決意する豊穣の聖女
「何、顔をしかめてるんです?」
隣からどこか怪訝そうな声が密やかに問いかけてきたので、「なんでもない。」と、決して何でもないとは思えない不服そうな表情で少女、アレイシアは答えた。
公国の首都、チェスコバローンの中央辺りに位置するファレノシス劇場。
今期の舞台は演劇、慈雨の媛君~希望の聖女~。
この公国の媛が主人公であり、謎の悪の結社より人々を守るというのがあらすじである。
舞台は悪の結社の幹部、黒いマントに黒いフードを被り、劇場の中央辺りからだとハッキリとはわからないが白地に赤いバラのような絵が入ったマスカレードマスクを着けた、誰かを彷彿させる人物と対峙する≪奇跡の人≫が立っている。
≪奇跡の人≫はアレイシアの知ってる誰とも似てはいない。
おそらくは≪奇跡の人≫達への配慮なのだろうが、まぁそこは構わない。
彼女が問題としているのは悪役側のマスク男である。
やたらと大きいガッシリとした体格、マスクをしているので顔の半分は隠れて見えないが、むさ苦しい髭を生やしており、ゲヒャヒャと下品に笑っている、アレイシアの知っている漆黒の華とは似ても似つかぬ風体だ。
「……いや、誰よコイツ。」
アレイシアは思わず小さく呟いた。
―― ラナンキュラスっぽい格好してるけど全然違うじゃない。言い回しがなんだかバカっぽいし、ゲヒャヒャって笑い方は無いでしょ。ってか、あの髭!見たことなくてもあんなキザなマスクに髭はないでしょうが!――
心中で文句を言いまくっていると、隣の席に座っている青髪の少女がアレイシアに向かい、また静かに話しかけてくる。
「心中は察しますが、気にする必要はないですよ。この舞台は公女の功績とやらを讃えるだけのお話です。公女以外の登場人物はさして重要視されてませんし。」
どことなく舞台内容に嫌悪感を滲ませ、アレイシアに慰めらしきものを囁く少女に向けて、ウンウンと頷き、
「そうだよね。全然違うしね!」
「えぇ、あんな無様な戦いをする≪奇跡の人≫などいません。」
同意を求めたアレイシアは頷き返す少女に「へ?」と間の抜けた声を返した。
「え?」
「イヤイヤイヤッ、そうだよねッ!!うんうん。」
首が取れそうな位縦にブンブン振っているアレイシア。
それを迷惑そうに見る周囲の視線に気づいて軽く咳払いをし、少女はアレイシアに注意した。
≪光の神子≫アレイシアが≪豊穣の聖女≫ヘレンとこの劇場に足を運んだのは≪奇跡の人≫としての任務の為だった。
教会の預言者のお告げがあったのだ。
『公国を守護する者の元に世界を混沌へと導く≪異能≫が現れん』と。
公国を守護する者、おそらく…
「それが、この国のお媛様のアイシャ様でしょ?」
誇らしげに答えるアレイシアに再び咎める視線が集中したので、ヘレンは「静かに。」と一言注意した。
この国の民、主に平民にアイシャ媛は絶大な人気がある。
それは、≪奇跡≫の力を民達のために惜しみ無く使い、またこの国を豊かにするために様々な事業を行っていると言われてるためだ。
何よりも、若干14歳という若さでありながらもその華やかな美貌は民達を魅了している。
―― アレイシアもその口でしたか。 ――
ヘレンは内心ため息をついた。
平民達に人気が高いとは知っていたが、仮にも新人とはいえ≪奇跡の人≫である彼女まであの不心得者に好意を持っていたとは、と。
―― まぁ、今はいいでしょう ――
「我々のなすべき事は、彼女の保護です。彼女があの≪異能≫どもの組織に拐われるのを防ぎ、教会にて保護します。」
静かに宣言するヘレンにアレイシアは一つ疑問に思ったことを問う。
「そのお告げって具体的に名前が無いけど、本当にアイシャ媛の事でいいの?」
先程は舞台を見ながらの会話だったので反射的に答えたものの、断言していいかは少し疑問だった。
公国の一国民のアレイシアとしては勿論その通りなのだが、≪奇跡の人≫とか他にも正義の味方がいるのでそちらの可能性もあるのではと考えたのだ。
その質問に満足そうにヘレンは頷く。
「ええ、確かに本来は≪奇跡の人≫擁する我ら教会の事だと考えるのが極普通ですもの。」
ですが、と言葉を続ける。
「教会は無辜なる民の味方。高々公国程度の小さき守護者ではありません。」
そう誇らしげに答えるヘレンにアレイシアは軽く引いた。
ちなみに周囲も迷惑そうに二人を見ていたが、絡まれたくないからか、ソッと視線を舞台へと戻していた。
「えーっと、媛様が公国の守護者で間違いないとして、結社の奴らと戦って守るのはわかるんだけど、保護するってどういう事?」
城に送り届ければいいんじゃないのと更に質問を重ねた。
「本来は彼女も≪奇跡≫の使い手であれば、教会の洗礼を受けて然るべきです。本来は教会にて洗礼を受け、初めて≪奇跡の人≫という立場に立つというのが順序というもの。保護し、洗礼を受けさせ、それなりの教示を受けたあと城に返すべきです。」
仮にも公国の媛に対して上から目線でそうすべきなのだと、心から思っているらしいヘレンに。
―― ケーケンな信者ってこーいう感じなんだ……なんか、怖いな…… ――
本気で引いてしまうアレイシアだった。




