悪は遅れてやってくる
一部修正しました。
とりあえずは≪異形≫の黒い獣の方は風の≪異能≫の剣士に集中している。
劇場の後方の席の観客はパニックを起こしているのを見て、アイシャはおろおろと狼狽えていた劇場のスタッフを捕まえ指示を出す。
「後ろの席の観客がパニックを起こしているわ。避難の経路の誘導を手分けして行って頂戴。≪異形≫は黒い獣が一体、こちらは私を含めて≪奇跡の人≫が4人いるから観客は襲われる危険はないわ。その状況を説明して、落ち着いてスタッフの指示を聞くようアナウンスしなさい。」
「分かりました!!」
アイシャの冷静な指示で動揺していたスタッフ達も落ち着きを取り戻し、スタッフ専用通路へ向かいホール後方へと駆けていく。
次に舞台上にいた演者達に顔を向けた。
「こちら側の観客たちの避難経路を確保しなさい。舞台上に上がるためのステップを設置して。」
「合点です!!」
舞台上では情けない声を出し敵役を演じていた役者が頼もしい応答を返し、舞台から飛び降り舞台下に収納されているステップを引き出し始める。
「皆!落ち着いて頂戴!このアイシャ・シェラ・シェース・チェスディートがいる限り、あなた達の命、守りきってみせるわ!」
舞台の口上を真似て、アイシャは高らかに観客たちに宣言する。
お忍びで来ていたアイシャの姿を確認して、観客が少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「…アイシャ媛だ。」
「媛様がいらっしゃる。」
尊敬、信頼、安堵といった眼差しをアイシャに向ける観客たちにとりあえずはホッとする。
「舞台に上がり、舞台袖へ!」
舞台付近へと避難してきた観客たちに呼び掛けた。
フジは黒い獣がこちらに意識を向けないか懐剣を取り出し警戒する。
「関係者用の出入口があるからそこから逃げなさい!非力な女性や子供、老人を優先して!」
観客たちの避難は問題なさそうだ、後は黒い獣と剣士達の方だとアイシャはそちらへ意識を戻し、ギョッと驚いた。
―― …ちょっ!何してるのよっ!?――
風の剣士が教会の≪奇跡の人≫からの攻撃を受けていたのだ。
おそらくは地の≪奇跡≫を使うのだろう、地面が大きく盛り上がったかと思うと鋭く尖り、剣士を足許から貫こうとする。
その攻撃を察知したのか、辛くも剣士はその攻撃を後ろに跳び退る事で避けたと思ったが、今度は黒い獣が彼を襲う。
今度は風の≪異能≫を使い、なんとか攻撃を凌いだがこのままではマズい。
「フジ、ここは任せたわ!」
「っ!?お待ちください、媛様!!」
フジに後を託し、アイシャは黒い獣と彼らの元へとフジの制止を振り切り向かう。
カナンの扮するラナンキュラスとよく対峙する≪奇跡の人≫の連れの少女は更に≪奇跡≫を行使せんと白銀の杖を剣士へと向けようとするが、光の神子がそれを懸命に制止する。
―― こんな状況で何してんのよッ、あの子達!ラナくん!早く来て頂戴!! ――
武器と違い流石に衣装までは≪異能≫で作ることは不可能だ。
この劇場の控え室にあるものを羽織ってくる時間は必要だとは分かるが心の中で聞こえもしないのに早くして~とアイシャは急かす。
教会の≪奇跡の人≫が活躍しては困るが、同士討ちなどされる方が問題だ。
そうこうしている間に、アイシャの予想通り黒い獣は攻撃を展開する。
『グルゥルゥォオ――――ッ』
大きく遠吠えの様に黒い獣が吠えると、獣の回りに黒く燃える炎の塊が複数現れた。
獣の周囲をグルグルと回ったあとに前方の剣士達目掛け発射する。
各々、自身の身を守ってはいるが、それ以外の、人には当たらないものは放置するのを見て、アイシャは悲鳴を上げたくなった。
―― いやぁあぁぁ―――ッ!!修繕費がいくらかかると思ってんのよォ―――!!――
ただでさえ劇場の床板や、幾つかの座席が吹っ飛んだのだからと心中で嘆く。
『清らかな水よ、数多の生命の源よ、汝悪意を遮る障壁となりてこれを阻まん』
アイシャは3人が撃ちもらした炎を、広範囲の水の壁によってなんとか遮る。
劇場炎上の事態はなんとか防いだものの、危機は脱していない。
アイシャが焦燥感に駆られていたその時。
「随分と盛り上がっているようだな。」
待ちわびた声が上空から響いた。




