を誘えって、どうなんだよ!?」
「炎耐性の高い服を貸してやるから……あっ、そうだ」
◇◆◇◆
勇者は、ウィルバン公爵家へと訪れた。
門前で仲間だけを残して、中へと進む。
広い庭を抜けて邸宅へと入ると、フェニルは静かに椅子へと座って待ち構えていた。勇者の姿を捉えると場の空気が熱せられ、邸内の装飾品達が炎熱によって姿を変える。
赤い長髪。白い軍服。
長いまつ毛に端正な顔立ち。
勇者は静かにヒュージスを呪った。
何が威圧感があるだ。
これは強者特有の覇気だ。
明らかに生物としての格が違う。
息をするだけで、咽喉か悲鳴が出そうになるのを我慢して勇者は耐える。魔力がフェニルに呼応しているのか、勇者が立っている周囲からも火の粉が舞っている。
それでも勇者が炎熱に耐えられるのは、ヒュージスから貸し与えられたフェニルの軍服と対になるようにデザインされた白い軍服による物だ。その性能は凄まじくフェニルの炎熱もまるで感じない。
「どうやら……本当に、ヒュージスを倒したらしいな」
フェニルの声が響き、勇者への重圧が増す。
勇者は静かに、その声色に含まれる。
怒気を察知した。
「貴様が着ている服、その価値を。
その意味を――理解してしているか?」
勇者の脳裏へと。
走馬灯のようにヒュージスの言葉が過ぎる。
『フェニルを怒らせるなよ。気分で魔力が増減するとかいう種族の血も引き継いでるから、キレたりテンション上がると魔力無尽蔵に湧くような奴だから』
勇者は、この服の因縁を知らないが。
ただ一つだけ、分かった事がある。
「恨むぞぉ! ヒュージスライムぅぅうう!」
フェニルの逆鱗に触れたのは。
ヒュージス・ライムの方だった。
◇◇◇◇
「ふざけんなよっ!? もう少しで死んでたぞ!」
「うわっ……勇者だ」
今度は俺ではなく、勇者の方がやってきた。
前回の反省を活かした俺は、商家で働いている。
重鎧のおっさんの紹介で商家に雇ってもらい、給金を貰いながら生活をする事にしたのだ。と言っても、人類種は飢饉により物価が高騰しているので、単純に雇ってもらうのも苦労したと重鎧のおっさんが言っていた。
それなのに。
「勇者……お前、空気読めよ。仕事中だぞ」
「こっちは、お前の所為で死にかけたんだぞ!?」
俺が今やっている作業は、在庫の確認だ。魔族を従業員として表に出せないとして、必然的に荷運びや在庫の確認といった裏での作業が俺の仕事となった訳である。賃金の相場は分からないけれど、王家とも繋がりのある商家らしいので二、三年も貯金すれば結婚できる程になると信じたい。
「暗殺を企んでるような奴が今更、命を惜しむなよ」
「おい、いきなり正論で殴るな!」
勇者をなだめつつ、内心で安堵する。
俺の時のように戦闘していれば、勇者は死んでいる。
だが、こうして生きて帰ってきたという事はフェニルとも交渉が行えたという事だろう。どんな取引をしたかは知らないが、勇者一行の中で魔族は話が通じる相手になりつつあるのかも知れない。そう思うと少しだけ人類種と魔族との関係に変化があるのではないかと思えてくる。
そうなれば、きっと。
「人類種と結婚しても、祝福される日が」
「こないだろうな、少なくとも僕は祝わない」
勇者一行に混ざり。
フェニルが壁に寄りかかっていた。
…………?
フェニルは四天王の一人で、公爵家の跡取りだ。
人類種の領土にいる訳がない。きっと見間違いだ。
「今の状況に不満があるのなら聞いてやろう。魔族領にだってよい縁はいくらでもあるはずだ。君は努力家で気配りのできる奴で、僕も君のことが……違う。そうじゃなくて。
まぁ、何にせよ魔族領に帰ろう」
「だ、誰だ……お前はっ!」
俺の知っているフェニルは。
こんな初々しい話し方はしない。
いつも余裕の笑みを浮かべてるのに威圧感があり。女子に囲まれても動じない澄ました顔をするハーレム野郎だ。こんな緊張や動揺したような話し方をする奴じゃない。顔や魔力などは一致するが、どうしても本人とは思えない。
あいつは文化祭で開かれるパーティーの服装を悩んでいた俺に、火耐性の高い白軍服を渡すような奴なのだ。ああいう服装はイケメンが着るから許されるのであって、俺のようなフツメンが着ると浮く。
何ならフェニルがいつも着ている所為で当日は、軍服さえ誰も身につけないという状況になっていた。それなのに、当日もフェニルは白軍服を着てくるという暴挙を行った。
その天然により俺は場内にも入れず、外で共に参加できなかった水棲魔族である他の現四天王と二人で星を見つめるという虚しい青春を送るはめにさせたような奴なのだ。
「冗談でも、忘れたなんて……やめてくれ」
「……でも、フェニルっぽくないんだよ」
そう言うと。
偽フェニルは見たこともない顔をした。
今にも泣き出しそうというか、泣くのを我慢しているようなそんな表情だ。俺はフェニルがそんな表情をしている姿を見た事がない。だって、あいつはイケメンで周囲からモテモテで誰にも愛されるような奴で。
状況が悪くても、悔しくても、困難に立ち向かって最後には爽やかに微笑んで受け入れる度量が大きくて。まるで童話にでてくる本物の王子様のような。
そんな。
「僕がフェニルじゃないなら、誰だって言うんだよ!」
「ほ、ほら……えっと、弟とか?」
「僕は女だっ!」
「い、妹だったのかぁ! そっか、そっかぁ……」
フェニル妹は、堰を切ったように泣き出した。居た堪れなくなり助けを乞うように勇者達へと視線をやれば、勇者には虫でも見るような冷たい目を向けており、他の連中には気まずげに目を逸らされた。
こいつら。
本当に使えない。
◇◇◇◇
「ヒュージス、頬にご飯粒ついてるぞ」
「なぁ、お前……実はフェニル本人だったり」
「すると思うなら。 ほら……調べれば?
どうした、フェニルが男だと言ったのは君だろう」
勇者がきてから一週間。
フェニル妹(仮)は、領地に帰らずにいた。
倉庫へと運び込まれてくる荷を運びながら、話をしてみたが話し方や所作に関してもフェニルでしかなく。本人だと疑い始めているのだが、こうして聞くと上着を脱いで確認するように話をかわされるのだ。軍服を脱いだシャツ姿なら、調べずとも女性であると分かる。
ただフェニルであろうと妹であろうと、公爵家に連なる者であるのは変わらない。言うなれば、魔族領側の令嬢である訳だ。公爵ともなれば魔王と同等の権威を持つ存在として扱われる。
そんな令嬢の胸を揉んで、ただで済む訳がない。
彼女が許しても、周囲が許さない。
「そ、そうだ……料理はどうだ。口に合ったか?」
「話をそらしたな。まぁ、料理はどれも美味しいよ。ただ僕には少し淡白かな、何だかお腹は膨れてもどうしても満足感がないんだよ。何というか物足りない感じがする」
フェニルの言葉に俺も同意する。
その原因は分かっている、俺たちが魔族だからだ。
そもそも魔族領側の食糧は、全て魔素侵食が起きているので魔素が多く含まれている。一方で、人類種領側で流通している食糧は魔素が少なく、魔族としては十分な魔力を生成できずに物足りなく感じるのだろう。
数少ない人類種領の食糧を俺たちが食うのはあれだが、そもそも魔素侵食を起こしている食糧が流通していないので仕方がない。そう考えれば、あの短期間で販路を確保した地方令嬢も優秀な人物だったのだと実感させられる。
一ヶ月程しか経っていないのに。
あの激動の三ヶ月が遠い昔のようだ。
「問題は人類種領側に食糧がない現状だ」
そのフェニルの言葉に、俺も同意する。勇者達は水棲魔族の四天王の下へと行ってはいるけれど、望み薄だ。仮に魔素侵食を起こしていなくとも水産資源は足が早いので加工が必要となり、人類種領に出回る頃には飢饉が中規模にまで拡大しているだろう予想が立つ。
最期の四天王ならば大規模な軍事演習を行い、魔族領側で魔素を消費できるかも知れないが結果は翌年。それもどの程度行えばいいかも分からないし、奴がそんな計算をするとも思えない。
こう言っては何だが。
人類種領側の判断が遅すぎたのが悪い。
「帰ったぞ」
「勇者か……おい、他の連中はどうした?」
扉が開いたので、そちらを向くと。
勇者一行ではなく、勇者のみが立っていた。
前のように怒号が飛ぶような事もなければ、その表情には影が差している。勇者は俺の言葉に拳を握りしめ、ただ小さく肩を震わせる。今になって思い至る。魔族領において勇者というのは単なるテロリストでしかない。俺やフェニルのように話が通じるような相手だけとは限らないのだ。
たしかに勇者が交渉へと向かった先、水棲魔族の四天王セレンは先代を殺して四天王になった少年だ。内向的な性格をしているが優しい性格だと俺は知っていたのだが、時として非情な面があるのも知っていた。
ならば、そうだ。
責任の一端は俺にもある。
「事の顛末を伝えたい、しばらく二人にしてくれ」
「分かっ」「ダメだ」
言葉を遮られ。
フェニルを見る。
何が気に触ったのかフェニルの周りでは、反応した魔素により火の粉が舞う。たしかに俺たちのいる建物の周りには取り囲むように配置された人々の魔力を察知しているが、それは唯一の生き残りである勇者に万が一があってはならないからであり。
瞬間、莫大な魔力を察知する。
「ヒュージィス、会いたかったぜぇ!」
倉庫の壁が爆散した。
まだ何も理解できていない俺を置き去りに。
土煙の中から四天王の紅一点ネフェスの声が木霊した。
◇◇◇◇
勇者一行と会ってから一年近くが経つ。
倉庫へとネフェスが襲撃して以降。
ネフェスに拉致られかけ、セレンに助けられたかと思えば海底都市へと連行されかけ。何故か、フェニルの婚約者として魔族領内で噂が流布していたり。人類種領側では件の地方令嬢との縁談が知らない内に決まっていたりと。
散々な目にあったのだ。
そんな動乱の最中。セレンとフェニルが女性だという事実が判明し、紅一点のネフェスだと思っていたがどうやら四天王のうち俺の方が黒一点であったという衝撃の事実を明かされたりもして。
もう乾いた笑いしか出てこない。
「ほら、追加の縁談だ。
よかったな、モテモテじゃないか」
そう言われ、勇者から書類束が渡される。
一年前の俺ならば飛びついただろう、それは。
今では見るだけで、うんざりする量となっていた。
地方令嬢が強引に縁談を進めたことにより、俺へと探りを入れる者が増え。俺の固有魔法『腐敗』による食品加工やら腸内細菌を活性による治療を知った者が現れたのだ。たしかによく考えてみれば、俺の固有魔法があれば人類種領側で魔素侵食問題は解決する。
何なら子孫に遺伝すれば。
その一族が人類種領側の実権を握れるだろう。
「結論を出さないと、更に混沌とした事になるぞ」
「分かってる」
分かっているけど。
どう考えても無理なのだ。
四天王の誰かを選べば、他の四天王が黙っていない。
最悪な事にフェニルとセレンから、俺は知らなかったが婚約と同じ意味を持つとされる。白い軍服と一角水獣の角笛を受け渡されており、ネフェスはそんな事など関係ないと動く奴である。なので、魔族領側で結婚など出来やしない。
ただ人類種領側で結婚したとしても、大した違いはないと思うのだ。何なら件の地方令嬢や商家の娘が参戦するだろうと容易に想像できるので更に苛烈さを増す気がする。なぜだろう、時間経過とともに状況が悪化している気がする。
うんうんと悩んでいると。
勇者が手を払い、侍女が部屋を後にする。
何事かと視線をやれば、勇者は俺へと頭を下げた。
「ヒュージス・ライム。お前には……いや、貴殿には感謝してもしたりない程の恩がある。私の命だけではない。仲間も国民も皆、貴殿によって救われた」
「どうした、改まって気持ち悪い」
粗野な言動をしていた勇者の。
丁寧な対応に思わず引く。
たしかに勇者にとって俺は命の恩人な上。勇者一行が解決するはずだった食糧問題も解決し。勇者一行も商家の倉庫に勇者のみが来た時は死んだと思ったが、四天王と和解が成立したのを機に解散してそれぞれの人生を歩んでいるらしい。
そう言えば何故、あの時。
フェニルは勇者の提案を遮ったのか。
「ヒュージス」
名前を呼ばれ。
意識を前へと戻す。
「悩んだ時は、身体を動かすといい」
勇者がネフェスみたい事をいう。
いや、魔族領と人類種領のどちらでも心落ちつく所がなかったので勇者の下に身を隠しにやってきたのだ。こうして気晴らしに運動をしてみるのは良い案かも知れない。
ただ一つ懸念があるとすれば、ここが勇者の私室だという事くらいだろう。部屋はバカみたいに広いが部屋には棚や寝台もあるので、万が一ぶつかれば壊れるかもしれない。
「いいのか、お前の私室だろ」
「まぁ、だから。魔法も武器もなしでいこう」
素手のみの運動など。
魔族の俺に敵わないだろうに。
言葉少なに勇者が殴りかかってくるので、俺はそれを即座にかわす。やはり純粋な身体能力では、勇者が俺に並ぶことはない。ただこうして身体を動かしていると最初に出会った時を思い出す。
勇者一行を逃さないように攻撃をいなしながら、周囲へとスライムを張り巡らせて退路を塞ぎ。互いにある程度の損耗が見えてきた所でスライムを活性化させ、ガスを噴射して魔導師の魔法を誘爆させたのだ。
まったくもって懐かしい。
軽く俺も汗が滲んできた頃。
勇者は汗だくで寝台に倒れ込む。
問題は何も解決してないが、身体を動かしたからか何だか爽快だ。そう言えば、最近ずっと魔法ばかりで身体を動かす事は減っていたように思う。勇者はそんな事を考えて俺に運動するように勧めてくれたのかも知れない。
「……俺はモテたかった訳じゃないのかもな」
学園へと入ってからフェニルと競い。
セレンに会ってから技術を磨き。
ネフェスと鍛錬した。
ただ学園を卒業してから俺を待っていたのは、書類などといった事務的な物ばかりで新しい出会いもない。四天王となってからは他三人が領主や統率者、将軍として、華々しく活躍する一方で大した活躍もない日々を過ごしていた。
俺は多分、寂しかったのだ。
だからこそ、そんな日常を変えてくれる存在を。
きっかけを求めていたのだろうと、今なら思う。
礼を言おうと、勇者をみると。
勇者は自身の手の平へと短剣を滑らせていた。
寝台へと点々と血が流れ落ち、染みが広がる。
「いい事を教えてやろう、ヒュージスライム」
熱のこもった呼気は吐き。
のぼせたように勇者は微笑む。
その姿に俺は耳を塞ぐことにした。