漆黒の華とかつての友の影
ふと、左肩に痛みを感じ、闇の中で俺は目を開く。
辺りは先程と変わらない闇に包まれている…、違うな。今は夜ではないし、日も陰っているわけではない。だが夜よりも昏いと視界とは違う感覚でそう感じるのだ。
意識を失っていたわけではないが、気がつけば何かに抉られたような感覚を感じた。普通ならあまりの痛みに悶絶してもおかしくないのだが、何故だか客観的にその状態を理解しただけだ。痛みにパニックを起こすとか怪我をどうにかしようと慌てるとかそういったアクションを起こす気もせず、俺はただ紛い者ヤロウの長剣が埋まっている肩を眺めボーっとしているだけだった。
痛みは感じていたのだが、そこまでの苦痛ではない。……それもそうか、この痛みは錯覚に過ぎないのだ、そう思い直す。
周囲は闇に包まれているが、辺りの様子はしっかりと見えている。頭の方はボーっとしてあまり回ってはいないけれど。
―― …よくも…小癪な真似を…… ――
先ほどの声が聴こえた。気のせいだろうか、直ぐ近くにいたかと思っていた声が少し遠退いた風に思える。
そんな恨み言のような呟きが聞こえてはいないのか、紛い者野郎が食い込んでいる長剣で俺の左腕を断ちきるように力を込めてきた。
きちんと把握はしているのだが、抵抗する気も失せていた俺は身動きもせず、それを他人事のように眺めていた。
―― 足掻け!このままではお前の望みは叶わぬぞ!! ――
焦れたように声が命じてくるが、不思議とさっきまでの苛立ちや怒りは沸き起こらない。無気力だと表されているいつも通りの俺だ…。
歯噛みをするような苛立ちを含んだ声に、まぁご苦労なことだと労いの声でもかけてやろうかと思えるくらいに他人事のように状況を静観する。
おそらく紛い者ヤロウは厄介な得物を排除し、流れるように…まぁ首をはねるか、心臓を突き刺すか、どちらにせよ殺されるのだろう。今の俺は死に体みたいなもんだしな。足掻くだけ無駄だな。
別に積極的に死にたいとは考えてもなかったが、生き延びなければと執着する程生きようとする気持ちも、そんな価値も俺の命にあるとは思ってない。
全くろくでもねぇ人生だった。
そんな諦めの言葉を頭の中で呟くと、
―― 今お前に死なれるわけにはいかぬ… ――
遠くで響く声が俺の呟きを拒む。
ボンヤリとした頭で考えていると紛い者野郎の怒ったような罵声が聞こえてきた気がした。
何が起きたんだか…とさして興味もない疑問を浮かべながら、目の前にいる紛い者を見上げていると、焦ったような表情をしながら俺の肩辺りに食い込ませていた長剣を引き抜いた。
反射的に肩を押さえ、奴の長剣を眺めると、乾いた血が刀身にこびりついてるのを見た…。おそらく俺の血に汚れたのだろうその長剣を振りかざした。……あぁ、炎の≪異能≫のせいで血が乾いているのか、等と我ながら妙なところで冷静な推理をしていたら、叫び声が聞こえてきた。
至近距離の紛い者の声よりもよく聞こえた事に疑問に思いながらそちらへと視線を向ければ、……幼い子どもがこちらを見て叫んでいる。
………何故、ガキが……?
これまたどっかで見たような面だとボンヤリしたまま見つめていると、子どもを見て驚愕したような表情をした紛い者が、ハッと我に返り俺に向かって長剣を振るった。
あぁ、死ぬな、これは。
そんな風に思ったところで、また子どもが叫んだ。その声が聴こえたのと同時に、俺の身体が何かに包まれた気がした。俺の使う闇の障壁に似てるな、そう考える前に届いた紛い者の長剣はソレに阻まれていた。
あの子どもか?
不思議と自然にそう思えた。
誰だったっけ?……最近、この顔を見た気がした。子どもをじっと見ながらここ数日の記憶を探る。
今日の午前中は劇場に行った。デュランタと珍しく閣下……支配人に会った。劇場の修復作業をしてる人間を数人見た。…知った顔はいなかった。昨日より前の数日間は塒に篭ってた。数日前の悪夢のせいで外に出る気が…………………、
―――悪夢だ。
あの日見た夢の、俺の子どもの頃の友人、ハムだ。
いや、そんな馬鹿な!
俺はあり得ない筈の幻を見つめる。そうだ、ありえる筈がない。……だって、アイツはあの時…………。
信じられない思いで俺はハムを見る。ハムは無表情のまま紛い者ヤロウの方へ向き、紛い者ヤロウもまたハムを警戒しているように睨み付けている。
そして徐に長剣を持ち上げ、ハムの方に向けた。
「………ゃめろ…」
ハムの姿をしてはいるものの本当に本人かはわからない……。幻影なのかもしれないと思いつつも制止しようと、俺は立ち上がろうとした。しかし、痛みはあまり感じなくとも身体は重症だと判断したのか、俺の意思を無視して膝から崩れ落ちた。
「…これ以上のイレギュラーは勘弁しろよ。」
紛い者は剣を振りかざし、再びあのよくわからない呪を唱え始め、
『アイディークンツァイトエリア3vコウソクパスワー…』
『ぁアァあァァ――ッ!!』
ハムがまた叫んだ。
その叫び声と共にハムの足元から闇が拡がっていく。何処か苦しそうな声に聴こえた。
―――助けなくては…
俺は何とか動こうとするが、いつの間にか足下にも拡がっていた闇に触れ、また意識が朦朧としてくる。
元々重く感じていた身体が、更に重く…まるで鉄球でも括られたのかと思えるぐらいに重くなり、動くことも出来なくなった。
―― 求めよ…力を… ――
遠退いていた声が、またすぐ近くで聴こえてきた。……足元から拡がる闇の奥底から聴こえてくる様だ。
また思考がぼんやりとしてくる。
闇が底無し沼を思わせるように俺を飲み込もうとしている。
―― 力がなければまた奪われてしまうぞ… ――
沈みそうな意識をハムへと戻せば、そこには囚われ、踠く姿が見えた。あの時と同じように。
思い出したくなくとも、無理やりこじ開けられるようにかつての記憶が鮮明に頭を駆け巡る。
白い石壁で出来ただだっ広い部屋。
目の前であのよくわからない魔道具で身動きのとれなくなったハムが泣き叫んで助けを求める。
今と同じくハムの元へ駆け寄ろうとしているのに動けない俺。ハムの背後から闇が現れ、彼が包み込まれるのを眺める事しか出来ない。
ハムを呑み込み、その闇が更に大きく拡がりを見せ、俺へと伸びて来て……そして…………、
「……――ッああァぁ―――!!」
俺もまた呑み込まれた――――




