痛みは何処からくるのか
「…へぇ、あの風使いが媛さんの専属の騎士様にねぇ…。」
≪異形≫の獣が倒れた後、強制的に延長された茶番劇から痛い目に合いながらも、ようやっと解放されたカナンは人気の少ない酒場でささやかな祝杯を上げていた。
その痛い目に合わせてくれた風使いが、自分と同じ飼い主に飼われると聞いてもさして大きな反応は返さなかった。
カナン扮するラナンキュラスが≪異形≫を討つ事が目的だったのではないかと見抜いたとの話から、アイシャは彼の観察眼やら洞察力やらを甚く気に入ったとの話らしい。
イレギュラーの≪異形≫の報告の時に軽口で言っていた『強くて賢くて一途なナイスガイ』が本当に現れたというわけだ。
カナンがうっかりフジを守ってしまったせいで色々とバレてしまったらしいが、まぁ同じ穴の狢になったんなら問題はなさそうだと結論付けた。
正直、カナンにとってはどうでもいい話だ。
「そんな事をわざわざ伝えに来るとは、あんた意外に暇なのか?フジ。」
カナンが座るテーブル席の前で、フジは相席するでもなく、別の席で注文するでもなく、立ったままカナンにリンドウの事を伝えていた。
デュランタのようにやたら馴れ馴れしい態度も苦手だが、フジのように堅苦しいのも息が詰まる。
ため息をつきながら、「あんたも呑むか?」と気を利かせて訊いてみるが、「結構です。」とスッパリと断られた。
「私もそれだけを伝える程に暇をもて余してはいません。あくまでもこれはついでの世間話のようなもの。」
「……世間話、あんたがか。」
鉄面皮のままに言うその言葉に酷い違和感を感じたが、とりあえずはカナンはスルーしておいた。
小さな酒場のカウンターの向こうにいる、話好きなマスターがニヤニヤこちらを笑ってみている。
確かにフジは燻したような銀髪を簡素に纏めているから地味な印象を与えているが、かなりの美人だ。
普段は見るからに目立つ華やかな色味のアイシャの陰に隠れて分かりにくいだけである。
そんな美人と話しているから色めいた話と思っているのだろうか…。
その程度の視線なのだと分かってはいたが、カナンは注目を浴びる事は好きではないので、場所を変えることにした。
この辺りの酒場は先払いが原則なので、そのまま席を立ち店を出れば、フジもそのままついてくる。
さっさと話を切り出さなかった辺り、案外彼女もそれを狙っていたのかも知れないとカナンはため息をついた。
「…で?本題は何だ。」
下町の露店が多く並ぶ道、通称"出店通り"の近くの公園のベンチに座り、カナンは話の続きを促した。
「単刀直入にお訊きします。アヴィリナイト、この言葉に聞き覚えはございますか?」
いつもの鉄面皮に変わりはないのだが、今日は険しさを感じる。
どうやらえらく重要な言葉らしいが、カナンにとってこの言葉は昔得たただの雑学程度にしか思い当たらない。
「悪いが、単なる鉱石の名前だとしか答えられないな。」
おそらくはなんらかの隠語なのだろうが、カナンはその隠語の元の言葉しか知らない。
いや、そもそもそれを元にしてるのかも知らないが。
予想外だったのか、フジの目が一瞬、僅かに見開かれた。
「………確かに、別の大陸の一部の限定的な場所でしか採石出来ない鉱石の名がそのような音だったと思いますが…。…博識なのですね。」
珍しく感心した風にカナンを見てくる。
カナンは軽く肩を竦んで答える。
「別に、昔知り合いに教えて貰っただけだ。」
「どなたです。その昔の知り合い、とは。」
その答えに何故かフジは食いついてきた。
無駄を嫌うフジが雑談を好むとは思えず、カナンは訝しむ。
「……あんたの知らない人だ。」
カナンは短くそれだけを答えたが、フジは沈黙しながらも納得はしていない様子だ。
「一体何を言わせたい。そのアヴィリナイトってのは何なんだ。」
カナンは不快感を隠しもせずにフジを軽く睨み問いかけた。
暫く睨み合う膠着状態が生じたが、フジは小さく息を吐くとその正体を告げた。
「予てより世界規模で活動している反社会的組織です。世界混迷時、もしくはそれ以前に結成されたと推測されています。…大半が≪異能者≫で構成されているとの話です。」
そう最後に付け加えられた言葉にカナンは得心が行った。
――不愉快ではあったが。
「あんた、いや、あんたたちが信じるかどうかは知らないが、鉱石の事を教えてくれた人はそんな組織とは関係ない。俺があの場所に連れられるより前の知り合いだ。」
カナンは皮肉気な笑みを浮かべ、フジの問い掛けに正直に答える。
「俺もその組織に所属なんてしていないし、そいつらと通じてもいない。それでも不信感が拭えないというなら…いっそ俺を処分するか?別に俺は構わないぜ?」
挑発するようにフジに言葉を投げるが、彼女は静かに首を横に振ると、深く頭を下げる。
そのフジの行動にはカナンも驚き、口を開く。
「お、おい…」
「不快に感じさせたのであれば謝罪致します。カナンさんに疑いを持ってアヴィリナイトの事を訊いたわけではありません。」
カナンの言葉を遮るようにフジは深く謝意を表した。
「ただ、今は少しでも多くの情報が必要なのです。…カナンさんが昔いた施設とアヴィリナイトが関わりがあるのではと考えて先程の質問を致しました。」
かつてカナンがいた場所が一瞬脳裏を巡り、常には抑えている負の感情がブワッと音を立てるように溢れそうになった。
咄嗟に首に手を当て、強く強く爪を立て痛みで気を紛らわした。
「……、あの場所は事故で起きた大爆発で壊滅したし、そこにいた職員や子供たちはほとんどが死んだ筈だ。飼い主かその前の飼い主が知らないなら俺も知らない。」
「…承知致しました……。」
フジが再び頭を下げてから出店通りの方へと静かに立ち去った。
煙草を取り出し火をつけ深く息を吸うと首に痛みがはしる。
強く爪を立てたため少し血が滲んでるかもしれない。
カナンは首を擦りながら天を仰いだ。
酒場にいた時は陽が傾いていたが、いつの間にか沈みかけている。
さっさと塒へ帰ろうと思いながら首を擦るが痛みは何故か治まらない。
「……あー……痛ぇな……。」
その痛みは打たれたこめかみからなのか、擦っている首からなのか、カナンは分からなかった。




